学校一の美少女と約束
「着いたな」
「着いちゃいましたね……」
どこか名残惜しそうに呟く倉敷さん。
俺は彼女と繋いでいた手を離し、正面の建物に視線を向ける。
眼前には倉敷さんの住むマンション。三十分ほど歩いたため、空はすっかり黒く染まっていた。
「それじゃあ、俺はここまでだな」
「はい。ここまで付いてきてくれて、ありがとうございます。それと……今までお世話になりました」
「……それは俺のセリフじゃないか?」
この三ヶ月間を振り返ってみるが、俺が倉敷さんの世話をした覚えはない。むしろ世話されていたのは俺の方だ。
「そんなことはありません。この三ヶ月間、私は七倉君の家でたくさんのことを学びました」
……生活力のない男子高校生と、口を開けば罵倒しかしてこないチンピラアラサーの漫画家からいったい何を学んだんだ? むしろ反面教師にすべきだと思うぞ。
「あ、それとこれだけは言っておきたかったんですけど、スーパーのお惣菜ばかりじゃなくて、たまにはちゃんとしたものを食べてくださいね? もし作るのが無理なようでしたら、私がいつでも作りに来ますから。あと洗濯物はちゃんと分けて洗ってくださいね? そうしないと――」
「わ、分かった分かった! 分かったから一旦落ち着け!」
まくし立てるように話し始めた倉敷さんに待ったをかける。
言ってることは耳が痛いが、このまま放置していたら延々と言われ続けそうだったしな。
「倉敷さんに言われなくても、そのくらいちゃんと分かってるから気にしなくていいよ」
「本当ですか? 面倒臭いからって、適当なこと言ってませんよね?」
……倉敷さん、もしかしてエスパーか?
「……もう、私がいなくても大丈夫なのか本当に心配になってきました」
「面目ない」
倉敷さんのいない明日からの生活……一人でやっていけるのか心配になってきたな。まあ倉敷さんが来るより以前に戻るだけだ。多分一人でも大丈夫……だと思う。
「ところで七倉君……以前した約束は覚えてますか?」
「約束? 俺、何か倉敷さんと約束なんかしたのか?」
「……いえ、覚えてないのならいいんです。もう二ヶ月も前のことですから」
「…………?」
二ヶ月前……何か約束なんてしてたか? ……ダメだ、思い出せない。
「七倉君、あまり気にしないでください。大した約束をしたわけではありませんから」
……大した約束じゃないなら、どうしてそんな悲しそうな顔をするんだよ。大した約束をしてない奴のする顔じゃないだろ、それは。
今にも泣きそうな顔で笑った彼女に、言葉にし難い感情が込み上げてきた。どうにか思い出してあげたい思うが、二ヶ月前という情報だけでは思い出すのは難しい。
「こんなところで、いつまでも話し込んでるわけにもいきませんね。それでは七倉君、私はそろそろ家に帰らせていただきます。また明日学校で……」
「あ、ああ……また明日な」
結局思い出すことができないまま互いに別れの言葉を口にすると、倉敷さんはマンションに向けて歩み出した。
どんどん俺から離れていく彼女の背中を眺めていると、なぜか不意に俺の脳裏を遊園地に遊びに行った帰りのことがよぎった。
『約束ですよ?』
『――はいはい。約束な』
「あ……」
そうか。倉敷さんの言ってた約束って、あの時の約束のことだったのか。確か内容は、もう一度二人きりで遊園地行く……だったか。正直、あの約束は果たすつもりなかったから、今の今まで完全に忘れていた。
それに思い出したからどうしたというんだ? これから先、俺と倉敷さんは今までのように接することはない。
距離を取って、以前のようなただのクラスメイトに戻るだけ。だから今更約束を果たす必要はないはずなのに……、
「倉敷さん!」
――気が付けば、倉敷さんのことを呼び止めていた。
倉敷さんが俺の声に目を丸くしながら振り向く。当然の反応と言えるだろう。
「七倉君? そんなに声を張り上げてどうしたんですか?」
「あー……ええと、そのだな……今度、一緒に遊園地に行かないか?」
「え……?」
「お、俺さ、三ヶ月も世話になったのに倉敷さんに何もお礼とかできてないだろ? だからこれまでのお礼ってことで――」
「行きます!」
食い気味の返答をする倉敷さん。まだ言い終える前に答えるとか、どれだけ遊園地に行きたかったのだろう。
倉敷さんが俺のところまで駆け寄ってくる。
「それで、いつ行くんですか? 明日ですか? 明後日ですか?」
「お、落ち着け倉敷さん。まだその辺のことは決めてないから」
というか、明日も明後日も普通に学校があるだろ。倉敷さん、どんだけ遊園地に行きたいんだ?
「なら早く決めしょう! 七倉君、今から私の家で一緒に行く日を決めましょう。この後、時間はありますよね?」
「あるけど……もう暗くなってるし明日にしないか?」
「明日ですか……分かりました。なら明日、学校で話し合いましょう」
俺の提案に倉敷さんは一瞬顔をしかめたが、最終的には納得してくれた。
「それでは七倉君、今度こそさようなら。また明日学校で会いましょうね」
今日一番の笑顔を作り、倉敷さんは軽い足取りでマンションへと再び歩き始めた。
そして倉敷さんの背がマンションに入り見えなくなったところで、一度溜息を漏らした。
「何やってるんだ、俺……」
どうして倉敷さんを遊園地に誘ったのか、ほとんど勢いに任せて口走っていたので自分でもよく分からない。
確かに倉敷さんにはかなり世話になった。お礼をしたいというのも本心だ。けれど、わざわざ遊園地にもう一度行くという約束を果たす必要はないはずだ。
そこまで分かっているのに、どうしてあんなことをしたのか。考えてみるが、答えは一向に出てこない。
自分のことなのに何も分からないという事実が、微かな苛立ちを募らせる。今まで経験したことのない感覚だ。
しかも不思議なことに、倉敷さんを誘ったことに疑問こそ浮かべたのが、後悔だけは一切してなかった。
遊園地へ誘ったことにこれ以上ないくらい喜んでいた彼女の姿を思い浮かべるだけで、自分のしたことは何も間違えていなかった。そんな考えまで脳裏をよぎってしまう始末だ。
「クソ……」
このままここにいても仕方ない。俺は苛立ちを胸の内に抱えながら、帰路に着くのだった。
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