EP06-02
飾り気のないカフェスペースへと場を移し、近況報告と情報交換を同時に済ませる。湾曲した脚を持つテーブルに並べられたのは、サヨさんが下見先のエリア101で仕入れたというハーブティーだった。慣れない香草の風味に苦戦する私を、クレアが生暖かい目で見守っている。
聞けばサヨさんは、以前にホムラと同じ職場で働いていたらしかった。彼女が上司で、ホムラが部下。今では志を共にする仲間だというから、その信頼関係は決して脆くないようだ。
「それでサヨ、エリア101の状況は?」
「地理的にはやはり申し分ありません。そこで生活するあなたの人格がたとえ複雑に入り組んでいても、長期間に渡ってサポートしていくことが可能でしょう」
話の流れとは裏腹に、サヨさんは浮かない雰囲気で続けた。
「ですが、懸念も拭えません。エリア101の領域名は『相対可変"リーブラ"』。
ずずずとハーブティーを啜りながら、私は目を瞬かせる。この独特な味わいの飲み物の価値が、私には解りかねたからだ。茶葉が欲しいと要望されたら、無条件で差し上げてしまうだろう。
「大切なものって言っても、所詮は葉っぱの対価だろ。とはいえ、一体何と交換したのか想像もつかないが」
「ええ、判断に苦しむところでしょう? そういった価値観の違いや想像力の欠如こそ、人と人とを隔てる最大の障壁です。金銭という基準を失えば、ある意味において私たちは原始人と変わりません」
文明の利器に囲まれ、優雅にハーブティーを啜りながら──それでも貨幣交換という概念を持たない人々の暮らしとは、果たしてどのようなものなのだろうか。内なる原始的欲求に従い、当人同士の感覚だけで等価交換が繰り返される世界。どの程度の物品を担保にすれば、茶葉との交換が成立するのだろう。
黙考の末に、私は思い至った。担保に差し出すものが、物品である必要はどこにもないのだと。
「サヨさん、ハーブティーの対価ってまさか、い、いやらしいことですか?」
裏返った声で問いかける私に、今度はサヨさんからの生暖かい視線が注がれた。上品でやわらかな笑みのはずなのに、心なしか冷気を感じる。まるで、
「ふふ、エリカさんは愉快な子なのね。私が差し出したのは
サヨさんが醸し出す妙な迫力に冷や汗をかきつつ答える。
「紙製の本というものは確かにありませんけれど、知識として栞についての情報は持っています。文鳥を象ったクリップ状のものや、フラミンゴの一本足に見立てた天然木の板。そういったアイテム全般を大きくひとまとめにして、栞やブックマークなどといった呼び方をしていると」
「百点満点の知識ですね。それは
「はい。ですが、この施設に来てクレアに教わりました。見たことないものを『知っている』と表現するのは、人としてあまり好ましい状態ではありません」
今なら容易に理解できる。
「それは素敵な
ちゃん付けで呼ばれたクレアが、私のとなりで顔を赤らめている。クールで勝ち気ないつもの彼女はどこへやら、悪態のひとつすら吐くことはなかった。
「そういえば、
取って付けたようにクレアが指摘した。なるほど、人には意外な弱点があるものだ。にやつきたい気持ちを堪えて、平然を装う。
「言われてみればそうだね。あらためて意識すると緊張しちゃうかも」
そして望まずして複製体である私たちは、おおかた培養液の中で生まれ育ったのだろう。道理で
つまりクレアの言う通り、私はあの
「納得はしたけどね、受け取り方ひとつでクレアの言葉は差別的だよ」
「傷付くのは個人の勝手だが、俺の発言にセンシティブな意味合いはない」
目線を交わす私たちは、次の言葉をお互いに飲み込んだ。命の定義について議論を始めれば、このまま時間ばかりが過ぎていくに違いなかったからだ。
すっかり冷めてしまったハーブティーを一息で飲み干す。爽やかな刺激の奥から覗くほろ苦さが、私の舌をいたずらに刺激した。顔をしかめる私を間近で見ていたクレアが、笑いを堪えながら言う。
「ハーブの味にもすぐに慣れるさ。こう見えても俺は、お前の順応力の高さに関心してるんだ」
「私も同感です。自分を拉致監禁したクレアちゃんと、ドライブに射撃訓練にお茶会ですって? エリカさんならきっと、どのような
力強く同意するサヨさんに、クレアが何やら目配せをした。サヨさんはほんの少しだけ逡巡してから、もう一度クレアに首肯を返す。
「なぁ
言い淀むクレアに、私は首を傾げてその先を促した。
「苦しい時には、迷わずに俺たちを頼ると約束して欲しい。いやまぁ、回し蹴りを食らわせた俺はともかくとしてだ。少なくともホムラは、お前を救いたいという一心だけで行動してる」
「ありがとう。とっても嬉しいし、頼もしい気持ちになるよ。でも、急にどうしたの?」
どこか煮え切らない態度のクレアに問いかけた。何かを伝えるべきか否か、まだ迷いを振り切れていない様子だ。たっぷりと間を置いてから、彼女はようやく口を開く。
「……エリア042の
クレアは、まるでとっておきの冗談を披露するみたいに言った。
努めて軽いその口調に反して、貼り付けたような笑顔が引き攣っている。
そんな痛々しいクレアを見て、やっと分かったのだ。
ホムラが、どうしてあんなに生き急いでいるのか。
ナギさんと衝突してまで、私を導こうとするのはなぜか。
雪白ホムラが、
それはそっくりそのまま、彼女が私の前に現れた理由とイコールだった。
「ねぇ、ホムラは今どこかな。ちょっとだけ、顔を見たくなっちゃった」
「自分の顔を見たいだなんて、お前はどうしようもないナルシストだな」
やっぱりクレアには、憎まれ口がよく似合う。
見つめ合う私たちを見て、サヨさんが優しく目を細めていた。
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