第5話
「こんにちは。皆さん、いらっしゃいませ」
どやどやと騒々しく来店したのは、三人の老人だった。
彼らは勝手知ったるといった様子でソファスペースに侵入してくる。
派手な柄のシャツを着た老人など、康樹がいるというのに自然と相席だ。先ほどまでの静けさとの落差に、絶句してしまった。
老人達はいかにも常連といった風情だが、くつろぎ方がほとんどチンピラのようだ。
駆け付け一杯で注文したのはビールだっただろうか。
「いや~、藍ちゃんは今日も可愛いのう」
「相変わらず癒し系だな」
「そこら辺のアイドルにも負けないねぇ」
「……いやそれは明らかに言いすぎだろ」
カップにコーヒーを注ぎ分ける藍子を眺めながら、やたらと持ち上げすぎる老人達。
ついもの申さずにいられなかった。
それでも、ほとんど口中で呟いたつもりだ。けれど派手なシャツの老人が、睨むようにして康樹を振り向いた。
「あん? 何か言ったか兄ちゃん」
老人なのに、なんという地獄耳。
というか、いないもののように扱われていたが、一応認識されていたらしい。
顎髭がいかつい印象の老人は、威圧的な距離感でじろじろと康樹を眺め回す。
「お前、見ない顔だな。客か? 藍ちゃんの友人か?」
「客です」
「じゃあ藍ちゃんのこと何も知らんじゃろ」
「藍ちゃんはな、ああ見えて物凄く苦労してるんだぞ」
「そうだそうだ、その通り」
「お前のようなこわっぱに、藍ちゃんの魅力は分かるまい」
なぜか腕を組んで、勝ち誇ったように鼻を鳴らされる。
別に悔しくはないが腹立たしく、言い返す口調も荒れてしまう。
「伝わらなければ魅力なんてないも同然でしょ。というかこわっぱなんて古臭い言葉、人生で初めて聞きました」
しっかり喧嘩を売り返したところで、ふんわりした湯気が会話を遮った。
「宗吉さん、辰造さん、信五さん。喧嘩はダメですよ」
一触即発の空気を破ったのは藍子だ。笑顔でそれぞれの前にコーヒーを置いていく。
次いで、芳醇な香りが鼻腔をくすぐった。
人数が多いためか、マグカップの底の液体は量が少ない。藍子自身の分も用意されていないようで居たたまれなくなった。
身内ばかりの気まずさも手伝って、康樹は席を立つ。
「俺、これで帰ります。このコーヒーは、あなたがどうぞ」
「え」
戸惑う声が追いかけてきたが、素早く出入り口に向かう。
書店から踏み出しかけたところで、腕を掴まれた。
言葉を探して口をモゴモゴ動かす藍子はやっぱり距離が近くて、ちょっと話しただけの他人になぜそんなに一生懸命になれるのか不思議なほどで。
康樹は振り向くと、人当たりのいい笑顔を作った。
「――また近い内、コーヒーを飲みに来てもいいですか?」
告げた言葉に、彼女の表情はみるみる明るくなっていく。
「はい! お待ちしてますね!」
「はい、また」
店を出ると、途端にムワリとした熱気に包まれた。
アーケードを歩きながら、別れ際の藍子を思い出す。おそらく彼女は、社交辞令とは微塵も思っていないのだろう。
藍子は、康樹が思うオタクとは少し毛色が違った。
オタクとは、卑屈な者が多い。
ある程度現実社会でのスペックを底上げすれば自信が持てるのに、それさえ諦めている。だからいつも挙動不審。
康樹も高校では地味で根暗と分類されているから、同じ人種に出会うと自分を見ているようで痛々しくなる。
どうせ自分なんてと卑下しながらも、いつかありのままを受け入れてくれる人が現れるという希望を捨てられない。それが結局逃避で甘えだと分かっているのに。
にもかかわらず藍子は、ごく自然体で生きていた。見た目を取り繕うこともせず、オタクな趣味を隠すこともせず。
『藍ちゃん』と可愛がられ、にこにこと平和な笑顔で。
ただそこにいるだけで、空気が優しく和らぐようだった。
無垢な心は人の善意を疑うこともなく。
――きっとあの人は、卑屈じゃないんだ。だから変な焦りも、不安も感じられない。
康樹とて、オタク寄りの人間であることを恥じるつもりはない。
けれど彼女は、そもそも周りの目を気にしていないのだ。他人の評価を考えたことすらないのかもしれない。
そんな生き方は、康樹にとってあまりに眩しすぎて。
空の端が、僅かに茜色を帯びている。山の向こうに消えようとしている太陽が、最後の力を振り絞って燃えているようだった。
アーケードに籠った熱気と藍子の面影を振り払うように、康樹はさらに足を早めた。
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