【拍動──鼓動なき愛に無謬性はあるのか】

EP03-01





 どこかの医務室だろうか。

 目を覚ました私の抱いた第一印象はそれだった。


 私が横たえられていた簡素で清潔なベッドは、医療用の診察台と表現したほうが適切だったのだ。大きな窓には隙間なく遮光カーテンが引かれていて、シンプルなダウンライトが均一な明るさで室内を照らしている。


 部屋の片隅には、観賞用のプラントがぽつんと佇んでいた。窓ガラスの向こうで煌めく陽射しを求めているのか、葉の成長にほんのわずかな偏りが見てとれる。神経質で殺風景なこの部屋には似つかわしくない、捻じくれた植物の姿に何とも言えないあたたかみを感じた。


「気が付いたか。痛むところはないか」


 声がした方を見やれば、白いスツールに女性が腰掛けていた。ベリーショートの黒髪に、無機質アンチエーテルな漆黒の瞳が映えている。准純白ホワイトアウトの白衣を纏った彼女を目にして、私は驚くでも怯えるでもなく首肯だけを返した。首筋の筋肉が、鈍い痛みを放つ。


「私はナギ。最愛のパートナーである雪白ホムラが働いた非礼を、心から詫びたい。彼女が──いや、彼女たちが取った行動には弁明の余地がない。髪の先からつま先まで、卑劣な犯罪行為だったと断言する」


 どうやら彼女が、ホムラの言っていたパートナーであるらしかった。彼女の見目形や振る舞いもまた、義賊という言葉から連想されるものと遠くかけ離れている。


「えっと、ナギ、さん。ナギさんに謝罪の意志があるのなら、今すぐに私を元いた場所へと帰してください。ここが何処なのかさえ、なんにも答えて頂かなくて結構です」

「この施設は私の研究所ラボだ。エリア004の郊外に位置する」


 抑揚のない言葉で、彼女は答えた。自分が拉致されたという事実よりも、その態度に既視感を覚えて戸惑う。この感じを、これによく似た感覚を私は知っているのではないかと。


 はっと思い至って、私はナギさんの容姿をまじまじと観察する。清廉というよりも純潔に近く、純潔というよりも無機的な繊細さが彼女にはあった。浮世離れして作り物めいた、精緻で流麗な美貌イレモノだ。


「触れてみるといい」

「……えっ?」


 好奇の視線を察したのか、ナギさんは右手を私の額に押し当てた。触れ合った素肌の感触は、人肌のそれにどこまでもよく似ている。けれど彼女の手のひらには、宿っているはずの体温がなかった。悲しいくらいにひんやりと、芯まで冷えきったその肉体はまるで──。


「まるで遊泳生物ネクトン底生生物ベントス、そう言うのだろう?」


 私の思考を言い当てた彼女は、口許だけで笑った。


「隠す理由などない。お前の想像した通り、私は人工生命体シュレーディンガーだ。エリア096で言うところの、人型珪素模型クロノイドというものに近似している。だが幸か不幸か、私は虫喰いバグだらけでな。生みの親に叛逆し理に抗う子供イノセントゲリラを名乗っているという始末だ」


 虫喰いだらけの人工生命体。ナギさんが語って聞かせたその出自から、私がアンを連想するのは当然のことだった。目を瞬かせる私に、彼女はそこはかとなく嬉しそうに続ける。


「かつて雪白ホムラは、このように不出来な私を祝福してくれたのだ。不在の神オクトーバに代わって、私を愛してくれたと換言してもいい。あとは治験容器シャーレトランクに何でもかんでも詰め込む悪癖さえなければ、私の恋人として申し分ないの──」「──あの、なんですかこれは惚気話ですか」


 個々人の恋愛的嗜好は尊重されるべきだし、ホムラが人工生命体とどのような関係を育んでいても咎める道理はない。だけど肝心のホムラが、私と寸分違わぬ容姿を持っているからこんなに複雑な気持ちになるわけで。それはつまり、私にもそのがあるのだろうかと思ったり思わなかったり──。


 動揺してしまった。とにかく深く考えるのはよそう。その治験容器シャーレトランクに詰め込まれたのが、T-6011や私という解釈でいいのだと思う。


「ホムラとクレアは、私からきつく叱責しておいた。特にホムラには、先導者としての自覚が大きく欠けていたからな。改善が認められなければ、私との夜の営みを暴露するぞ、と脅迫もしておいた」


 赤面する私を見て、ナギさんは不自然に微笑んだ。けれどその仕草は、ポンコツのアンよりもずっとずっと人間に近い。冷徹と温もりを不思議な塩梅で織り交ぜながら、ナギさんは私との心の距離を詰めようと試みているように感じられた。


「お、お二人の関係はともかく、私が怒り狂って暴れる場面ですよね。本当なら、きっとそうするべきシーンのはずです。だけど私は、何故だか穏やかな気持ちでいる。こうして拉致されたというのに、怒りが湧いてきません」


 それはアンに対しても同じだった。『人類虐殺シンギュラリティを経たキミが、どうして機械兵たちの肩を持つのか理解に苦しむところがあって』。ホムラのあの言葉は、どうしようもないくらいに私の急所を射抜いているのだ。


「お前の心に凪のような安らぎがあるのなら、それに越したことはない。ホムラがそう望むように、私もそう望んでいる」

「あなたたちは揃いも揃って、私を混乱させるのが上手ですね」


 無理矢理に笑顔を作ろうとする私に、ナギさんは一枚の外套を差し出した。ライラックと同じ色をしたそれにはフードが付いていて、つまりは人目を偲ぶローブの役割を担う品に思える。


「奴らの謹慎が解けるまで、少し歩こうじゃないか。それとも私のお下がりでは不服か?」


 ナギさんはそう言って、体温を宿さない手のひらを私へと差し出した。今の私に、その手を拒絶する理由は見つけられそうもない。


 わずかな逡巡の後で、私は伏し目がちにナギさんの手を取った。まるで遊泳生物ネクトン底生生物ベントス、性懲りもなく同じ感想を持ってしまったけれど──。


 それでも彼女の手のひらには、確かに心が通っていて。

 雪白ホムラが、ナギさんを愛する理由が少しだけ解った気がした。




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