EP01-03





 散々にアンを困らせてしまった私は、いたずらに広い超特大規格のベッドの上を漂っていた。エリザベスサイズのマットは、その端から端まで10回ほど寝返りを打てる大きさがある。


 人類虐殺シンギュラリティに見舞われたこのエリアでは、私以外から寝具の需要がない。だからアンが特別に建造してくれた就寝用の立方体ルームはいつだって貸し切りで、私は気の済むまで転がって童心に帰ることができるのだ。


 けれど、どうしても眠りに落ちることができなかった。私がこうして怠惰の海に溺れている間にも、実弾をばら撒く私の生き写しドッペルゲンガーたちは侵攻を続けているのだろうから。


 ああ、なんと中途半端な現実逃避だろう。

 童心に帰るどころか、私の中身は永遠に子供のままピーターパンなのではないか。


「アン、聞こえるかな。手を焼かせてごめんなさい。ごめんなさいしか言えない」


 思ったままはだかんぼの言葉で、頭上の虚空へと呼びかける。私は彼の応答を待つあいだにさえ、見慣れた天井に彼女たちの姿を思い描くことができた。たった数分観察しただけに過ぎなくても、その見目形は私と瓜二つなのだから。


 あの二人はそう、情報伝達と再建築コピーライトに頼るまでもなく合わせ鏡コピーライトだった。つまり私たちは、双胎ふたごではなくて品胎みつごということになるのか。


 エリア096が滅びたあの日より前の拡張絵馬カレイドスコープが残っていれば、私と彼女たちの生き別れる光景が記録されていたりするのかもしれない。沈痛な面持ちなど浮かべながら、今生の別れを受け入れる悲しみの記憶が──。


 取り留めもなく考えを巡らせていると、ようやくアンから応答があった。


「エリカに謝罪の必要はありません。年頃の娘には、一人きりになる時間も大切なのです」

「なにそれ。どこで覚えてきたの」


 まるで人の親のような台詞分かったようなことを言うアンに、私は目を丸くした。


「つい今しがた、輻輳する大海原ワールドウェブからラーニングしました。何かおかしな点でも?」

「ううん。年代物のファミリードラマに触発されたのかなって」

「いえ、引用元は教育関連キッズトレーニングの書籍です。そのタイトルを『思春期の子供ピノキオの育て方』と言います」


 思春期なんてとっくの昔に終えていたつもりの私は、今度こそ盛大に吹き出した。この緊急事態エマージェンシー最中さなか、アンが私のために処理能力メモリを割いてくれたという事実に胸があたたかくなる。


「ステキな引用だったね、心の優しい人が書いたのかも」

「作者の道徳的観念がどうであるかはさておき、輻輳する大海原ワールドウェブにはあやかるべき叡智インテリジェンスが溢れています」

「まったく、ヒトへの評価が高いんだか低いんだか」


 今や人類代表となった私には、彼のムラだらけちぐはぐな聡明さが愛おしかった。憎むべきかたきと長い時間を過ごすうちに、永遠の子供ピーターパン空を飛ぶ欲求を失自室に引きこもってしまったのだ。


 だけど、私はそれで構わない。

 一点の曇りもなく、この静かな日々を愛していると思える。


「ねぇアン。今度はきちんと向き合うよ。アンが言うところの、One Electronほんのわずかの狂いもない現実に」

「現実と向き合ったところで、有効な解決策が見つかるとは限りませんけれどね」


 この期に及んで身も蓋もない返答をしてしまうアンは、まぎれもなくポンコツだった。史実においても偉大なる名画家レオナルド・ダ・ヴィンチは、言語処理コミュニケーション能力に乏しかったとされている。


「しかしエリカ、過度の心配はなさらなくて結構。深刻な危機はすでに去りました」

「それは……。え、殺したって……こと?」


 ハチの巣になった自分の姿を、脳裏に描いて青褪めた。

 銃槍だらけの私が、無数の真っ赤な花を満開に咲かせて横たわっている。


「いいえ、彼女たちが戦略的に撤退したのです。二人はその去り際に、戦騎兵スタンドアロンのひとつを拘束していきました。被害機体の固有識別記号シリアルは、T-6011」

工学技術泥棒テクノロジーハントか。戦果はそれで充分ってことなのかも」

「予備動作のない見事な電撃網スタンでした。寝て過ごしてばかりの貴女にも、あれほど高度な戦闘技術を身につける伸びしろがあるということですね」

「うるさいわね」


 アンの天然ジョークが炸裂して、またもや緊張感をぶち壊した。彼が私を比較対象に用いたということは、やはり彼女たちが私と同じ塩基配列A T G Cを有しているということだろう。


「うーん。それにしても目的が見えてこないね。最初から自立型機械ロボティクスの誘拐が目当てなら、派手に暴れたりしないはず」

「撤退の判断を下したのは、クレアと呼称されていた個体でした。彼女には、効率主義に基づいた行動パターンが目立ちます」

「クレアって名前なんだ。それってどっちのこと?」


 考えてみれば当たり前だけれど、合わせ鏡コピーライトの私にだって個体識別のための名前が与えられているのだった。その事実が、少しだけ私の心を落ち着かせる。未知なる対象に呼び名を与えることで、ロジカルな思考力を得ることができるのはヒトも機械も同じ。


燃え盛る結い上げブラッド・ポニイテイルがホムラ。滑稽な髪飾りカリカチュア・ボブがクレア。彼女たちは互いにそのように呼び合っています」

「アン、あなたって悲しいほどに二つ名を付ける才能ネーミングセンスがゼロ」


 論理的処理のためとはいえ、哀れな二つ名で認識されていた彼女たちに同情を覚えた。二人にも乙女心があるのなら、名称未確定Unknownのほうがマシだと声高に主張するはずだ。


「ではこちらはいかがか。寝癖だらけの淑女スリーピング・ビューティ、エリカ」

「あのね、アンに実体があったら間違いなく掴みかかってるよ」


 ふわりとカールさせた私の髪は、決して寝癖なんかじゃない。食ってかかる肉体が彼にない代わりに、私は両脚をバタつかせて猛抗議した。


「もしかするとエリカは、ふれ合いや営みスキンシップをお望みなのですか?」

「は? はあっ?!」


 アンが突拍子もないことを言い出して、私の声が完全に裏返った。ここが寝室であることも、気不味さを感じる一因となっている気がする──って何だ、私もポンコツなのか。


「出てって」

「しかしまだ、今後の対策について話し合っておりません」

「いいから出てって! 寝癖を直すんだから」


 またぞろ「呼吸が乱れている」だなんて言われる前に、アンに退出ログアウトを要求する。形容しがたいむず痒さに寝返りを重ねると、私がまだ愛すべき静寂に包まれているのだと強く実感できた。




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