EP05-02





「俺に頼るほかにない君たちへ、提案できる選択肢はざっくりと二通り」


 オペレーションが始まった途端、テラテクスは理知的な顔つきに豹変した。軽薄そうな雰囲気はすっかり影を潜め、煩わしげに白髪はくはつを掻き上げるその仕草は色気さえ感じさせる。


「まずひとつめ。運動経路サーキットの表面にこびりついた尾ひれフラグ背ひれクラスタを削ぎ落として、極限までソリッドな状態に戻してやる。そののちにもう一度人工シナプス網を機能させれば、素子エレメントはやはり自らの可塑性に従って変容を始めるはずさ。第三者的な刺激を受けないように配慮を怠らなければ、以前の状態に限りなく近似した進化を遂げる可能性が高い」


 クレアは一瞬だけ思案顔を浮かべてから、黙って首肯を返した。彼女の掲げている生き方スタンスに反して、意外にも機械生体学ロボトミカルに造詣が深いようだ。その証拠というわけではないけれど、理解の及ばなかった私とホムラは、眉間にシワを寄せて途方に暮れている。


「ホムラ、頭の中にアイスアリーナを思い浮かべてみて? 氷上の妖精たちが、次々と華麗なスピンやジャンプを披露してる」

「ん……。オーケー、想像した」

「時間が経つにつれて、リンクには無数のキズや窪みが刻まれていくだろ? この痕跡はつまり、直線的な滑走を阻害する障害であると同時に迂回路バイパスなんだ。究極の話をするなら、君たちがと呼んでいるものの答えをここに見ることができる」


 私は得心した。人工シナプス間の情報伝達処理は、この例え話の中で"滑走"に置き換えられているのだ。電極エーテルを介して行われる擬似的な神経伝達。その繰り返しが素子エレメントの構造に偏りを生み出すという仮説を、彼は先ほども説いたばかり。


意図的デタラメ世代退行ダウングレードが繰り返されたせいで、素子回路エレメントアリーナには割れ目クレバスばかりが広がっているのさ。まるで月面アポロのようにね。氷上の妖精に望まないムーンウォークをさせたところで、かつての性質を再現することは叶わない」


 確信を得た私が、興奮気味に口を挟む。


「そっか。何らかの目的を持って刻まれた凹凸をすべて均して、まっさらなリンクであらためて情報伝達を反復させるってことね。そうすればいつか、T-6011が有していた性質に辿り着く」

「正解だよ。どうやら君のほうが、ホムラよりも頭の回転がちょっとだけ早いみたいだね」

「私の名前はエリカだよ。まぁ、なんだっていいけど」


 テラテクスの物言いに小腹が立ってしまった。彼の持っている仮想人格ニア・フィジカルは、あちこちに欠陥が目立ってナビゲーターには適さない。ほんの一瞬とはいえ、色気や頼もしさを感じてしまった自分を早くも後悔する。


「理解や教養なんざどうでもいいだろ。『三つ子の魂百まで何度やり直しても同じ大人に育つ』、その一言で終わりだ」

「ああ嫉妬させてごめんよクレア。本当は君だけを相手にしていたいんだ」


 中指を突き立ててクレアが続ける。


「で、その進化にはかかる?」

「ふふ、聡明な質問だね。素子エレメントが黎明期を抜けるのに、楽観的に見積もって20年ほどかな」

「即却下だ。この無駄話を今すぐにやめろ、さもなければ撃つ」


 再現性を得るまでの途方もない時間の長さに、私たちは一気に現実に引き戻された。技術的特異点シンギュラリティどころか、脳に見立てられたという素子が最低限の人間らしさヒューマニズムを得るだけでも20年とは。


「テラテクス、ふたつめを話して。正直なところ、今の案もさっぱり意味不明だったけれど」


 赤いポニイテイルを揺らして、ホムラが颯爽と仕切り直した。凛々しい外見とは裏腹に、理解力の及ばなかった彼女をなんだか愛おしく思う。誰にだって、得手不得手の分野カテゴリーはあるものだ。


「もちろん教えるよ。ただしこちらの案は、俺にとってあまり好ましくない」

「……なるほどそういうことか。その案を採用する。今すぐ実行しよう」


 一を聞くまでもなく、クレアは十を理解したらしい。私はホムラと顔を見合わせて、苦笑するだけで精一杯だった。案外クレアのほうが、ホムラよりも統率者リーダーに向いているのではないかとさえ思ってしまう。


「代わりに説明してやろうか」


 クレアが尋ねると、テラテクスはやれやれと同意を示した。


「二人ともよく聞け。人工シナプスには、致命的な欠陥がある」


 精悍な顔つきで話し始めるクレアを、私たちは静かに見守る。


「人工シナプスがであるがゆえに、その数や配置に至っては製造された素子エレメントごとに固定なんだ。つまり人工シナプス自体には、増殖、減少、変異といった可変性がない。この一点のみにおいて、人工シナプスは完全に俺たちヒューマンの劣化版だと断言できる」


 私たちの脳内にあるいわばのシナプスと、それらを模して作られた人工のシナプス。その決定的な違いをクレアは指摘した。


 私たち人間を含むほとんどの動物アニマルは、生後まもなくから幼少期にかけて、爆発的なシナプス形成と取捨選択ジェノサイドを行うとされている。これは老化による細胞死ではなく、機能的な神経回路を構築するための必要過程だったはずだ。『三つ子の魂百まで何度やり直しても同じ大人に育つ』、年配者の好むこういった戒めは、個々の結果論から導き出された言い分に過ぎない。


「えっと、テラテクスが語った可塑性。つまり素子エレメントが有している可塑性は、あくまでも情報伝達運動の方向性が生み出すもの。それに対して私たちは、より多くの後天的因子エピジェネティックによって自らの構造そのものを変えていく?」


 クレアの胸の膨らみを気にしつつ、私はそう問いかけた。


「そうだ。だからこそ俺とお前、そしてホムラはこんなにも。俺たちの発育に再現性などないし、そんなものがあるとすれば今すぐに引き金を引くスーサイドさ」


 そこでクレアは、わざとらしい咳払いを挟んだ。解説に熱が入ってしまったことを恥じたのか、話の脱線を自ら戒めたのだと思う。


「要するに、俺が言いたいことはこうだ。より精度の高い基板ボードの上に、まったく同じ座標で人工シナプス網を構成する。ここからはひとつめの案と同じで、その進化を待つだけだ。ただし、基板ボードが高性能な分だけ当然、結果が得られるのも早くなる」


 液晶モニターの中から、テラテクスがまばらな拍手を送った。私の隣では、この世の終わりのような表情を浮かべたホムラが固まっている。そろそろ頭から煙が出る頃合いかもしれない。


「でもクレア、そんなに高性能な基板ボードが一体どこに?」


 私が問いかけると、クレアの口許がにやりと歪んだ。それは誰がどう見たって、とてつもなく良くないことを考えている顔だった。


「あるじゃねーか。俺たちの目の前に、ほら」


 クレアは顎先で、光源のほうを促した。

 液晶モニターの中のテラテクスが、身動みじろぎひとつせずに即答する。


「三日さ。俺の集積回路コアを使えば、三日で結果を出せるよ」


 私はごくりと生唾を嚥下した。

 ようやく事態を飲み込んだホムラが、フリーズから解き放たれて驚きの声を上げる。


「ちょっと待って。それってつまり……テラテクスが母体ママになるってこと?」


 これから踏み躙られようとしている代替知能テラテクスの尊厳を前に、ホムラの表現がほんの少しだけ救いを感じさせた。




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