EP04-03





 客人にはもてなしを──そう主張するナギさんの方針に従って、私に個室が与えられた。とはいえ華やかな内装の客室というわけではなく、最初に目を覚ました例の部屋だ。固定端末ターミナルはもちろん、液晶モニター書籍ブックレットのひとつも備えられていない。相も変わらず医務室にしか見えない部屋の中は、失意の溜め息で満たされていくばかりだった。


 施設内を探索に出掛けようにも、部屋の出入口は電子錠によって閉ざされている。シャワールームやトイレも併設されていることから、このまま長い時間カンヅメにされる可能性も十分に予想できた。


「……はぁ。もてなしの定義についてアンと話し合いたい気分」


 大きな嘆息を吐き出しつつ、仮想投身器サークレットを外した。頼みの綱であるはずの電子機器アクセサリーは、エリア004に連行されてからというもの役立たずガラクタと化している。今だって交信不能オフラインのサインを点灯させたまま、うんともすんとも反応を示さないのだ。大気中の電極エーテルの深度に、何らかの問題があるのだろうと推測できる。


 つまり私が身を守るすべは、ナギさんから与えられたハンドガンたったひとつに限られていた。あらためてそう考えると、胃の辺りが締め付けられるようにしくしくと痛む。


お姫様ラプンツェル。スイートルームの居心地はどうだ」


 形式的なノックと共に、幽閉の身を揶揄する声が響いた。彼女クレアの相手をする気苦労と、退屈を持て余す憂鬱を天秤に掛けた末に答える。


「プライバシーが尊重されていて快適。軟禁状態オーヴァープロテクションに骨抜きにされそう」

「心から満喫しているわけだな。神奈木には感謝の言葉を伝えておく」

ナギさんBOSS定期報告レポートだなんて、新入りルーキーらしくてとっても勤勉キュートね」


 したたかに嫌味を返すと、扉の向こうから笑いを噛み殺す声がした。落ち着いたクレアのトーンではない。彼女に付き添って、ホムラもこの場に同行しているようだ。


「ねぇエリカ、開けてもいいかな。ディナーを持ってきたの。もしも良ければ私たちと一緒に」


 食事と聞いて、私の胃袋がまたしてもきしんだ。先ほどの痛みが、ストレスではなく空腹から生じたものだったと知って一人で赤面する。一度自覚してしまった空腹は、瞬時にして強い衝動となって私を誘惑した。


「……会席のマナーとかよく知らないけれど、それでも平気?」

「もちろん平気。キミが手掴みで食べ始めても、私は驚いたりしない」


 余裕すら感じさせる声音で、ホムラは言った。それなら、とOKを出しかけて、決済クレジットの手段を有していないことに気が付く。支払いについてどう切り出そうかと考えを巡らせていると、解錠の気配がした。心の準備を済ませる間もなく、扉が開く。


「ほら見て。ナギが奮発してくれたの」


 最初に対峙した時と同じように、ホムラは人懐っこい笑みを浮かべる。彼女が両手で従えた銀色のワゴンには、ご馳走という言葉に恥じない品々フルコースが並べられていた。






 √───────────────────√





 遠慮や気遣いなどという言葉の一切を忘れて、私たちは食事という行為に専念した。殺風景な部屋で即席の立食パーティー、ワゴンに乗せられたままの料理を黙々と口に運ぶ。舌鼓を打っていたのは彼女たちも同じで、義賊テロリストたちの経済事情は推して知るべしなのかもしれない。デザートのスフレを平らげてもなお、香ばしいスパイスの薫りが部屋中に充満していた。


「ホントに美味しかった。ここのところずっと、オートミールやサプリメントばかりだったから」

「なるほど謎が解けた。それで発育が悪いのか」


 クレアは後ろに仰け反って、自らの胸の膨らみをわざとらしく強調した。言われてみればほんの少しのそのまた半分だけ、彼女のほうが女性的な体つきをしている気もする。だからといって、絶対に認めたりしないけれど。


後天的因子エピジェネティックの重要性を示すデータとするには、差異が乏しいと思う」

「エリア096には鏡がないのか、お前が極度の近視なのかのどちらかだな」


 睨み合う私たちを見て、なぜだかホムラがどっと吹き出した。


「ごめんごめん。あのクレアがなついてるなんて信じられなくて。脱走中にすっかり打ち解けたんだね」

「生まれてから一度も、誰かに懐いた覚えはない。それにって何だ」

「今だから言える話。初めてあなたを見た時ね、サーベルタイガーかと思ったの」

「俺は肉食猫スミロドンかよ。とっくの昔に絶滅してる」


 ホムラにからかわれた猛獣クレアは、煩わしげに頭を掻きむしった。仲睦まじくじゃれ合う彼女たちも、出会いの時には銃を突き付け合ったのかもしれない。例えば鋼鉄の道メインロードの上で、鏡合わせの自分の姿に戸惑いを覚えながら。


「ねぇホムラ。なんというか、その……。ごちそうさま。ありがとう」

「急にどうしたの。お礼ならナギに言うべきだよ」


 本当に驚いたというふうに、ホムラが目を丸くした。自分を拉致した人たちと、こうして打ち解け始めていることを我ながら不思議に思う。


「残さず食べちゃったから、ナギさんには謝るべきかも」

「気にしないでいいよ。ナギは食事を摂らないから」


 まるで何でもないことのように、ホムラはさらりと言い放った。彼女はとても良い意味で、人工生命体シュレーディンガーを特別視していないのだと気付かされる。


 けれど、ナギさん自体はどうだろう。彼女は自身が人工生命体シュレーディンガーであることに、引け目や負い目コンプレックスに似た葛藤を抱えているのではないか。午前中のやり取りを懐疑的に思い返せば、ナギさんの中に揺らぎエラー危うさバグの片鱗を見出せなくもない。


「……ナギさんと仲直りはできたの?」

「ううん、今も電書鳩クルックだけでやり取りしてる。キミには恥ずかしい会話を聞かせちゃったね」


 ホムラは、そう言ってぎこちなく微笑んだ。私がもっと親しければ、その大根役者ハムアクターっぷりを茶化して空気を変えてあげられるのに。


「なぁホムラ。お前から見て、神奈木の態度や方針に違和感はないか?」


 険しい表情で、クレアが問いかけた。めずらしく歯切れの悪いその様子から、言うか否か迷った末に吐き出された言葉なのだと解釈する。


「かつてのナギが世間から何て呼ばれていたか知ってる? "天才の上位互換エジソン・ジェネレート"。凡人の私が彼女を理解できたことなんて、ただの一度もないんだから」

「なるほど、恋人パートナーにするには薄情で最低の女だな。勘違いするなよ? じゃない、最低なんだ」


 苛立ちを隠そうともせず、クレアは続けた。


「率直に言う。捕獲したあの芋虫ワームを解析するまで、神奈木は常に中立の立場だった。俺たちの選択や行動をただ黙って見守り、告げ口ゴシップを好むような性質は持たなかった」

「告げ口だなんて、そんな言い方あんまりだと思わない?」


 詰め寄るホムラに、クレアは一切取り合おうとしなかった。しかしホムラの憤りは、すぐに行き場を失ってしぼんでしまう。ナギさんの告げ口を咎めたのが、他ならぬ彼女自身だからだ。


お姫様チャーミィの言葉を借りるなら、神奈木は公平無私ニュートラルな"生き方スタンス"で俺たちと接していたはずだ。奴が怪我人の介護を申し出た時から、俺には薄気味悪さが拭えない」

「……ナギが変わっただなんて、何の根拠もない。どれも全部、クレアの直感や思い込みに過ぎないよ」


 絞り出されたホムラの呟きを最後に、重々しい沈黙が続いた。つい先ほどまで同じ料理を囲んでいたことが、まるで嘘に思えてくるほどの静寂だ。クレアの病的なまでの機械仕掛け嫌悪メカニカルアレルギーと、ホムラの妄信的な愛情が平行線スプリットを描いている。彼女たちの相関図は複雑で、親しみ合うからこそ譲れない信念が、問題をより難解にしているように思えた。


 けれど私は、こう考える。何も、会話を交わすことだけが解決手段ではないと。燃え盛る結い上げブラッド・ポニイテイル、それに滑稽な髪飾りカリカチュア・ボブという認識でしかなかった彼女たちが、私との衝突を経て今こんなにも人間らしさを見せてくれている。


 これは私たち三人が考えるよりも早く、選択を繰り返してきた結果なのだと──。


「あのさ。難しいことは、さっぱり分からないけれど……」


 私が弱々しく切り出すと、二人の視線が集まった。


「簡単な話だよ、解析すればいいの。私たちが、自立型機械スタンドアロンをね。芋虫ワームなんかじゃなくて、T-6011だよ。どう? 納得いくまでやるってのは」


 至極単純な私の提案に、二人が目を見開く。銀色のワゴンを室内に放置したまま、私たちはスイートルームを後にした。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る