EP01-02





「アン、すぐに拡張空間オーグメントを展開して。もちろん、処理項目パフォーマンスは最大で」

「提案の一部に賛同できません。立方体CUBEの外部が未知の状況であることから、貴女の身の安全が懸念されます。同時に三原則リーブラの観点からも、全知覚フルセンスでの展開には反対します」


 少しだけ逡巡するも、頭でっかちなアンを論破するのは無理だと判断した。


「分かった。視覚と聴覚、それから嗅覚以外は排斥はいせき仮想投身器サークレットも使わないって約束する。この条件なら、どう?」

「その妥協案を採用しましょう。私と貴方の友好的関係はこれからも続きます」


 アンは自らの巨大な論理回路サーキットを駆使して、私たちが位置する立方体の中央に再現階層レイヤーを構築していく。彼の思いやりを受け入れて、今回の再現性クオリティはレベル2。それにしても、妥協案だなんて言い方はあんまりじゃないか。先を急いでいるから、わざわざ口にはしないけれど。


 再現階層レイヤーが構築される原理は至極単純で、端的に言い表すなら情報伝達と再建築コピーライトの一種だ。気取った表現をすれば構成要素の書き写しレオナルド・ダ・ヴィンチ。ここで肝要なのは、天才のお絵描きが原子論哲学デモクリトスの領域で行われる究極複製アルティメイトだということ。


 遠く離れた出来事でも、たとえ時間軸さえ飛び越えていても──世界を構成する情報クォークやレプトンさえあればアンは拡張空間オーグメントを展開できる。彼が琥珀色の脳アンバーとしてこの居住区の支配者たりえるのは、並外れた処理能力を持つこの論理回路サーキットあってこそなのだ。


 空間座標、大気の振動、光波の揺らめき。琥珀色の脳がそのすべてを書き写していく。

 漂う匂いも、生命の塩基配列も、何もかもすべてを書き写していく。


 情報伝達と再建築コピーライトの果てに新世界が創造されていく様を、固唾を呑みながら見守る私。その緊張の糸が弛む暇さえも与えず、幾重もの再現階層レイヤーによって組み上げられた拡張空間オーグメントは完成した。


 それはまさに生まれたての架空五秒前仮説の世界

 アンの極限計算エミュレートによって導かれた並行世界パラレルワールドだ。


 今にもぜてしまいそうな、侵入者たちへの好奇心が私を駆り立てる。私は"構築終了コンプリート"を告げるアンの言葉も待たずに、拡張空間オーグメントの内側へと足を踏み入れた。





 √───────────────────√





「ごめん、正直かなりキツい。援護を頼む」


 燃えるような真紅の赤髪を結い上げた女が、見慣れないデザインのバングルに向けて話しかけた。手首に填められた物々しい雰囲気のバングルは、おそらく通信機器の役割を兼ねているのだろう。つまりはSOSを発信したのだ。彼女は苦悶の表情を浮かべていたけれど、この窮地をどこか楽しんでいるようにも見えた。


 彼女を包囲している物体は、四体の戦騎兵スタンドアロンだ。彼らは自走式の量産型機械ロボティクスから成るアンの私兵団で、CUBE周辺を絶え間なく自動警備している。鋼鉄の道ベストコンディションによって機動力を上げた戦騎兵スタンドアロンたちが、不法侵入者である彼女を排除しようと一斉に襲いかかった。


 しかしその動線上に、強烈な閃光フラッシュ


 一閃の光に続いて、耳をつんざく射撃音が連続でとどろいた。消極的観測者サイレントルッカーを決め込んでいる私に、素敵な耳鳴りがプレゼントされる。


【救援者によって24発の実弾が発射されました。各戦騎兵が合計18発を被弾。電撃銃テーザーであれば無効化も可能でしたが、実弾銃ライフルであることが災いしました】

【要するに鉛玉ってこと? 残滓収集家アンティークコレクターもびっくりね】


 火薬の匂いに包まれながら、アンによる実況に軽口を返す。解説者キャスターじみた彼のサポートが適切なのかどうかは、あとで議論する必要がありそうだった。


 なぜなら今の私には、から。


 立ち昇った硝煙の陰から、救援者とおぼしき人物が声を発する。


「お前は馬鹿なのか? 後先考えずに突っ込んでいたら、また傷痕が増えるだけだぞ」

「だからゴメンって。次からは気を付ける」

「いつまでも次があると思うな。命はたった一つだ」


 辛辣な言葉を並べる救援者の声も、やはり女性のものだった。が侵入したと、アンは事前にそう報告したのだ。それが事実ならば、性別の一致も当然のことだろう。視界が晴れていくにつれて、彼女の姿が明らかになった。


 救援者である彼女もまた鮮やかな赤髪で、その前髪はキャラ物の子供じみた髪飾りブローチで留められていた。私が初めて目にする滑稽カリカチュアな出で立ちのキャラクターは、どこか別のエリアで流行しているものなのかもしれない。


 視線を下ろせば、理屈屋さんインテリチックなデザインをした線の細い眼鏡が印象的だった。脆弱なフレームの奥から、意志の強い眼差しが睨みを利かせている。策もなく突貫した同胞を、容赦なく責め立てているようだ。


 けれど彼女たちには、


【ねぇ、説明を求めるよ。これは一体どういうこと?】

【エリカ。先ほども申し上げたように、二人の質量はほぼ同量イーヴンを示しています。解析の限りでは、生体の塩基配列においても相違を確認できません】

【双子って意味よね。それは見れば分かるよ】


 アンの解説に苛立ちながら、私はまたも軽口を叩いた。

 彼の分析に頼らずとも、侵入者二人が双生児ダブルであることは明白だったのだ。


 だから私が尋ねているのは、そんなことじゃない。

 彼女たちが双子だとか、そんな分かりきったことよりも!


【あ、もしかして趣味の悪い意地悪サプライズなのかな。こうやって私を混乱させて、記憶庫アーカイヴ巡りへの当て付けをしてるとか】

【いいえ。これは仮装大会ハロウィン人狼探しワーウルフ・ウォーのような余興ではありません。私はどんな時でも真面目で誠実。陰湿な笑みを浮かべて「ドッキリ大成功トリック・オア・トリート!」と騒いだりはしませんよ】


 アンがあまりにもポンコツ過ぎて、私は思わず額の仮想投身器サークレットに手を伸ばした。観測方針を能動的探求者ベルセルクに切り替えようとしたその瞬間、微弱な電流が私を貫いて誓約違反を戒める。


【エリカ、私は妥協案を採用したはずです】


 冷ややかな声音と共に、拡張空間が即時解体された。痛みを伴って指先が痺れている。CUBE内の見飽きた風景へと連れ戻された私は、声を荒げてアンを非難した。


「だってあなたが教えてくれないなら、自分で聞きに行くしかないじゃない! どうしてあの二人は、わけ? あれが生き写しドッペルゲンガーじゃなければ、まるで未知との遭遇スペース・ファンタジアよ。はぐらかさないできちんと答えてちょうだい」


 それは醜態もいいところだった。一方通行の駄々を捏ねる子供のように、私は動揺を抑えることができなかったのだ。そもそも私が醜態を晒す相手は、アン以外に存在しない。「だから許してほしい」だなんて、身勝手な想いさえ言葉にしそうになる。


「エリカ。誠に残念ですが、私は貴女が思うほどに万能ではありません」


 無機質な声音に悲しみを見るのは、持たざる者ヒトの錯覚なのだろうか。

 それともエゴ。希望的観測にも似た、まことしやかな幻想?


「愚かな私ですが、貴女の見た光景にOne Electronほんのわずかの狂いもないことを保証します。全能の大賢者アーカーシャには程遠い私が、貴女に教えて差し上げられる事実はその一点のみです」




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る