【隔壁──屈折する純朴の境界面】
EP11-01
張り巡らされた
しばらくぶりに
クレアの
「誰もが羨む豪邸だな。
「ここで着ているものを全部取り換えっこして、クレアと人生を入れ替わることもできるよ」
笑えない冗談を交わしながら、乱れた呼吸を整えていく。クレアの全速力のえげつないスピードに、身体中の筋肉が悲鳴を上げているのだ。
「衣服を交換するのは別に構わないが、サイズが合うと思っているのはお前だけだろうな」
「はいはい。どうせ私は発育不良です」
開き直った私の胸部に、じっとりとした視線を突き刺すクレア。それを見たバングル越しのテラが、力強く頷いている。CUBEを目の前にしてさえも、二人は相変わらず私に緊迫を許さないのだった。テラはともかくとして、私のシリアスを拭い去ろうとするクレアの優しさが眩しい。
あたたかな気持ちを勇気へと変えて、私は入室の意思を頭に思い浮かべた。念じられた欲求を読み取った
紙同士を擦り合わせるような駆動音を立てて、立方体の幾つかがスライドしていく。それこそ
間もなくして、内部へと繋がる立方体が姿を現した。メタリックな壁面を
「ここまで
クレアは訝しさを露わにしつつ、私の腰に片腕を回した。どちらかが中へと足を踏み入れたその瞬間に、入り口が閉ざされて分断されることを懸念しているようだ。頑なに悪びれていても、生真面目さを隠しきれていないところがクレアらしい。あくまでも、
こみ上げる笑いを堪えて、なるべく真顔で言う。
「……こういう場合ってさ、普通は肩を組んだり手を繋いだりだと思うけど」
「あん? わざとだよバカ。バングル越しのスケベ野郎に見せつけただけだ」
クレアがほんのりと顔を赤らめる中、流れ弾に被弾したテラが不満げに異議を申し立てていた。思いのほか賑やかな帰還の時が、ついに訪れようとしている。緊張感に欠けた私たちは、何の示し合わせもすることなく、「せーの」で飛び込んだ。
√───────────────────√
ただいま。アン。
彼への言葉を、心の中で呟いた。私の身勝手な行動に、アンは怒っているだろうか。呆れ果てて言葉も出なくて、だからこそ
不可抗力には、ならないかな。
だって隠し事をしていたのは、あなたのほうだもの。
数日前の私だって、今の私の行動を予想だにしていなかった。ホムラとクレアに出会って、ナギさんやサヨさんに導かれて。私は世界が何であるのかを知ってしまった。T-6011を
だから、もう戻れない。
どれだけ「ただいま」を告げても、たとえこのままこの地に骨を埋めたとしても──。
もう戻ることのできない自分を自覚している。
だからこそ、言わなくちゃ。
ただいま。ただいま。アン。私はここにいるよ。
選ぶべき
「なぁ
問いかけるクレアの声が、物思いに耽る私の意識を引き戻した。
「もしかして、
「まぁ、そうだな。
「慣れれば悪くないよ。
クレアが首を傾げるのも、もっともだった。立方体の中はとにかく殺風景で、私の生活圏を除けばただ空箱が連なっているに等しい。一辺が30メートル程度の鋼鉄の箱。あえてその存在意義を定義するならば、侵入者を惑わす迷宮のような役割を担っている。昼白色のダウンライトが照らす空間に、花や絵画を並べて嗜む趣味をアンは持ち合わせていなかった。
「こんな世界で育てば、そりゃ
クレアは爪先を噛みながら、私の世間知らずを肯定してくれた。
「あのねクレア。アンはアンなりに、悩んでいたんだと思う。私があなたたちに誘拐されたあの日だって、
「一応聞いてやる。そのタイトルは?」
「えっと、なんだっけ。あ、そうそう思い出した。『
目を白黒させるクレアに、乾いた笑いを返すほかになかった。彼女の辛辣な言葉を覚悟する。「"
「エリカは、"
「え? 何それ」
しかし私の予想に反して、クレアの口から飛び出たのは思ってもみない質問だった。ここにきて
「それは
「……何を言いたいのか分からないよ。アンもそうあるべきだって話?」
躊躇いがちに、クレアは首を横に振った。
「そうじゃない。言うなれば今回のケースで、
「どうして。どうして今さらそんなことを言うの? だってクレアが言ってくれたんだよ。『お前が信じたそのガラクタは、お前を大切に思ってるよ』って」
縋るような私の声に、クレアが瞳を震わせる。
「どうか最後まで聞いてくれ。お前と出会う前の俺だったら、十中八九そう断言しただろうなって話だ。エリア096を離れてお前が変わったように、俺だってお前に感化されて変わりつつある。あー、クソっ。俺の話はどうせ遠回りだよ。『
目頭が熱くなった。ホムラに決して負けないくらい、クレアだって誠実だ。クレアが私の
【──エリカ。私の声が認識できますか?】
それは突然だった。
【エリカ、今もまた呼吸が乱れています。外界での過酷な体験によって、精神汚染を
これは何度も聞き慣れたはずの、過保護な提案だ。それなのに。
アンの発言に、得体の知れない恐怖を感じたのは生まれて初めてだった。
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