【逆進──希望的観測の蓋然性は】

EP05-01





 用途不明の精密機器で溢れかえった一室。乱雑に絡み合いながら床を伸びる無数のケーブルを踏み分けて進むと、部屋の中ほどに電極仕掛けの携帯牢獄アタッシュケースが置かれていた。治験容器シャーレトランクと称されたその中で横たわるT-6011の姿は、餓死した小動物を連想させる。


 人工筋骨のあちらこちらが捲れあがり、剥き出しになった模造神経が痛々しい。電撃網スタンのショックから再起動リバイバルした彼は、籠の中の鳥のように虚しい抵抗を繰り返したのだろう。比喩ではなく、治験容器シャーレトランクはT-6011の棺と化したわけだ。


 ガラス細工に触れるみたいに恐る恐ると、もう前線復帰することの叶わない戦騎兵スタンドアロンに手を差し伸べる。ひび割れた骨組みにれるか否かのところで、ホムラが訥々と口を開いた。


「……ごめんなさい。私たちの軽率な判断が彼に地獄を見せた。非人道的な行いだったって認める。少なくとも、彼らと共に過ごしてきたキミにとっては」


 悲痛な面持ちの彼女に、私は首を振って答える。


「正直に言うね。T-6011が連れ去られたって聞いても、私は胸を痛めたりしなかった。それどころか、あなたたちの行為を『工学技術泥棒テクノロジーハントか』なんて冷静に分析してみせたの」


 目の前の視覚情報は、いつだって感情に訴える。私と同じ姿をした彼女たちが、根拠のないシンパシーを呼び寄せるように。人型珪素模型クロノイド容姿イレモノを通じたアンが、私をひどく動揺させるように。


 運動性言語中枢ブローカ知覚性言語中枢ウェルニッケはあてにならない。生きとし生けるものはすべて、一次視覚野が収集チューニングする幻像まぼろしに悩まされ続けてきたのだ。


 つまり見た目に惑わされているのは、ホムラたちだって同様のはずで。


「私の中身はね、あなたたちみたいに大人じゃないの。そっくりなのは見目形だけだよ。いっそのこと、軽蔑してくれたら楽なのになってちょっと思った」


 私には人に誇れる生き方スタンスなんて何もなくて、ただ状況に流されてここにいるだけだ。無残な姿のT-6011と、本質的には何も変わらない。


「たとえそうだとしても、キミは機械兵を芋虫ワームと呼んだクレアに激昂したんだよ。だからこそ私は、彼のを軽んじたことを心から恥じているの」


 ホムラの言葉にはっとさせられる。あの時の突発的な怒りは、一体どこから湧き出たものなのだろうか。まっすぐに私を射抜くホムラの眼差しは、自責の念に震えていた。私に対して誠実であろうとする彼女は、私なんかよりもずっと儚くて危うい存在に思える。


「……ったく、二人してしみったれた空気に浸りやがって、ここは遺体安置所か? 花を飾って葬式でもあげるつもりなのか?」


 苛立ちの声をあげるクレアだったけれど、その表情はどこか曇りがちだった。彼女なりに、何か思うところがあるのかもしれない。


「驚けお姫様チャーミィ。幸か不幸か、こいつはまだくたばってないんだ。というか、ホムラは何よりも先にそれを説明するべきだろ。おいテラテクス、こいつの集積回路コアを映せ」


 クレアが中空に向かって呼びかけると、「はいはーい」と陽気な返事が響いた。壁の一面が液晶モニターへと変化し、テラテクスの姿と共に手のひらサイズの集積回路コアが表示される。


「ところでクレア。クランケの病状説明はさておき、ディナーの約束はいつ果たされるのかな」

「今さっきご馳走フルコースを食らったばかりでね、しばらくはダイエットの予定なんだ」


 彼の軽薄な誘いをさらりとかわし、クレアは続けた。


「気に食わない野郎だが神奈木よりは信用できる。お前の見解をお姫様チャーミィにも話して聞かせてやってくれ」


 横柄な態度をとるクレアに辟易することもなく、テラテクスは物知り顔を浮かべた。ホムラも私も、芝居がかった彼に冷ややかな視線を浴びせて催促する。


集積回路コアという言葉が意味するままに、この薄っぺらい基板ボード機械生体ロボトミーの本体なのさ。NAGIナギの咄嗟の判断で、こいつが完全に機能を停止する前に深い濃度60万デプス電極エーテルの海に沈めた。言ってみれば彼女は、ホルマリン漬けの状態を作り出したわけだね」

「アンは確かに、『現在進行系で微弱なシグナルを受信できている』って言ってた。その答えがこれなのね」

「アンってのは、君の恋人ステディの名前かい?」


 にやつくテラテクスに、クレアが壁を蹴りつけて警告する。液晶モニターの中の彼は、口笛を鳴らしておどけたステップを踏んだ。


「この話で驚くべきは、搭載されていた基板ボードの精度なんだ。専門的な見方になるけれど、集積回路コアの領域をとうに凌駕したこいつは"素子エレメント"とでも呼ぶべき代物シロモノだった」


 得意げに語るテラテクスは、私たちの中で誰よりも饒舌だった。


「脳に見立てられた素子エレメントには、人工シナプス網が設けられている。するとどうなるのか。機械生体学ロボトミカルの基礎を齧ってさえいれば、容易に答えを導き出せる予測問題だね」


 意図的に、焦らすような沈黙が挿入インサートされた。あるいは、私の理解が追いつくのを待っているのか。


「ふふ、当然分かったよね。この俺と同じように、機械生体ロボトミー仮想人格ニア・フィジカルを宿すことになるのさ。最初は縦横無尽極まりなかった人工シナプス間の運動経路サーキットは、自らの可塑性かそせいによって次第に変容する。情報伝達を繰り返すほどに、素子エレメントの構造は偏りをみせてを形成していくんだ」


 私は目を瞬いた。決してテラテクスの解説が理解できなかったわけではない。それどころか彼の言うことは理に適っていて、思わず納得しかけたほどだ。ただ、その結論が受け入れ難かった。あの自立型機械スタンドアロンが、性格エゴを持っている? 現実味を伴わない彼の仮説が、私に大きなクエスチョンを抱かせたのだ。


 けれど。


 私は思い返した。

 そうだ、あれは拡張絵馬カレイドスコープの中の光景だ。

 執拗に繰り返した記憶庫アーカイヴ巡りの、その中で最も印象的な出来事のひとつ。

 

 私が生まれ育ったエリア096は、自立型機械スタンドアロンの反乱によって壊滅したのではないか。私たちの生活を支えていた量産型機械ロボティクスが、始末に負えない自立型機械スタンドアロンへと進化を遂げていたのは紛れもない事実だ。


 遠いあの日、従者メカニカル王族ヒューマンに反旗を翻した。その人類虐殺シンギュラリティ発端トリガーは、統率者である琥珀色の脳アンバーの意志によるものというのが通説だったけれど──。


 もしも。


 もしも機械生体ロボトミーたちが後天的に獲得した性格や性質が、社会のシステムに著しくそぐわないものだったとしたら。それならばアンが、限りなく無罪に近い紳士的な人工知能ディア・ヒューマニズムだという可能性が見えてくるのではないか。


「ねぇテラテクス。希望的観測かもしれないけれど、私はあなたの仮説を推したい。だけど私の知っている戦騎兵たちは、アンの命令に絶対忠実な兵隊でしかなかった。だからどうしても、最後の最後であなたの話を信じられずにいる」


 そこまでを訴えたところで、私はある考えに思い至った。

 いや、思い至ったわけではない。すでに与えられていたその解に気が付いたのだ。


「まさか、T-6011に施されていた6203回の世代退行ダウングレードって……」


 テラテクスは不敵な笑みを浮かべ、ホムラが静かに頷いてみせた。憶測を重ね合う私たちを横目に、クレアが極めて何でもないことのように言う。


「今からそいつを解析するんだ。神奈木はおそらく、すでに結論を導き出した。タイミング的には、俺とホムラが二回目の遠足に出かけていた間だろうな」


 クレアの言うとおりだった。時間軸でいえば、まさに私とホムラたちが険悪に睨み合っていたその最中さなかだろう。かつて素子エレメントが有していた本来の性質に辿り着いたナギさんは、公平無私ニュートラル生き方スタンスを捨てて私に干渉を始めたと推測できる。


「納得いくまでやるんだろ? エリカ、お前が俺たちにそう提案したんだぜ」


 クレアの発言を受けて、テラテクスが目を白黒させた。自らの残業を覚悟したのであろう彼に、私は不器用なウインクをしてみせたのだった。




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