第2話
あっという間に康樹の下まで追い付くと、彼女は無邪気な笑みを浮かべた。
「五組の志保としゃべってた。一緒に帰ろ」
「その友達はいいのか?」
「これから彼氏とデートだって」
隣に並ぶと、リカの方がほんの少し背が高い。幼い頃から彼女との身長差はあまり変わっていなかった。
高科リカ。学校では最低限しか話さない彼女は、実は康樹の幼馴染みだ。
家が隣同士ということもあり、昔から家族ぐるみの付き合いだった。
「そういえばお前、クラスで『ツキ』の話はやめろって言ってるだろ」
康樹が苦情を言うも、リカは全く気にした様子がない。
「だってー、何が恥ずかしいのか分かんない。スゴいことなんだから、もっと自慢しちゃえばいいのにぃ」
「そういうの柄じゃないんだって」
『ツキ』とは、写真共有サイトで若者からの支持を得ているユーザーだ。
扱っているのは主に風景写真で、二年前、とあるアーティストが夕焼け空の写真をCDのジャケットに採用したことから人気に火が点いた。今やサイトの登録者数は一万人を越えている。
『ツキ』は、康樹のユーザー名だった。
彼女もそのことは知っていて、悪目立ちしたくない康樹のために隠しているが、たまに話題に乗せるからヒヤリとする。
「あんたが『ツキ』だって、みんなに自慢したいんだもん。私が幼馴染みってことまで隠しちゃってさぁ。ホント冷たいよね」
「お前は存在そのものが目立つんだよ。俺みたいなぼっちに挨拶するから、お前の友達が毎朝変な空気になってるだろ」
「康樹が自主的にぼっちになってるのが悪いんじゃん」
拗ねたリカは、そっぽを向いてしまった。
康樹としては平凡に暮らしたいだけなので、現状に満足しているのだ。普通の人生には栄光も名声もいらない。
けれど心配してくれている幼馴染みの存在は、純粋にありがたかった。
「いつも気を遣わせて、悪いとは思ってるよ。お前は優しいから、ぼっちの奴を放っとけないもんな」
「ぼっちだから放っとけないわけじゃないんだけど……」
「そっか、幼馴染みだからか。いつもありがとな、リカ」
微笑むと、リカは頬を紅潮させながらもパッと機嫌を直した。
「ねぇ康樹、このあと何か用事ある? なければ一緒に駅前のカフェ行こうよ。すっごいおいしいプリンがあるんだってさ。お詫びにおごってくれてもいいよ?」
リカが小首を傾げると、ゆるふわに巻かれた髪が踊るように揺れる。康樹はそれを流し見ながら、きっぱりと断った。
「悪い。俺、あっちの本屋行くから」
「え? 本屋なら駅前に行けば大きいのがあるじゃん」
「たまには違うとこを開拓したいんだよ」
確か駅とは反対方向に、北長池書店という中型書店があったはずだ。
駅前の大型書店は蔵書量が圧倒的なので、普段は康樹もそちらを利用している。
けれど今日はリカを引き離すため、既に頭の中で目的地の変更を済ませていた。
高校の最寄り駅周辺を、どうしても彼女と歩きたくなかった。家の近所ならともかく、誰に見られるか分かったものではない。
それでもリカは諦めきれないようで、唇を尖らせながら食い下がる。
「じゃあついてく。すぐに終わるでしょ?」
「四、五時間居座るのがオタクスタイルだけど、ついてこれるか?」
「カフェ閉まるっつーの」
彼女は目を据わらせて腕を組んだ。どうやら完全にへそを曲げてしまったらしい。
「もういいよ、志保と行くから」
「その人彼氏とデートじゃないの」
「どっちも知り合いだからいーの。思いっきり邪魔してやる」
男子に小悪魔的だと囁かれている美貌を、幼馴染みは凶悪に歪めた。
もはや悪魔を通り越して魔王の笑みだ。
リカは身を震わせる康樹に背を向けると、威圧感を満載にして去っていった。
「……よく分からんが、怒りっぽい奴」
彼女の背中をしばらく呆然と見送ると、康樹もまた歩き出す。
向かうのは、高校から歩いて十分ほどの距離にある中型書店。チェーン店ではなさそうだが、そこそこの売り場面積はあった気がする。
たまには、全く知らない店に行ってみるのも面白いだろう。
康樹は、あまり高校近辺を散策したことがない。何かあっても駅前で事足りるし、基本的にほとんど寄り道をしないからだ。
もしかしたらいい撮影スポットもあるかもしれないが、熱心に写真を撮っている場面を同級生に見られ、怪しげな肩書きを増やされるのは避けたかった。
少し歩くと、住宅街に差しかかる。
幼稚園やアパート、オシャレな美容院があるかと思えば、ラーメン店や足つぼマッサージ店などが雑多に居を構えている。
街路樹の木陰を選びつつ、康樹は新鮮な気持ちで進んだ。
しばらく進むと、右手側に商店街が見えてきた。
人通りがまばらで、決して活気があるとは言えない雰囲気。シャッターが閉まったままの店舗もちらほらと見受けられる。
康樹は立ち止まり、脳内で地図を広げた。
ここをつっきれば、おそらく近道になる。
初めて足を踏み入れる商店街はアーケードになっていて、頭上にはドーム状の屋根が広がっていた。
とはいえ半透明なので、日差しはほとんど和らぐことがない。うなじがチリチリと暑くて、襟足にかかる髪を掻き上げる。
暑さには耐性があるつもりだが、じっとりと籠るような湿度には辟易としてしまう。
水の中にでもいるみたいに空気が粘ついて感じる。
アスファルトから立ち上る陽炎が、通りのずっと向こうで揺らめいていた。見ていると頭まで茹りそうだ。
チリ、チリン
その涼しげな音に気を取られ、康樹は立ち止まった。
軒先で揺れる朝顔柄の風鈴が目に入る。
何の変哲もないものが、喧騒から浮き上がるように鮮明に聞こえたのはなぜだろう。
それから、焦げ茶色の枠格子がはめられたガラス戸に視線を移す。
オレンジの柔らかな光を灯すレトロなランプ。薄暗い屋内には本棚が、照明では照らしきれないほど奥まで整然と並んでいる。
まるで深い森のようだった。
隙間風でも吹いていそうな寂れた佇まいだが、ひんやりした空気に誘われて知らず立ち止まっていた。
「佐倉、書店……」
古びた看板を見上げ、康樹は呟いた。
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