EP02-02





 崩れた煉瓦ジェンガのようにうず高く積み上がったCUBEの上甲板てっぺんから、縦横無尽に伸びる鋼鉄の道を見下ろした。すぐさまに自嘲がこみ上げてくる。拡張絵馬カレイドスコープの中で再生されるあの日と同じで、臆病者の私が逃げ出すのは決まって高い場所なのだと。


 ちりちりと焼きつく直射日光と、動力炉のファンみたいに容赦のない風が私を弄ぶ。思えば、陽射しや自然風のもとに晒されるのはずいぶんと久しぶりだった。私はアンの言うように、知らず知らず寝癖だらけの淑女スリーピング・ビューティへの道を突き進んでいたのかもしれない。


「待って、ちょっと待って」


 ぶるぶるとかぶりを振りながら、私は突然に独りごちた。何気なく頭に思い浮かべたアンが、首無しの支配者デュラハンから蒼穹の瞳をした青年クロノイドへと上書きされてしまっていたからだ。


 彼が人型で在ることに、意義なんて何もないはずだった。裏を返せば、彼が肉体を有していないことにも。


 それなのに今の私は、人型珪素模型クロノイドの蒼い瞳に複雑な動揺を覚えている。罪悪感にも似た感情が、私を責め立てては苛立たせた。


「何もかも全部、ホムラとクレアのせいでしょ?」


 私の愛していた静寂の世界に、不協和音をもたらしたのは彼女たちなのだ。そう自分自身に言い聞かせるような、ひどく恨めしい声だった。


 完璧に噛み合っていた歯車が、少しずつ軋んで狂い始めている。義賊だか何だか知らないけれど、理由の見えない彼女たちの侵略が、理不尽で憎らしくて仕方なかった。


「……ほんとうに、いやになるね」


 もう自覚している。麗しの眠り姫スリーピングビューティーを気取っていた私の中に、いつの間にか沢山の探究心が芽生えてしまっていることを。


 例えば私の見目形が、どうして彼女たちと同じであるのか。例えば自立型機械スタンドアロンを束ねる琥珀色の脳アンバーが、今さらヒトの形骸カタチを成して私に寄り添おうとするのはなぜか。


 平穏を望む心とは裏腹に、ホムラとクレアの再来を願っている自分もいる。乱れてしまったハーモニーを元に戻す音叉キーがあるとしたら、その原因を作った彼女たちが握っているに違いないのだ。とにかくそう決めつけて、この迷いをしずめてしまいたかった。


 私のよこしまな願いは、この数秒後にあっけなく叶うこととなる。

 見下ろした視界の片隅に、颯爽と走り抜ける二つの人影を見つけたのだ。


 眼下には、特徴的な赤い髪が揺れていた。彼女たちは目を疑うような疾さで鋼鉄の道メインロードを駆け抜けている。見慣れない形をしたブーツが、人間離れした推進力を二人に与えているのだと遠目にも分かった。反重力技術アンチグラビティか、あるいはもっと原始的な仕組みを応用しているのか。何にせよ、空気銃エアダスターのような役割を果たしているのは間違いなさそうだ。


 加速装置の原理を推測しながらも、私は条件反射で走り出していた。身の危険も顧みず、下層のCUBEへと迷いない跳躍を繰り返していく。


 着地のたびに衝撃が走り、なまりきった身体のあちこちが悲鳴を上げた。アンは彼女たちを補足できているだろうか。戦騎兵が迎撃していないことを考慮すれば、怪しいところだ。


 疾駆する彼女たちは、どうやらこちらを目指しているようだった。瞬く間に、二人の表情が目視で確認できる距離にまで接近する。最下層のCUBEから飛び降りるのと同時に、私は腹の底から叫んだ。


「ホムラ、クレア、そこで止まりなさい!」


 鋼鉄の道メインロードの上で、私の生き写しドッペルゲンガーたちと対峙する私。電撃銃テーザーすら所持していないのだから、これは無謀な選択以外のなにものでもなかった。しかし不思議と、恐怖は感じない。同じ顔貌かおをしているという親近感が、根拠のない安全性セーフティを錯覚させている可能性もある。


「やあ、はじめましてお姫様。の名前を知ってくれているとは光栄だ」


 私の呼びかけに勝ち気な眼差しで応じたのは、クレアだ。『俺』という一人称セルフレイトを選択していても、対衝撃加工ラバーコーティングされた戦闘服には見慣れたボディラインが浮かび上がっている。


 私と同じ大きさの胸元から何かを取り出そうとした彼女を、隣のホムラが制止しながら言う。


風景模写ヴィネットによく似た機能で観測してたんでしょ? 私のパートナーに解析してもらったの。だけれど、礼儀は礼儀だから名乗らせてね。私は雪白ゆきしろホムラ。そしてこっちがクレア。ようやくキミに出会えた今、一体何から話そうかってところ」


 ホムラは人懐っこい笑顔を浮かべていたけれど、どこか凛とした芯の強さを感じさせた。それでもアンからの情報リークがなければ、彼女が義賊だなんて発想は到底生まれないだろうけれど。


 彼女のテロリスト仲間が解析したというのは、おそらくT-6011の情報配列のことだ。機体の構築概念を隅々まで洗って調べ上げるのは、工学技術泥棒テクノロジーハントの基本中の基本だから。


「……私の名前はエリカ。ふざけた侵入者に安眠を妨げられて、とても不愉快です」


 ホムラへの当てつけとして、告げる必要性のない名前をあえて名乗る。すると不快感を隠そうとしない私を見て、クレアがどっと吹き出した。彼女はレンズの奥の瞳を、上機嫌に細めて応じた。


「お前の言い分も当然だな。合わせ鏡みたいなホムラに初めて出会った時、俺も不快感をあらわにしたものさ。双胎ダブルだろうが品胎トリプルだろうが、その苛立ちに大きな差はないはず」

「クレア、悪いけどちょっと黙って。余計に眠れなくさせてどうするつもり」

お姫様チャーミィを眠れなくさせているのはホムラだろ。そもそも勘違いしてもらっては困る。俺は決して、ホムラの選択リベラルに賛同しているわけじゃない」


 情報量の多さに混乱する私を差し置いて、ホムラとクレアは険悪に睨み合った。同じ塩基配列をしていれば、阿吽の呼吸で分かり合えたりするイメージだけれど、そういった希望的通説ステレオタイプはどうやら幻想らしかった。


「……できれば、順を追って説明していただけるとありがたいのですが」

「困惑させてごめんね。今ので察しはついたと思うけど、クレアはオツムが弱くて」

「は? この俺が居なかったら、お前はあの機械兵ワームられていただろうが」


 クレアが激しい剣幕でホムラの胸ぐらを掴んだ。"彼女には効率主義に基づいた行動パターンが目立ちます"と分析していたのは、どこの誰だったっけ。


 それはさておいて──。


「あの、ワームという呼び方はあんまりじゃないですか? 彼ら戦騎兵スタンドアロンは、そのそれぞれが高度な判断能力を持ったテクノロジィの結晶です」


 あくまでも一定の距離を保ったままで異議を唱えた。アンの統率する戦騎兵を、よりにもよって芋虫ワームなどと揶揄されたことが私のちっぽけなプライドに障ったのだ。


「俺には理解できない。粗悪品を芋虫と呼んでなぜ非難される」

「っ! あなたねぇ──」


 丸腰であるにもかかわらず、私はクレアへと突っかかった。その私とクレアの間に立つようにして、ホムラが衝突を遮る。私たちを宥めるように首を振ってから、ホムラは複雑な面持ちで切り出した。


「実はその点について、エリカに尋ねたかったの。このエリア096は、かつて技術的特異点シンギュラリティに一番近いとされるほどに最先鋭の機械生体学ロボトミカルを誇っていた。それなのに、その中心部をまもるように配置された機械兵たちが、歴史的遺産アーティファクト並みに低スペックなのはどうして?」


 思ってもみない問いかけに、私は目を丸くする。


 ホムラとクレアに再会して、私は胸の中のもやもやをすべて晴らすつもりでいた。けれどそういった淡い期待こそが、とんでもない思い違いだったのかもしれない。


「ホムラ、それにクレア。あなたたちは要するに、自立型機械スタンドアロンの性能がまるで試作機プロトタイプみたいって言いたいの?」


 芋虫ではなくて、試作機。

 慎重に言葉を選んだ私の問いかけに、ホムラは神妙な態度で頷いたのだった。





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