学校一の美少女は決意する

「……なあ倉敷さん、今更だけど一つ訊いてもいいか?」


 場所は我が家のリビング。恐らくは自宅から持ってきたであろうエプロンを脱ぎ、席に着こうとしていた倉敷さんに訊ねる。


 倉敷さんが来てからまだ一時間も経ってないが、テーブルの上にはすでに数種類の料理が並んでいた。


 後は席に着いて手を合わせるだけで、食べ始めることができる。


 わずか一時間足らずでここまで済ませるのが凄いということは、料理をしない俺でも分かる。改めて、倉敷さんのスペックの高さを思い知らされた。


「私に答えられる範囲でしたら構いませんよ?」


 そして今日も昨日に負けず劣らずの美味そうな料理を作った倉敷さんは、俺の声に小首を傾げた。


「あれは何だよ?」


 左の人差し指でソファーの隣に横向きに置かれたトランクケースを差す。


 さっきは倉敷さんの私服姿があまりにも可愛いかったせいでスルーしていたが、流石にそろそろ気になっていた。


 料理中も開ける素振りを見せなかったので、中身は調理器具の類いではないのだろう。


 倉敷さんも料理を作り終えたことだし、聞き出すタイミングとしては今が一番だと思う。


「トランクケースです。旅行なんかでよく使われているんですけど……見るのは初めてですか?」


「いや、別に俺も見るのは初めてじゃないぞ? 俺が訊きたいのはそういうことじゃなくて、何でトランクケースを持ってウチに来てるかってことだよ」


「何でって……必要だからに決まってるじゃないですか。そうでもなければ、あんなものを持って人の家に来たりしませんよ」


「まあ、それはそうだな……」


 俺の望んだ答えとは微妙に違った上に、色々とツッコみたいところがあるが、今は棚上げしておこう。それよりも問題なのは、


「じゃあ、トランクケースが必要になるようなことって何だ? まさか、おかしなことをするつもりじゃないよな?」


 倉敷さんは、トランクケースが必要だから持ってきたと言った。それはつまり、トランクケースが必要なほどの何かがあるということ。警戒しないわけにはいかない。


「心外ですね。七倉君の目には普段、私がどういう風に映っているんですか? 私はただ――今日から七倉君の家に泊まろうと思っただけです」


「……何だって?」


 今学校一の美少女が何かとんでもないことをのたまった気がしたので、確認のために聞き返す。


「今日から七倉君の家に泊まろうと思っただけです」


 どうやら俺の聞き間違いではないらしい。


「俺、何も聞いてないんだけど……」


「当然ですね。私も今初めて言いましたから」


 しれっと言われると学校一の美少女が相手でも腹立たしい。男だったらブン殴ってるところだ。


「話はこれで終わりですか? せっかく作った夕食が冷めてしまう前に、早く食べ始めたいんですけど……」


「いや倉敷さん、今は夕食なんてどうでもいいから。それよりも、何で俺の家に泊まろうと思ったんだよ? 理由を教えてくれ、マジで」


 いきなり一方的に人の家に泊まるなんて言われた後事情も聞かず夕食を食べられるほど、俺の肝は据わってない。


「……仕方ありませんね。せっかくの料理を冷ましたくないので、説明は手短にさせてもらいますよ?」


 普通、他人の家に泊まるのなら、事前にその家の人間に説明をするのは義務のはずだ。なのに、なぜ倉敷さんは説明よりも夕食を優先するんだ?


「七倉君、昨日のこの家でのことを覚えていますか? 私は今日と同じように頑張って美味しい料理を作りました」


「そうだな。昨日の料理は凄く美味かったな」


 あの味は、今でも鮮明に思い出すことができる。


「でも、私はそれだけしかできなかったんです。七倉君の身の回りのお世話をすると言った以上、食事以外の面でも私はお世話をするべきなのに……」


「いや、それは仕方ないだろ? 食い終わった時点で結構遅い時間だったし、いくら俺が一緒だからって、あれ以上遅い時間帯に女の子が出歩くのは危ないぞ?」


 倉敷さんがどこまでするつもりだったのかは知らないが、俺は食事を作ってくれただけでも十分ありがたいので、これ以上何かしてもらうのは必要はない。


「いいえ、そんなのは言い訳になりません。何より、一度やると決めた以上は、完璧にやり切らなければ私の気が済みません!」


 昨日の時点で分かってはいたが、倉敷さんは意外と頑固だ。果たして俺に彼女を説得できるか……。


「とはいえ、私も七倉君に心配をかけるのは本意ではありません。だからどうすればいいのか、昨日家に帰ってから考えました。その答えが――」


「ウチに泊まるってことか?」


「はい、その通りです。七倉君に心配をかけることなく、七倉君の身の回りのお世話を完璧にこなせる……これ以上ない名案だと思いませんか?」


「思わない。倉敷さんって、もしかしてバカなのか?」


 聞いてて頭が痛くなるような発言に、目の前の少女が学校でも一番の美少女と評判の倉敷さんと同一人物に見えなくなってきた。


「学校の奴らにバレたらどうするつもりだよ、大騒ぎになるぞ? 特に教師連中なんかにバレれば、不純異性交遊とか何とか言われて面倒な罰則とかもあるだろうし……」


 最悪の場合、退学なんてこともあり得る。そのことを理解してない倉敷さんじゃないはずだ。


 しかしそんな俺の予想とは裏腹に、倉敷さんは不敵な笑みを浮かべながら、


「七倉君、知らないんですか? ――バレなければ問題にはならないんですよ?」


「…………」


 あの倉敷さんの口からこんな犯罪者紛いの言葉が出るとは……学校の奴らが聞いたらどんな顔をするのやら。


「た、確かに周囲の奴らには、バレなければ問題ないかもしれないだろうけど、親の許可はもらったのかよ? 流石に親にまで黙っておくってのはなしだぞ」


「その点は安心してください。両親には昨日の内に電話して、外泊の許可をいただきましたから」


「マジかよ……」


 一人娘が男の家に泊まることを容認するとか、普通ならあり得ないぞ。


 倉敷さんが一人暮らしを許可されてることから、放任主義なのは予想がついていたが、流石にこれは度を越している。


「けど俺だって男なんだぞ? もしかしたら、隙をみて倉敷さんを襲う可能性だって――」


「本当に襲うつもりのある人なら、そんなことは言いませんよ? それに私は、七倉君が変なことをするような人じゃないって信じてますから」


「倉敷さん……」


 それは、俺が女の子の寝込みを襲うようなクズではないという意味でか? それとも、俺はそんな度胸もないチキン野郎とでも思われているのか?


 とても気になるが、訊ねるのはやぶ蛇な気がするのでやめておこう。……別に後者だったらヘコみそうだからとか、そういった理由では決してない。


「まだ何か反論はありますか? もしないのでしたら、そろそろ夕食を食べたいのですが……」


「ちょ、ちょっと待て! 俺はまだ、倉敷さんがウチに泊まるのを認めたわけじゃないぞ!」


 話を切り上げ、意識をテーブルの上に並ぶ料理に向けようとした倉敷さんに待ったをかける。


「もう、まだ何かあるんですか? いい加減に食べ始めないと、せっかくの夕食が冷めてしまいますよ?」


 呆れたと言わんばかりの表情になる倉敷さん。


 この美少女の中では、夕食が冷めてしまうことの優先順位は同級生の男子の家に泊まる話よりも上なのか。


「倉敷さん、もう一度冷静になってよく考えてみろ。同級生の、それも男子の家に泊まるんだぞ? 普通に考えて色々とマズいだろ?」


 一縷の望みにかけて、再度倉敷さんを説得しにかかる。


 すると倉敷さんは瞳を潤ませながら、


「……そんなに私が泊まるのが嫌なんですか?」


「…………ッ」


 またこのパターンか。すでに何回も見たというのに、未だにドキっとしてしまう自分が恨めしい。


 これまでのように倉敷さんの要求を呑んでやりたくなるが、今回ばかりは俺も譲るわけにはいかない。毅然とした態度で応じよう。


「いや、好きとか嫌いとかの問題じゃなくてだな……」


 というか、ここまで身の回りの世話をしてもらっていて嫌いになれるはずがない。むしろ勘違いしてしまいそうだ。


「……もしかして七倉君は、私のことが嫌いなんですか? だから私なんか家に泊めたくない、夕食を作ったらさっさと帰ってほしい……そういうことですか?」


「そ、そこまでは言ってないだろ……」


 というか今の言い方だと、俺が倉敷さんを都合のいい道具としか見てないクズ野郎みたいに聞こえるからやめてほしい。


「なら私の何がダメなんですか? 私、自慢ではありませんが炊事洗濯何でもできますよ? 他にもその……エ、エッチなこともちょっとだけ、本当にちょっとだけなら頑張りますから……」


「マジで……!?」


 後半羞恥からか倉敷さんの言葉は徐々に尻すぼみしていったが、思春期男子の耳は聞き逃さなかった。


「ええとその……や、やっぱりエッチなのはなしにします!」


 しかし食い気味な俺の反応に恐れ慄いたのか、倉敷さんは顔をトマトのように真っ赤に染めて、視線を微妙に俺から逸らしながら言い放つ。顔を赤くした倉敷さんは普段の凛とした姿とはまた違った魅力を感じられて、何というか……嗜虐心をそそる。


「……七倉君はエッチです」


「うぐ……ッ」


 短く呟かれた言葉が地味に心にくる。即座に否定してやりたいが、先程の食い気味の反応の後だと何を言っても説得力がないのは明白。倉敷さんの視線がとても痛い。


「「…………」」


 結果として俺は黙るしかなく、倉敷さんも口を閉ざしてしまった。


 何とも気マズい沈黙がリビングを支配する中、不意に玄関の方からガチャン、と玄関のドアが開かれる音が聞こえてきた。


 玄関の鍵はちゃんとかけていたはずなので、今家に入ってきた人物はこの家の鍵を持っていたということ。この家の鍵を持ってる人間は、俺を除けば一人しかいない。それはつまり、が帰ってきたということ。


 これはマズい。最悪としか言いようのないタイミングだ。


「……倉敷さん、今すぐ帰れ」


「え……いきなり何を言い出すんですか?」


「いいから早く!」


 状況を理解できず席に着いたままの倉敷さんの手を折れていない左手で強引に引っ張り、無理矢理立ち上がらせる。


 さて。帰れとは言ったものの、このまま普通に玄関から帰したら途中で鉢合わせしてしまう。となると少々心苦しいが、そこの庭を経由して帰ってもらうか。


「倉敷さん、悪いけど――」


「嫌です」


「おい」


 こっちの事情も知らずあっさりと拒否してきた倉敷さんに、若干苛立ちを覚える。


「まだ話が終わっていないのに帰るなんて、私絶対に嫌ですから。話が終わるまでは、テコでも動きません!」


 きっぱりと言い切る倉敷さん。俺の説得に応じるつもりがないことがよく分かる。


 一番手っ取り早いのは強引に追い出すことだが、片腕しか使えない俺では時間がかかる。


 そんなことをしていたら、がリビングに来て、


「――おい、何やってんだよ琢磨」


「…………」


 どうやらすでに手遅れだったらしい。


 いつの間にやら、リビングの入り口には一人の女性が立っているのだった。

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