第25話

 赤ちゃんの赤は英語で『レッド』。赤ちゃんは、『キャベツ』畑で生まれるという外国の民話がある。そして言うまでもなく、英語で赤ちゃんは『ベイビー』だ。

 けれど、小学生の少女が欲しいというには、何というか違和感がありすぎる。

 藍子と揃って無言で固まっていると、出入り口の引き戸が開く音がした。

「こんにちは!」

 子どもの明るい声が店中に響く。

 慌てて店先に駆け付けると、そこには紗菜が立っていた。

 けれど大人びていた昨日までの印象とは異なり、彼女の笑顔は至極明るい。

 何より、今日の紗菜は一人ではなかった。少女の隣には、どことなく彼女に似た面立ちの女性が並んでいる。

 穏やかな表情で、赤ちゃんを抱きながら。

「こんにちは、お久しぶり」

「加藤さん!?」

 知り合いだったのか、藍子が女性を見て驚きの声を上げる。

 わたわた駆け寄り、康樹を振り返った。

「康樹君。加藤さんは、祖父が亡くなる以前から利用してくださってるご近所さんなんです。まさか、紗菜さんのお母さんとは思ってませんでした」

 言われて見れば、藍子に向ける女性の眼差しは確かに親しげだった。

「いらっしゃいませ。お久しぶりですね、加藤さん」

「本当に久しぶり。大きくなったわね、藍子ちゃん。うちの子が迷惑かけなかった?」

「とんでもないです。紗菜さんが遊びに来てくださると、お店の雰囲気がとっても明るくなるんですよ」

 藍子は、女性の腕に抱かれた赤ちゃんに視線を移した。

 真っ白なベビー服を着た赤ちゃんは、交わされる会話にも起きる様子を見せない。生まれたてなのか、康樹には触れただけで壊れてしまいそうに思えた。

 母親の動作がどことなくぎこちないのは、出産して間がないからだろうか。顔色も少し悪い。しかしそれを上回るほど、女性の笑顔は輝いていた。

 康樹は一人っ子なので、出産というものを身近に感じたことがない。

 けれどひしひしと伝わるのは、内側からにじみ出るような強さ。これが母親というものかと、康樹は漠然と理解する。

「入院が長引いていたんだけど、退院して帰ったら上のお兄ちゃんから、この子がここに入り浸ってるって聞かされて。今日まで全然知らなかったわ。ごめんなさいね」

 申し訳なさそうな母親の手を引きながら、紗菜がむくれて訴えた。

「私、迷惑なんてかけてないよ! ママでも解けないような難しい謎解きゲーム、考えてたんだから!」

「まぁすごい。どんなのか教えてくれる?」

「今日はダーメ! だって、お家で赤ちゃんの歓迎会するんでしょ? この謎解きゲームはね、ここでじゃないと解けないの!」

「あら、そうなの」

 康樹は、紗菜がはしゃぐ姿に少なからず驚いていた。

 けれど、大人びて見えたのは寂しかったからなのだと、今なら分かる。小さな子どもが母親と離れて不安になるのは当然のことだ。

 嬉しそうに母親へと抱き付く紗菜を見ていれば、康樹の頬も自然に綻んだ。

 どうやら今日は、久しぶりの家族水入らずのようだ。

 邪魔をしては悪いと、答え合わせをしないまま親子を見送った。

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