第18話
「そうしたいんですけど、うちのような弱小書店には注文した本が回ってこないことが多いんですよ。話題作や人気作は、大量発注する大型書店さんに優先的に卸すようなシステムになっているんです」
藍子から経営に関する苦労を聞くのは初めてだった。何も考えていないように見えて、店を守るための努力はしていたらしい。
――そういえば、元はこの店、お祖父さんが経営してたって……。
宗吉達と友人だったということもあり、彼女の祖父の話は度々出てくる。多趣味で、孫と一緒に居酒屋で食事をして。
きっとこの店には、共に過ごした思い出がたくさんあるのだろう。
だから明らかに慣れていないにもかかわらず、必死で経営している。
彼女が佐倉書店の店主になった経緯が、にわかに気になりだした。祖父以外の親族――例えば、両親の話題が全く出ないことも。
「……今よりもお客さんを増やす方法とか、ないですかね」
「そうですね。私も色々考えてるんですけど……本好きの書店員さんが、予算内でランダムに本を選ぶ、とか?」
「それ、どこかで聞いたような話ですね」
街の小さな書店の試みとして、ニュースでたまたま見かけたことがある。とぼけた彼女の発言に、フッと心が和んだ。
つられたように藍子もにっこりと笑う。
「とりあえず今は、お店に来てくださったお客様を大切にするくらいしか思い付かないんですよね。注文された本は、入手困難でもできるかぎりお断りしないとか。そういえば康樹君は、読みたいけど手に入れられない本とかありますか?」
何気ない質問だったのだろうが、康樹にはすぐ頭に浮かぶタイトルがあった。
「十年くらい前に発売された、好きなフォトグラファーの作品集ですね。当時の小遣いじゃ買えなくて、貯金が貯まった頃には絶版になってました」
「フォトグラファーの作品集、ですか」
「……俺、写真が趣味なんですよ」
級友達にも隠しているのに、なぜか自然と口を衝いていた。
「SNSにも今まで撮った写真を投稿してます。『ツキ』って名前で。一応、それなりに閲覧してもらってます」
本当に、なぜ話そうと思ったのか。
康樹自身不思議だったが、きっと彼女の口調がのんびりしていて警戒心を抱かせないためだろう。それは、見た目のゆるキャラっぽさも含めて。
「そうなんですね! とってもすごいじゃないですか!」
「別に、俺くらいのレベルの奴なんていくらでもいますよ」
「そんなことありません! たくさんの人に感動を届けるなんて、特別な才能ですよ。康樹君はすごい人です!」
それとも、こちらを見上げるキラキラした瞳のせいもあるのだろうか。
康樹は居たたまれなくなって、手の平で顔を覆った。
「感動を届けるとか。……そんな恥ずかしいこと、よく言えますね」
「恥ずかしくないですよ。康樹君は、すごいし、格好いいです!」
「だから、近いですってば」
彼女は、何の意図もなく距離を詰める。
真っ直ぐ目を見て、真っ直ぐ心を告げる。
そこに打算も裏表もないから、いつの間にか気を許していたのかもしれなかった。
肩肘を張っても無駄だと悟ってからは、ほとんど思考を放棄しているようなものだ。
子どもを相手にするような心地でいる康樹に気付きもしないで、藍子は無邪気に笑う。
「将来は、立派なカメラマンですね。私、何でも力になりますよ。もし『ZINE』を作るなら協力しますし、お店にだってたくさん並べちゃいます」
「そういうことは、書店をまともに経営できるようになってから言うべきじゃありませんかね? コーヒーミルだって、もう俺の方が扱い上手いじゃないですか」
「康樹君は繊細な手作業に向いてるので、素敵な『ZINE』を作りそうですよね」
「……」
藍子は力が足りないのか不器用なのか、コーヒー豆を挽くのがとても遅い。
今では康樹の方が得意なほどで、顔を出す時間が早かった場合は率先して作業を買って出ていた。
「私も、生涯で一冊くらいは『ZINE』を作ってみたいものです。宗吉さん達が制作するなら、やっぱりお仕事関係の『ZINE』ですかね?」
藍子が話を振ると、宗吉は思案げに腕を組みながら顎をさすった。
「儂らは老眼じゃから、難しいかのう」
「いやいや。俺は自転車作りまだ現役だし」
「なら儂も料理作っとるし」
宗吉と辰造が張り合う横で、信五は穏やかに微笑んでいた。
「今一番興味のあるものが『ZINE』っていうのは、何とも藍ちゃんらしくて微笑ましいけどねぇ。でもまだ二十歳なんだから、もっとアクティブなことにも積極的に挑戦してみていいかもしれないよ」
「………………えぇえっ!?」
藍子が二十歳。
また一つ新たな知識を得て、康樹はここ最近で一番の大声を出した。
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