EP09-03
「ああ、実に不愉快な生き物だ。
ティーダが唸るように呟いた。苛立つその様子は、今までの彼にはない人間味を感じさせる。だけどそれと同時に、エラーを吐き出した直後の
「……アンが、私に手を焼いた。私が、アンを困らせていた?」
「そうだ。我々に怯えては泣き叫び、どうしたのかと問えば押し黙る。腹を空かせたくせに何も口にしようとはせず、補給のための管を繋いでも乱暴に引き千切ってしまう」
「はんっ。そりゃお前ら鉄クズに
笑いを噛み殺しながら、クレアが言った。確かに当時のアンや
「否定できない。保護せざるを得ない対象を前にして、
「実に微笑ましい皮肉だね。
その皮肉さえも、沓琉トーマが意図したものなのではないか。根拠に乏しい陰謀論が頭の片隅を
「だが
ソレという単語が何を指し示しているのか、一瞬見失いそうになる。しかし私の頭の上あたりに向けられたティーダの視線が、その意味を気付かせた。
「この
思わず声が上擦ってしまう。極度に張り詰めた空気の中、ティーダは続けた。
「
「心を開いたその相手が、悪い魔法使いだとも知らずに、か。まさに
額の上の重みを、初めて不気味に思った。今ではガラクタと化してしまった
「だけど、だけどそれは……、アンなりの愛情のカタチだよね? 母親が絵本を読み聞かせるように、アンは
希望的観測に縋ろうとする私を、テラとクレアが物悲しい眼差しで見ている。
「愛情の定義は不明確だが、お前の発言を否定はしない。だが事実として、我々は重大な弊害を見落としていた。
「なってしまったんだね。まるで万華鏡に酔うみたいに。遠い日のエリカは、
テラの推論に、モニターの中のティーダが首肯を返す。
その瞬間、全身の力が抜けてしまった。
ああ、何度。私は一体何度、アンに忠告を受けただろう。そうだ。ホムラとクレアが、初めてエリア096にやってきたあの日もそうだった。
──貴女の
天井一面にモニターされた自分の脳波やら心拍やらを見せられて、私は「心拍フェチなの?」なんて軽口を叩いた。過度なお節介はやめてほしいと、アンを煙たがったことも数え切れないくらいにある。
「かつての私が
力なく床にくずおれる。未熟な精神で入り浸った仮想の世界で、エウレカだった私は心を病んでいったのだ。きっと食事や睡眠をとることすらも蔑ろにして、シンデレラは魔法の世界に閉じこもってしまった。
だったら。
だとすれば──。
私が"エリカ"であることに。
すべてに説明がついてしまう。
「……
それは代替か。それとも代償か。大きな教訓と引き換えに失われた私の
「エウレカの問いに対する答えを、私は有していない。
ティーダの言葉を遮るテラの語気に、強い興奮が滲み出ていた。時系列の理解から少しだけ遅れて、形容しがたい悲しみが私に訪れる。まるで今の私が、アンによって作られた著作物のように感じられてしまったからだ。
私は、私の存在は──。
抜け殻となった
アンが内包している
「テラよ。お前が導いた結論は理解不能だ。我々が
「けれど、
テラとティーダのやり取りが、遠い世界の出来事のように響いた。
足場を失った浮遊感が私を包み、やがて深い沼の底に沈むような感覚に浚われていく。
何も考えられなかった。
涙はとめどなく流れるのに、嗚咽がせり上がることもない。
凪いだ水面みたいに静かな心。だけど、安らぎはどこにも見当たらない。
きっとこれが、
相反した"生きたい"と"死にたい"が、等しく同居する場所に私は落ちていく。
そうだ。今の私にこそ、もう一度
こんなことならもういっそ、二度と覚めない仮想の中に行きたいよ、って。
たとえ
ねぇ、エウレカ。聞こえるかな。
こんなに無価値な私の、深くて暗い場所に閉じ込められたあなた。
まるで人の記憶を物か何かみたいにさ、好き勝手に弄りまわして。
ねぇ、私。
どうか代わってほしいよ。
叶うならもう一度、この肉体をあなたに返したい。
やがて、左の頬に、熱。
クレアに引っ叩かれたのだと理解するまでに、たっぷりと数秒。
険しい顔をした彼女に、容赦なく胸ぐらを掴まれた。
「おい! てめーは何を呆けてんだよ。いいか? 決して忘れるな。お前が信じているものはガラクタだ。どれだけ高性能な脳みそだろうが、役立たずで忌々しいガラクタなんだ。だけど、だけどなあっ!」
呆気にとられた私の身体を思いきり揺さぶりながら、クレアは続けた。
「そのガラクタの根底にお前への愛情がなきゃ、今の話は成立しねーだろーが! よく考えろ。
半狂乱となったクレアの瞳から、大粒の涙が次々と溢れ出る。理屈の通った推論の最後は、彼女らしからぬ希望的観測でまとめられていた。思わず頭が真っ白になって、クレアの頭を反射的に抱き寄せる。じたばたと暴れる彼女が、観念して抵抗をやめるまで。
「……ごめん。ごめんねクレア。あなたに出会えて良かった。だってあなたと出会えたことは、私の揺るがないオリジナリティだもの」
どれだけ浅はかで、なんと身勝手な願いだろう。
眠りに就いているエウレカにあれほど縋っておいて、私は今、この肉体を彼女に返したくないと考えているのだ。
だってエウレカは、クレアのあたたかさを知らない。
こんな私のために、怒ったり泣いたりしてくれる彼女を知らない。
「あのねクレア。ごめんなさいのついでに、ひとつだけ私のわがままに付き合って欲しいの」
クレアの耳元でそう告げると、彼女はどっと吹き出した。私に初めて見せる泣き笑いの表情で、クレアは答える。
「ああ、もちろんだ。その脳みそを殴りに行くんだろ? 願ってもない。
揺るがない現実の世界で、私はクレアをもう一度抱きしめた。
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