EP06-03





 広大無辺な暗黒の中に、数え切れないほどの星明かりが浮かんでいた。ナギさんが私に世界の縮図ジオグラフィックを見せてくれたこの地底ホールで、ホムラはメタリックな床に寝そべり物思いに耽っている。私は彼女の視界を遮らないよう、脇から声をかけた。


「クレアがね、多分ここだろうって。となり、いいかな」

「もちろんいいけど、冷たいよ? ナギの外套が防寒仕様であることを祈ってる」


 絶妙な距離を確保しつつ、ホムラのすぐそばで仰向けになる。なるほど、この冷たさは確かに背中にこたえる。冷気にたじろぐ私を、瞬く星たちがクスクスと笑ったような気がした。


「ホログラムの星空なの。遠い過去には、"天球儀"とか"プラネタリウム"って呼ばれていた原始的な発明。ナギがキミに見せた青紫色ディープ・ブルーの地球と原理は同じ」

「作り物だと分かっていても、びっくりするくらいキレイだね。きっと私たち生命は、こうやって遥かな高みに想いを馳せてきたんだと思う。純正ピュアだとか人造ニアだとかいう概念のない、遥かな大昔からずっとずっと」


 詩人のように感性を研ぎ澄ませて、偽りの夜空へ向けて片手を伸ばした。すると無数の光の粒の中へ、私自身が吸い込まれてしまいそうな錯覚に襲われる。


「ねぇエリカ? こうしているとね、形而上学に取り憑かれた人ロマンチストも悪くないかなって思うんだ。それと同時に、虚無主義に取り憑かれた人ニヒリストの気持ちにも共感できてしまう」

虚無主義ニヒリズムか……。今のホムラが虚しさを感じているのは、もしかしなくても私のせいだよね?」


 非難されるのを覚悟の上で、思い切って踏み込んでみた。ホムラは決して動揺することなく、淡々と私に答える。


「そうかもしれない。だってキミはあの電子楼閣で、何不自由ない幸せな暮らしを送っていた。身勝手な私の決意と行動が、先走っては空回って悪い結果に結びついたんだ。だから私は、キミに殴られても仕方ないって思ってた。ううん、今だって殴られて楽になりたいの。それなのに……」


 そこで初めて、ホムラは言葉に詰まった。懸命に言葉を探している彼女を遮って、私が続ける。


「それなのにエリカは図太くて、こうして研究所ラボのみんなに溶け込んでしまった。私を責め立てるどころか、郷愁ホームシックに浸っている様子もない、でしょ? だからホムラは行き場のない葛藤を抱えたまま、暗闇の中で益体もない考えを巡らせているんだね」


 ホムラのほうへと寝返りを打って、彼女の体温を少しだけ分けてもらうことにした。ぴったりと体をくっつけていれば、大抵の寒さは凌げる。この方法だってプラネタリウムと同じで、人類の原始的な発明のひとつだ。


「……図太いどころか意地悪だった。自分から尋ねたくせに、先回りして人の気持ちを暴くなんてひどいよ」

「私が意地悪なのはね、親のしつけがなってないんだよ。アンはね──私の育ての親は、ポンコツだから」

「何それ。愛情たっぷりって感じ」


 満天の星の下で、私たちはひとしきり笑った。そのおかげもあって、寒さはすっかり気にならなくなっている。


「エリカ、本当にごめんね。大好きなアンと離ればなれにしちゃって」

「もう、気にしないでいいんだってば。今の状況は、ホムラが私のことを想ってくれた結果なんだよ。それにホムラはこの先も、まだ見ぬの身を案じて生きていくんでしょう?」

「うん……そっか、クレアに聞いたんだね」


 とてつもなく複雑な表情を浮かべながら、ホムラは指先で私の髪を梳いた。至近距離の彼女に、私は傷ひとつない左腕をこれ見よがしに近付ける。


「ほらね? ホムラの心配は杞憂だったんだよ。エリア096のあなたは、ずいぶんとたくましく生きていた。だからホムラは、元気な私を祝福してちょうだい。そして次の私たちを導くことだけを考えて、ちゃんと前を向くの」


 私は天地がひっくり返っても、首吊り自殺ハンギング・デッドなんて選ばない。心神喪失ロストするどころか、躊躇い傷リストカットに溺れることもないと断言できる。


「ありがとうエリカ。少し気が楽になったかも」

「お礼を言うのはこっち。ありがとう、ホムラ。私を心配してくれて。クレアやテラテクスにも、心から感謝してる。それからナギさんとサヨさんにも」


 そう遠くない未来に訪れるであろうホムラたちとの別れに、胸が痛んだ。明日の夕刻には、T-6011の解析が済む予定だ。できることなら、ナギさんとホムラの関係も可能な限り修復してからこの地を去りたい。


「ん、サヨさんが戻ってきてるの? テラテクスがスリープしてるから、連絡が取れてなくて」

「サヨさんも言ってたよ。研究所の入口が開けられなくて困ったんだって。とびきり美人で怖い人というのが私の率直な感想ですが、いかがでしょうかホムラ先輩」

「的確に分析してるね。私の上司だった時も、職場の全員が恐怖におののいてた」


 過ぎた日々を懐かしむように、ホムラは微笑んだ。そこで私は、ふと疑問に思う。反政府思想テロリズムを掲げる前の彼女たちは、何の職に就いていたのだろうかと。


「せっかくだから聞いてもいいかな。ホムラとサヨさんは、どんな仕事をしてたの?」


 ホムラは一瞬だけ考える仕草を見せたけれど、すぐに一人で頷いてみせた。


「そうだね、話しておかないと不公平になっちゃう。私とサヨさんはね、このエリア004で先生の真似事をしてたんだよ」


 先生。先生。それってすなわち教師のこと。こうして床に横たわっていなかったら、私は驚きのあまりひっくり返っていたに違いない。サヨさんはともかくとして、ホムラが教壇に立っている姿を少しも想像できなかったのだ。


「驚いた? そんな顔してるけど」

「うん、すごく意外だった。人は見かけに依らないって格言、本当だったんだね」


 私の軽口を咎めることもなく、ホムラは慈しむような表情で私の髪を撫でた。


「私たちはね、大人になることもなく死んでいく定めの子供たちを育てていたんだ。ざっくり言っちゃうとね、権力者やお金持ちの臓器になるために、人工的に作られた子供たちだよ」

「……え?」


 さらりと述べられた事実に、私の心臓が早鐘を打った。


「私もサヨさんも、循環を促す者コンダクターって呼ばれる立場だったの。閉ざされた医療施設の中で、誰かに献体されるためだけに作り出される子供たち。彼らを管理育成して送り出すことが、私たちの職務だった」

「そんな! って、それってつまり……」


 ホムラの口から明かされる衝撃の過去に、私は慌てふためくことしかできなかった。だってこんなの、ただ一人ぼっちで生きてきただけの私の生い立ちと比べたら、あまりにも壮絶すぎるじゃないか。


「そうだよ、軽蔑するよね。私だってそう、私のしてきたことを心底軽蔑してる。サヨさんはね、私たちのやってることを『人殺しと同じだ』って嘆いてた。もしも私がナギと出会わなかったら──彼女から真実に立ち向かう勇気をもらわなかったら、首吊り自殺ハンギング・デッドを選んでいたのは私だったかもしれない」


 そうだ。ナギさんは言っていた。エリア004の領域名を、『生命の果樹園"ヘスペリデス"』だと。意味ありげな名称とホムラの話から連想される事実は、ただひとつ──。


「生命を作り出し、そして生命の重さを天秤に掛ける。そういった私たちの苦しみや葛藤こそが、エリア004に仕組まれたジレンマだった。こんな地獄みたいな世界を、108つも生み出した奴がいる。そう知ってしまったらね、私の取るべき道はこれしかなかったんだ」


 私はホムラの選択リベラルの根源に触れた。無理に微笑もうとする彼女の頭を、今度は私が優しく撫でる番だった。ぬるま湯に浸かってきただけの私に、他にできることなんてない。凄惨極まる人生を歩んできたホムラに、投げかけてあげられる言葉なんてひとつも持ち合わせていないのだ。


 永遠のように続く沈黙の中で、私たちの鼓動だけが響いていた。

 そして寄せてはかえす感情の波が、やがて静けさを取り戻したころ。


 私は大きな疑問にぶち当たった。


 エリア096の領域名を、『電子楼閣"アヴァロン"』だとナギさんは言った。

 ならば、だとすればだ。


 そこに定められたジレンマは一体なんなのか。


 私の生まれ育ちに、首吊り自殺ハンギング・デッドを選ぶ要素は少しも見当たらない。108つも用意された地獄の中で、私だけが幸運にも苦しみを知らずに生きているだなんてことが、果たしてあり得るのだろうか?


 混乱した様子の私を見て、ホムラはその心中を察したようだった。

 どこか物憂げに、彼女がぼそりと呟く。


「私が今もキミをわけが、ちょっとだけ伝わったかな」と。




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