第3話


 正直、商店街の存在さえ今日初めて知ったのだ。高校の程近くとはいえ、さすがにチェックから漏れていた。

 街の小さな書店というのは、何となく気軽に入りづらい空気がある。

 ここもまさに他者を拒むかのようだった。

 貼り紙には『新作入荷しました』と手書きの文字が踊っているが、貼られて久しいのかすっかり色褪せてしまっている。もはや客を呼び込む気があるのかさえ不明だ。

「古書店……かな? 何か雰囲気ある……」

「うちは普通の本屋さんですよ~」

「うわっ」

 全く気配はなかったのに、いつの間にか背後に人が立っていた。

 しかもなぜか、背中に張り付いているかのように距離が近い。

 そこには、何とも景色に埋没してしまいそうな女性がいた。

 黒髪のセミロングは、お世辞にもオシャレとは言えないモサッと感。ウェリントンでも何でもない、太い黒縁のグルグル眼鏡。

 どこで買ったのか問いたくなるしば漬け色のブラウスとくるぶし丈のスカートは、ふっくらした体型がさらに膨張して見えた。

 ニコニコと笑う顔も真ん丸で、国民的有名漫画の主人公、おかきのような名前のロボット幼女が頭に浮かんだ。

「えっと……ここの人ですか?」

「はい。一応店長です」

 恐る恐る訊ねると、惑いのない笑顔で肯定された。康樹が勝手に思い描いていたイメージが、ガラガラと崩壊していく。

――古書店ですらなかったし……サラサラ黒髪清楚美人が出てくると思った、俺のオタク脳のバカ……。

 期待値が高かった分、落差がひどい。

 美女店主とのめくるめく謎解きライフまで妄想していたが、そんな出会いが早々転がっているはずもなかった。ここは鎌倉でも何でもないのだ。

「……レトロなお店ですね」

 少女のようにも、母親と同年代にも見える女性に返せたのは、それだけだった。

 とりあえず不快に思われない程度にさりげなく距離を取る。

 康樹の無難な言葉に、彼女は心から嬉しそうに笑った。

「うわぁ、どうもありがとうございます。オンボロと言われることの方が多いので、とっても嬉しいです」

 そう言うと、なぜか女性は離れた分以上に距離を詰めてくる。

 見るからに無邪気な彼女に他意はないのだろうが、とにかく近い。

――距離感んんっ! 人にはパーソナルスペースってものがあるでしょうが! そんないきなり距離詰められたら普通にビビるし! むしろ心の距離はどんどん遠くなるし!

 心の中で絶叫しつつも笑顔を浮かべられるのが、康樹の人当たりのよさだった。

 クラスメイトには根暗と決め付けられているが、人並程度のコミュニケーション能力は備わっているのだ。

「そうなんですか? 素敵なお店だと思いますけどね」

「よかったら、寄っていきますか? コーヒーでもお淹れしますよ」

「え? はぁ……」

 なぜ書店の呼び込みがコーヒーなのか。

 疑問を呑み込むことに集中するあまり、いつの間にか頷いてしまっていた。

 立て付けの悪い引き戸を彼女が開けると、書店特有のひんやりした空気が肌を撫でる。

 暑さに疲れていた体が、確かに惹かれた。

「いらっしゃいませ、ようこそ佐倉書店へ」

 康樹は誘われるようにして、書店の森に足を踏み入れていた。

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