EP04-02





 並列4気筒マルチエンジンの乾いた排気音が、見渡す限りの草原に高らかに響き渡っていた。深紅のボディが目に鮮やかな大型バイクを、クレアが難なく乗りこなしているのだ。私はその後部座席で、彼女の腰に腕を回してしがみついている。人生で初めて味わう二人乗りタンデムのスリルに、今にも心臓を吐き出してしまいそうだった。


「しっかり掴まってろよお姫様チャーミィ。自走式に安全装置セーフティはないぜ」

「もう少し穏やかに走ってよ! この時代にマニュアル運転だなんて、あなたの機械仕掛け嫌悪メカニカルアレルギーは病的ね!」


 風の声にかき消されないように、がなり声で非難した。するとあろうことか、バイクは突然に蛇行運転を始めたのだ。情けない悲鳴を上げて、必死で両腕に力を込める私。その腕越しに、クレアの腹筋がぴくぴくと震えているのが伝わってきた。なんという人でなしだろう。私を怖がらせて楽しんでいるのだ。


「あー、生きてるって素晴らしいなー」


 棒読みのセリフを零しながら、クレアは荒々しいハンドル操作を続けた。手首を回してトルクが掛けられると、彼女の意思に呼応して馬力を上げる車体。それこそ嘶く馬のように、甲高い排気音を地平の果てまで響かせている。


 これが護衛エスコートだと言うのなら、クレアにはまるで衛兵の才能がなかった。猛抗議の声を上げようとしたところで、視界の左手で輝く太陽に気が付く。まだ正午過ぎのはずだ。この状況に辟易している場合ではないらしい。


「ねぇ、そっちじゃない。ナギさんは、ここから北が私のエリアだって!」

「あー? どこの誰がお前を帰してやるって言ったよ」


 どうやら私は、とんでもない思い違いをしていたようだ。意思の疎通が図れない相手なら、機械仕掛けメカニカルに頼っていた方が何百倍もいいではないか。


 座席から飛び降りるにも勇気が足りないまま、バイクは西へと突き進んだ。どこへ行くつもりなのかと不機嫌に尋ねても、クレアは「気分転換だよ」とうそぶくばかりだった。


「少し、周りの雰囲気が変わった?」

「分かるか? それならお前は生態学者エコロジストに向いてる」

「全力で志すよ。愛しの立方体マイホームに帰ってからね」


 延々に続くかと思われた深緑の風景は、いつの間にやらなりを潜めていた。進めば進むほどに、になっていく。それも、開拓者によって人為的に掻き分けられたというふうではない。とでも表現すべき、死を待つだけの異様な草木の姿が広がっていたのだ。


未来永劫の汚染区域アフターマス


 私がそう独りごちると、「ご名答」とばかりに並列4気筒マルチエンジンが吹いた。後方に巻き上がる砂煙には、有毒な土壌がたっぷりと含まれているに違いない。怖気おぞけを感じて、私は慌てて口元を覆う。ナギさんから借りた外套のありがたみを、まさかここでもう一度感じることになるとは。


「こんなものじゃない。地平の果てまでずっと、草一本生えない永遠の砂漠だ」

輻輳する大海原ワールドウェブでなら知ってる。大地に穿たれた空洞とか。潮の流れだけが徘徊する毒の海とか」

「見たことないものを『知ってる』って言うのは、良くないことだと思わないか?」


 物悲しげに問いかけるクレアの背中に、私は額をぎゅっと押し当てた。すると彼女は急旋回クイックターンを決めて、今度は南へと進路を変える。


 先ほどまでの軽口の叩き合いが嘘のように、重たい沈黙が私たちの間を流れた。進行方向から照りつける日差しが、視界のほとんどを奪っている。やがて視認できたのは、中空に浮かぶ広報用球体型全面液晶イクリプスビジョンだ。


「すっかりお馴染みの"大空の番人"だ。著しく景観を損ねてる」

「否めないけれど、直射日光を遮るにはちょうどいいじゃない」


 メタリックな輝きを放つ正八面体には、どの面にも『004』というナンバリングが刻印されている。さらに遠方には、東西にかけて伸びる巨大な防壁バリケードが構えていた。ハイウェイの防音壁と同じように、壁の先端がこちら側にカールしている。その姿は、さながら大津波。壁の向こう側を見ることは、とても叶いそうにない。


 広報用球体型全面液晶イクリプスビジョンの陰にバイクを停車させると、クレアは葉巻に火をつけた。吐き出された紫煙が、風に乗って遠くへと流れていく。彼女が吐き出すスモークは、今この世界において何よりも自由だった。


「不自然な世界だろ。そもそも、自動走行メカニカルに任せていたら拝めない景観だ」

「機能しているのは集団生息圏ストロベリーフィールズだけ。クレア、それがあなたが義賊を選んだ理由?」

「少なくともその一部ではある。俺の活動実績は、今のところ人さらいと名所案内だけだがな」


 クレアはそう言って、シガレットケースを私に差し出した。こうして目の前にしただけで、タバコの葉の濃厚な薫りが鼻腔を刺激する。親交を深める儀式としては、健康リスクが大きすぎるのではないか。


「遠慮しとく。お酒カクテルを酌み交わすのならまた別だけど」

お嬢様チャーミィ、背伸びはみっともないぜ。電子楼閣エリア096にアルコールがあるわけないだろ」

「さぁね、探してみたことがないから分からない」


 子供扱いにへそを曲げて、私はしかめっ面をクレアに返した。けれど彼女といると、どうしようもないくらいに思い知らされることがある。アンに与えられるだけだった私は、嗜好品の一つすら求めたことがないのだ。こっそり探そうとしたことさえ、ただの一度も。


「さて、小腹も空いたし観光は終わりだ。研究所ラボに戻ろう、テラテクスに悪い」


 クレアはそう言って、再びバイクに跨った。すっかりスモークの匂いになってしまった彼女に、私はもう一度しがみつく。


「なぁエリカ」

「あらたまって何よ。というか、初めて名前で呼ばれた気がするけど」


 キーが差し込まれ、セルモーターの回る音。エンジンが始動すると、その振動で私たちの身体が小刻みに震えた。


「危険を冒してでも、酒を探す価値はある。どんな環境でも、どんな境遇に育ってもだ」

「……覚えとくよ。素敵な観光ガイドの言葉だもの」


 腰に回した手に力を込めると、クレアは声を上げて笑った。


「紅茶で殺し合うより、酒のほうがずっとずっと良いだろ」と。




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