【暗礁──回路は流転の朝を望まない】

EP07-01





 過ぎた日の行いに今も苛まれているホムラの横顔と、天の川ステュクスの煌めきが一緒くたになってまぶたの裏側に焼き付いていた。言いようのない感情が、私に寝苦しさを連れてくる。彼女が歩んできた茨の道と、過保護なアンに守られるだけだった私の怠惰な毎日。その対比があまりにも不気味で、空恐ろしさを感じさせて止まないのだ。


 この際だから、思いきって考えかたを変えてみることする。108つに裁断された世界エリアが、狂人にとっての気まぐれな箱庭ジオラマでしかないとしたらどうか、と。


 立ち並んだジレンマは、そもそも意味や思惑を持たない偶然の産物だった。

 そしてその中から、幸運にも楽園を引き当てたのが私。

 裕福な家庭に生まれた少女のように、きっとこの先も何不自由ない幸福な毎日を送っていける。


「……ははは、私は自己嫌悪で死ぬつもりなの?」


 馬鹿げた希望的観測を、枕と一緒に投げ飛ばした。

 無理やり楽な方向に逃げようとしたって、そんなの納得できるはずがない。

 そそくさと枕を回収して、すぐに他の可能性を模索する。


「あらゆる地獄が圧縮されて、あの人類虐殺シンギュラリティの夜に体現されていたとか」


 つまり私は、他のが一生かけて味わうであろう苦しみを一晩で消化したのだ。そして私が下した選択リベラルは、自立型機械スタンドアロンの動作を模倣して生きていくことだった。恥知らずで浅はかな処世術たったひとつの冴えたやり方で、私はエリア096のジレンマを克服したことになる。


 我ながら陳腐な考えに、自嘲の笑みが零れる。

 今度こそ破裂しそうな自己嫌悪が、今にも私を発狂させてしまいそうなその時だった。


「ひゃっ?」


 懊悩する私は、派手な音を立ててベッドから転げ落ちた。誰かに見られたわけでもないのに、赤らめた顔を両手で覆い隠す。おしりの痛みだけが、妙に現実味を帯びていた。アンが用意してくれたエリザベスサイズのマットが、ピンポイントで恋しくなる。


 私が安眠を取り戻すまで、もう幾許いくばくもないはず。


 明日になれば、テラテクスが眠りから目覚めるのだ。その集積回路内体内でT-6011を模倣エミュレートしている彼は、T-6011が本来有していたはずの性質を再構築しているだろう。意図的に重ねられた世代退行ダウングレードを遡り、私たちは高確率で真実の片鱗を知ることができる。あるいは、そのすべてを──。


 すべてを知った先で、私が安らかに眠れるとでも?


 暗がりをさまよう心。まとまらない考えの何もかもを振り払って、何度目かのシーツの中に潜り込んだ。こんなことなら、クレアの夜更かしに付き合って出かけてしまえば良かったのだ。なんでも彼女は、偵察と称して夜な夜な大型バイクを転がしているのだとか。夜風に吹かれれば、判然としない胸騒ぎも遠くへと流されていくだろう。


 眠れない。ホムラの顔が浮かび、クレアの顔が浮かび、それから、ナギさんやサヨさんの顔が次々と浮かび上がった。もしかするとこれが、"人恋しい"という状態なのかもしれない。ひとりぼっちで眠ることが、生まれて初めて恐ろしくて仕方がない。


 それでもようやく、ようやく眠りに落ちようかというその時だった。


 突如鳴り響いたけたたましい非常警報アラート

 私は体中のバネをすべて使って跳ね起きる。





 √───────────────────√





 ハンドガンを携帯し、慌てて廊下に出る。建物全体を震わせる警告音が、全身の筋肉を強張らせた。曲がり角では、非常事態を知らせる赤灯が回転している。視界の中に、何かが燃えているような気配はない。廊下の先から、ただならぬ様子のホムラが駆け寄ってくる。


「エリカ! すぐに武装して。それから、最低限の防寒具を」

「え? うん。なに? 火事じゃないなら、どうして発報してるの?」

「鳴らしたのは私。詳しいことは分からないけど、この施設を捨てることになるかもしれない」


 一度部屋に戻って、手早く仮想投身器サークレットを装着する。それからナギさんのローブを羽織って、ホムラから手渡された弾倉マガジンをポケットに突っ込んだ。


 もう一度廊下へ。反対側の通路から、サヨさんが合流した。彼女の背中には、小型の熱照射器ブラスタが背負われている。サヨさんは銃器の下に、すでに対衝撃加工ラバーコーティングのジャケットを着込んでいた。


「良かった、二人揃っていますね。まるで状況不明ですが、夜更しがお肌に悪いことだけは確かです」

「クレアが急いで引き返してきたの。正体不明の飛翔物に、この研究所ラボが取り囲まれてるって」


 正体不明の飛翔物? ホムラの言葉に胸騒ぎを覚える。

 サヨさんは鷹揚に構えながらも、瞬時に切り返した。


「まったくもう、心当たりがありすぎて困るわね。政府からのプレゼントかしら。それともエリカさんのお友達とか」

「こんなことなら、都市部のど真ん中に拠点を構えるべきだった」


 クレアの大型バイク、その後部座席に乗せられて見た風景を思い返す。この建物の周囲には、見渡す限りの大自然しかないのだ。義賊テロリストというその性質上、人目につかない土地を選んだのだと思う。今回に限っては、それが裏目に出たのか。


「私が表に出てみるよ。もしもアンが関与してるなら、私に手荒なことはしないはず」

「ダメ、確証もないのに行かせられない。今の私たちにあるのは、籠城か逃走かの二択だけ」


 ホムラの強い眼差しが、何よりも雄弁に私を引き止めた。


「ふふ、勇気と無謀は紙一重ですものね。その点はホムラが誰よりも一番よく理解していると思います」


 緊迫した私たちを気遣ってか、サヨさんが悪戯めいた表情で言った。ホムラがじっとりとした目線で非難すると、サヨさんはわざとらしい真顔を作って尋ねる。


「それでクレアちゃんは今どこに? あの子の意見も加味して組織を導くのが、統率者リーダーであるあなたの役目でしょう?」

「……そうだね。ごめん、サヨさんの言うとおりだ。クレアは、一度武器庫に行くって。対空射撃の準備を済ませるって言ってた」


 火急の事態であっても、サヨさんはあくまで冷静だった。それに今の話を聞く限り、おそらくクレアも冷静だ。


「籠城、逃走、それに迎撃。選択肢は三つ。ううん、飛翔物がエリア096電子楼閣に関するものだった場合は、説得とか交渉という手段もあるのかもしれない」


 ホムラも冷静さを取り戻していた。すると不思議なことに、鳴り続ける非常警報アラートがどこか別の世界のもののように感じられてくる。


「ねぇホムラ。ナギさんはなんて言ってるの? 彼女はほら、なんだっけ。えっと、そうだ、"天才の上位互換ニア・シンギュラリティ"ってやつなんだよね。だったら今起きていることを、もっと多角的に把握できているかも」


 ナギさんの性能スペックに対する、ホムラの信頼は全幅のものだ。ナギさんの見解が合わされば、未知なるこの状況を突破する最適解が導き出せるかもしれない。


「……てないよ」

「え?」


 ホムラの消え入りそうな声に、聞き返す声が思わず強くなってしまう。


「キミが自由を保障されてから、私はナギを見ていない。避けられてるのかと思ってクレアに尋ねたけど同じだった。つまりはこの二日間、ナギは行方をくらませているんだ」




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