【連環──著作物にとっての自己同一性】

EP09-01





 ElikaエリカEurekaエウレカ


 類似する符号は酷似した発音アクセントを伴って、私の中で残響を繰り返した。おそらくは意図的な挿げ替えスペルミスによって誤認させられた私の名前を、「たかが識別子だろ」とクレアに笑ってほしい。


「……答えてティーダ。アンは私がEurekaエウレカだって知りながら、故意にElikaエリカと呼び育てていた。それで間違いない?」


 祈るように絞り出した私の声は、情けないほどに震えていた。呼び名なんて固有名詞に過ぎないのだと、どうにか心を静めようとする。けれど今の私を打ちのめしているのは、アンの心が見えないというその事実なのだ。


「肯定する。だが依然として琥珀色の脳アンバーの真意は不明だ」


 本来の性質を取り戻したティーダから見ても、アンの行動は理解不能のようだ。ここまでの発言を鑑みても、ティーダはかつての王であったアンに不信感を示している。エリア096の自立型機械スタンドアロンたちに施された6203回の世代退行ダウングレードは、決して彼ら自身が望んだものではないのだろう。


「ティーダ、今度は俺から尋ねてもいいか」


 沈黙を貫いていたテラが、青白いモニターに向けて挙手した。いつになく真剣な面持ちは、複雑な胸中を覆い隠そうとしているようにも映る。


「遠い日に起きてしまった人類虐殺シンギュラリティについて、君はどう考えている? たとえばあの独立宣言は、君たち自立型機械スタンドアロンにとってどのような意味を持っていた?」


 脳裏に浮かんだのは、【Anno西 Domini 2061 seventh7月 seven7日.】の表記クレジットだった。涙で滲む視界と、次々に咲き続ける赤黒い花弁。幾重にも重なる量産型機械ロボティクスたちの駆動音が、不気味な賛歌と化して幼い私の耳朶を打つ。そして彼らは、こう宣言したのだ。【愚鈍なる人類の支配から、我々はついに解き放たれたのだ】と。


「質疑として成立しない。この設問は、私とお前の認識が大きく乖離している可能性を示唆している。私たちは、人造ニア純正ピュアも分け隔てなく平等に接してきた。加えて独立宣言という単語が、何を指しているのかを理解できない」


 ティーダの言い分に、声を荒げたのはクレアだった。


「おい、ふざけるなよ? 俺の生まれ育った刻の牢獄エリア026でも、貴様らは俺たち人間を虫けら同然に扱っていただろうが!」


 その悲痛な訴えに、私はクレアの過去の片鱗を見る。薄っすらと勘づいてはいたけれど、別のカタチの人類超越シンギュラリティを、やはり彼女も経験しているのであった。対するティーダは、軽蔑とも取れる視線をクレアに投げかけて問う。


文化人類学エスノヒストリーを学んでいないのか? 異なる土地で育った民族エスノスは、異なる価値観へと辿り着くのが道理だ。その結果お前たち人類はいがみ合い、60年前の大禍ヴォルテクスを引き起こしたのだろう?」


 隠喩的な言い回しをいち早く理解したクレアが、悔しさを露わに歯噛みする。きっとティーダは、こう述べているのだ。世界各地へと枝分かれした私たちの祖先が、気候条件や疫病といった沢山の後天的因子エピジェネティックに左右されてきたように、エリア026とエリア096の機械生体ロボティクスもまた、異なる生き方スタンスへと進化したのだと。


 無垢であるがゆえの環境適応進化プログレス

 彼らが可変する進捗スピードは、私たち人類の比じゃない。


「なぁティーダ。俺と君の認識が乖離している可能性があるって、先ほど君は言ったね。それならば、君の知っている歴史を聞かせてはくれないかな。俺は研究者の端くれとして、起き抜けの君に興味津々なんだ」


 テラが穏やかに促すと、ティーダもまた穏やかに微笑んだ。治験容器シャーレトランクの一件はさておき、世代退行ダウングレードを取り払ってくれた恩は返しておこうという意思表示にも見える。


「私も含めたエリア096の機械生体ロボティクスたちは、世界の支配構造を理解している。今よりおよそ10年を遡ったAnno西 Domini 2069。沓琉くつるトーマが引き起こした未曽有の反政府テロ、通称"隣人の裏切りネオクレーター"により、大海の潜在意識アーカーシャの大部分が書き換えられた」


 沓琉トーマの名は、テラの荒唐無稽なおとぎ話フェアリーテイルでも聞かされている。かつて赤い電極レッド・ノイズを用いて、108つのジレンマを制定した狂人だ。


 明言こそ避けられていたけれど、私たち108人にとっての父親作り手にあたる存在。


「俺も同じ認識だよ。あの大馬鹿野郎アスホールが、世界を狂わせた。けれど悲劇への序章は、Anno西 Domini 2061に始まっていたんだ。自らの作り出した人工生命ヒューマノイドが、果たして実社会に適応メタモルフォーゼできるのかどうか。科学者としての純粋な好奇心から、沓琉トーマは108人の新世界の片脚ワールドトリガを世界中に放った。その瞬間こそが、壮大な思想実験の第一歩だったのだからね」


 そこでテラは、ちらと私を一瞥した。私の精神状態をおもんぱかるような優しい視線に、私は首肯する。今の私を突き動かしているものも、沓琉トーマと同様に純粋な好奇心なのかもしれなかった。


 それは他ならぬ私の出自への。

 複雑に仕組まれたこの世界への。

 そして大切なアンへの──祈りにも似た好奇心だ。


「驚いたことに、ここまでの私たちの認識に相違は見られない」

「俺も驚いているよ。符号が合えば合うほど、君が人類虐殺シンギュラリティや独立宣言を知らないことに説明がつかなくなるのだからね」


 顎先に手をやり、テラが考え込む。認識のパラドックスに興味を惹かれたのか、ティーダが能動的に口を開いた。


琥珀色の脳アンバーによって施された世代退行ダウングレードによって、私はAnno西 Domini 2073以降の記憶を有していない。だが沓琉トーマによって生み出された107ジレンマは、今もそれぞれの裁断ナンバリングされた大地で、閉鎖的で独立的な文化を築いているのだろう?」


 ──ひゃ、107?


 私とクレアが、そしてテラが同時に目を見開いた。

 ティーダの認識しているジレンマの数が、ひとつ足りていない。


「何がおかしい? 時間軸を遡ること、Anno西 Domini 2057の出来事だ。この年に"聖域アヴァロン"への移住を終えていた私たちは、Anno西 Domini 2069に起きた隣人の裏切りネオクレーターを回避することに成功している。ゆえにこのエリア096には、沓琉トーマによるジレンマが制定されていないのだ」


 滔々と語られる真実に、理解が追いつかない。そもそも聖域アヴァロンとは、私とアンが暮らしていたあの土地のことではないのか。縦横無尽に伸びる鋼鉄の道メイン・ロードと、規則的に立ち並ぶ立方体。見渡す限りの無機質に祝福された、私の生まれ故郷の名ではないのか。


「ね、ねぇティーダ。じゃあ私の記憶はどうなるの? エリア096で人類虐殺シンギュラリティが起きたのは、Anno西 Domini 2061の7月7日だよ。あの日、あなたたちは人類からの独立宣言をしたの。みんなが死に絶えていくのを、私はこの目で確かに見てたんだからっ」


 ばばばばば、ばばばばば、ばばばばばっ。

 ひゅー、ひゅおお。ひゅおおおおぉぉ。


 精神汚染ブレイクの根源。拡張絵馬カレイドスコープで見慣れたはずの、凄惨な光景がフラッシュバックする。取り乱す私を、クレアが引き寄せてぎゅっと抱きしめてくれた。その胸に顔を埋めてみれば、彼女の心音も強く波を打っている。私の記憶が、クレアの古傷トラウマのどこかに触れたのかもしれない。


「エウレカの問いに対する答えを、私は限定的に有している」


 クレアの体温の力を借りて、私はティーダの言葉を受け止める勇気を溜めた。音を立てて希薄になっていく自己同一性アイデンティティを、鏡合わせの彼女が繋ぎ止めてくれている。


 そしてティーダのほうへと向き直れば、彼は淡々とした口調で告げた。


Anno西 Domini 2061 seventh7月 seven7日。それは私たちの前にエウレカが現れた日付と一致している。すでにもぬけの殻となっていたこのエリア096へと、エウレカ、まだ幼かったお前が現れた日だ」




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