第8話


 翌日の放課後。

 康樹は『佐倉書店』の前にいた。

 ずっと気にし続けるくらいならと、結局また足を運んでしまった。考えすぎてしまう自分の性格が心底嫌になる。

 それでも覚悟を決めきれずに店の前をウロウロしていると、内側から扉が開いた。

 顔を出したのは藍子だ。

 しっかり目が合ってしまい、ばつの悪さから一歩も動けなくなる。

 藍子もまた、丸い目をさらに丸くして康樹を見ていた。どこか呆然としているようだった顔が、数拍置いてパッと輝く。

「いらっしゃいませ、お待ちしてました!」

 藍子は、立ち尽くしたまま動けずにいる康樹の元にすぐさま駆け寄った。

「私としたことが自分のことばかり話してしまって、あなたのお名前すら聞いていなかったとあとになって気が付きました! お若い方と話すのが久しぶりだったのでアニメ談義ができるかもと思ったらもうすっかり……」

「あの、近いです」

「あ、すみません」

 失礼とは思いつつ、つい遮ってしまった。

 またもやマシンガンのように息継ぎなしでまくし立てられ、その上体が触れ合いそうなほど距離が近いとあっては、口を挟まずにはいられなかった。

 気分を害した様子もなく二歩ほど下がる藍子を、改めて見下ろしてみる。

 よもぎのような独特の風合いのブラウスに、紺色のくるぶし丈スカート。

 前回も気になったが、あの絶妙な色のブラウスはどこで仕入れているのだろうか。

 そして全ての若者がアニメ好きだと思ったら大間違いだ。

「ようこそいらっしゃいました。どうぞ、今度こそコーヒーをご馳走させてください」

 通されたのは前と同じソファスペースで、康樹は所在なく感じながら腰を下ろした。

 今日の彼女は豆を挽き終えていたようで、手際よくコーヒーをドリップしていく。

 もしかしたら、学校が終わる時間を見計らって準備していたのだろうか。康樹がうだうだ悩んでいる間も、毎日?

 ただの偶然かもしれない。

 たまたまコーヒー豆を挽き終えた時間に、康樹が訪れただけかもしれない。

 けれど……。

「お待たせいたしました。お口に合うといいんですが」

 藍子が笑顔で差し出すカップを、ソーサーごと受け取る。

 何かが胸に詰まったように言葉が出てこず、康樹は無言でコーヒーに口を付けた。

 火傷しそうなほどコーヒーは熱い。

 けれどそれ以上に胸が苦しくて、味なんて分からなかった。

「……おいしい、です」

 ようやくそれだけ口にすると、藍子はひどく嬉しそうに微笑んだ。

 子どものように無垢な笑顔に、なおさら胸が痛くなる。

「名乗るのが遅くなってしまい、すみません。俺、若松康樹といいます。高二です」

「ご丁寧にありがとうございます。改めまして、佐倉藍子と申します」

 コーヒー片手に席に着いた藍子は深々と頭を下げると、顔を上げざま質問を放った。

「康樹君ですね。学校では、どんなアニメが流行っていますか?」

「…………」

 まるで世間話のように、オタクであることを後ろめたいとすら感じでいないように。

 しかもいきなり名前呼びの距離の詰め方。

 康樹はいちいち突っ込むのを諦めた。

 こういう生き物なのだと自分に言い聞かせれば、心穏やかに接していられる。

「私の今のNO・1は、やっぱり『ドリパニ』ですかね。『ドリーム☆パニック』、ご存知ですか? 元はライトノベルだったんですけどコミカライズされて、さらにはアニメ化されて。今放映されてるのはサードシーズンでして、ついに決別したかつての親友朝倉みずきとの対決が……」

「いやだから近いですって」

 夢中になると身を乗り出すのが、癖なのだろうか。顔面が間近に迫ったところで、康樹は少々雑に制止をかけた。

 ドリパニって何だ。こっちがパニックだ。

 間近にある藍子の顔が、急に遠のいた。

 彼女の肩を引いて抱き寄せるのは、先日も乱入してきた老人達の一人、派手なシャツのいかつい老人だった。


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