第21話
少女は、加藤紗菜と名乗った。
もう暗くなり始めていたので帰るよう促すと、彼女はまた明日来店すると言い残し去っていった。謎が解けたら答え合わせをしようと約束して。
だというのに。
「一つ一つの数字の意味が、さっぱり分かりません……」
……暗号は、なかなか手強かった。
「ISBNコードでもなさそうですよね」
ISBNコードとは国際標準図書番号のことで、出版社を通して発行された本には必ずこれがある。
日本図書コードというものもあるが、こちらも桁数が多いので関係なさそうだった。
「俺はこの暗号を初めて見た時、文庫本の背表紙にある整理番号ってやつかと思ったんですけど。どうやらこれも違うみたいですね」
レーベルが付ける整理番号は作者の頭文字と数字で構成されているので、紗菜の作った暗号とどことなく似ていた。
けれどよく考えたら数字が多すぎる。
おそらく整理番号だろうと当たりをつけていただけに、違うとなると他には何も思い浮かばなかった。
「正直、もっと簡単だと思ってました……」
「この『奥から』というヒントが、全くヒントになってないですよね」
藍子もさすがに苦笑いをこぼしている。
結局何のひめらきもなく数分が過ぎると、彼女は柱時計を確認した。
「康樹君も、そろそろ帰った方がよさそうですね。最近は日が落ちるのも早くなってきましたし。私は、もう少し考えてみます」
小学生の紗菜と同じ扱いをされるのは少々不本意だったが、藍子からすれば等しく未成年。子どもなのだろう。
康樹は逆らわずに退店した。
「おかえり康樹」
帰宅すると、母がキッチンに立っていた。
秋刀魚が焼けるこうばしい匂いが胃を直撃し、途端に空腹を感じる。康樹はポン酢と大根おろしでさっぱり食べるのが好みだ。
大きめの焼きナスがごろごろ入った味噌汁も既に完成しているようで、今日は格別に秋めいたメニューだった。
「ただいま。早く夕飯食べたい」
「はいはい、あんたが手を洗って来たらね。あれ、何か疲れてる?」
あくびを噛み殺す仕草を見咎めた母が、首を傾げる。
千切り人参のゴマドレッシング和えをつまみ食いしながら、康樹は肩をすくめた。
「ちょっとね。何か流れで、謎解きゲームをすることになって」
「あんたって結構のんきねー。来年は受験生だっていうのに、進路じゃなくてゲームに頭を使ってるの?」
「そういうそっちこそ、来年受験の息子がいるとは思えない態度だけどね」
「あら、口出ししてほしいの?」
「まさか」
母は、進路について何も聞かない。進学しろとも写真をやめろとも言わない。
それが母の愛情であると分かっていた。
つまみ食いを阻止され、キッチンから追い出される。
康樹はふと、母を振り返った。
「……ねぇ。俺って子どもっぽいかな」
身長はごく平均的だし、運動をしないためたくましくもない。むしろクラスではひ弱なオタクだと認識されている。
何の気なしの質問だったが、答えは意外な方向から返ってきた。
「康樹は精神的に、むしろ大人びている方だと思うよ」
体をビクッと震わせながら背後を見ると、リビングのソファにはくつろぐ父がいた。
「あれ、父さんいたんだ」
「いたよ。最初からいたよ」
リビングならば先ほど視界に入れたはずなのに、微塵も見えなかった。
けれど父は、康樹の反応に腹を立てることなく笑っている。
お盆にほかほかの夕食を載せた母がやって来て、目を丸くした。
「あれ、お父さんいたの。ご飯二人分しか盛ってなかったわ」
「いたよ。だいぶ前に帰ってきていたよ」
「せめて母さんは気付いてあげなよ……」
キッチンへと引き返す母の背中に、康樹は顔を覆った。
これで仲はいいのだから、夫婦とは分からないものだと思いながら。
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