第22話

 気になって翌日も佐倉書店に寄ってみると、相変わらず客のいない店内で、藍子は諦めずにメモと対峙していた。

 今日も老人達はいないようだ。

 集中しているようだったので、声をかけずにコーヒーの準備をする。分量は、今度こそ二人分だ。

 ゴリゴリ豆を挽き始めると、さすがに藍子も顔を上げた。

「ああ、康樹君。すみません、いらっしゃってたんですね」

「こんにちは。暗号が気になったので、来てしまいました」

 立ち上がって交代しようとする彼女を制す。一人でコーヒーくらい淹れられる。

「藍子さん、やっぱりまだ解いてますね」

「もちろんですよ。一見何の規則性もない数字ですが、きっと何か糸口があるはずですからね。今は試しに、ひらがなに変換しているところです」

「何か意味のある言葉になりましたか?」

「単純に当てはめていきますと『う―い―す―レ、お―か―く―キ、か―え―な―ア』になりますね!」

「振り出し、ですね」

 何の意味も成さないひらがなの羅列に変化しただけだった。おそらく、別の解読法があるのだろう。

 走り書きがびっしりのノートと暗号とをにらめっこし続ける藍子に、康樹は嘆息した。

「もしかしたら、適当に作った暗号かもしれませんよ。元々意味なんてないんです」

 子どものやることだ。

 特に騙そうという意図も悪意ない、でたらめに作っただけの暗号。そういった可能性も十分あり得る。

 けれど康樹の言葉に、藍子はきっぱり首を振った。

「そんなこと絶対にありません。紗菜さんは、本当に一生懸命本棚を見て回っていたんです。適当な暗号を作っていたとは、とても思えません」

 全体的におっとりと控えめな彼女だが、譲らない頑固さも持ち合わせていることは知っている。宗吉達と本のタイトルを当てるクイズで戦った時が、まさにそれだ。

 康樹は深々と息をつくと、淹れたてのコーヒーを藍子の近くに置いた。

「そうですね。正直俺もその可能性は低いと思ってますけど、面倒かなと無責任なことを言いました。あの子、この書店で謎解きをすると話してましたから、絶対佐倉書店と関係があるはずです」

 自分も彼女の隣に座ると、暗号が書かれた紙片を覗き込む。

「俺も、考えます。一緒に頑張りましょう」

 数字には何度も書き直した跡があり、紙にもシワが寄っている。

 これを適当な暗号だなんて、確かに決め付けるべきではなかった。

 藍子の方がずっと先に、同じ結論にたどり着いていたのだろう。彼女はとても嬉しそうに、顔中で笑った。

「はいっ、頑張りましょうね康樹君!」

 無邪気すぎる笑顔は子どもっぽくもあり、年長者らしくもあった。

 お客様を大切にする、という彼女の言葉が不意に甦る。

 藍子は誰に対しても等しく心を傾けているのだろう。老人達にも、あの存在感の薄い津田にも。紗菜にも、康樹にも。

 ずっと彼女を子どもっぽいと思っていた。

 それは嫌な言い方をすれば、見くびっていたにも等しい。

 けれど、間違っていた。

 藍子はちゃんと大人だった。

「……何を、難しく考えて」

 真剣な彼女の横顔が、パッと振り向いた。

 欠片も暗号を解こうとしていなかったことに気付き、康樹は慌てて口を押さえる。

「すみません、俺――」

「なるほど! そうかもしれません!」

「……え?」

 彼女は瞳をキラキラと輝かせながら暗号を見下ろした。

「子どもが作ったものなのに、確かに難しく考えすぎていたのかもしれません。つまり、ISBNコードとか整理番号なんて、全く関係がないのではということですね!」

 ものすごく思いがけない解釈をされたが、むしろ好都合だと頷き返した。

「はい。ここまで考えても分からないなら、そういうことではないかと。とはいえ、これが佐倉書店で解ける謎ということは、やはり本に関係があるはずです」

「うちで解ける謎……『奥から』……あ!」

「ーーあぁ」

 答えにたどり着いたのは、ほとんど同時だった。顔を見合わせると、藍子の瞳にも困惑が広がっている。

 紗菜の暗号の先に本があるのなら。数字の羅列は、単純に本の場所を示す鍵。

「え……まさか、この頭の番号って、棚の位置? 棚に番号が振ってあるってことか?」

 ヒントの『奥から』の意味も、これならば確かに繋がる。

 それでも、糸口を見つけた喜びよりも困惑が勝った。

 解ける気がしない。棚はグルリと壁を覆い、狭い通路を作りながら並んでいるのだ。

 二十近くある棚に、紗菜がどのような順番を付けたかなんて分かるはずもなかった。

「これ、やっぱりクイズとして成立してませんでしたってオチじゃ」

「ま、まぁまぁ、子どもが作った謎解きゲームですから」

 必死にフォローする藍子を、つい半眼で見つめてしまう。

 彼女は逃げるように話を進めた。

「とりあえず、一番奥の棚が『1』でしょうか。出入り口とは対局にある本棚が奥、ということでいいんですかね?」

「だといいですけどね」

「よし、とりあえず行ってみましょう!」

 考えなしに藍子が歩き出すから、康樹ものろのろと立ち上がった。

 この人を野放しにしてはいけない。

 店の奥は暗く、秋が深まってきたこの頃は少し肌寒い。彼女は薄手のカーディガンを羽織っているだけだが大丈夫だろうか。

「あ、康樹君ここ見てください。棚の下」

 康樹の心配をよそにずんずん進んでいった藍子が、何かに気付いて少し屈んだ。

 彼女が指を差す先には、よく見ると小さな星形のシールが貼られていた。

 そこには『1』とはっきり書かれている。

 なるほど。順番を分かりやすくするために、こっそり番号を振っておいてくれたと。

「器物損壊……」

「で、でもこれほら、貼って剥がせるシールみたいですから」

「何であなたが庇うんですか」

 そもそも何日も前から貼ってあったなら、店主として気付くべきだ。

 また半眼になる康樹に、藍子は取り繕った笑みを浮かべた。



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