【接触──手を差し伸べる彼女が幻想を囁く】

EP02-01





 向かい合った青年のきめ細やかな肌に粗はなく、流砂を思わせる黄金色の髪はなめらかに艶めく。蒼く澄み切った両の瞳には、訝しげな表情で身構える私が映っていた。


 アンの美貌イレモノは精緻を極めていたけれど、それはあくまで人型珪素模型クロノイドの範疇に限定した場合の評価だ。


「エリカ、どうやらお気に召さないようですね」

「その不自然な笑顔をやめて。そして事情を説明してちょうだい」


 ニヒルと表現できなくもないアンの笑顔を非難する。しかし事情と言うよりも、その動機を教えてくれと言うべきだったかも。


 動作工学アニマトロニクスを応用して、琥珀色の脳アンバーは何らかの悪ふざけをしているのだ。そうじゃなければ、彼の論理回路システムは虫喰いだらけに違いなかった。


「もう少し手間暇を掛ける時間があれば、より精巧な美青年を造り上げることができたのですが。そもそも男性用に比べて、女性用ドールにはサンプルの数が乏しい」

電撃銃テーザーはどこ。ふれ合いや営みスキンシップの代わりに撃ち込んだげる」


 美青年の皮を被ったハレンチなポンコツに、私はこれ見よがしの溜め息を吐き出した。アンは昨晩のやり取りを、一体どのように解釈したのか。


 理解の壁を飛び越えることを早々に諦めた私は、囚われの身となっている戦騎兵スタンドアロンの現状を尋ねた。


「固有識別番号T-6011は、99.9パーセントの確率でエリア004に連行されたと考えられます。現在進行系で微弱なシグナルを受信できていることから、同機体がスクラップを免れているのは確定事項かと」

戦騎兵スタンドアロン天地無用デリケートだもの。丁寧な扱いに感謝しなくちゃね」


 私の戯れ言ユーモアが通じなかったらしく、アンは眉間にしわを寄せた。ぎこちないその仕草に、たっぷりの潤滑油をさしてやりたいと歯噛みする私。


 ああ、彼が人型をしているだけで、なんだか調子を狂わされてしまう。対人能力の低すぎる私としては、一秒でも早くこの大根役者ハム・アクターを引っ込めてほしいところだった。


「ねぇアン、ひとつ根本的な疑問があるんだけど」

「遠隔起爆ならすでに試みました。彼の自爆行為スーサイドは、何らかの手段によって封じられています」


 自らの有能さを示すみたいに、人型珪素模型クロノイドの口角が得意げに吊り上がった。にもかかわらず彼の口調は淡々としていて、そのアンバランスな対比が不気味に感じられないと言ったら嘘になる。


 当然といえば当然なのだけれど、アンは彼女たちを殺害することに躊躇ためらいを覚えないようだ。燃え盛る結い上げホムラ滑稽な髪飾りクレア、それに麗しき眠り姫この私が同じ見目形をしていることなど、彼の中では些末な事柄ですらないのだろう。


「聞きたかったのはそれじゃなくてさ。あのね、私たちは裁断ナンバリングされた大地をそう易々と越境できない。私はそういう認識で生きていたんだけど、それって間違ってたかな」


 それは昔々の物語。


 かつてこの世界を半壊させた、大禍ヴォルテクスと呼ばれる厄災がある。時に"第三次世界大戦"ともラベリングされる人々の過ちは、ヒト科生息圏の72パーセントを未来永劫の汚染区域アフターマスへと変えてしまったのだ。


 国境という国境は瞬く間に曖昧になり、国家という国家は解体を余儀なくされた。歴史愛好家の見解によれば、国という守るべきカタチを失った人々の帰属意識ジンゴイズムが、更なる暴力の奔流を生み出したという説が有力視されている。


 悪循環を続ける二次災害カオスに終止符を打ったのが"老人衆"──いわゆる"政府"だった。歴史の表舞台に突如として現れた、得体の知れない統制機関だ。


 では彼らは、どのようにして不毛な争いを治めたのか。


 政府は残された大地を108つに裁断ナンバリングすることで、混迷する人々に新たなる秩序を授けたのだ。"大空の番人"と揶揄される広報用球体型全面液晶イクリプスビジョンを各地に据え、大衆がエリア間の移動を行うことを禁忌タブーとしたのである。


 私の知っている正史ヒストリアの大筋は以上のはずだった。意図的に制定された不自由が、行き場のない帰属意識ジンゴイズムを鞘に収めるだなんて皮肉な史実だけれど──。


「いいえ、エリカの認識に間違いはありません」

「だったらどうして、ホムラとクレアは禁忌タブーをすり抜けられたのかな」

「ほんの数ヶ月前までは、エリカの認識が我々の固定観念スタンダードだったということです」


 やたらと芝居がかった様子で、アンは肩を竦めてみせた。憎々しげな振る舞いと完成された外観が、まさに不釣り合いを極めている。


輻輳する大海原ワールドウェブへの潜行調査を試みた結果、理に抗う子供イノセントゲリラと名乗る義賊の存在を確認しました。義賊一味は裁断ナンバリング接合クリアする何らかの技術を保有し、老人衆による統治社会に嫌悪する姿勢ヘイトを表明しています」

「ちょっと待ってよ。それって彼女たちがテロリストだってこと?」

「肯定します。理に抗う子供イノセントゲリラは、雪白ゆきしろホムラを筆頭としたテロリスト集団です。現段階での活動内容は極めて小規模で、機密事項として最深海溝アンダーグラウンドに沈められていますが」


 私と同じ顔をした人物が、改革思想テロリズムを掲げて暗躍している? にわかには信じがたい事実を前にしても、アンの無感情な声音は対岸の火事をアナウンスしているみたいに冷ややかだった。


「政府機関への報告は済んだ? 急襲されたんだもの、場合によっては救難要請も」

「エリカはお忘れでしょうか。人類虐殺シンギュラリティの執行者である私に、頼るべき機関など存在しません」


 軽はずみなアイデアを口にしてしまった私は、己の浅はかさを恥じた。それと同時に、このエリア096がターゲットにされた理由にも思い至る。


「そっか。政府から孤立した私たちだからこそ、義賊の標的にされたのかもしれないね」

「ええ、ある意味において、私とエリカはこの世界に二人きりですから」

「……なによそれ。甘美な言葉を吐きたいロマンチストになりたいなら、他の相手を探したほうがいいと思う」


 跳ねた心臓を誤魔化すために、涼しい顔をした人型珪素模型クロノイドを思いきりめつけてやった。果たして彼はいつまで、美貌イレモノを通して私と向かい合うつもりなのだろう。


 時を100年も遡れば、船乗りたちは伝声管パイプフォンを挟んで意思の疎通を図っていたという。今の私に必要なものは、縦横無尽に張り巡らされた伝声管パイプフォンなのかもしれない。


「エリカ。例えばこの先ずっと、この私と二人きりだとしましょう。その場合、貴女に何か不都合はありますか?」


 いつになく饒舌なアンの、蒼い瞳の奥を覗き込んでみた。当たり前だけれど、そこには何の感情も浮かんでいない。ただ困ったような顔をして、答えを探している私が映っているだけ。


「……ううん、なんにもないと思う。不都合なことなんて、この先ひとつも」


 正体不明の感傷が、私の声を震わせていた。向かい合う私たちのあいだに、ほんの少しの沈黙が流れる。琥珀色の脳アンバーらしからぬこの静寂が、意味するものは一体なんなのだろう。


「エリカにはなくとも、私には不都合があります」


 あくまでも無感動な表情で、アンが切り出した。


「貴女はいつか、『老い』にさらわれていくのです。それは老化と云う名の絶対アブソリュート百年後の孤独プロミスド・アロンは、必ず私に訪れる」


 私は、人型珪素模型クロノイドが醸し出す迫力に圧倒されていた。もっともそれは幻視さっかくのようなもので、私の運動性言語中枢ブローカ知覚性言語中枢ウェルニッケが、彼の見目形に惑わされているだけに過ぎないはずだった。


「……大丈夫だよ、アン」


 この先に続く言葉を絞り出すには、わずかな勇気を必要とした。だけど伝えよう。アンの不都合を埋め合わせる手段なら、この閉ざされた世界に溢れているのだから──。


「寿命にさらわれた私に、あなたは延命処置ニア・スリープを施してくれればいいの。もしも失敗しちゃったらさ、私を手元に残せばいい。天才の代名詞アインシュタインの脳みたいに。350年間の異端者ガリレオ・ガリレイの中指みたいに。歴史的負傷者シッケル少将の脚みたいに」


 無責任なホルマリン漬けの愛を、私は提案する。アンが、何かを恐れているように感じられたから。感情に酷似エミュレートした論理回路サーキットが、彼に何らかの揺らぎエラーを生み出しているのかもしれなかったから。


「エリカの申し出を嬉しく思います。しかしそれらの行いは、人間が人間を埋葬する行為とどのように違いますか。私が貴女を棺に納める行為と、一体どれほどの差異がありますか」

「アン、どうしたの。やっぱりちょっとおかしいよ。一旦、感情の算出トレースを止めて」


 私の脳裏に今度こそ、虫喰いバグに侵された論理回路がありありと想像された。穴だらけになったリンゴのように、痛々しくメッキの剥げ落ちた心臓ブリキックハートが。


「エリカはご存知ありませんか。賢人たちの生体遺産グレート・ラビッシュの多くは、大禍ヴォルテクスの際に失われています」

「永遠の定義の話? 私はね、そんな話がしたいわけじゃないよ」


 私は彼のほうへと身を乗り出して訴えた。けれども、その先がうまく言葉にできない。今のアンは分からず屋で、屁理屈をこねる子供のような印象さえ受ける。やっぱり今こそ、私たちには伝声管パイプフォンが必要なのかもしれなかった。


「……ねぇ、少し風に当たってくるよ。上甲板アッパーデッキにいるから」

「それならばご安心ください。沈みゆく豪華客船タイタニックを建造した覚えはありませんから」


 アンにしては上出来な比喩ジョークが、逃げるようにして立ち去る私の背中を冷たく射抜いた。




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