第17話
翌週。少しずつ日中の暑さも和らぎ、吹く風に秋の匂いを感じ始めてきた。
木々の緑は赤や黄色に染まり始め、秋の高い空を赤とんぼが気ままに飛び交っている。
橙色の混じった陽光に薄い羽根まで照り映えて、まるで燃えているようだった。
田んぼの稲穂は収穫を間近に控え黄金色に輝き、畑の林檎は真っ赤に色付いている。
秋の美しさは、まさに胸に迫ってくるようだった。
それなのに、スマートフォンを構えて写真を撮る気になれないのはなぜなのだろう。
何かこれ以上に撮りたいものがあって、それを探し求めているような感覚。
首をひねっている内に、佐倉書店に到着していた。
「こんにちは」
立て付けの悪い引き戸を、静かに開ける要領も分かってきた。
店の中を進むと、レジ横に見慣れぬ小冊子が置かれていることに気付く。
「こんにちは、藍子さん。これ何ですか?」
いつものように店の奥の炊事場でコーヒーを淹れ始めていた藍子の背中に問うと、横合いのソファスペースから答えが返ってきた。
「それは、『ZINE』というらしいよ」
「『ZINE』?」
ソファに埋もれるようにくつろいでいた信五が笑った。
「僕もよく分からないけど、自費出版の小冊子のことなんだって」
彼とはそれなりに会話が成り立つ。康樹は礼を言いつつ、冊子の一つを手に取った。
紙の素材や色、それぞれ大きさも違う。
縦型や横型、右開き左開き、カラーにモノクロに多種多様だ。幾つか比較してみたが、値段も大幅に開きがあった。
「えぇと……フリーペーパーみたいな感じですかね?」
薄さといい、康樹が知るもので一番類似しているのはそれだ。
けれど宗吉は、難しい顔で首を傾げた。
「んー、何だったかのう。さっき説明してもらったんじゃが」
「……ボケが始まってるんじゃないですか」
「うるせぇクソガキ」
「本当に地獄耳だな」
喧嘩に発展しそうになったところで、コーヒーの香りが二人に割って入った。
「フリーペーパーとは少し違っていて、広告などは一切入っていません。企業や出版社が関与していないものが、『ZINE』というんですよ」
藍子がいつの間にか、コーヒーを載せたお盆を手に歩み寄っていた。ふんわりした笑顔が康樹に向けられる。
「いらっしゃいませ。こんにちは、康樹君」
「こんにちは、藍子さん。お邪魔してます」
宗吉や信五らの前にコーヒーを置いていきながら、藍子は『ZINE』について詳しく説明をしていく。
「『ZINE』とはマガジン、ファンジンの通称です。ものすごくニッチな紙媒体、といったところでしょうか。内容は多岐に渡るんですが、アート系に特化したものが多いですね。面白いでしょう? ついたくさん仕入れちゃいました」
「あぁ、いつもそんな感じで仕入れちゃってるんですね……」
佐倉書店は、つくづくいつ潰れてもおかしくないらしい。
康樹は若干の疲労を感じながらコーヒーに口を付けた。ほろ苦さがしみる。
「東京には、ジンを専門に扱っているお店があるらしいですよ。そこでは作り方を学ぶ講座も開いていたり。何かを一から作るなんて、すごいですよね」
全て手作業で作られているため、大量生産は難しいのだとか。
そのために数ページほどの『ZINE』でも、そこそこの額になるのだそうだ。
プロのアーティストが個人的に制作することもあるらしいが、基本的にはアマチュアの作品が多いという。
藍子はのほほんと笑っているが、康樹は頭が痛くなってきた。
「売れ筋でもないものを、結構大量に仕入れましたね……」
『ZINE』が売れないとは言わない。
けれどこれだけ来客数が少ない中で、一体どれほどの人の目に留まるのか。
「もっと売れ筋のベストセラーとか、じゃんじゃん仕入れればいいのに……」
康樹の呟きに、藍子は困り顔になった。
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