EP10-02





 あれれ? おかしいな、こんなはずじゃなかったのにな。グラスホッパーの推進力を捌ききれない私は、勢い余って明後日の方向へと跳ね上がった。見るのとやるのでは大違いということか。墜落の恐怖に変な汗が止まらない。


 多少の慣れは必要だ、というクレアの判断で、大型バイクを早めに乗り捨てた私たちである。北方に隣接するエリア096の防壁バリケードまでは、私の訓練を兼ねてグラスホッパーで自走しようという試みだった。


「もっと体幹を使え。全体のバランスよりも、部位の重さを意識するほうが大切だ」


 端的に説明しつつ、クレアは中空で頭を下に向けた。さながら潜水士が海底に潜るような姿勢で、彼女は地面へと急降下を始める。


 このままじゃぶつかると思ったその瞬間、クレアは身体中の筋肉をフル稼働させて体勢を反転した。しなやかな着地と同時に、次の跳躍。思いのままに躍動するクレアが、「ほら、やってみろ」と言わんばかりに私を見る。


「クレアってば、こんな状態で対装甲銃ラハティを振り回してたってこと?」

「だからあの銃は、"腰にこたえる"って言っただろ?」


 背面から取り出したいつもの実弾銃ライフルを得意げに構えて、クレアはあちらこちらに狙いを定めて見せた。彼女の身体能力の高さを身をもって知りながら、私はまた見当違いの方向へ飛んでいく。新しい玩具を見つけた子供みたいに、クレアの目が楽しそうに輝いていた。


「両脚の比重は、両腕の倍近くある。細やかな調整は腕の力で、大きな軌道修正は太腿の力を使ってやるといい。身体にぶら下げた重り筋肉の位置を変動させて、なるべく水平を維持するんだ」


 言うや否や、クレアは私の身体を突き上げた。私の絶叫と、隠すつもりもないクレアの笑い声が混ざり合っている。バランスコントロールだとかそういう大切なことは、跳び上がる前にきちんと説明しておいてほしかった。


 こうしてくたくたになりながら、私はようやくエリア004とエリア096の境界線に辿り着いた。お腹が痛くなるまで笑ったクレアも、私とはまた別の意味で疲労を覚えたらしい。


「かなりマシになったんじゃないか? 正面を切って戦えないまでも、こそこそ逃げ回るくらいなら可能だろ」

「それについてなんだけどさ、まさか銃撃戦ってのはないと思うよ」


 T-6011がティーダとして復元され、しかもエリア096の真実を私たちへと伝えた今、アンには取り立てて交戦する理由がないはずだった。


「酷かもしれないが、戦闘になる可能性はゼロじゃない。それはお前の大好きな脳みそが、聖域アヴァロンの存在を知っている全員を始末したほうが有益だと判断した場合だ。もちろんその対象には、かつてエウレカであったお前も含まれてる」

「……そうだね。そうならないように祈るばかりだよ」


 憂鬱を抱えて俯いた私。クレアは神妙な面持ちで、私が腰元のホルダーに携帯しているハンドガンにそっと触れた。自らの言動が内包している矛盾に、私だって気付いていないわけじゃない。


「祈るんじゃない、努めるんだ。お姫様の役回りってのは、いつもそういうもんだろ」


 クレアの言葉に顔を上げる。彼女の肩越しに、隙間なく伸びる防壁バリケードが見えていた。その光景は壮観で、地球全体を取り囲んでいるのではないかと錯覚するほどだ。


「籠城するミステリアス王子……っていう柄でもないのよね。どちらかといえば、ポンコツ老執事って感じなの」

「んー。それはしわくちゃな脳みそという解釈でいいか」

「うん。ホムラとナギさんみたいに、ロマンチックな関係ではないって断言する」


 純正ピュア人造ニアの垣根を越えて、恋人同士パートナーだと公言する関係を羨ましく思う。作為的に切り分けられたこの世界で、見えない何かに抗っているのは私もアンも同じはずなのに──。


「言っている意味がよく分からんが、俺は二つの痴話喧嘩の仲介人ってことだな」


 白い目を向けるクレアに構わず、支給されたばかりのバングルを立ち上げた。慣れない手つきながらも、研究所ラボへの交信コネクトに成功する。


「やぁ、麗しのエリカ姫。ご機嫌いかがかな」


 内蔵している小さな液晶に映し出されたのは、黙ってさえいれば理知的に見えるテラだ。ティーダと混線して処理が不安定なテラテクスに代わって、今回のナビゲーションを務めてくれる手筈になっている。


「あなたの顔を見たせいで、突然のご機嫌ななめアングリーだよ。命の恩人じゃなかったら、もっと酷い言葉を浴びせてたかも」

「今のも立派な暴言だと思うけどね。灼けるような背中の痛みに比べれば、心の傷なんてなんでもないさ」


 軽口を叩き合う私たちを、クレアは黙って見守っていた。叶うことなら私は、こんなに居心地の良いクレアたちとの関係をこの先もずっと続けていきたいと願う。


「さてエリカ姫。君の位置から広報用球体型全面液晶イクリプスビジョンは確認できるかい?」

「北西60度の方角に見えるよ。それから、あなたに”姫"って呼ばれるのがとっても不愉快だってことも忘れずに伝えておくね」


 ソーラーパネルにも似た広報用球体型全面液晶イクリプスビジョンは、弾いた太陽光を容赦なくこの目に突き刺していた。ナギさんは敵対的摂動APサンプルと呼ばれる聞き慣れない技術を用いて、大空の番人と揶揄されるこの巨大な飛翔体を無効化することが可能だったという。


「テラ。今さらだがお前本当に、神奈木の真似事ができるんだろうな?」

「当たり前だろ? この俺を複製体コピーだと思ってるのさ」


 液晶の向こうのテラが、意味深な言葉を吐き出した。テラテクスの生みの親であるテラも、何らかのオリジナルをベースに作られた存在だというのだろうか。


「だからこそ信用ならない。お前が失敗した際に黒焦げになるのは、俺とエリカだ」

「とはいえ、他に頼る相手はいないからな──。って顔をしてるけど?」


 少しの逡巡ののちに、クレアは言う。


「黙れ。分かったからさっさとやれ」


 憎たらしく片手を上げて、テラは自らの手もとに視線を落とした。カタカタとキーを叩く音に続いて、調子外れな鼻歌が聞こえてくる。


「オッケー。終わったよ。神奈木博士ディア・ジニアスみたいに360度全方位までとはいかないけど、君たちから見て正面方向からなら監視網に知覚されないはずだ」


 あまりの呆気なさに、私たちは言葉を失った。私とクレアは眉根にシワを寄せて、訝しい視線を互いに交錯させる。


「もう一度尋ねる。テラ、このAPサンプルの出来は確かか?」

「心配ないって。AI視認センサーの外敵ノイズに対する脆弱性を、クレアだって知らないわけじゃないだろ?」

「……分かった。俺が先に行く」


 迷いを振り払うようにしてクレアが絞り出した。その腕を掴んで、私は首を横に振る。領空侵犯に浴びせられる増幅放射レールガンは、人間の肉体など黒焦げどころか消し炭にしてしまうだろう。


「私が行く。そもそもこれは、私の問題だから」

「お前こそポンコツなんじゃないのか。俺の大切な髪飾りブローチに、もしものことがあったらどうしてくれるんだよ」

「だったら返す! 一時的に返却する!」


 そうやって何度も押し問答を繰り返すうちに、次第に馬鹿馬鹿しさを覚えはじめた。テラの生暖かい目線に気付いて、私は顔を赤らめる。


「あ、どうぞ。俺に構わず続けてください」


 どこか他人行儀な咳払いをして、なぜだかテラまで赤面する。その様子を見ていたクレアが、テラに見せつけるように私の身体を抱き寄せて言った。


「とんだスケベ野郎だ。変な妄想してやがったな? まぁ良いさ、ほら、これで満足か?」


 クレアが執拗に両胸を押し当てる。どう考えたって、私より大きくてやわらかな感触。やっぱり後天的因子エピジェネティックは大切なのだと、思い知らされた瞬間だった。


「実に良いものを見せてもらったよ。ありがとうクレア。この恩は絶対に返すから」

「ああ、必ず取り立てるさ。化けて出てでも必ずだ」


 吐き捨てるように宣言したクレアは、私を抱きしめたまま跳躍した。その進路は、真っすぐに広報用球体型全面液晶イクリプスビジョンの方向へと向かっている。


 ああ、もう。やっぱりアンはポンコツだった。クレアが極度の効率主義者なら、こんな心中みたいな真似なんて絶対にするものか。


お姫様チャーミィ、暴れたって良いんだぜ?」


 私を抱いたまま問いかけるクレアは、やたらと男前だった。その体温に身を預けながら、私は答える。


「強引なのも悪くないよ。だって私ね、グラスホッパーを扱うの苦手だもの」


 クレアの腕にぐっと力が込められた。大型バイクの二人乗りタンデムよりも、ずっと濃厚なスリルが私を痺れさせるのだった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る