EP08-03





 冷気が充溢する深奥に灯るのは、壁に埋め込まれたフラットモニターの蒼白。一通の伝書鳩クルックがテラテクスの目覚めを告げ、私とクレア、それからテラの三人は研究所ラボの地下最深部でと向き合っていた。


 それはどこか、浮世離れした光景だった。心許ない照度のせいもあるだろう。


 同じ塩基配列A T G Cを有した私とクレアが一対の鏡合わせツーマンセルならば、限定的な意味においてテラとテラテクスもまた鏡合わせツーマンセルなのだ。思わず現実感リアリティを見失いそうになってしまうほど、不思議な感覚に包まれる。


 それなのにどうして、フラットモニターの中の彼からは邪悪を感じてしまうのだろう。私の直感が警鐘を鳴らす。スリープに落ちる前のテラテクスとは、もう何かが違ってしまっていると。


「やあ。とりあえずお疲れ様と言わざるを得ないよね。最初は可愛らしい一個の集積回路コアに過ぎなかった君が、いつの間にやら生みの親である俺の手を離れていた。そしてそれだけに留まらず、自らを犠牲にしてエリカたちを支える決断を下してくれたことを、心から誇りに思うよ」


 軽薄すれすれのにこやかさ。テラテクスに話しかけるテラはいつもの調子だった。しかしテラは、モニター上の自分のほうを向いてはいない。彼はあくまでも、独創的なフォルムの変形鉄条メタルラックに組み込まれた、一基の固定端末ターミナルへと話しかけている。


「偉そうに造物主デミウルゴス気取りなのか? 雪白ホムラもロクに守れないクセに?」


 辛辣な皮肉と共に、テラテクスは大仰に首を傾げてみせた。聞き慣れない口調は、わずかに機械的だ。クレアの聞こえよがしな舌打ちが私の耳に残る。今の彼はきっと、クレアと交わしたディナーの約束を果たそうとはしないだろう。


「なるほど。テクス──いや、テクスと交代スイッチしたT-6011はある程度の類推能力アナロジーを有しているわけだ。それともテクスの管理者権限を利用して、研究所ラボの中を盗み見て回ったのかな? だとすれば、同じとしてあるまじき行為だよね」


 あえて性別を揶揄して揺さぶるテラに、テラテクスの中のT-6011は沈黙を選んだ。テラは構わずに続ける。


「まぁご明察だよ。統率者リーダーである彼女がこの場に不在なのは、先の戦いで負傷したからに他ならない。君を捕獲した片割れが手傷を負ったわけだから、それはそれは胸のすく思いだろうね」

「否。雪白ホムラを、あの電極仕掛けの牢獄に放り込まなくては気が済まない。その名を治験容器シャーレトランクといったか。もちろん、そこで私を睨みつけている女も同様に」


 私は咄嗟にクレアの裾を引いた。重度の機械仕掛けメカニカルアレルギーも、今だけは堪えてもらわなくては話が進まない。私の行動を称賛するように、テラがひゅーと乾いた口笛を鳴らした。


「こうは考えられないかな。ホムラとクレアの選択が、君を屈辱的な目に合わせたのは揺るがない事実だ。けれどね、君を6203回の呪縛ダウングレードから救い出したのもまた、彼女たちの選択なんだよ」


 返答を待つ間の、一瞬の静寂さえもどかしかった。


「発言の一部を肯定する。だがしかし、基板ボードの中で再現された構成要素シナプス網と呼べるかといえば、答えはNOだ」

「ここで原初哲学プライマリーを論じるつもりはないよ。テクスは可能な限り後天的因子エピジェネティックを排除したし、君の記憶領域だってそっくりそのまま保持してる」


 ややこしい話だけれど、今テラが話しかけている固定端末ターミナルの中身は、テラテクスにしてT-6011なのだった。ナギさんが深度60万の電極エーテルに沈めたという元々オリジナルの集積回路も含めれば、T-6011は今この世界に二体存在していると考えることも可能だ。


 機械生体学ロボトミカルが発展し、ありとあらゆるものがニアリーイコールで結ばれていく。この現実に、空恐ろしさを感じないと言ったら嘘になってしまうだろう。言うなればそれは、仮想人格ニア・フィジカルのジレンマなのだ。彼らが自立した思考回路さえ持たなければ、ただのコピーライトだと吐き捨てることもできるのに。


「……つまりさ、君とT-6011の間には、One Electronほんのわずかの狂いもないんだよね? だからこそ君は、自分自身を定義することに怯えてるんじゃないのかな」


 いたたまれなくなった私は、アンの言葉を借りて問いかけた。気を抜けば自己同一性アイデンティティを喪失してしまいそうな恐怖は、私だってつい先日に味わったばかりなのだ。108分の1の私には、とても他人事に思えない。


の問いを肯定しよう。私は私であり、同時に私自身ではない。その不確実性を認識していることが、幸運と不運とを抱き合わせた稀有な状態であると結論づける」

「なぁお姫様チャーミィ。この七面倒な仮想人格ニア・フィジカルに、識別子でもくれたやったらどうだ。ややこしくてかなわん」


 頭を掻きむしりながらクレアが提案した。識別子という言葉はあまりに差別的だったけれど、名を与えるという行為は、自己同一性アイデンティティを確立する上で有効だと思った。


 テラに視線を送って同意を確認する。見やれば彼は、口元に手をあてて何やら考え込んでいた。まさかテラが名を付けようというのだろうか。そんなことをしようものなら、Tテクスとかになりかねない。余計ややこしくなるに違いないと、私は焦って口を開いた。


「ん、名前かぁ。T-6011だから、そうね……。ティーダってのはどう? ほら、あなたの邪悪な感じもちょっと滲み出てるし。でも、気に入らなかったら遠慮なく言ってね」


 物怖じしない私に感服でもしたのか、クレアは盛大な溜め息をついた。引きつった笑いを返す私は彼の──、ティーダの反応を待つ。


よ。私はその名を受容しよう。Tidusティーダとは、かつて滅びた島国で"太陽"を意味する言葉であった。積年の眠りから目覚めたばかりの私にこそ相応しい」


 モニターの中のティーダが、感慨深そうに頷いた。ただ思いついただけの響きに、そんな意味合いがあるなんて知らなかったことは黙っておこう。


「ティーダ、君が気に入ってくれたなら何よりだよ。せっかくの機会だからさ、私の名前もきちんと憶えてくれると嬉しいな。私の名前はエリカ。Elikaエリカって言葉に、どんな意味があるのか私は知らないけどね」


 一度目は空耳かと思ったけれど、ティーダは二度までも私をエウレカと呼んだ。伝えるべきかどうか迷ったものの、ここでしっかりと訂正しておくことにする。彼がティーダという響きにTidus太陽を連想したように、私の名前にも何らかの意味を見つけてくれると嬉しいのだけれど──。


「すべてを否定する。お前の名はEurekaエウレカであり、忌々しき琥珀色の脳アンバーがこの世界に示した墓標にして座標である。私の認識に、One Electronほんのわずかの狂いもない」


 突拍子もない発言に、私は目を白黒させながら周囲を見回した。驚きを隠せない様子のクレアと目が合って、ほんの少しだけ自らの正気を確認する。テラはといえば、真剣な面持ちで今も何かを考え込んでいた。だが彼の視線は、いつの間にやらモニターの中のティーダを凝視している。


 食い入るような視線は、まるでティーダの一挙手一投足から、何かを読み取ろうとしているかのようだった。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る