EP03-03





 息ができなかった。複製体の私は108体も存在していて、それぞれの選択リベラルが誰かに監視されている? 狂人に制定されたジレンマの中の一つが、琥珀色の脳アンバーが支配する電子楼閣だとでもいうの?


「壮大な思考実験と仰いましたね。だとしたら、その狂人とやらの目的は一体何ですか。まさか、群像心理ドラマツルギーの実在でも証明したいと?」


 CUBEが立ち並ぶ、エリア096の風景を思い浮かべながら言った。問いかける声に、意図せず怒気がこもってしまう。


「知る術はないさ。私はすでに、絶対の審判員アレクサンダーの立場を降りているのだから」

「あなた自身が観察者であったかのような口ぶりですが」

「比喩ではなく、そう明かしているつもりだ」


 無機質アンチエーテルな眼球が私を直視した。私を値踏みしているようにも、冗談を言っているようにも見えない。けれど彼女の話した内容は、すんなり受け入れるにはあまりにも馬鹿馬鹿しいスケールで──。


「……まったく、本当にまったくですよ。とんでもなくユニークな作り話で、まるで誇大妄想狂メガロマニアの夢うつつですね。荒唐無稽が過ぎて呆れちゃいました」


 ナギさんの唐突な告白が、虫喰いだらけの妄言であってくれることを願いながらそう絞り出した。対する彼女は、顔色一つ変えずに漆黒の瞳を伏せる。


「私が自らの無謬性むびゅうせいを説くことも可能だが、その必要はあるまい。エリカ、お前はすでに揺るがない真実の片鱗に出会っている。ホムラとクレアを見て、他人の空似だと吐き捨てるのならばそれもまた一興だが」


 ナギさんの冷ややかな声音に、私は押し黙った。反論する言葉を失ったと表現したほうが適切かもしれない。すべて作り話だと笑い飛ばしてしまいたいのに、私と同じ見目形をしたあの二人が目の前にちらついてしまう。


 彼女たちの外見に、言ってしまえばその存在に、私がシンパシーを感じているのも事実だった。たとえそれが、何者かによって仕組まれた共時性シンクロニシティなのだとしても──。


「分かりました、ひとまずはナギさんの話を信じることにします。それであなたは、私に何を望むのですか? このまま大人しく人質になればいいのか、それともこの組織の鉄砲玉になれと言うのか。そのどちらにしても、私はタダ飯食らいゴクツブシにしかならないと思いますけれど」


 半ば投げやりに私が居直ると、ナギさんは白衣のポケットから小型の銃火器を取り出した。びくりと身構える私に、ハンドガンと思しき鉄の塊がそっと手渡される。クレアが使っていた実弾銃ライフルより一回りほど小さな銃のグリップは、非力な私の手によく馴染んだ。


「すでに述べたはずだ。私はお前の心に凪のような安らぎを望んでいると。信頼の証とするには安いが、持っておくといい。ミニマムながら殺傷力は保証する」

「こんなものが必要になる事態が、私に迫っているというわけですね」


 ナギさんはただ黙って首肯を返した。狂人の思考実験とやらから、突発的にはみ出してしまったこの私に。


 仄暗い気持ちで、ハンドガンをポケットに捻じ込む。次の言葉を探していると、忙しない足音がこちらに近付いてきた。


「ねぇナギ、これは何の真似なの。エリカへの説明なら、私がするって言ったはずでしょ」


 通路の方角から現れたホムラが、険しい剣幕でナギさんに詰め寄った。ああ、怒った時の私はこんな顔をしているんだなって、どこか他人事のように思う。


「放ってはおけなかった。他ならぬお前に関わることだ」

「そっか、思ってたよりも信頼されてないんだ。私はあなたのことを、心を通わせる恋人パートナーだって感じてたのに」


 ホムラの発言に、私の方が赤面してしまう。けれど二人の間に走っている緊張感から、決して惚気のろけているわけじゃないことが伝わってきた。


「私の知っている雪白ホムラという人物は、深い考えもなしに無謀な決断をする。だがその性質に相反して、他人に対しては何処までも誠実で慎重だ。この際だから結論まで告げよう。お前のやり方では、時間がかかりすぎると判断したまでだ」

「ナギには分からないの? たっぷりと時間を掛けて進めるべき事柄だって、沢山あるでしょう?」


 なおも食い下がろうとするホムラに、ナギさんは淡々と答える。


「理解した。お前が一人一人の複製体に時間をかけ続けた結果、私にも百年後の孤独プロミスド・アロンが訪れるわけだな。それならばいっそ私は、お前に百年でも千年でも謹慎を申し付けるべきだった」


 先ほどの私の独り言は、しっかりと聞かれていたようだ。深い場所を抉られたホムラは、俯いたままで歯噛みしている。叱られて小さくなった自分自身の姿を見て、私はどうにも居たたまれなくなった。


「あのねホムラ。ナギさんの行動には、きちんとした理由があるんだと思う。多分だけどナギさんは、あなたのことを本当に大切に想っているから」

「……はは、まさかキミに慰められちゃうとはね。でも参ったな。百年後の孤独プロミスド・アロンだなんて、赤ちゃんが欲しいって言われるよりもずっと深刻」


 百年後の孤独プロミスド・アロンとは、機械生命体と生身の人間の、絶対的な生存時間の違いを憂いて用いられる言葉だ。ナギさんもアンも、私たちの何倍も永い時間を稼動していく定めを背負っている。


 残して逝く者の悲しみと、残されてしまう者の悲しみ。そのどちらもが、天秤に掛けることさえ憚られる残酷な痛みのはずだ。わずかな沈黙が挿入されたあとで、ナギさんが口を開く。


「人はいずれ死ぬ。この私であっても、遥かなる時間の果てには朽ちるのだ。それが真理であり、ただそれだけのこと」

「ちょっとナギさん、その言い方はあんまりじゃ──」「──ただそれだけのことだと、私は認識していた。雪白ホムラ、お前に祝福されるまでは」


 ホムラがはっとしたように顔を上げ、私も思わずナギさんの顔色を覗き込んだ。彼女の声音に、寂しさや悲しさといった複雑な感情がにじみ出ていたからだ。


「私はお前を失いたくないのだ。そのためなら、どんな禁忌も厭わない」


 静かに紡がれたそれは、紛うことない愛の言葉だった。私の心臓がとくんと跳ねて、不思議な高揚感で満たされていく。自分が言われたわけでもないのに、身体の奥底からあたたかくなる。


「……嬉しいよ、ナギ。でもね、その考え方は間違ってる。少なくとも私は、間違ってると思う」


 瞳を震わせながら、ホムラが答えた。どうしてだか私の脳裏には、人型珪素模型クロノイドの蒼い瞳が思い起こされるのだった。




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