EP10-03
研ぎ澄まされた感覚の中で、私の聴覚はクレアの心音を捉えている。今だってそう、彼女の心臓は激しく脈を打ったままだ。着地の衝撃が走ったあとも、私は彼女の胸に埋めた顔を上げることができないのだった。
「成功だ
「そう言うクレアだって。私を離そうとしないじゃない」
過ぎ去った脅威に放心しているのは、クレアも同じだ。私を守るように抱いたその腕には、まだ痛いくらいの力が込められている。このまま彼女の脈拍が落ち着くまで、私はコアラの真似を続けていようと心に決めた。
「しかしまぁ、相も変わらず殺風景な場所だな」
クレアの言葉に目を開ける。抱きついたままで辺りを見渡せば、見慣れた
「……なんだか不気味だね。ううん、こんなこと初めて思ったんだけどさ」
「そんなもんだろ。子供は外の世界に出てみて初めて、自宅の中が異様だったってことに気付くんだ」
完璧に舗装された
「あっ」
「どうした?」
「私の
もしやと閃いて確認してみれば、待機状態を示す緑のLEDが点灯していたのだ。故障したとばかり思っていた
「当然だよエリカ姫。
バングルの向こう側のテラが、突然そう答えた。操作の未熟な私は、どうやら
「
「あなたたちの馴れ初めに、正直ものすごく興味がある」
テラの話に食いついた私の肩を、クレアが掴んだ。にやりと口元を歪ませて、彼女は言う。
「ホムラから聞いてるぜ。コイツの初恋の相手は、ホムラの育ての親だったらしい。叶わぬ恋を引きずって、捻じくれた愛情をホムラに向けてるのさ。そしてホムラの
「え? それってどれだけ複雑な関係なの……」
「哀れな男なんだ。許してやれ」
バングルの中のテラが、めずらしく慌てふためいている。クレアの言い方に悪意があるとはいえ、ホムラがそう話したのならきっと真実なのだろう。
「私はテラを応援するよ。何をどう応援していいのか、ちょっと分かんないけど」
ホムラにはナギさんがいるから、テラがクレアと仲良くなれるように立ち回るのが最適解なのだと思う。けれどクレアには、テラなんかよりも誠実で健全な人と結ばれてほしい。
「と、とりあえず復旧したゴーグルを使ってみたらどうかな。
引きつった笑みで、テラが促した。緊張感に欠けたやり取りはこれくらいにして、
「ダメ、繋がらないよ。拒絶されてるのか、システム的に問題が起きてるのか」
アンの解説を深く理解しているわけではないけれど、テラテクスがT-6011に施した処置はこの対角線上にあるものなのではないかと予測していた。即効性を重視し、視認野との連結に特化しているのが
"エリカ"として作られた私はまさに思い知らされたばかり。記憶領域を再現するということは、人格を形成するということにニアリーイコールなのだと。
「脳みそがヘソを曲げるなんて笑えるな。とりあえず先に進むしかなさそうだ」
「うん。このまま
テラの中身がどれだけ残念でも、頼もしい存在であることに変わりはなかった。それに嘘偽りなく、彼はホムラの命の恩人なのだ。大げさに「背中が焼けた」なんてアピールしなければ、少しだけカッコ良かったなと思えなくもない。
疾駆する。ようやく慣れてきたグラスホッパーで、クレアの足手まといにならないように必死に。風を切るような跳躍を繰り返していると、いつしか遠方に立方体の輪郭が視認できた。心臓のざわめきを自覚する。私たちはもう、アンの
「待って、クレア! 何かがあるっ」
先を行くクレアを慌てて呼び止める。視覚野と連動する
近くに駆け寄って確認すると、それらは弾痕や焦げ跡だった。感覚的に見ても、まだ真新しいもののように思える。その中のひとつを指先で掬い上げて、クレアが言った。
「こっちは
「……これってさ、
注視してみればあちらこちらに、どす黒い潤滑油が飛び散っていた。途端に重々しい空気が私たちを包む。巡回するアンの私兵団は、一体何を排除しようとしたのか。考えうるその答えはひとつしかない。
「ああ、間違いない。やはり神奈木は、この地を訪れてる」
「そんな! じゃあこの
最悪の結果を連想する。路面にへたり込んだ私を見て、クレアはよりいっそう険しい顔つきになった。
「さぁな。だが神奈木よりもよく出来た
物言いこそ偽悪的だったけれど、クレアはナギさんが無事だと推測しているようだ。
私はナギさんを思い返す。その体温は、まるで
血液が流れているのではないかと、信じたくなるほどに。
「さぁ、先を急ぐぞ。しわくちゃの脳みそにとって、
クレアが口にした
ひとつ、彼らは人類の安全を脅かすことなく。
ふたつ、命令への服従を絶対とし。
みっつ。且つ自己防衛の責務を全うする。
アンの根幹にも組み込まれているはずの
事実、
アンがどの程度のレベルで二人を撃退しようとしていたのか、今の私には分からない。ただ撤退させようとしたのか、それとも抹消しようとしたのか──。あの時に疑問に思えなかったことが、悔しさにも似た感情となって私を苛立たせる。
クレアが差し出した片手を取って、私は立ち上がった。
生意気を承知で、クレアに告げる。
「ねぇクレア。全速力でお願い。大丈夫、絶対に引き離されたりしないから」
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