EP11-02





「おい、どうした。まさか、脳みそからの交信コネクトか?」


 私の異変に気付いたクレアが、立ち止まって問いかける。困惑に満ちた首肯を彼女に返してから、私はアンへと呼びかけた。


「ねぇアン、音声開示オープンソースにしても構わないかな。ここにいるクレアはね、私にとって大切な存在なの。いつの間にか、そうなってたんだ」


 アンが滑稽な髪飾りカリカチュア・ボブという二つ名をつけたクレア。彼女の象徴であるそのキャラ物の髪留めカリカチュアは今、私の後ろ髪にしっかりと留められている。婚約指輪エンゲージリングの代わりみたいだと言ったら、クレアは絶対に嫌がるだろうけれど。


「もちろん構いません。寝癖だらけの淑女スリーピング・ビューティであった貴女に、友人と呼べる存在ができたのならば実に喜ばしい。月面着陸アームストロングに勝るとも劣らない、偉大なる一歩を祝福します」


 アンは即座に音声開示オープンソースへと切り替え、大仰な冗談ジョークが中空に響いた。しかし相も変わらず、彼の声音は抑揚に乏しい。


「祝福だなんてそりゃ光栄だ。だけど記念すべき友人第一号アポロ11号が、愛娘にとって有害な可能性だってあるんだぜ?」


 驚いたことにクレアは、親のように振る舞うアンに付き合ってみせた。アンを信じてみたくなったという先ほどの言葉を、彼女はまさに目の前で体現しているのだ。こんな時でさえ偽悪的なクレアの態度は、毒気を抜かれないためのささやかな精神障壁バリケードなのかもしれない。


クレアさんディア・クレア。たとえあなたが害悪であったとしても、私はエリカの権限アドミンを脅かすことのない自分で在りたいのです」


 私の権限アドミン。今まで何事もなく聞き流してきた表現に抵抗を覚える。私は生身の人間なのにって、アンに訴えたくて仕方がなかった。


「よく言うぜ。お前はハエ共に研究所ラボを襲わせて、芋虫の亡骸を葬ろうとした。要するにそれは、お姫様チャーミィが自らの生い立ちを"知る権利"を奪おうとしたのとイコールだろうが」


 クレアが雄弁に言い放つ。険しさを隠さない彼女は、アンが信頼できない語り手ドグラ・マグラであるか否かを見極めようとしているふうに見えた。彼女の脇で私はただ、アンによる否定の言葉を強く望んでいる。


「仰るとおり、あれは失策でした。そもそも武力行使という選択が、私の特性キャラクターから遠く掛け離れている時点で問題なのです。つまり私の最大の失策は、初回交戦時にあなたと雪白ホムラを撃ち殺さなかったことであると認識しています」


 身も蓋もない発言に、クレアが返す言葉をなくした。初回交戦時あの時のやり取りを、私は事細かに思い返す。消極的観測者サイレントルッカーとなった私は、並行世界パラレルワールドの中で繰り広げられる攻防をアンと一緒に眺めていたのだ。


 私と同じ見目形をした侵入者たち。アンに状況説明を求めても、彼は遠回しな表現に徹するばかりだった。ならば、こう考えることは希望的観測だろうか。四体の戦騎兵スタンドアロンが交戦しているあの状況において、琥珀色の脳アンバーの中では排除キル迎撃リジェクトかの葛藤が絶え間なく繰り広げられていたのだと──。


「……アン。あなたは色々と矛盾してる。だってクレアとホムラの急襲を私に伝えてくれたのは、他ならぬあなただもの。たとえ二人を殺さなくたって、その来訪を隠すための方法ならいくらでもあった。違う?」


 それだけじゃない。アンは、T-6011がエリア004に連行されたであろうことまで教えてくれた。私を寝癖だらけの淑女スリーピング・ビューティのままにしておきたいのなら、彼には隠匿する選択肢があったはずだ。


「先に訪れた神奈木コトハも、同じ指摘を述べました。彼女は私の揺らぎエラーを解析し、自らの修復パッチに役立てたいと申し出た」

「……やっぱりナギさんも来てたんだね。彼女もまた、百年後の孤独プロミスド・アロンの存在を強烈に意識してた。ううん、怯えてたって言ってもいい。ナギさんはきっと、あなたの理解者なんだと思う」


 直情的な意見を述べる私に、アンは沈黙を貫いた。彼の表情が見えない事実が、ひどくもどかしい。せめてあの人型珪素模型クロノイドを間に介せば、わずかながらでも彼の内心を読み取れるのに。


「それで、神奈木は今どこに? いや、これについては聞くまでもないのか」


 どこか切実な表情で、クレアが問いかけた。ホムラと交わした約束を、彼女は何よりも重んじているのだと伝わってくる。けれど聞くまでもないとは、どういう意味だろう。クレアにはすでに、ナギさんの居場所におおよその見当がついている様子だった。


「驚かされました。クレアさんディア・クレアは、叡智インテリジェンスに満ち溢れた方のようですね」

「いや逆にさ、神奈木の目的地が分かっていないのはお姫様チャーミィくらいだと思うが」


 驚いてバングルを見やれば、テラもうんうんと同意を示している。しかし彼はその最後に、「ホムラも怪しかったけどね」と意地悪な眼差しを送った。知らぬ間に置いてけぼりをくらっていた私の肩に、クレアが手のひらを置いて慰める。


「仲睦まじき光景ですね。分かりました、良いでしょう」


 芝居がかった沈黙を挟んで、アンは続けた。


「エリカ、それからその友人たちへと提案します。あなたたちさえ宜しければ、私はあなたたちを"聖域アヴァロン"へ迎え入れたいと考えている」


 誰にも聞こえないほどに小さなクレアの舌打ちを、私の聴覚は確かに捉えた。ティーダの言葉を丸ごと真実と捉えれば、そこは7万体の自立型機械スタンドアロンと、11万人の民衆ヒューマンが導かれた並行世界パラレルワールドだ。物質主義マテリアリズムからの脱却を図るために、かつてのアンが築き上げた楽園。


 つまりそこに行けば、ナギさんに会えるというのか。彼女とコンタクトがとれるのならば、私にはアンの誘いを断る理由がなかった。


「躊躇う気持ちは理解できますが、心配はご無用です。この私は、あなたたちの権限アドミンを脅かす存在ではない。不在の神オクトーバに代わって、ここに宣言します」


 不在の神オクトーバに成り代わる人口知性とは、一体どういう皮肉だろう。それとも今のは、彼なりの冗談ジョークなのか。ホムラたちと知り合う前の私であれば、愛すべきポンコツの発言としてあたたかな気持ちを覚えただろうか。


「……分かったよ、アン。私は行く。あなたが本当のとして君臨するその聖域アヴァロンが、楽園ユートピアなのか廃園ディストピアなのかを見極めなくちゃ」

「おい待てよエリカ。何も決断を急ぐ必要はないだろ」

「ああ、クレアの言うとおりさ。一度向こう側に足を踏み入れれば、こちら側に戻ってこれる確証はないんだ。最悪の場合、悪意をもって聖域アヴァロンとざされる可能性だってある」


 クレアとテラの主張はもっともで、私の身を案じてくれているからこその強い口調を嬉しく思った。彼の論理回路サーキット上に意識を預けるという行為は、寝首を掻かれる危険性に目を瞑るということと完全に同義なのだ。


「だからこそ、で行くんだよ。クレアとテラはね、アンが悪さしないかどうかを見張っててくれれば嬉しいかな……なんてさ。ほら、予期せぬ事故とかが起きて、私が本物の寝癖だらけの淑女スリーピング・ビューティにならないとも限らないし」


 何かを言いかけて、クレアが押し黙る。私の無謀な選択を咎めたい気持ちを、必死で飲み込もうとしてくれているように映った。


「大丈夫だよ。ホムラと交わした約束は、必ず私が果たしてくる。ホムラが心から心配してるんだって、ナギさんに伝えるついでにお説教とかしちゃうかも」


 腕まくりをして微笑む私を、クレアが複雑な表情で眺めた。やがて意を決したように、彼女はその重たい口を開く。


「お前は……、お前はやっぱり、潜行ダイブを甘く見てるきらいがあるよ。決して忘れるな。かつてエウレカであったお前は、重度の拡張現実依存症オーグメントホリックを患ったんだ。仮に琥珀色の脳アンバーに悪意がなかったとしても、11万の民衆ヒューマンに同調したお前が現実世界を捨て去るかもしれない。あるいは聖域アヴァロンへと先行している神奈木が、すでにどっぷりとハマっていて帰還を拒むかもしれない」


 何もかも分かっていた。あらゆる危険リスクを承知の上で、私は聖域アヴァロンへと赴くのだ。重度の機械仕掛け嫌悪メカニカルアレルギーを抱えるクレアだからこそ、私の選択は承諾しがたいものであろう。そんな彼女だから尚さら、物質世界から私を見守っていてくれると心強い。


「ねぇ聞いてクレア。こっち側の世界にはね、ホムラがいるの。だから、だからナギさんは絶対に帰ってくるよ。それに私には、クレアがいるから。だから私だって、絶対に帰ってくるんだ」


 私の言い分が、説得力に欠けているのは自覚している。それでもクレアは、ほんの少し顔を赤らめるだけで、それ以上の反対意見を述べることはなかった。






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残悔のリベラル -the Amber brain of Avalon- 五色ヶ原たしぎ @goshiki-tashigi

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