Dual nature――王子、姫が参りました
神秘的な光は全て消え去り、人工的な部屋の明かりが戻ってきた。
ヴィオレットの瞳はまぶたに固く閉ざされて、
「おっと……!」
倫礼は慌てて歩み寄り、足をローテーブルにぶつけ痛みが走ろうとそれどころではなく。月が床に転倒しないよう、彼女は自分の身を
気絶したのか。正体がない。倫礼は肩を揺すぶった。
「月くん?」
「…………」
魔法が解けたはずの眠り王子。それなのに、リップでも塗っているのかと思うほど綺麗な桜色をした唇は動かない。まぶたも相変わらず閉じたまま。
「月くん?」
「…………」
返事は返ってこない。口元に耳を近づけると、息はしているようだった。
肉体に魂がふたつ入っていて、ひとつを取り出した。ファンタスティックな出来事を前にして、倫礼は心配になった。
「どこかおかしくなったとか? それは大変――」
「ボクはお姫さまのチュ〜で起きると思うんだけどなぁ〜」
孔明の間延びした声が響いたが、言っている内容はちょいエロだった。
「はぁ?」
倫礼は思いっきり聞き返す。いつどこでそんなメルヘンティック世界へ突入したのだと、思うのだ。
孔明が人差し指で唇に触れて小首をかしげると、妖艶な漆黒の長い髪が肩からさらっと落ちた。
「お姫さまのキス」
「…………」
倫礼は床に膝をついたまま何も言わず、しばらく落ち着きなくあたりを見渡す。
ソファーに横たわる女の子に見える男子高校生。
その綺麗な唇。
マゼンダの長い髪。
研究室の本棚の群れ。
机の上のPC画面のブルーライト。
試験管やビーカー。
窓のブラインドカーテン。
天井の明かり。
そうしてやがて、倫礼はさっと立ち上がって仁王立ち。ヤッホーと叫ぶように、口に手を添えて大きく呼びかけた。
「姫さま! 王女殿下はどちらにいらっしゃいますか〜っっ!!」
待ってみたが、返事を返してくるものは誰もおらず、虚しい沈黙が広がるばかり。いつまで待っても笑いのオチがこない。
「倫ちゃんがお姫さまでしょ?」
さっきからやけにはその手の話を振ってくる孔明に、倫礼は言い返してやった。
「え……? 孔明くんじゃなくて?」
今日の昼休み、孔明が月を好きだと言っていた。
「ボクは男の子だから」
孔明が月を好きだと言っていた。あれは聞き間違いではない。
「あぁ、じゃあ、王子さまに王子さまがキスをして起こす……」
BLメルヘン。倫礼は粘ってみたが、孔明は春風みたいに穏やかなのにやけにクールに言ってのけた。
「ううん、お姫さまがするの」
倫礼は床に視線を落として、今の会話履歴を思い返そうとしたが、もうすでに何度も言葉を交わしていて、ごちゃごちゃになっていた。ため息も混じりに、
「どうしてこんな話になったのかな?」
「どうしてかなぁ〜?」
どうやってもこのキスループは抜けられない。倫礼は観念して、ソファーのそばに両膝を落とした。月の綺麗にカールした長いまつ毛をのぞき込んで、文字通り
「月王子、倫礼姫がやって参りました。決して一目惚れではございません。お目覚めくださいませ」
倫礼は心臓バクバクで、石鹸の香りがする月に近づいていこうとしたが、
「…………!」
途中で何かに気づいて、さっと離れて、パッと大きく右手を上げた。意見があります的に。
「ちょっと待った!」
ここまできて、往生際のよくない、倫礼だった。
「どうしたの〜?」
のぞき込んできた孔明の聡明な瑠璃紺色の瞳の前で、極めて重要なことを倫礼は口にした。
「月くんは望んでないんじゃないかな?」
相手の気持ちを無視してするとは、人として常識に欠けている。指先で漆黒の長い髪はつうっとすかれて、重力に逆らえず、パラパラと落ちてゆく。
「望んでる気がするんだけどなぁ〜?」
「何でわかるの?」
今日会ったばかりだ。孔明が月を好きだと言っていた。転校生は両手を後ろで組んで、「だって、そうでしょ?」可愛く小首をかしげて、
「ボクたちが月の家に行った時に彼の両親は出てこなかった。彼の病状も知らないみたいだった。悲しいことだけど、育児放棄っていう可能性が高いよね? 月も心を開いてなかったみたいだし」
十二年前のあの事故から、時が止まってしまった家の中。開かずの間。子供を亡くした悲しみで、残った子供さえも排除したい、弱い気持ち。それが、あのパラレルワールドみたいな空間の実体だったのだ。
体と心を休めるはずの自分の家が、一番の修羅場。ソファーに倒れている青年はどんな想いで毎日を過ごしてきたのだろう。そう思うと、倫礼は両手を強く握り合わせた。
「あぁ、だからか……」
「他の生徒にも話してない。でも、倫ちゃんを選んだ。それは気があるってことじゃないのかなぁ〜?」
誰にも話していないと、月本人も言っていた。それを今ごろ、倫礼は思い出した。落ち着きなく、右手を触って、左手を触ってを繰り返す。雪のない土の上をソリが進むように、ひっかかりまくりの言葉。
「あ、あぁ、そ、そう、ですか……」
いつの間にか転がり込んでいた恋。
「キミの返事待ちなんじゃないかな?」
孔明に言い切られて、倫礼は
「さようでございますか。月王子、失礼いたします!」
さっとかがみこんで、倫礼は月に近づいてゆく。荒波に揺られる船のようにめまいがする。自分の鼓動がやけに大きく聞こえてうるさい。
だが、倫礼は直前で交わした。マゼンダ色の前髪をそっとかき上げて、おでこにキス。
「…………」
倫礼はそっと離れて、長いまつ毛のついたまぶたが動くのを待ったが、固く閉ざされたまま。唇が動くこともなく、手足が動くこともなく。眠り王子の魔法は解けない。
だが、息はしている。倫礼はため息をついて、半ば投げやりになった。
「これで起きないなら、置いてくからね」
これ以上付き合っていられるか。私服の女子高生はさっと立ち上がって、本気で研究室から出て行こうとした。
呼び止めるように、凛とした澄んだ儚く丸みがあり女性的な青年の声がおどけた感じで響く。
「おや〜? 君は手厳しいですね〜」
マゼンダ色の長い髪がソファーから持ち上がるのを見て、倫礼は月の肩を軽く叩いた。
「はい、立って」
眠ったふりをして、キスを要求しやがってである。というか、バレやすい罠を張ってきやがってだ。
月は何事もなかったように、床の上に降り立った。無事で何よりだ。
倫礼は珍しく微笑んで、眠り――ではなく、目覚め王子と神主王子のふたりを交互に見て、
「はい、じゃあ、三人で帰ろう!」
ふたりを両脇で腕組みして、研究室の出口へ向かって歩き出した。
開けたドアから出て行く時に、月の指先が電気のスイッチに触れると、PCの画面もスリープになり、ブラインドの隙間から街灯が細い光を部屋へ落とすだけになった。
もうこの研究室の電気が遺伝子操作のためにつくことはないだろう――
――翌日、七月十八日、木曜日。明日で終業式を迎える、解放の満ちあふれた高等学校の昼休み。
邪魔をしにくる女子生徒もいない。倫礼と月、孔明だけの屋上の日陰。青空に白い雲が朝顔のような円を作って、あちこちに咲いている。
昨日とは違う、少し乾いた風が吹き抜けてゆく。その度に、三人の制服の裾や袖は
チェック柄のミニスカートにも関わらず、倫礼はあぐらをかいて、朝買った冷めたハンバーガーを頬張る。
「レプリカの人たちはどうなるんだろう?」
蓮香は今までも何人か世に送り出してしまっている。嘘の家族がもうすでに存在する。焼きそばパンをかじっていた孔明は、手を止めて空を仰ぎみた。
「神の
レプリカが生まれてくることも、未来を予測できる神は知っていたのだろう。長い目で見て、たくさんの人間が幸せになると判断したのかもしれない。
世界はとても広く、神の手のひらの上で人は生きている。決して、自分たちの力で、レプリカの生産を止めたわけではない。
だが、自分たちが動かなければ、大きな力も動かないのである。やる気のない人間には神も手は貸さないだろう。そこまで、神もお人好しではない。
倫礼はハンバーガーを三日月型にかじって、ふと手を止めた。考える。この変な三人グループを。右におにぎりを食べている月。左にパンをかじっている孔明。そうして、真ん中であぐらをかいている自分。
一昨日まで、こんな構図は予測できなかった。そうして、彼女は思い出した。このおかしな三角関係の発端を。
「そういえば、孔明くんは月くんを好きだったんじゃ?」
ふたりの恋路を邪魔するのはどうかと思うのだ。退散するべきかと悩むのだ。聡明な瑠璃紺色の瞳がこっちに向く。
「ボク〜?」
「そう」
男の子同士の恋愛もいいと思うのだ。性別に関係なく、人を愛する気持ちは尊いもので、素敵なことなのだから。
孔明の凛々しい眉と青空のさわやかさが素晴らしい絵画でも見ているような気分に、倫礼をさせる。
彼女の背後から、月の凜とした澄んだ声があきれたように響き渡った。
「君は正直で素直な人ですね〜」
「え……?」
女子高生は振り返って、どこかずれているクルミ色の瞳には、マゼンダ色の髪を結んでいるリボンのピンと横に広がる線が映った。
「月の意識の中には、常に藍花 蓮香がいた」
孔明から説明が始まる。倫礼は食べかけのハンバーガーを手に持ったまま、何を言っているのか理解した。
「あぁ、だから、夜寝てる間のことを、月くんが知らなくて、薬もいつの間にか飲んでたってことか」
夜はよく眠っていると思っていた月。実際は蓮香として活動中。昼夜の逆転した生活。眠気の出る薬が、蓮香によって眠る前ではなく明け方に飲まれる。そうして、朝から眠くなる。
薬の副作用からくる眠気はどうにもならない。飲んだら最後、効果が切れるまでどうすることもできない。
孔明は残りのパンを口の中に入れて、腰元で手を平気で拭く。
「ボクがいきなり転校してきて、月に近づいたら、彼女が警戒するかもしれないでしょ? だから、ボクが月に気があるのは嘘」
蓮香の夜は昼だが、彼女の意識が月の中で目覚めないとは限らない。孔明が月に気があるは、口実作り。倫礼ははみ出していたチーズをちぎって、口に投げ入れた。
「勉強会も?」
あの妙におかしい放課後の訪問。月はきちんとハンカチで口元を拭いた。
「おや〜? 気づいていなかったんですか〜?」
「知ってたの?」
月の部屋で、瑠璃紺色の瞳とヴァイオレットの瞳が真摯に交わっていた間に何が本当は起きていたのかが、頭のいいふたりから一日遅れで教えられる。
「えぇ、ですから、彼女に怪しまれない程度の間を置いて、僕が口にする回数の多い言葉を言ったんです〜」
「そう。変な間もボクへの調べてもいいっていう許可の合図。そのあと、月は『どのような冗談ですか〜?』って聞いたでしょ?」
「そうだったっけ?」
いちいちそんな細かいことは覚えていないのである。このデジタル仕様のふたりではないのだから。
月が知られなければよいと心配していた相手は、蓮香。
孔明が月のいるところで話さない方がいいと警戒したのも、蓮香。だったのだ。
おにぎりのフィルムを指先で開けて、月は上品に小さくかじる。
「僕自身で追い出そうとしましたが、彼女にその都度意識を沈められてしまって、できませんでした」
善意でしていると思い込んでいる人間。自分を排除しようとする他の者を阻止するのは当然だった。ヴァイオレットの瞳が珍しくまぶたから姿を表し、月は遠くの空を眺める。
「誰かに頼るしかなかった。ですから、僕の信頼の置ける人にお願いしたんです」
閉じ込められた
冷めたハンバーガーもそれなりにおいしい倫礼は、一口かじって、笑顔を月に見せる。
「昨日はよく眠れた?」
マゼンダ色の長い髪は空の青さの中で冴え渡り、苦痛から解放されたニコニコの笑みで、月は凜とした澄んだ声を鈴音のようにシャンと鳴らした。
「えぇ、もう三年ぶりです〜」
負の連鎖を生み出す歯車はもう破壊されたのだ。この先の高校生活は平和でどこまでも明るく、三人で過ごしていける。
そんな期待を胸に、倫礼は夏の風に吹かれていたが、孔明がズーズーっと紙パックの飲み物をすすり、
「ボクは今日でお別れだよ」
「えぇっ!? まだ転校してきたばかりなのに?」
倫礼はびっくりして、ハンバーガーをコンクリートの上に落としそうになった。月は特に気にした様子もなく、ペットボトルのお茶を飲む。
「専門の学校で、神主の修業に励んでください〜」
「あぁ、そうか。神職って学科違うんだね」
みんなやるべきことは違う。孔明は魔導師として、蓮香を止めるために転校してきたのだ。もうその役目は終わったのだ。あの田舎町の神社を掃除する日々へまた戻る。
孔明は横に倒していた膝を両腕で抱えて、前後に照れたようにゆらゆらと揺れる。
「でも、ボク心残りなことがあるだよなぁ〜」
倫礼と月の言葉が重なった。
「何?」
「何ですか〜?」
聡明な瑠璃紺色の瞳は、自分の左脇にさっきから伸びしていた影を見下ろした。
「知礼ちゃん、そこにいるでしょ?」
「えぇっ!?」
影が大きく飛び上がった。入ってくればいいものの、物陰でうかがっていた後輩――知礼のとぼけた顔がのぞき込んだ。
「どうしてわかったんですか?」
まさか最後まで見守られていると知らない倫礼は驚いた顔をした。
「何してるの?」
「おや〜?」
眠らされていた月は初めて会う女子生徒だったが、彼は動じるタイプではなく、ニコニコとして出迎える。
神主見習い魔導師の観察力は素晴らしく、昨日の放課後は別の角度から見るとこうなっていた。
「ボクと倫ちゃんを後ろから追いかけてくるキミの姿が、廊下の窓に映ってた」
「あぁ、バレバレでしたか」
知礼は気まずそうに、先輩たち三人の真正面にそっと腰を下ろした。孔明はズボンのポケットに手を入れて、携帯電話を知礼に差し出す。
「ボクにメールして〜?」
「先輩、私にも春が来ました!」
後輩の叫び声に近い歓喜が響き渡り、倫礼、月、孔明の笑い声がそれぞれ跳ねて、
「あはははっ!」
「うふふふっ」
「ふふっ」
四人は晴れ渡る夏空を見上げ、不意に吹いてきた風に髪を揺らす。この先も続いてゆく数々の未来を想像しながら。
そうして、画面はすうっと暗くなり、
=CAST=
花水木 倫礼/倫礼
白字も全て消え去った。fin――――
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