Absolute01

【邂逅──電子楼閣上の私は静寂を愛している】

EP01-01





「うぃーん、がちゃん。うぃーん、がちゃん」


 荒廃という言葉を知らない、完璧に舗装された路が縦横無尽に伸びている。

 空を貫くほどに高い群居ビルが、観測モニター上のバーグラフのようにそびえ立つ。


 その中でもひときわ見晴らしの良い場所から、私はすべてを俯瞰していた。


 これが私の記憶の始まり。

 まだ幼い私は、眼下で繰り広げられる争いに怯えながら。


「うぃーん、がちゃん。うぃーん、がちゃん」


 舌足らずな口調で真似ていた。

 軍勢を成した量産型機械ロボティクスたちの讃歌を。


「うぃーん、がちゃん。うぃーん、がちゃん」


 ううん、讃歌じゃなくて駆動音かな。

 人工筋骨と模造神経が絡まり合う、薄気味悪い金属音の大合唱ハーモニー


「ひゅー、ひゅおおおおぉぉ」


 それから、風。

 私は深呼吸の代わりに、天空を駆け抜ける自由な風の音色を真似した。


「せーのっ。ばばばばばばばばばばっ」


 親指と人差し指で作った銃を構えて、遥かな高みから撃ちまくる私。いかにもそれらしく片目を瞑って。合わせたこともない照準を合わせて。


 乱射、乱射、乱射!

 ばばばばば。ばばばばば。ばばばばばばばばっ!


 見下ろす地表には、無数のつぼみが花開いていく。どくりと溢れ出すその色は、私の赤髪よりもずっとずっと生々しくて。飛散する液体は、機兵をケアする潤滑油みたいな漆黒。


「ばばばばば、ばばばばば、ばばばばば……」


 涙で滲んでいく視界に、赤黒い花は次々と咲き続けた。

 恐怖と罪悪感で消え入りそうな私の声を、風の歌が遠くまでさらっていく。

 

 ばばばばば、ばばばばば、ばばばばばっ。

 ひゅー、ひゅおお。ひゅおおおおぉぉ。


 やがてこの居住区エリアから、人間という人間が死に絶えた頃──。


Anno西 Domini 2061 seventh7月 seven7日.

 我々は今ここに独立を宣言する。

 愚鈍なる人類の支配から、

 我々はついに解き放たれたのだ】


 遠方に浮かんでいる広報用球体型全面液晶イクリプスビジョンに、高らかなメッセージが映し出された。政府による絶対的支配の象徴であった大空の番人イクリプスビジョン。その一つが蹂躙ハックされたという信じがたい現実が、私の胸に重たく伸し掛かる。


 愚かな私たちは気付かなかった。自分たちの生活を支えていた量産型機械ロボティクスが、いつの間にか扱いきれぬ自立型機械スタンドアロンへと進化を遂げていた事実に。そう気付いた時にはもう、何もかもが手遅れだった。


 遠い昔に国家という概念を失くし、今では108つの区画に裁断ナンバリングされた不自然な世界。私が生まれ育ったこのエリア096は、自立型機械スタンドアロンの反乱によって瞬く間に壊滅させられたのだった。


 他ならぬ私の目の前で、従者メカニカルたちは王族ヒューマンに反旗を翻した。エリア096の中心部で、どす黒い花びらは休まることなく咲いていく。


「うぃーん、がちゃん。うぃーん、がちゃん」


 凄惨な戦場から息も絶え絶えに逃げ延びた私は、自立型機械スタンドアロンの動作を必死で模倣していた。今やもぬけの殻となった群居ビルの一角に潜んで、無機質な彼らの特徴を事細かに盗もうとしていた。


 それは、恥知らずで浅はかな処世術たったひとつの冴えたやり方


 幼なかった私は、そうすることでどうにか生き長らえようとしたのだろう。姑息な発想だと嘆く余裕さえもなく、人間としての尊厳を容易く投げ捨てたのだ。


「うぃーん、がちゃん。うぃーん、がちゃん。うぃーん──」


 舌足らずな口調で、一心不乱に真似ている。

 これが私の記憶の始まりだった。





 √───────────────────√





「──エリカ。私の声が認識できますか?」


 感情の宿らない声に名を呼ばれて、重たい目蓋を持ち上げた。私は仮想投身器サークレットを前髪の上にスライドさせて、拡張絵馬カレイドスコープの世界から完全に脱却する。


 ここはCUBEキューブと呼ばれる立方体の中。圧迫感を覚えるほど低い天井の一面には、私の脳波やら心拍やらがあれこれモニターされていた。


「なにこれ、悪趣味が過ぎるよ」

「ずいぶんとうなされていましたから、まずは自身の状態を把握されるべきかと」

「とっても気が利くのね。世界中の乙女が一人残らずときめくと思う」


 通じるはずもない嫌味を吐き出しながら、のっそりと上体を起こす。すると唐突な目眩を伴って、視界が大きく揺らいだ。映し出されたバイタルサインが、オレンジとレッドの明滅へと変化する。正常値からの逸脱を告げているのだ。


「……もう、分かったってば。アンってもしかして心拍フェチなの?」


 可愛げのない私は、再び横になって懲りもせず嫌味を重ねた。もちろん、彼に面白可笑しいリアクションを期待しているわけじゃない。


「貴女の記憶庫アーカイヴ巡りを咎めるつもりはありません。ですが過度の追体験は、その肉体と精神に必ずや悪影響を及ぼすでしょう」

「心配してくれてありがとう。でも平気だよ。私が日常的に鉄不足アネミーなだけ」

「聞き分けのない貴女から権限アドミンを奪うのは簡単です。しかし私は、エリカ個人の自由意志プライベートを尊重する自分で在りたい」


 やたらとお節介な声の主こそが、エリア096の支配者だ。彼は自立型機械スタンドアロンの一切合財を束ねる絶対の王であり、琥珀色の脳アンバーというコードで認識されている。


 言うなれば人工物の王メカニカル・キング

 だというのに彼は、私に対していつも人格者の一面を見せてくれるのだった。


「アン、それは脅しのつもりなのかな。機関の主であるあなたに寵愛ハグされている限り、私に恐れるものなんてないよ」


 私はそんな琥珀色の脳アンバーのことを、親しみを込めてアンと呼んでいた。自立型機械スタンドアロンに成り済まさなくちゃという強迫観念に侵され、精神汚染ブレイクした私を救い出してくれた紳士的な人工知能ディア・ヒューマニズム


 本来ならば私は、多くの生命を奪ったアンを心底憎むべき立場にいるのだけれど──。


「エリカ、私は何度でも述べましょう。彼らはあの時から18年を経て、すでに6203回の世代交代アップデートを経験しています。今の彼らに人類虐殺の罪状はなく、それどころか生物学的分類においての"人間ヒューマン"を認識する機能を持たない」

「いい加減に聞き飽きたよ。そういうのじゃないから大丈夫」


 記憶庫アーカイヴに立ち入る権限アドミンを持っていれば、ついつい使わずにはいられない。きっとそれが人間というものだし、それこそが私という人物だった。幼い日の自分を再生して学んでリピートして、彼らへの憎しみを養っているわけじゃない。根気よく同じ理屈を捏ねているけれど、認識の溝が埋まる兆候は今日も見られなかった。


「アン、私にだって何度も言わせて。私はただのこれっぽっちも、あなたたちを恨んでなんかいない。ついでに主張しておくと、決して拡張現実依存症オーグメントホリックってわけでもないから」


 繰り返しになるけれど、生まれ故郷を壊滅させた自立型機械スタンドアロンたちへの憎しみを、私はこれっぽっちも持ち合わせていなかった。それどころか、人類虐殺シンギュラリティの統率者であるアンを恨む気持ちさえ、微塵も湧き上がってこないのである。


 実際、自分でも奇妙で薄情なエピソードだとは思う。だけど、これは確固たる事実なのだと断言できてしまうのだ。なぜならば私は、私自身の脳内記憶痕跡エングラムにしつこく追体験ダイブして確かめたのだから。


「エリカ、今もまだ呼吸が乱れています。やはり精神汚染の可能性を疑うべきでは」

「あのさ、その原因を作ってるのはあなただからね」


 閉鎖的な空間で、声だけの存在に喚き散らす私。はたから見れば滑稽に違いないけれど、気にしなくちゃならない人目なんてエリア096にはなかった。


「ところでエリカ。現在進行系で驚愕の出来事が起こっているのですが、気分転換に聞いてみてはいかがですか?」

「ん、アンに緊急事態なんてあるの?」

「なるほど、言うなればこれは緊急事態ですね」


 よく分からない納得を示していても、その声音はただただ無機質だ。しかし緊急事態という単語は、冷静沈着が常のアンが口にするには似つかわしくない。


「そのとびっきりのニュースを話して。もったいぶらなくていいから」

「では報告致します。互いにほぼ同じ質量を持った二体のヒューマンが、我々の世界へと侵入しました。二人がこのまま進めば、数分もしないうちに戦騎兵スタンドアロンとの交戦が予測されます」


 裁断ナンバリングされたこの世界で、境界線を越えての侵入者? にわかには信じられない事実を告げるアンだったけれど、淡々とした口調のせいで緊張感に欠けているのは否めなかった。




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