第9話

 花に群がる悪い虫を警戒するように、油断なく康樹を睨んでいる。

 眼光鋭い老人達は、まるで彼女を守る騎士か何かだ。少女漫画か。

 距離を詰められて戸惑っていたのはどちらかと言うと康樹なのに、世の中は不当だ。

 ――まぁ確かに、この人に全然他意がないからこそ、つい気が緩んじゃうっていうのはあるけど……。

 康樹はなぜか昔から、驕った価値観を持つ女性に絡まれやすい。

 他人を自分本位にランク付けし、格下だと態度を大きくするような変わった人達だ。

 彼女達はなぜか、体や顔を近付けて可愛らしくおねだりすれば、大抵の我が儘は通ると思っている。

 康樹の、地味で何でも言いなりになりそうな外見も悪いのだろう。

 一方的な命令を一般的な感覚で断り、何度も理不尽に逆上されてきた。

 そういった人種に目を付けられると厄介なのは経験則なので、防御には長けているつもりだ。絡まれないよう気配も消せる。

 なのに藍子には、全く警戒心が沸かない。

 ゆるキャラのようなシルエットのせいだろうか。それとも、好きなものを語る彼女の瞳に、媚びが交ざっていなかったからか。

 康樹がのんきに不思議がっていると、一番血の気の多そうな開襟シャツの老人が顔を近付けて凄んだ。

「おうおうおう。お前さん、一体何を企んどるんじゃ」

 白髪を綺麗に撫で付けいわゆるオールバックにしている老人は、かなりがらが悪い。

「藍ちゃんを騙そうたって、そうはいかないからな」

 上から下まで康樹を検分すると、気に食わなそうに吐き捨てる。

 関わり合いになるのはごめんだが、正直カチンときた。彼女を騙して、一体どんな得があるというのか。

「俺が純粋に本を買いにきたんだとしたら、それ完全に営業妨害ですよ」

 康樹の当然の反論には、作務衣姿の老人と、比較的穏やかに見えるポロシャツの老人が文句をつける。

「今どきの若いもんは、どうせ本なんか買わんじゃろ」

「そうじゃそうじゃ」

「すごい決め付けですね」

 一触即発の空気に、藍子の柔らかな声が割って入った。

「宗吉さん、辰造さん、信五さん。そこまでにしてくださいね。喧嘩はいけませんって、いつも言ってるじゃないですか」

 叱られ、老人達は慌てて姿勢を正した。

 藍子はよくできましたとばかりに微笑むと、彼らの前にコーヒーを並べていく。老人達の表情は見る間にとろけた。

 ――ていうか、この人達がいつもこの調子で客に絡んでるなら、この店が潰れるのも時間の問題だろ……。

 せっかくコーヒーはおいしいのにと、書店の評価としては見当違いなことを考えながら人心地ついて味わう。

 派手な開襟シャツの老人が、締まりのない顔で藍子に化粧箱を差し出した。

「藍ちゃんこれ、今日の差し入れは自信作。カシスと和栗のモンブランだよ」

「モンブランにカシス、ですか? 意外な組み合わせですけど、きっと宗吉さんが作るならおいしいんでしょうね」

 この柄の悪そうな老人が繊細なケーキを作ったという事実の方が、余程意外だ。

 康樹はこっそり皮肉な笑みを浮かべ、ふと我に返った。何というか、思考が先ほどから荒んでいる。

 おそらく彼らとは相性が悪いのだ。初対面から天敵でも見るかのように睨まれ続けていれば、仕方のないことかもしれないが。

 ――いや、それでも目上の人には敬意を持って接しなくちゃな。

 コーヒーの香りを楽しんでいる内に、ささくれた心が癒されていく。

 康樹は平静さを取り戻しかけたけれど。

「で、藍ちゃん。こないだから現れとるこのくそ生意気なガキは何じゃ?」

「通ってるってことは、やっぱり高望みにも藍ちゃん狙いなのかねぇ?」

「迷惑なら叩き潰すけど」

「あんたらの存在自体がこの書店にとって迷惑そのものでしょうが」

 脊髄反射の勢いで言い返していた。

 訂正。康樹が荒んでいるのではない。敬意を抱かせない彼らに問題があるのだ。

「はぁ? 何言っとるんじゃ? 儂ら迷惑かけてねぇぞ」

「お前と一緒にされちゃ困る」

「そうだねぇ。たまにだけど、本もちゃんと買っているしねぇ」

 三人にも当たり前だが個性はあって、やはり康樹を最も目の敵にしているのは、派手なシャツの老人だろう。

 ケーキ作りが得意な、確か宗吉だったか。

 彼の顔がぐんと近付いた。

「儂はこう見えて、意外と文学老人だし博識なんじゃ」

「文学老人なんて言葉は聞いたことありませんけど、博識という熟語くらいならご存知なんですね。驚きました」

「喧嘩売ってんのかクソガキ」

「先に売ってこられたのは、どう考えてもそちらでしょう」

 藍子の制止も届かず睨み合いは続き、どちらも一歩も引かない構えだ。

 やがて宗吉は口端を吊り上げると、高々と宣言した。

「いいじゃろう。お前さんがこの店に相応しいかどうか、テストしてやる! 儂が出したヒントで、本のタイトルを当ててみせろ! 外れたら不合格だからな!」

「受けて立ちましょう。あなたが出すテストなら、たかが知れてる」

「ふざけんなコラァ! お前さんを出禁にしてやるわい!」

 睨み合う二人に、他の老人達が頷く。

「なるほど、タイトル当てクイズかぁ。書店に相応しい問題だね」

「のんびり構えてないで俺らも考えとくぞ」

 なぜか全員がノリノリの中、店主だけが取り残されていた。

「あの、ここは私のお店ですし、お客様を区別することもあり得ませんし……」

 でも少年漫画みたいで面白いし、みんなせっかく楽しそうだしと、何だかんだ受け入れつつある藍子が困ったように笑った。

 そして康樹は、なぜ特に執着のない店に通う権利を得ようとしているのか。本人は冷静なつもりだが、全く周りが見えていない。

 康樹と宗吉の間に、熱い火花が散った。


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