【隔壁──屈折する純朴の境界面】

EP11-01





 張り巡らされた鋼鉄の道メイン・ロードの中心にそびえるのは、うず高く積み上がった無数の立方体だ。遥かな高みを目指す奇怪な建造物。崩れた煉瓦ジェンガ王の墓ピラミッドを連想させるその姿が、無機質な光景の中でひたすらに異彩を放っている。


 しばらくぶりに自宅CUBEの外観を目にして、私は不穏な感情を覚えていた。私の奥深くから湧き出るその感情は嫌悪感に似ていて、確かにあるはずの郷愁ノスタルジイを根底から揺さぶっている。


 クレアの髪飾りブローチの重みが、後ろ髪を引くように私に問いかけた。お前は本当に、こんな場所をついの棲家にするつもりなのかと。


「誰もが羨む豪邸だな。灰かぶりサンドリヨンは、正真正銘のお姫様だったというオチか」

「ここで着ているものを全部取り換えっこして、クレアと人生を入れ替わることもできるよ」


 笑えない冗談を交わしながら、乱れた呼吸を整えていく。クレアの全速力のえげつないスピードに、身体中の筋肉が悲鳴を上げているのだ。


「衣服を交換するのは別に構わないが、サイズが合うと思っているのはお前だけだろうな」

「はいはい。どうせ私は発育不良です」


 開き直った私の胸部に、じっとりとした視線を突き刺すクレア。それを見たバングル越しのテラが、力強く頷いている。CUBEを目の前にしてさえも、二人は相変わらず私に緊迫を許さないのだった。テラはともかくとして、私のシリアスを拭い去ろうとするクレアの優しさが眩しい。


 あたたかな気持ちを勇気へと変えて、私は入室の意思を頭に思い浮かべた。念じられた欲求を読み取った仮想投身器サークレットが、解錠の伝令コマンドを速やかに実行する。


 紙同士を擦り合わせるような駆動音を立てて、立方体の幾つかがスライドしていく。それこそ回転パズルルービック・キューブと同じ要領で、通用口の設けられた一面を私たちの正面に導いているのだ。私は内心で胸を撫で下ろす。アンとの交信は叶わなくても、完全に拒絶されているわけではないらしい。


 間もなくして、内部へと繋がる立方体が姿を現した。メタリックな壁面を穿孔せんこうして造られた通路は、墓所へと続く隧道トンネルのようでもある。


「ここまで芋虫ワームによる妨害もなく、人相の悪い同行者にまで"いらっしゃいませウエルカム"か? 聞きしに勝る人道的な脳みそ様だ。懐の深さに涙が出そうだぜ」


 クレアは訝しさを露わにしつつ、私の腰に片腕を回した。どちらかが中へと足を踏み入れたその瞬間に、入り口が閉ざされて分断されることを懸念しているようだ。頑なに悪びれていても、生真面目さを隠しきれていないところがクレアらしい。あくまでも、護衛エスコートの姿勢を貫こうとしているのかも。


 こみ上げる笑いを堪えて、なるべく真顔で言う。


「……こういう場合ってさ、普通は肩を組んだり手を繋いだりだと思うけど」

「あん? わざとだよバカ。バングル越しのスケベ野郎に見せつけただけだ」


 クレアがほんのりと顔を赤らめる中、流れ弾に被弾したテラが不満げに異議を申し立てていた。思いのほか賑やかな帰還の時が、ついに訪れようとしている。緊張感に欠けた私たちは、何の示し合わせもすることなく、「せーの」で飛び込んだ。





√───────────────────√





 ただいま。アン。


 彼への言葉を、心の中で呟いた。私の身勝手な行動に、アンは怒っているだろうか。呆れ果てて言葉も出なくて、だからこそ交信コネクトに応答がないのかもしれない。きっと親が娘の放蕩を嘆くように、侵入者テロリストたちと打ち解けている私を愚かしく思っているのだ。


 不可抗力には、ならないかな。

 だって隠し事をしていたのは、あなたのほうだもの。


 数日前の私だって、今の私の行動を予想だにしていなかった。ホムラとクレアに出会って、ナギさんやサヨさんに導かれて。私は世界が何であるのかを知ってしまった。T-6011を世代退行ダウングレードから復元して、エウレカという存在を知ってしまったのだ。


 だから、もう戻れない。

 どれだけ「ただいま」を告げても、たとえこのままこの地に骨を埋めたとしても──。

 もう戻ることのできない自分を自覚している。


 だからこそ、言わなくちゃ。

 ただいま。ただいま。アン。私はここにいるよ。

 選ぶべき選択リベラルが見えなくて、だからこそアン、あなたと話がしたい。


「なぁお姫様チャーミィ、俺が想像していた場所とだいぶ違うんだが」


 問いかけるクレアの声が、物思いに耽る私の意識を引き戻した。


「もしかして、映画フィルムみたいな幻想都市メトロポリスを期待してたの?」

「まぁ、そうだな。固着観念ステレオタイプに沿った電脳空間サイバーパンクを想像していた」

「慣れれば悪くないよ。二人乗りタンデムみたいな刺激はないけどね」


 クレアが首を傾げるのも、もっともだった。立方体の中はとにかく殺風景で、私の生活圏を除けばただ空箱が連なっているに等しい。一辺が30メートル程度の鋼鉄の箱。あえてその存在意義を定義するならば、侵入者を惑わす迷宮のような役割を担っている。昼白色のダウンライトが照らす空間に、花や絵画を並べて嗜む趣味をアンは持ち合わせていなかった。


「こんな世界で育てば、そりゃ拡張現実依存症オーグメントホリックにもなるさ」


 クレアは爪先を噛みながら、私の世間知らずを肯定してくれた。機械仕掛け嫌悪メカニカルアレルギーの彼女にとって、正真正銘の敵地の中にありながら、未だ実弾銃ライフルを構えずにいてくれることが心から誇らしい。


「あのねクレア。アンはアンなりに、悩んでいたんだと思う。私があなたたちに誘拐されたあの日だって、教育関連キッズトレーニングの書籍にアクセスしてたみたいだし」

「一応聞いてやる。そのタイトルは?」

「えっと、なんだっけ。あ、そうそう思い出した。『思春期の子供ピノキオの育て方』だ」


 目を白黒させるクレアに、乾いた笑いを返すほかになかった。彼女の辛辣な言葉を覚悟する。「"嘘つきピノキオ"は脳みそのほうだろうが」と、非難されるに違いない。


「エリカは、"第四の壁フォースウォール"という概念を知ってるか?」

「え? 何それ」


 しかし私の予想に反して、クレアの口から飛び出たのは思ってもみない質問だった。ここにきて原初哲学プライマリーの講義でも始まるのかと、私は気を引き締めて次の言葉を待つ。


「それは第四隔壁だいしかくへきとも呼ばれる前提条件だ。すべての創造物は、自らが創造物であるという前提を拒否してはならない。例えばテラが造り出したテラテクスは、自分が集積回路上に構成された仮想人格ニア・フィジカルであることを受け入れている。第四の壁フォースウォールの向こう側を望まないからこそ、俺やお前と共存していくことができる」

「……何を言いたいのか分からないよ。アンもそうあるべきだって話?」


 躊躇いがちに、クレアは首を横に振った。


「そうじゃない。言うなれば今回のケースで、第四の壁フォースウォールの内側に閉じ込められていたのはお前なんだ。自らがElikaエリカであると信じ込まされていたEurekaお前は、この立方体の中で生きる自分自身を疑ったことなどなかった。だが今は違う。一度でも第四の壁フォースウォールの向こう側が見えてしまった以上、お前が琥珀色の脳アンバーと共存できるわけがない」

「どうして。どうして今さらそんなことを言うの? だってクレアが言ってくれたんだよ。『お前が信じたそのガラクタは、お前を大切に思ってるよ』って」


 縋るような私の声に、クレアが瞳を震わせる。


「どうか最後まで聞いてくれ。お前と出会う前の俺だったら、十中八九そう断言しただろうなって話だ。エリア096を離れてお前が変わったように、俺だってお前に感化されて変わりつつある。あー、クソっ。俺の話はどうせ遠回りだよ。『思春期の子供ピノキオの育て方』に縋るポンコツな脳みそを、俺も信じてみたくなったって言ってるんだ。たとえそいつの正体が、本当に救いようのない信頼できない語り手ドグラ・マグラだったとしても」


 目頭が熱くなった。ホムラに決して負けないくらい、クレアだって誠実だ。クレアが私の複製体コピーじゃなかったら、とっくに百万回くらい惚れていると思う。嬉しさと喜びの何もかもが綯い交ぜとなって、私の胸をきつく締めつけていた。


【──エリカ。私の声が認識できますか?】


 それは突然だった。仮想投身器サークレット越しに、アンの無機質な声音が響いたのだ。彼からの唐突な交信コネクトに、私の心臓は激しく跳ね上がる。私はその途端に、強烈な後ろめたさに苛まれてしまった。見られてはいけないものを見られてしまったかのような気疎けうとさが、私の感情を混線させる。


【エリカ、今もまた呼吸が乱れています。外界での過酷な体験によって、精神汚染をきたした可能性を疑ってかかるべきです】


 これは何度も聞き慣れたはずの、過保護な提案だ。それなのに。

 アンの発言に、得体の知れない恐怖を感じたのは生まれて初めてだった。




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