第4話

 入り口のすぐ脇には、古ぼけた木製のカウンターがあり、頑丈そうな天板に鎮座するのは年季の入ったレジスター。

 その隣、カウンターの縦幅いっぱいの水槽の中を、一匹の金魚が悠々と泳いでいた。

 飼い始めてから数年は経過しているだろう大きさで、金魚というよりほとんど金色のフナのようだ。正直飼い主と同じく、到底可愛いとは思えない。

――そこはせめて可愛い猫とか飼うべきだろ! てゆーか普通にでかくて怖い!

 突っ込みどころが多すぎて、何だかやたら色々引っかかる。

「あぁ、そういえばまだ名乗ってませんでしたね。私、佐倉藍子と申します」

 もやもやした康樹の内心など気付いた様子もなく、彼女は微笑んだ。

「数年前に他界した祖父の跡を継いで、この書店を経営しております。そうだ、コーヒーをお淹れする約束でしたね。ブラックはお飲みになりますか? カフェラテもおいしいですが、何気にこだわってブレンドしてますのでまず何も入れずに召し上がっていただけると嬉しいのですが。あ、趣味なんです、ブレンド。元々コーヒーが好きで祖父や祖父の友人方に振る舞っていたところ趣味が高じたと言いますか、」

「あー、とりあえずブラックで」

 話を分断するように注文をつけると、彼女は我に返り大人しくなった。

 なぜかレジカウンターの傍らに小さい丸テーブルとソファという寛ぎスペースが設置されており、康樹はチョコレート色の革張りソファに誘導される。

 一旦腰を下ろしたあとに店内をうろつくのもどうかと思ったので、一生懸命にコーヒー豆を挽いている藍子をとっくりと眺めた。

 モサッとした外見といい、息継ぎなしのまくし立てるような口調といい、挙動の端々にオタク臭がする。

 同類としては見ていて辛い。

「ところで、どんなアニメがお好きですか? やっぱり男の子ですから、スポーツ系でしょうか。私が知っているものといえば少年漫画原作のバレーアニメなんですけど」

 向こうも同種と判断したのだろうが、いくら何でも質問が唐突すぎる。

 康樹はガックリと項垂れた。

 ――完全に、オタクの距離の詰め方……。

 初対面で訊くには、いささか踏み込みすぎた質問だ。そもそも、全人類がアニメを見ているという先入観にも問題があるし。

 客観的に見ても、オタクとは付き合いづらい人種かもしれない。

「スポーツ漫画って、いくつになっても萌えますよね。自分が鈍くさいからこそ、憧れるんでしょうか……」

 独り言なのか、手だけは忙しく動かしつつうっとり空に視線を投げている。

 藍子の無垢な笑顔を見ていると、不思議と毒気が抜かれた。彼女からは、オタク特有の卑屈さが感じられない。

 何やら妄想を膨らませているのか、丸い顔いっぱいに笑う。

 誰かのこれほど幸せそうな笑顔を見るのは久しぶりだった。

 康樹は、店内に視線を移した。

 少し狭い通路の両脇に、ズラリと書棚が連ねている。新書も少しは置かれているが、やはり目を惹くのは専門書の多さだ。

 盆栽に経済、宇宙に鉱石など脈絡のない専門書が、一つ一つのジャンルごとに棚を埋め尽くしている。

 ある程度広い店内でなければ許されない幅の取り方だ。

 さすがに盆栽は祖父の趣味だろうが、一部の棚がライトノベルだらけになっているのは確実に藍子の仕業だろう。

「何というか、すごい品揃えですね。……さっきおっしゃっていた、亡くなられたお祖父さんが多趣味だったんですか?」

 挽き終えた豆を濾紙のセットされたドリッパーに移しながら、藍子が苦笑した。

「分かりますか? 盆栽にハマって本を収集し出して、その内盆栽に宇宙を見たとか言って、今度は宇宙関連の本を」

 なるほど。彼女の祖父の中では、きちんと集めるに至った経緯があるのだろう。

「お祖父さんの盆栽、あるんですか?」

「すみません。私では管理しきれないので、祖父の盆栽仲間にほとんど渡してしまったんですよ。私には才能がなかったみたいで」

「そうですか。見たかったので残念です」

 無難な会話が途切れる。

 コーヒーメーカーの中で水が沸騰していた。金魚の水槽に取り付けられたエアーポンプが、コポコポと音を立てる。壁にかけられた古い柱時計の針が、一定のリズムを刻む。

 静かで、とても落ち着く時間。

 初めて来た場所なのに自室と錯覚してしまいそうだ。

 その時、穏やかな空気を破るようにして、立て付けの悪い引き戸が開いた。

「こんにちはー、藍ちゃん。わしらにも一杯おくれー」

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