アドリブと三角関係
空中に浮かんでいた画面がフェイドアウトするようにすうっと消え去ると、明智家の食堂の明かりが戻ってきた。
妻の倫礼は携帯電話をテーブルの上に置いて、駄菓子を食べている夫たちを見渡した。
「どうでしたか?」
期待の眼差しを注がれて、夫たちはあきれた顔をした。
「これは、ラブストーリーでもなく、ホラーでもなく、ギャグだ」
倫礼が勢いよく椅子から立ち上がると、お菓子の空袋がふわっとテーブルを横滑りしていった。
「いや、違いますよ! もともとの話は、かなりシリアスだったんです」
妻は真面目に話していたが、夫たちはまたあきれたため息をついた。
「最初から使い回しだ」
せめて、設定は考えてあったが、表に出していなかった台本にすればよかったものの、一番がっくりくるものを出してきた、相変わらず計画性なしの妻だった。しかし、違ったのだ。
倫礼は両手を力説するように縦に何度も揺らし、この九人もいる夫たちに挑戦的な眼差しを送った。
「これにはきちんとした理由があるんです!」
「どんな理由だ?」
身振り手振りで、妻が使い回しの道を選ばなくてはいけなくなった説明が始まった。
「ある話のワンシーンだけを切り出してきたんです。それはもともと、夕霧さんがモデルだったんです。こういう出会い方ではなかったんですけど、私と
配役はそのままだったのだ。真正面に座っていた孔明の、聡明な瑠璃紺色の瞳が物申すをしてきた。
「それだけ〜?」
「もちろんこれだけでは納得しないと思います」
「そうね」
黄金色のリンゴジュースを飲みながら、マスカットをかじっている
夕霧命が出ていた。だから使い回し。単純すぎである。いくら頭がかなり壊れている妻でも、この程度ではやらない。
倫礼はやっと椅子に座りなおして、コーラをクピッと飲んで、一呼吸置いた。
「この話を作った時は、六人で結婚してた時なんですよ」
懐かしい話だ。まだ一年も経っていないが、バイセクシャルの複数婚をして、新しい発見の連続ばかりの生活をしていたころ。
駄菓子のチョコレートが、まるでパティシエが作ったアフタヌーンティーのお菓子のように見える向こうで、
「こちらの場で言うと、私、倫礼、蓮、夕霧だけがいた時になります」
昔から知っていた。久しぶりに会った。しかも、夫婦として再会だ。倫礼としても、これはぜひ記念にと思ったのである。
「この四人で、話を作りたいと思ったんです。ですが……」
倫礼はテーブルに肘をついて、額に手を当てた。女の子が好きな色ピンク――イチゴミルクを飲んでいた
「僕たちが婿に来たというわけですか〜?」
「そうです。そのあとどんどん増えちゃって……」
こんなことになるとは、未来が見えない倫礼には予想外だったのである。半年もしないうちに、十八人になってしまったのだから。
「増えすぎだな」
ドライのジンジャーエールが、しゃがれた声を奏でたのどに、痺れるような辛味を与えた。
「それでも、頑張って、伏線を考えて、キャラを作ったんですよ。それで、焉貴さん、
本当に出したのだ。
「あと三人どうしたんだ?」
「明引呼さんは姿だけちょっと出てきたんです。
倫礼は打ちのめされたように、テーブルに突っ伏した。食べかけのゼリーを手で押さえて、独健は困った顔をする。
「俺としては、八人でもいいって言ったんだが……」
ピーチソーダのグラスが傾いて、漆黒の長い髪がサラサラと白いシャツの肩から落ちた。
「倫ちゃんが言うこと聞かなかったかも〜?」
「お前がこだわっているからだろう」
左斜め前で、酢昆布の粉が手についているのが、どうにも許せない蓮に、倫礼はティッシュの箱をテーブルの上で滑らせ渡した。
「九人で夫婦なんです! だから、一人でも欠けちゃいけないんです」
「元のはどうしちゃったんですか?」
夕霧命が食べているきなこ棒を間に挟んで、貴増参から質問が上がった。夫たちの視線が、妻に集中する。
気になるのだ。あれだけ取材されたのだから。セ◯キの描写をしていいかという確認までされた台本だった。
いくら夫婦でも、勝手に書くわけにはいかない。プライベート中のプライベートなのだから。妻としても不本意であり、
「ストップしてます。でも、いつかはやりたいと思ってます。結末は全然違うので……」
夫たちも楽しみにしていて、のぞきに来ていたのだ。蓮なんかは、光命のシャセ◯描写を見て、天使のように可愛らしい顔が笑ったほどだったのだ。
「
と言って。
事実に多少盛らないと、台本にはならないのである。明智家で人気だったのだ、元の話は。山吹色のボブ髪を両手でかき上げ、
「まぁ、三人が九人になっちゃったら、無理があるね」
焉貴が綺麗にまとめ上げた。登場人物が一気に三倍。妻の今の技術では追いつかなかった。
少しの間、駄菓子の包み紙をいじる音だけが響いていたが、自分の飲み物があるはずなのに、オレンジジュースを追加で頼んだ、孔明が間延びした声で聞いてきた。
「知礼ちゃんと倫ちゃんの居酒屋のシーンはどうしちゃったの〜?」
あのオレンジジュースが誰の手に渡るのか知っている妻は、脳裏に小さな人を思い浮かべながら、ため息をついた。
ラムネのビー玉をガラス瓶にカランと落とした、独健が鼻声で尋ねてきた。
「どうして、あんなに会話が崩壊してたんだ?」
「独健、てめぇ一緒に出てただろ?」
即行、明引呼からツッコミが入った。思いっきり知礼の彼氏で出ていた。だが、独健にも言い分はあった。
「ふたりだけのシーンだったからな。撮ってるところは見てなかった」
遊線が螺旋を描く優雅な声が食卓に舞った。
「夕霧は見ていたのですか?」
「俺も今初めて見た」
妻たちだけの秘密。倫礼は思いついてしまうのだ。眠り病で家族を亡くし、そんな悲しみの中で生きている人々の苦悩を描く……。
そうではなく、それでも明るく強く生きていこうという、方向転換、発想転換をしてしまうのだ。どうやっても。
「あれは前半部分はきちんと台本があったんです。後半部分はフリーでお願いしますに変えたんです」
「それでか」
ボケている知礼を野放しにすると、今のようになるのであった。全ての物語に出ている彼女。この先もギャグシーンが出てくることは約束されたのだ。
「そうです」
倫礼が思い出し笑いをして、少しだけ微笑むと、左隣に座っていた夕霧命のはしばみ色の瞳が細められた。
「再生している間、光が笑っていた」
「これは、かくれんぼのお礼なので、明智分家が笑えるローカルなネタでいいんです」
もっともらしい理由を、ギャグ仕様の妻は告げた。
「大爆笑してたよな?」
独健が同意を求めたが、光命はミルクティーが残っているのに、いちごみるくを取り寄せていた。
倫礼はそれが誰に渡るのかわかっていたが、脳裏に小さな人を思い浮かべたまま、問いかけた。
「光さん、そんなに面白かったですか?」
細く神経質な手の甲は中性的な唇につけられ、くすくす笑い出したが、
「えぇ……」
肩を小刻みに揺らして、それきり何も言わなくなり、いわゆる、光命なりの大爆笑が始まった。
「また笑い出した」
ホラーだとか、ラブストーリーだとか、散々言っていたのに、フタを開けたら、光命にとってはギャグでしかなく。
「光さんは知礼さんのボケに弱いんでね。ちょっとでも触れたら、ダメなんです」
倫礼はキャンディーを口の中にぽいっと入れて、先に進もうとした。
「お前が撃沈したんだろう」
夫たちから抗議が巻き起こったが、著者は再生リストをチラッと見て、
「大丈夫です。光さんの出番はまだきませんから。撃沈したままでも」
そうやって、光命を置いていこうとする妻。夫たち全員から待ったの声がかかった。
「本人が他の話を楽しめないだろう! これじゃ」
そうなのだ。知礼は毎回出てくるのである。そのたびに撃沈である。それなのに、妻は違う次元で、斜め前に座っている、優雅な王子夫を心配した。
「あぁっ! 光さん、次始まるまでには戻ってきてください」
そうは言っても、物語が始まったら、また優雅に大爆笑なのである。
どこかの国の王女さまかと思うようなピンクのドレスを着ている、月命がマゼンダ色の髪を後ろへ払った。
「居酒屋の料理はそんなにおいしかったんですか〜?」
「おいしかったですよね?」
シャープなあごのラインを見せている夕霧命に、倫礼は同意を求めた。
「うまかった」
「いけてた。本当にどうやって作ってるのか、気になるな」
最後の居酒屋のシーンももちろんフリートークである。独健は本当に気になっていたのだった。そうして、倫礼から知礼のあの言葉が出てくる。
「今度家で取って、みんなで食べましょうか?」
だがしかし、主導権は妻には回ってこなかった。皇帝みたいな威圧感のある声で、焉貴に持っていかれたのである。
「――二十人でね」
明智分家は旦那さんが九人で、夫婦は十八人のはずだ。それなのに。
みんなが座っているテーブルから、倫礼のどこかずれている瞳ははずれて、右奥のなぜか薄暗いスペースにチラッとやられた。
「あぁ〜、まだ言ってないのに……」
「孔明、ふたり増えたよね?」
焉貴にトントンと腕を軽く叩かれた、帝国一の頭脳を持つ大先生の返事は歯切れがよくなく、
「……うん」
漆黒の髪を落ち着きなく、すいては落としてを繰り返し始めた。いつもあんなに冷静に罠を仕掛け、情報を持っていくのに、独健は心配になった。
「どうした? 孔明が口ごもるなんて……」
全員が孔明に視線を集中させる中、妻はきちんと理由がわかっていて、
「孔明さんの出番が来た時に、きちんと枠を取って話しますから、孔明さんまでここで撃沈しないでください!」
大先生にも弱点があったのである。とりあえず、話は先送りされて、それぞれのジュースを飲んで、妙な緊張感は姿を消した。
そこで、パタンと食堂のドアが開いたが、すぐにすっと閉まった。訪問者の姿は妻から見えないのに、そんなことが起きていた。
だが、孔明と光命がキャップを回していないジュースを、テーブルの下へ降ろすと、幼い声が聞こえてきた。
「ありがとう」
そうして、また食堂のドアが開いて、誰も出入りしていないはずなのに、パタンと閉まったのである。
いつも通りに戻った孔明の瑠璃紺色の瞳に、深緑の短髪とブラウンの長い髪が映っていた。
「夕霧と倫ちゃんが一緒に並んでるの、ボク、初めて見たかも〜?」
「だな。俺も初めて見たぜ」
もうひとつみかんを駄菓子の山から取り出し、明引呼は同意した。その斜め右前で、独健はゼリーをまた食べ始める。
「そうだな。俺もだ。どうしてだ?」
戦闘シーンでは、前後に多少ずれていたが、すぐそばにいた。最後の居酒屋のシーンなど、隣の席であった。
今も左隣にいる夕霧命のそばで、倫礼はこんなことを言われるとは思わなかったので、少し驚いた顔をしていたが、
「え……?」
何が原因がすぐに気づいた。
「あぁっ、わかった! 光さんがいつも間にいるからです」
爆笑の渦から無事戻ってきた夫を、倫礼は指差した。即座に、焉貴のまだら模様の声が響く。
「そう。お前と夕霧は光をめぐってのライバルだからね」
そんなはずはない。バイセクシャルの複数婚の夫婦である。倫礼は腕を下ろして、夕霧命のはしばみ色の瞳に同意を求めた。
「違いますよ。違いますよね?」
「違う」
深緑の短髪は横へ揺れた。従兄弟同士で結婚をした夫二人の、すれ違った日々を思うと、倫礼はこうしたいのだ。
「光さんが夕霧さんのところに行きたいのなら、私は身を引きます」
愛する人が幸せになるのなら、それが自分にとっての幸せだ。
「夕霧は?」
夫たちの視線をもろともせず、地鳴りのような低い声を響かせた。
「光が倫のところへ行きたいのなら、俺は見守るだけだ」
「ということで、私と夕霧さんは譲り合いの関係です」
倫礼はにっこり微笑んで、
「光さんをいつも間にして、夕霧さんと私はお互いの距離を測っているんです」
この絶妙なバランスの至福に、妻は浸った。夕霧命とは反対側の、右隣に座っている明引呼が声をしゃがれさせた。
「三人でまとまればいいだろ」
妻の脳裏にすぐに浮かんだ。
――あの紫の月明かりの下。シーツの海の上で、三つの肌色が混じる夜。周波数の違う男の喘ぎ声がふたつもつれ合い、ひしめく……。
どこかずれているクルミ色の瞳は、いつの間にか閉じられていて、妻の含み笑いが食堂に伝わってゆく。
「むふふふ……」
「どうして、笑ってるんだ?」
独健の声で我に返ると、孔明が指先で、銀の細いブレスレットをくるくる回していた。
「倫ちゃん、想像しちゃったぁ〜?」
「違います。思い出し笑いです」
夫たちが声をそろえ、
「もうまとまってた――」
倫礼は笑うのをやめて、声を張り上げた。
「当たり前じゃないですか! 光さんのセ◯キならできます!」
明らかになっていないからこそ、妻の言い分は意味不明だった。
しかし――
言われた本人が真っ先に瞬発力を発して、細く神経質な手の甲を中性的な唇につけてくすくす笑い出した。そのあとに続いて、夫たち全員が賛同する。
「確かにそうだ」
妻は思うのだ。光命はバイセクシャルになるために、生まれてきたのだと。素敵な人生だと。
マスカットをつまんだ指先を、焉貴は夕霧命に向けた。
「合気って本気でかけたの?」
「そうだ」
武道家の技をまともに食らった、悪霊役の人々。あんなことになってしまうのだ、合気は。
「エキストラのみなさんは、大丈夫だったんでしょうか?」
ラムネを歯で砕いた貴増参からの質問に、夕霧命は目を細めた。
「あれは道場の人間だ」
触りもしないのに、いきなり宙を投げ飛ばされたら、たまったものではない。倫礼は両手を胸の前で横にフルフルした。
「一般人にかけたら大変です。びっくりしちゃいます!」
邪悪なヴァイオレットの瞳がまぶたから解放された。
「そのようなことをしたら、法律に触れてしまいます〜」
みんな仲良くではなくなる。遊びのつもりが、大変なことになってしまう。
「間違いなく、私たち明智分家は陛下の
城の誰かが訪ねてくるならまだしも、瞬間移動で
倫礼の話が容易に想像できて、独健は持っていたゼリーを力なくテーブルへ落とした。
「そうしたら、お
「はぁ〜……」
明智の家長に、夫たち全員は撃沈された。ガミガミ怒鳴られるわけではないのだ。ネチネチ言われるのでもない。だが、ボスの言葉はいつも正論で重みがあるのである。
実の娘としてそれを常にそばで見てきた倫礼は、夫たちの瞳が輝きをなくしたのを見て取った。
「みんな、へこんでしまった……」
ただ一人、負けるの、失敗するの大好きな月命だけが、ふ菓子をサクサクかじっていた。女装好きな策士が密かに勝利をかっさらったのだ。
「んんっ!」
倫礼は咳払いをして、駄菓子の山を夫それぞれに切り分ける。
「お菓子を食べて、気を取り直して、次に行きましょう! それでは、タイトルは……」
携帯電話を握りしめると同時に、食堂の電気がすうっと薄暗くなり、
「――
ラブストーリーっぽい題名が響くと、夫たちの目が空中スクリーンに集中した。
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