学校一の美少女と登校

「…………」


 家を出た俺は現在、いつも通りの通学路をいつも通りの時間帯に歩いている。


 周囲には俺と同じ学校の生徒がちらほら見受けられる。これもいつも目にする光景だ。


 唯一違う点があるとすれば、それは隣を歩く倉敷さんの存在だ。いつも一人で登校しているので、誰かと一緒というのは新鮮な感覚を覚える。


 だが同時に、全身を突き刺すような視線のせいで朝から陰鬱な気分にもなっている。


 視線の正体は俺と同じ学校の生徒だ。この場にいる全員が、隠すこともなく堂々と視線を注いでいる。


 せめて隠す努力ぐらいはしてほしいが、学校一の美少女である倉敷さんが男子と一緒に登校しているとなれば、この反応も仕方ないのかもしれない。


「七倉君? そんな周囲をキョロキョロ見回して、どうかしましたか?」


「いやその……周囲の視線がな? 倉敷さんは気にならないのか?」


「慣れてますから」


 流石は倉敷さんと言うべきか。倉敷さんクラスの美少女ともなると、多数の視線に晒されるのは、いつものことなのだろう。


「凄いな、倉敷さんは。俺なんか、さっきから周囲の視線が気になって落ち着かねえよ」


「今後もこうして一緒に登校するんですから、七倉君もそのうち慣れると思いますよ?」


 当たり前のようにそんなことを言う倉敷さん。今後も一緒に登校することは確定事項のようだ。


 いやまあ、別に今更反対とかするつもりはないけどな。どうせしたところで無駄だし。ただせめて、何か一言ぐらいほしいところではあるが。


「もし気になって落ち着かないのでしたら、私と手でも繋ぎますか?」


「え、何で……?」


 いきなり何を言ってるんだ? 意味が分からん。


「手を繋げば、七倉君の意識もそちらに集中して、周囲の視線が気にならなくなると思いまして」


「……倉敷さんって、意外とアホなのか?」


 周囲の視線が気になるからといって、なぜまず最初に思い浮かぶのが手を繋ぐことなんだ? もっと他にもあるだろ。


 そもそも、そんなことをすれば周囲に俺たちの関係を誤解されてしまう。学校の男子に嫉妬されるだけならまだしも、付き合ってると思われるのは流石に許容できない。


「いい案だと思ったんですけど……ダメですか?」


「ダメに決まってるだろ……というか、さっきの言い方だと、俺は周囲の視線も気にならないほど倉敷さんの手の感触に夢中になってるように聞こえるぞ」


「…………!」


 自分で言っててなんだが、完璧に変態だな。弁解の余地はない。


 まあ実際に倉敷さんと手なんか繋いだら、多分どんな男でもその手の感触以外何も考えられなくなるだろうけどな。


「……七倉君はエッチですね」


「最初に言ったのは倉敷さんだろ⁉」


 その場で立ち止まり、頬を朱色に染めながら理不尽な非難を浴びせてきた倉敷さんに思わず吠える。


 倉敷さんの存在だけでも周囲の注目を集めていたのに、俺が叫んだことで更に視線が集まるのを背中で感じるが、今はそっちに意識を向ける余裕はない。


「で、ですが変な言い回しをしたのは七倉君です。七倉君も男の子ですから、別にエッチなのを悪いと言うつもりはありませんが、もう少し節度というものをですね……」


「は……?」


 節度? 朝っぱらから人の家に押しかけてきた倉敷さんが節度? ……中々面白い冗談だな。


「何ですか七倉君。その不満そうな顔は? 何か言いたいことでもあるんですか? もしあるのでしたら、遠慮なく言ってくださって構いませんよ」


「なら遠慮なく……」


 あそこまで言われて言い返さないほど、俺は寛容じゃない。倉敷さん本人が許可をくれたのなら、容赦する必要もないな。


「俺さっき手の感触がどうとか言ったけどさ、何でそれがエッチなことになるんだよ? 別に手を繋ぐくらい、変なことじゃないだろ?」


「そ、それは……」


「手を繋ぐくらいでエッチとか言うなんて、倉敷さんはいったい何を想像したんだ?」


 かなり意地の悪い言い方だが、やめるつもりはない。全部俺を怒らせた倉敷さんが悪いのだから。


「どうしたんだよ? 何か言ってみろよ? 手を繋ぐくらいでエッチな想像をする倉敷さん?」


「ううう……!」


 先程以上に顔を赤くして、瞳を濡らしながら唸る倉敷さん。普段の冷静沈着な倉敷さんからは想像もつかない姿だ。こんな彼女は今まで見たことがない。


 ……マズいな。今の倉敷さんは、ちょっとイケないものに目覚めそうになるほど可愛い。


 別に俺はサディストというわけではないが、今の倉敷さんは何というか……嗜虐心をそそるような可愛らしさだ。正直に言って興奮する。


 ――って、落ち着け俺! これはあくまで仕返しだ。倉敷さんをイジメて楽しむのが目的じゃないだろ!


「すうー……はあー……」


 昂った感情を静めるために、深呼吸をする。数回すると興奮も収まった。


「……ええと、ごめん倉敷さん。少しからかいすぎたな。この通り謝るから、許してくれ」


 流石にやりすぎたので、未だに涙目赤面の倉敷さんの前で両手を合わせて謝罪する。


「……本当に悪いと思ってますか?」


「思ってる思ってる」


「なら私がエッチじゃないと証明するために、手を繋いでください」


「……何でそうなる?」


 わざわざ手を繋ぐ必要がどこにあるんだ?


「さっき七倉君が言ってたじゃないですか。私は手を繋ぐくらいでエッチな妄想をするハレンチな女だって」


「いや、そこまでは――」


「言い訳は結構です」


 俺の言い分はバッサリと切り捨てられた。せめて最後まで聞くくらいはしてほしい。


「先程の七倉君の発言が誤りであることを証明するためにも、私たちは手を繋ぐべきです。そうすることで、私がエッチな女の子じゃないと証明してみせますから。さあ七倉君、手を出してください」


 倉敷さんが俺の眼前に手を伸ばす。俺と比べると、とても小さくて華奢な女の子の手だ。きっと握ったら柔らかいんだろうなあ……。


 魅力的なお誘いではあるが、こんな公衆の面前で手を繋ぐという羞恥プレイはごめんだ。恥ずか死ぬ。


「悪いけど、手を繋ぐのは遠慮させてもらうわ。俺今は左腕しか使えないから、倉敷さんと手を繋いだらカバンが持てなくなるしな」


「その点は、私が七倉君のカバンを持てば解決するのではないですか?」


「男として女の子に荷物を持たせるのはちょっと……」


「今の七倉君は男の子以前にケガ人です。その紳士的な気遣いはとても素晴らしいものですが、今は大人しく私の言うことを聞いてください」


 ダメだ。俺の話術で倉敷さんを諦めさせることは難しいようだ。


「そもそも、七倉君は昨日約束してくれましたよね? 今後私のすることに反対しないと」


「ぐ……ッ。そ、それは……」


 確かに昨日、半ばヤケクソ気味ではあったがそんな約束をしたな。どうせ俺がいいくら反対しても、押し切られてしまうと思って。


 しかしまさか、このタイミングで約束のことを持ち出してくるとは……昨日の自分をぶん殴ってやりたい。


「……なあ倉敷さん、あの約束なかったことには――」


「ダメですよ、七倉君。一度交わした約束を撤回するなんて真似、私は絶対に認めませんから」


 お、俺の思考が読まれてる⁉


「け、けどな倉敷さん。昨日のことは――」


「これ以上話していても、時間の無駄みたいですね。申し訳ありませんが、強引にいかせてもらいます」


 次の瞬間、倉敷さんは俺が左手に持っていたカバンをふんだくり、空いた俺の左手に自分の右手を絡める。


 時間にしてわずか三秒、電光石火の早業だ。両手が使えたら称賛の拍手をしていたところだろう。


「ふふふ、どうですか? これで逃げられませんよ?」


 余裕の笑みを浮かべる倉敷さん。普段ならとても可愛らしいの一言に尽きるが、今ばかりは腹立たしいことこの上ない。


 しかし実際倉敷さんの言う通りだ。何とか振りほどこうとしているが、倉敷さんの手はしっかり俺の手を掴んでいてビクともしない。


 いったいその華奢な身体のどこにこんな力があるんだ?


「は、離せよ倉敷さん! こんなところ人に見られたら――」


 そこまで言ったところで、周囲からざわめきが生まれる。……どうやら手遅れだったらしい。


 恐る恐る声のした方を振り返ってみると、そこには俺と倉敷さんの繋がれた手に視線を注いでいる学生たち。


 男子は今にも襲いかからんばかりに目を血走らせ、女子はキャーキャー騒ぎながらこちらを見ている。頭の痛くなる光景だ。


「どうかしましたか、七倉君? 何だか顔色が悪いようですけど……」


「……いや、何でもないから気にするな。それよりも、早く学校に行こう。いつまでもこんなところで突っ立てたら、遅刻するだろ?」


 本当なら今すぐに誤解を解きたいが、この状況ではそれも難しい。というか、こんなに注目されると居たたまれないので、さっさとこの場を離れよう。


「確かにそうですね。では行きましょうか、七倉君。遅刻でもしたら大変です」


 俺の思惑とは違うが、倉敷さんも同意してくれた。


 倉敷さんが俺の手を引いて歩き出す。彼女の強引さに内心辟易としながらも、俺はもう何も言わずに付いていくのだった。


 ――ちなみに倉敷さんの手はメチャクチャ柔らかかった。例えるなら、マシュマロみたいな感じだ。

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