大人のかくれんぼ(妻編) その一

「え……? かくれんぼ?」


 聞き返した倫礼の頭上には、つるしびなのようなものが天井からいくつも下がっていた。


 雪だるまやミカンなどの冬を象徴するものが、子供がいる家らしく可愛く飾られた玄関ロビー。


 月命るなすのみことはニコニコの笑みで「えぇ」とうなずき、何気ないふりで話を進める。


「みなさんと相談して、僕たちは君とぜひしたいんです〜」


 敷かれている白の絨毯には、汚れがひとつもなく、それどころか劣化もない。それが、自分のいる世界とは法則も、価値観も違うことを如実に表していた。


 言われた内容は鬼ごっこをするだけ。当たり前だが、妻に好きと言わせる、キスをするは聞かされていない。倫礼は。


 週休三日制の学校。登校日は、水曜日、木曜日、土曜日、日曜日。


 だが、妻は曜日と関係ない生活を送っている。静かだということは、子供たちは今学校に行っているのだろうな、ぐらいの認識だった。


 だからこそ、倫礼は引っかかりを覚え、革のヘアバンドをした頭を傾げた。


「大人だけで? 何だかおかしい気が――」

「新しい家を覚えるいい機会だと思うんだが……」


 夫の鼻声がサッカーのスライディングタックルをするようにさっと割り込んだ。他の夫たちは心の中で、ファインプレイを褒めたたえる。


 ――ナイス! 独健どっけん


 深緑のベルベットロングブーツは、その場で右に左に小刻みに絨毯を踏みならした。


「あぁ、そうですね……。確かに探索してみてもいいかも?」


 朱色の布をかけた長椅子が、みやびな会でももよおされるような風流な雰囲気を醸し出しているのを眺めながら、Aラインの紫色のワンピースは戸惑いという動きをする。


「自分が鬼になったら、どうやって探――」

「家の中を探索する君は鬼にならずに、見つかったらまた隠れていただきます〜」


 今度は月命がうまく阻止した。吹き抜けの窓ガラスは、まるで流れ落ちる滝のように高く立ち上がっている。


「あぁ、そうですか……」


 結婚指輪をした手を、倫礼は自分の唇に当てていたが、それぞれの服装で自分を囲んでいる夫たちのデフォルト能力に手をつけた。


「あれ? 瞬間移動したら、すぐに見つけられるじゃないですか? その人のそばにすぐ行けるから、それじゃ意味がな――」

「そちらは安心してください。鬼は個別瞬間移動ではなく、エリア瞬間移動だけを使っていただきます」


 子供の遊びは大人にはできないのだ。そのままやってしまったら。下手をすれば、隠れないで、永遠瞬間移動で逃げるになってしまう。


「そうですか……でも――」


 だが、いくらどこかずれている妻の頭でも、この屋敷の霞むような廊下の長さが決心を鈍らせた。


「ここって、地球一個分の広さありましたよね?」

「えぇ」


 当たり前のように返ってきた返事。瞬間移動できる人々が暮らすからこその広さ。


 廊下の水色の絨毯から、自分のそばに立っている銀髪を持つ夫の身を、妻は案じた。


れんが迷った時はどうするんですか?」


 この夫ときたら、右から建物の中に入ったのに、何の迷いもなく左に出てゆくのだ。俺さまゴーイングマイウェイで。


 どこへ行く気だと妻はすらっとした背中に、いつも突っ込みたくなるのである。


 慣れているはずの近所でも迷ってしまう。近くの駅を出たと言うのに、一時間以上も待っても帰ってこない。そんなことは当たり前。


 他の夫たちはため息をついた。


「自宅で迷うほどの方向音痴……」


 地球一個分の家。何時間も迷って、挙げ句の果て瞬間移動で戻るしかなくなるのだ。食事になっても現れないなんてことは、よくあること。


 親切に迎えに行くと怒るのである。自力で帰ろうとしていたと言い張って。


 倫礼は思う。方向音痴は個性だ。本人も直そうと努力を重ねているが、できないのだ。だからこそ、心配なのだ。蓮が鬼ごっこをするなど。


 とにかく、妻を納得させる提案をしないと先に進まない。女装がいつもより女性らしさを振りまく月命は、凛とした澄んだ声を鈴音のようにシャンと儚げに鳴らした。


「それでは、蓮は道に迷った時だけ、元の位置、こちらへの瞬間移動を許可します」

「わかりました」


 ピンクのレースカーディガンを着ている倫礼が頭を下げた、その隙に策士四人が見た時計は、


 ――十四時三十七分零零秒。


「それでは僕が鬼です〜。十数えるうちに隠れてくださ〜い」


 女装している夫が鬼。それだけでも、ある意味怖さ全開。それなのに、ピンヒールで大理石の上を、忍び寄る恐怖を感じさせうようにカツンカツンと響かせながら、近づいてくる。


 そう思うと、ホラー映画を見ている時のように、背中から手をいきなりかけられたら、思わず悲鳴を上げて、飛び上がってしまいそうである。


「ど、どこ……?」


 目隠しなどしない。月命はニコニコの笑顔のまま、食器を数えて、最後のオチが一枚足りないみたいな、ホラーなカウントダウンを始めた。


「い〜ち、に〜い……」


 妻のロングブーツがウロウロしている間に、夫八人の姿は見事なまでに消え去った。


「あぁ〜、みんな瞬間移動で行ってしまった」


 倫礼も使える。だが、魔法ではなく、これはデフォルトの能力であって、きちんと法則性がある。


「瞬間移動って、行ったことないところに行けないんだよね」


 行きたい場所や人をイメージして、対象物を心の目で探して、自分との距離を測って、初めて飛ぶことができるのである。


「さ〜ん、よ〜ん……」


 迫り来る戦慄せんりつのような月命の声が、妻を妄想世界へと追いやった。


 ――轟音ごうおんに全身が突如包まれる。


 ババババババッ!


 倫礼はいつの間には迷彩柄の服を着て、ミサイル弾を発射する筒状の武器――ロケットランチャーを手にして、ステルス戦闘機に乗っていた。


 ガガッシュー!


 無線機ががなりたてる。


「全軍に告ぐ! 敵軍を殲滅せんめつせよ!」

「ラッジャー!」


 パシッと勢いよく敬礼すると、


 ガシャーンッ!


 釣りバシゴが地上に向かって投げ下ろされた。決戦の火ぶたは降ろされたのである。


 倫礼は軽快にハシゴを降りてゆき、地面近くで手を離し、大地にストンと軽やかに着地。


 ロケットランチャーを肩にかかげ、警戒態勢――腰を低くして、ロビーから廊下――敵地へと勇ましく進んでゆく。


「ゴーゴー!」


 廊下の氷をイメージした水色の絨毯の上を進んでいたが、あまりにも長く、妻の妄想は時間切れを迎えた。


 左手は壁ばかり。右手の全面ガラス張りから、冬の優しい陽光が降り注ぐ。


「ん〜〜? どこに隠れれば見つからないんだろう?」


 深緑色のロングブーツは直進を止め、小さな中庭が見える窓にささっと走り寄った。妻のどこかずれているクルミ色の瞳には、水面みなもが映っていた。


「あっ! 池の中!」


 永遠を連想させる廊下で、妻は懸命に考える。


 ――かくれんぼで、冬の池の中に入る。


 を。


「こう鼻をつまんで、中でじっとしてる……」


 いつの間にか鼻をふさいでいた手を残念そうにだらっと下ろして、紫のワンピースを両手で触り出し、


「あぁ、それは難しいな。服が濡れちゃうよね……」


 窒息するのではなく、妻の最大の心配事はそこだった。


「じゃあ、別のところだ」


 水色の絨毯を再び歩き出そうとすると、ピカンの脳裏で電球がついた気がした。人差し指を立てて、頭の上に持ち上げる。


「あっ! 大きな物陰!」


 妻の姿は長い廊下からすうっと消え去った――――



 ――――次に意識が戻ってくると、こげ茶のドアの前にいた。そこは以前、蓮がヴァイオリンを弾いていた部屋。ベルベットブーツはかかとを軸にして、くるっと百八十度ターン。


「ピアノの下!」


 向かい側にある部屋のドアノブをパッとつかみ、Aラインのワンピースは廊下から姿をさっと消した。


 ――海の底かと勘違いするような空間。青を基調にしたステンドグラスの天井窓から降り注ぐマリンブルーの光。強い青、花色のカーテン。上品な白のレースのカーテン。


 鏡のようにピカピカな黒のグランドピアノ。習慣なのか、いつ弾いてもいいようになのか、誰もいないのに、フタはつっかえ棒をされて、ピアノの弦の並びが顔を出していた。


 ドアを入ってすぐ右手は、壁に埋め込まれた本棚。几帳面に整えられた棚。子供がいるとは思えない、大人の空間。


 だったが、やはりファミリーの家だった。すぐそばに、小さなおもちゃ箱があった。この部屋をおもに使う小さな人と大きな人の仲を、倫礼は思い出すと、かくれんぼしていることも忘れて、自然と笑みがこぼれるのだった。


 あの二人の仲のよさと言ったら、親子になるために生まれてきたみたいなのだ。父が溺愛すぎなところは少々頭が痛いところだが。


 倫礼は我に返り、


「あ、そうだった」


 さっそくピアノに近寄り、大理石の上に膝を落として、出会ってしまった――


 ピアノの足という大木の下で、余暇を楽しむ優雅な王子さまのような、夫が寄りかかっている姿があった。頭がぶつからないように、そうっと近づいてゆく。


ひかりさん?」

「……zzz」


 茶色のロングブーツとグレーの細身のズボンは軽くクロスされていたが、動く気配はなかった。


「寝てる……?」


 四つ足でさらにはってゆく。紺の長い髪が少しだけ乱れ、神経質な頬に絡みついているのを前にして、倫礼はボソボソと独り言を言う。


「初めて見た……。光さんの寝顔。どうして、初めてなんだろう?」


 妻はこの優雅な王子夫にいつも守られて生きていていたのだ。


「あっ! そうか。私が眠ったあとに寝て、私が起きる前に起きてるからだ。だから、見たことがなかったんだ」


 妻に何かあってはと心配して、彼女が動く前から、動き終わったあとまで、冷静な水色の瞳はずっとそばにいるのである。そんな日々が何気なく続いていたことを、倫礼は今知った。


「いつもありがとうございます」


 人ごみを歩けば、誰もが振り向く夫。この世界は、神がかりな美しさの美男美女ばかり。それでも振り向かせて止まない、綺麗な男。


 倫礼は膝を抱えて、そうっと近寄ってみる。


「うわ〜、長いまつげ。ビューラーで巻いたみたいに綺麗にそろってる。肌も透き通ってるし、洗顔フォーム何使ってるんだろう?」


 気になるところだ。どのメーカーを? それとも、この世界にしかないものなのか? いい機会である、ここは無遠慮に眺めさせていただこう。と思った矢先……。


 紫のシャツとピンクのストールを着た夫が、急に横に倒れ始めた。倫礼はあわてて、大理石を滑り込んで、右肩で光命ひかりのみことを受け止めた。


「おっとっとっと……! 危ない危ない」


 強く広がる甘くスパイシーな香水。それは大人のアイテムなのに、隠れている間に寝てしまうとは。


「子供みたいだ……。可愛い」


 この男が今そばにいることを、倫礼は考えると、もうすぐで結婚して一年経つというのに、昨日の出来事のように色あせず、幸せの涙で視界がにじむのだ。


 ――この男は夜空の星よりも、ずっと遠い自分の手の届かない存在だった。いつだって突き放すような冷たさで、冷静な水色の瞳はこっちへ向くことはなかった。


 それぞれのパートナーと共に、惑星のまわりを回る軌道の違う、ふたつのほうき星のように、どこまでも遠く遠くすれ違い続け、生きてゆく。そう思っていた。


 それが、今はすぐそばに、しかも無防備でいる。神経質で負けず嫌いであるがゆえ、他人に醜態しゅうたいなど絶対にさらさない光命。今はロングブーツという武装をしているが、眠る時には素足になるのだ――


「ふふふっ。愛してます……」


 内緒のささやき。のつもりだったが、


「えぇ、私も愛していますよ――」


 遊線が螺旋を描く優雅で芯のある声が、肩のそばで普通に返ってきた。


「あれ? 起きてたんですか?」


 どこかずれているクルミ色の瞳の前で、長いまつ毛は動き、冷静な水色の瞳が下から上がってきて、まっすぐ向けられた。


「えぇ、先ほどから起きていましたよ」

「罠でしたか……」


 倫礼は貸していた肩を離した。だが、妻は知っている。この夫は誰かの幸せのために策を張るのであって、人を傷つけることは絶対にしないと。


 三十七センチの身長差を持って、妻と夫は見つめ合う。


「なぜ、あなたは他の方に愛していると言わないのですか?」


 策士の夫たちが気にしていたことだった。


 妻はそんなやり取りなど知らないが、今は問われている。答えなくてはいけない。理論的に答えるまで、何度でも聞き返される。


 言わないのには、きちんとした理由がある。


「私はこういうことを言うタイプじゃないので……」


 これが倫礼の個性なのだ。変えなくてはいけない部分もあるだろう。だがこれは違う。譲ってしまったら、自分ではなくなる。


 軽々しく言うものなのかと、倫礼は思うのだ、いつも。他の人がどうとかではなく、自分はそう思う。女子力なしの倫礼。だから、夫全員が聞いていないになっているのだ。


 中性的なイメージなのに、肩幅はしっかりとある光命の腕がすうっと、倫礼の肩に回され、抱き寄せた。


「私はあなたに愛していると言われて、とても幸せな気持ちになりました。そちらを、彼らにも与えていただけませんか?」


 ピアノの下で。二人きりの部屋で。甘く見つめ合う妻と夫だった。いい雰囲気。だったが、罠の本質を知った、倫礼のあきれた顔で破壊された。


ひかりさんは相変わらず、他の人優先ですね」

「あなたもではありませんか?」


 即行返ってきた、言い返し。この夫もある意味、ひねくれている。素直にうなずかない。いや、認めたところなど見たことがない。本当は十五年しか生きていない子供な夫。


 だが、言っていることは筋が通っている。倫礼は素直に従った。


「わかりました。言います」

「約束です」

「はい」


 倫礼がうなずくと、ロイヤルブルーサファイアの十字がすっと近づいてきて、そっと閉じたまぶたの向こうで、男性にしては少し柔らかい唇が優しく甘く触れた。 


――高貴で優雅なキス。


 どこまでも二人きりの時間が過ぎていきそうだったが、ドアが開いた気配もなく、凛とした澄んだ儚げで丸みのある女性的だが、男性の声が響いた。


「見つけましたよ〜」


 唇の感触がなくなり、倫礼はパッと目を開けた。左側の窓の下で、月命が白いミニのチャイナドレスにも関わらず、片膝を立ててのぞき込んでいた。


 本能とは怖いもので、妻は反射的に動いてしまった。大理石の床に手を置き、かがんだ。下着も女装なのかと思って。


「気になる……」


 だが、どんなにかがんでも、うまい具合に太ももで隠れていて、残念ながらおがめなかった。


「あぁ〜!」


 妻のため息が夫二人の前で、盛大に床に降り積もった。いいだろう。夫の下着をのぞこうと、妻の特権である。


 そんなことを堂々としている倫礼。光命が手の甲を唇に当てながら、くすくす笑っている隣で、


「じゃあ、別のところに行かないと……」


 隠れ続けなければいけない倫礼は、すうっと消え去った。


 今度は夫二人きりの部屋になった。しかも、策士同士。


 光命はいつの間にかピアノの椅子に座っていた。磨き上げた黒に、マゼンダ色と紺の長い髪が映り込む。


「君は、彼女が一番最初に見つける可能性が高い場所に隠れましたね〜?」


 疑問形。答えたらアウト。


 冷静な水色の瞳はついっと細められた――


 この男は、三百億年も生きている。自分はたかだか十五年だ。勝てるはずがない。経験値が絶対的に足りない。


 しかし、自身の夫である。多少なりとも、データは頭の中に入っている。だからこそ、この男の言動が、


 ――おかしいのだ。


 自分と同じ思考回路だが、この男に感情などと言うものはない。


 ――妻に好きと言ってほしい。


 その望みがないとは言えない。だが、この男が真っ先に言ってくる可能性は限りなくゼロに近かった。


 それなのに、事実として確定している。それならば、それが確定する可能性を探さないといけない。


 ここまでの思考時間、零.三秒。光命は問いかけには答えず、別の質問を返した。


「どなたに頼まれたのですか?」

「おや〜? 何のことですか〜?」


 人差し指はこめかみに突き立てられ、腕時計は、


 ――十四時四十八分十七秒。


 さっきからの二人の会話は疑問形だけ。情報漏洩を逃れる手だ。しかし、夫と夫だ。敵ではない。実は情報だったのだ。冷静な水色の瞳は、ニコニコの笑顔に向けられた。


「あなたが答えないということは、毎週、木曜日と日曜日に起きること……と関係するという可能性が九十九.九九パーセント」


 今日は日曜日。仕事が終わらなくて、遅れたなど嘘なのだ。月命は光命に近寄り、神経質な手をそっとつかんだ。女装教師とピアニスト。男二人の昼下がりの情事。


「うふふふっ。ですから、君にも協力していただきます〜」

「えぇ、構いませんよ」


 優雅に微笑むと、月命の手を乗せたまま、光命はピアノの鍵盤を弾き始めた――――



 ――――水色の絨毯の上を、妻のベルベットブーツは現れては消えてを繰り返しながら進んでゆく。


 とにかく隠れないといけないのだ。やけに壁ばかりが目立つ廊下のドアの前に立った。


「よしよし! ここら辺の部屋に入って……」


 扉を勢いよく中に押し入れたが、妻の前に広がったのは、グレーがかった白で、横向きに何かが空中を飛んでいたのだった。


 どこかずれているクルミ色の瞳は驚きで見開かれ、慌ててドアを閉めた。


「っ!?!?」


 永遠を連想させる廊下を右に見て、左に見て、もう一度こげ茶の扉を凝視する。


「あれ? おかしいな。雪景色が見えたんだけど……」


 確かに家の中は冬の装いだが、雪が本当にあっては困るのだ。再びドアを中へ入れたが、やはり見間違いではなく、猛吹雪の雪景色。


「え……?」


 半ば放心状態で、パタンとドアを閉めて、妻はない頭で考える。


「家の中が外? 家の外にあるから『外』だよね? 言葉が迷走してる〜〜!」


 妻は頭を抱えながら、廊下を再び歩き出した――――



 ――――しばらくすると、玄関ではないが、ちょっとしたロビーにやってきた。


「どこ? どこかに隠れる場所?」


 迷い込み、後ろ歩きで右に左に進んできたが、こげ茶で両開きの扉を見つけた。


「あっ! ここは何だろう……部屋じゃないみたいだ」


 廊下と直角になっている扉。


「ん? これって、物置?」


 胸元をぎゅっとつかみ、うかがう。さっきの雪景色の失敗がある。だからこそ、慎重に。


「とりあえず、中に隙間があれば、隠れられる!」


 待っていろ、月命。今度こそは見つからない場所に隠れてやる。


「よしっ!」


 気合いを入れて、金の取っ手をつかんだ。だが、同時に隣り合わせのそれに、綺麗な手が伸びてきた。


「ん? 誰?」


 背の高さ的に、夫であるのはわかる。倫礼は扉を見つめたまま、妙に納得。


「あぁ、そうだよね。みんな隠れようとしてるわけだから、重なることもある……」


 ルールは一人で隠れろではない。


「一緒に隠れられるなら……」


 開けるタイミングまで同じで、両開きの扉をそれぞれの手で引き寄せたが、中のスペースを見て、お互い思わずため息をもらした。


「一人しか入れない……」


 ホウキやはたき。綺麗に畳まれた雑巾が何枚も綺麗に重ねてあるスペース。だが、一人分しか空きがない。譲らなくてはいけない。そういうわけで、相手と話さないと。


「この手誰の?」


 倫礼が振り返ると、そこにいたのは黒のゴスパンクだった。


「蓮!」


 即行、俺さま全開で、奥行きのある声が響いた。


「お前離せ、俺が先だ」


 負けてなるものか。


「私が先」


 肘で押されて、押し返すが始まる。


「俺だ」

「私」


 子供じみた迫合い。


「俺だ」

「私」


 三十七センチも上から、鋭利なスミレ色の瞳がにらみつけてこようと、譲ってなるものか。


 強気だったが、相手の方が上手だった。蓮のアーマーリングをした手は扉をバンと勢いよく叩き、


「っ!」


 倫礼は音にびっくりして、思わず手を離してしまった。


「っ!」


 勝った的に、鼻でバカにしたように笑い、そのまま隠れようとする、潔癖症の夫。最低限の筋肉しかついていない腕を、妻は慌てて引っ張る。


「あの! 蓮?」

「お前、あきめて他のところを探せ」


 手を無理やりはがされたが、妻は中をのぞき込んで、


「掃除道具が入ってるから、汚れると思うんだけど……」


 妻はいつでも夫を想っている。蓮の鋭利なスミレ色の瞳はあちこち見渡し始めた。ゴーイングマイウェイであるがゆえ、一点集中で盲目がちな夫。


「…………」


 どっちも譲らないのなら、こうしようと、妻は思った。


「私が先に入って、私の服を間にして隠れれば、蓮は汚れないよね? だから、私が先に入って――」


 銀の髪が振り返ると、いつも超不機嫌な夫の表情は、無邪気な子供みたいな笑顔だった。


 急変した夫の心のうち。それが何を意味しているのか見極める前に、倫礼の唇に、蓮のそれが押し当てられたのである。


 ――ゴーイングマイウェイなのになじむキス。


 夫のために犠牲になるという妻。俺さまの心は動いたのだ。


 倫礼の結婚指輪をした手は力なく体の脇に落ち、隠れることも忘れて身を委ね、少し遅れて閉じられたまぶた。


 突然のキスの中で、ブラウンの髪には歪みが、ゴスパンクの腕で作られていた。


 唇は離れても、倫礼の視界は、光沢のある黒の斜めチャックだけ。抱きしめられたまま、離してももらえず。銀の長い前髪がブラウンのそれに寄り添い、


「好きだ――」


 耳元でささやかれ、倫礼はそっと目を閉じた。


 ――この男が九年前に生まれて来なかったら、自分は今も、あの本家の縁側で庭を眺めている日々だったのかもしれない。大人の兄弟たちは全員結婚をして、家を出ていた。


 小さな弟と妹とともに暮らす毎日。結婚などどこか別世界の出来事で、大好きな父のそばで娘として生きていくのだと思った。


 ひねくれなところは違うが、父に似て言葉数は少なく、貴族的で落ち着いている男――


「好きだよ」


 約束は約束。ずっと言わなかったし、言われもしなかった。だから、今日こそは。


 いい感じだったが、突き飛ばすように体を離された。両肩はしっかりつかまれたまま。


「っ!」


 鋭利なスミレ色の瞳は穴があくほど、倫礼の顔を見つめて、首をかしげると、銀の長い前髪がさらっと落ちて、両目があらわになった。


「?」


 不思議なものでも見つけたように、右に左に首を傾げながら、無言でどんどん近づいてくる。


「…………」


 パーソナリティスペースを完全無視な顔の急接近。これを外でやっていないことを、妻は祈りたいのだった。またキスするのかを思うほどそばにきて、


「お前、俺の前に誰に会った?」

「え……?」


 そんな質問をされるとは思っていなかった倫礼は、ぽかんとした顔になった。蓮は妻の肩を強く揺すぶる。


「正直に答えろ」


 答えないと、永遠に追及される。鋭利なスミレ色の瞳と冷静な水色のそれを、倫礼は脳裏で重ねる。


「光さん……だけど……」

「ふ〜ん」


 聞いてきたわりには、気のない返事。用済みというように、蓮は倫礼から手を離した。かがんでいたのをやめた夫の顔を見上げる、意味不明な限りで。


「ん?」


 蓮の心の内に、あの紺の長い髪を持ち、冷静な水色の瞳の夫が鮮明に浮かび上がった。愛する夫の名前をつぶやく。


「光……」


 そうして、晴れ渡る空の下で草原の風に吹かれて、無邪気に微笑む子供みたいな笑顔になった。何が起きているのかさっぱりな妻が、今度は首をかしげる。 


「何だか嬉しそうだな……?」


 その前で、黒のゴスパンクファッションはすうっと消え去った。開け放ったままの、掃除用具入れの前で、倫礼はキョロキョロする。


「あれ? 瞬間移動した? 道に迷ってた? 今」


 扉を閉めながら、二人の夫の関係を考える。


「っていうか、光さんと何かあったのかな?」


 消えたはずの黒のゴスパンクファッションは、白のチャイナドレスミニに、すぐに連れ戻された。


「ルール違反ですから、蓮は取っ捕まえましたよ〜」


 女装教師に捕まった、人気絶頂中のアーティスト。


 マジボケして、瞬間移動をした蓮。こんなことが知れたら、ルールはルールの光命がまた大爆笑するだろう。


 さっきまであった無邪気な笑みは嘘みたいになくなっていて、今はただただ怒りで、蓮の綺麗な顔は歪んでいるだけだった。


 ピンヒールのお陰で、二メートル越えになっている月命がニコニコの笑顔を妻に向ける。


「倫はまた隠れてください」


 ――そんなことよりもである。


 しゃがみこんで、妻の手は勝手に伸びてゆく。ミニスカートの下に出ている曲線美を持つ足に。あの感触はどうなっているのか、気になるところ。


「どんな感じで……?」


 結婚指輪と銀のブレスレットをした手につかまれ、倫礼は無理やり立たせられた。


 怖いくらいの笑みを近づけて、月命は一字一句離して言うからこそ、恐怖が増す言い方をした。


「おや〜? 鬼がここにいますから、君は速やかに、か・く・れ・て・ください〜」


 倫礼は背中に悪寒が走り、ぷるぷるっと首を横に振り、


「あぁ、はい!」


 瞬間移動をすることも忘れ、深緑のロングブーツは慌てて、廊下へと走り去っていった。女性らしく内手首にしている、腕時計は、


 ――十四時五十七分五十二秒。


 短針は日に二度訪れる、三にかかり始めていた――――



 ――――倫礼はやけに壁ばかりが目立つエリアを歩いてゆく。


 やっと出てきたこげ茶のドアの前に立って、妻のAラインワンピースはやる気満々でドアノブに手をかけた。


「よしよし! 今度こそ、この部屋で……」


 思ってもみなかった景色が広がっていた。


「っ!?!?」


 目の前には二種類の青。上の青には白い十字がゆらゆらと浮かんでいた。下の青は動いていて、見る見るうちに近づいてくる。倫礼はドアを押していた手を慌てて引っ込めようとした。


「閉めて、閉めてっっ!!」


 だが、遅かった。大理石と水色の絨毯は一気に変色してしまった。妻はがっくりと肩を落とす。


「あぁ……やってしまった……」


 ブーツの深緑がさらに深い緑に染まっている。もう同じ失敗を二度としないように、ドアは絶対に開けず、妻はそれを凝視したまま中を検証。


「飛んでたのはカモメ。真正面から波がザバーンと迫ってきて……今私がいたのは……海? それとも砂浜かな? とりあえずそれは置いておいて、ドアまであっという間に波が近づいて……」


 一生懸命閉めたのだが、間に合わなかった。廊下に押し寄せた波。妻は掃除するであろう誰かに、頭を丁寧に下げた。


「すみません。廊下が水浸しになってしまいました……」


 かくれんぼ中であり、掃除をしている暇がなく、そのまま放置をして、妻は再び乾いた絨毯の上を歩き出す。


 ブラウンの髪の背後で、不思議なことに浸水は綺麗に消え去り、元の平和な廊下が広がった――――


 

 ――――しばらく歩くと、ずいぶんドアの取っ手が低い位置にある扉が現れた。とにかく隠れるだ。


 少し開けづらそうにドアノブを回し、中に入ると、優しい色使いが広がった。


「子供部屋?」


 パンダ、うさぎ、カエルの形をした小さな椅子の群れ。小さな机の脇にかかっているランドセルと肩がけの黄色いバック。


 ランドセルで登校という校則はない。なぜなら、体の構造上、ランドセルを背負えない子供もいるからだ。人だけではないのだから、生徒は。


 色の三大原色、赤、青、黄のデザインの箱。大人が余裕で隠れられる大きさのものを見つけた。


 低い位置にある窓のそばによって、箱の中をのぞいたが、満員御礼だった。


「おもちゃがいっぱいだ。この中には無理……」


 まさか勝手にいじるわけにもいかない。子供たちそれぞれの宝物なのだから。きちんと片付けてあるのを出すことも、倫礼にはできなかった。


 ドアへ振り返ろうとすると、白いクローゼットが目に飛び込んできた。


「あっ! 見つけた!」


 ささっと近寄って、ピンクのレースカーティガンは、折れ戸をそうっと片方だけ開けた。窓から入り込む日差しが、中の薄闇を照らし出す。


 鎧兜よろいかぶとやドレス。カエルの被り物。浴衣や着物がこの世界の五歳児の平均身長、五十センチの大きさで全て下がっていた。


「誰もいない?」


 可愛らしさが満ちあふれた空間。左側は開けないまま、倫礼は決心した。


「よし、この中に隠れて……!」


 折れ戸を閉めた途端、薄闇に慣れない目は物が見づらくなった。扉の隙間から様子をうかがおうと、百八十度振り返ろうとしたが、ベルベットブーツに異変を感じた。


「何か足に引っ掛けた……何だろう?」


 さっきから開けていない扉に、手のひらを当てているのだが、どうも平らではないようで。右に左に落ち着きなく手を動かし、うかがう。


 そんなことをしていると、薄闇の中から、矛盾だらけのまだら模様の声が軽薄的でナンパするように響いた。


「お前、俺のどこ触っちゃってんの?」

焉貴これたかさん……」


 少しずつ慣れてきた視界に、白いファアが二本映った。ボブ髪の縁が扉の隙間からの光りに浮かぶ。未だに手の感触は硬いものではなく、柔らかいものが広がっていた。


「どこですか?」

「聞いちゃいたい?」


 かがんできたようで、焉貴の声がすぐ近くで聞こえてきた。改めて確認してくるとは、妻は持ち前の直感で回避を取った。


「いいです。聞かないです」

「え〜? 聞いちゃってよ〜」


 両肩をつかまれて、揺すぶられる。子供がだだをこねるように。甘さダラッダラの声とともに。


「じゃあ、聞いちゃいます!」


 妻は焉貴のハイテンションを真似して、狭いクローゼットの中で、左手をパッと斜めに上げた。かかっていた服がハンガーごとカチャカチャと揺れ動いた。


 純真無垢なR17夫が聖句でも言うように、


「ペニ◯」


 妻は即行、この夫の口癖を真似する。できるだけ無機質に。


「嘘」


 今も右手は柔らかいものに触れたままで、彫刻像のような彫りの深い顔が、キスができる位置まで迫ってきた。


「嘘じゃないよ」


 三十七センチも背丈が違ければ、ちょうどのその位置になってしまうもので。


「あぁ、すみません。ご立派なものを触ってしまって……」


 かくれんぼをしているわけで、いくら夫婦でも失態なわけで。


 夜には火柱にもなるセ◯キから手を慌てて離そうと思ったが、パッとつかまれられてしまった。


「何? お前、手引こうとしてんの?」


 いつの間にか、反対の腕は背中に回され、腰元は間合いゼロ。


「何をする気ですか?」


 素肌の上にかけられたペンダントのチェーンを間近で見ながら、戸惑い気味に聞いた倫礼。


 だったが、妻の体は床からまっすぐ軽々と片腕で持ち上げられ、焉貴の宝石のように異様に輝く黄緑の瞳とクルミ色のどこかずれているそれは一直線に交わった。


「俺とお前ですることって言ったら、キスしかないでしょ?」


 こんな薄暗いところで。誰もいない二人きりの部屋で。捕まえられて。持ち上げられて。


 自分のセ◯キをいつも自画自賛する夫。それなのに、キスをするとは。妻は違和感を覚えた。


「あれ? 今日は大人しいですね?」


 薄闇にまじりやすい、ワインレッドのスーツが遅れて顔を出し、焉貴はホストみたいに微笑む。


「何? お前、セック◯しちゃいたいの?」

「こんな狭いところでですか!」


 子供が急に増えて、とにかくクローゼットの中は、それぞれの好きな服でいっぱい。


 和装で学校に行く子もいれば、コスプレしていく子もいるわけで。校則がないのだから。とにかく、ものがいっぱいだ。


 かくれんぼから脱線している妻と夫。螺旋階段を突き落としたグルグル感のある声が、四十八手しじゅうはっても顔負けの話を、純真無垢で言ってのける。


「そう。座位と立位とか、俺かお前が浮遊で、ありえない体勢でしちゃ〜う!」


 大人なら誰でも飛べるのである、この世界は。妻は驚くかと思いきや、夫の腕の中で、あきれたため息をついた。


「またですか……」


 よくあることらしい、どうやら。妻を抱きかかえている腕は衰えも疲れも見せず、焉貴のもう片方の手は、妻のあごにプラトニックでありながらエキセントリックに触れた。


「ねぇ? 俺と甘くいやらしいキスしちゃわない?」

「どうしてですか?」


 妻は知らない。夫たちが好きと言わせて、キスをするの条件のもとで動いているとは。


「お前のこと愛しちゃってるからでしょ?――」


 めちゃくちゃなようで、きちんと話は進んでいた。この夫の最大の特徴。無意識の策略。今までの会話のどこかで、策を張っていたのだ。だが、残念ながら、どこでどうやってかが、誰にもわからないという。


「あぁ……」


 すでに抱きかかえられている、クローゼットの中。二頭の馬で引っ張ってゆく戦車に引きずり回されたような、皇帝の威厳の前で、倫礼は戸惑った。


 焉貴の表情はアンドロイドみたいに無機質で、感情などそこに微塵もない。


「何?」


 色欲という感情を持っていないからこその、純真無垢なR17の夫を倫礼はじっと見つめる。


 ――この男は悪を知らない。三百億年も生きている。だからこそ、教えられるのだ。もっとフリーダムにポジティブに生きろと。狭くなりがちな視野。もっと世界は広いのだと。限界いっぱいで勝負していけと。


 間違ったものに左右されるな。いらないのは向こうだと。この男ならば、人の一人や二人。簡単に滅ぼせるだろう。皇帝のような威圧感と無機質な思考で。


 悪の対義語の正義など知らない。彼にとっては普通なのだ。だから、正義感などない。そんな概念など持っていない。普通のことを普通にしているだけ。そんな大人。


 それなのに、二十一時になったら、眠くなると言う。子供と就寝時刻が一緒。しかも、床に転がって、毛布もかぶらず寝オチ。大人なのだから、布団で寝ろと何度注意しても、自分のそばにいたいと言って聞かない。お子さまな男――


 綺麗な大人の男なのに、子供みたいに甘えてくる焉貴。天使か何か神聖なものに出会ったような気がして、倫礼は聖堂で懺悔ざんげするような気持ちになった。


「……愛してます」 


 だが、対する夫の反応はどこまでも無機質だった。


「そう」


 そこにどんな意味があるのかわからない言葉で、妻は妄想世界の聖堂から、子供部屋のクローゼットに引き戻された。


「え? 何ですか?」


 焉貴は未だ倫礼を片手で抱えたまま、超ハイテンションで右手をパッとかかげた。


「情報漏洩です!」


 ミラクル策略家。何をどうやって計算しているのかわからず、妻はびっくりして、大声を上げたのだった。


「えぇっ!? どういうこと?」


 倫礼が驚いている隙に、深緑のベルベットブーツの両足は、焉貴の最低限の筋肉してついていない右腕で、ワインレッドのスーツの脇に通して持ち上げらた。


「それより、お前、おとなしく俺にやられちゃいなよ」


 いつの間にか、すれ違うようにお姫さまだっこをされていることにも気づかず、どこかいってしまっている焉貴の黄緑色の瞳の前で、倫礼はあきれたため息をつく。


「何で、敵を倒すみたいなことを……」


 おでこにコツンと相手のそれがぶつかり、山吹色のボブ髪が頬に触れる。


「キスするんだから、黙っちゃって」


 高校の数学教師につかまえられ、足は床についていない。誰も助けに来るわけもなく――というより、夫と妻なのであって、これでいいのだ。倫礼はとうとううなずいてしまった。


「はい、先生……」


 彫刻のように彫りの深い顔が、ナルシスト的に微笑む。


「俺、キス、マジでうまいからね」


 こんなことまで自画自賛。だが、この男に悪は存在していない。怠惰という視野の狭さなど持っていない。だからこそ、本当の話なのだ。妻は思いっきり言葉を詰まらせ、うなった。


「知っっってます!」


 マスカットの甘い香りが広がると、唇は触れて、絹のような滑らかさが頭をクラクラとさせる。


 ――テクニカルな極上のキス。


 フワフワと泡の上を歩いているような感覚で、いつまでも醒めない夢であってほしいと願いたくな――


「焉貴〜? もういいですか〜?」


 凛とした澄んだ儚げで丸みのある女性的な声が割って入ってきた。唇は名残惜しさもなくスッと離れ、クローゼットの扉はあっという間に開けられたのだった。


「いいよ」


 一人で立つようにと離された倫礼は、マゼンダの長い髪と白いチャイナドレスを見つけて、一気に目が覚めた。


「あれ? 待ってた?」


 かくれんぼである。見つけたら、すぐに声をかけるはずのなのに、言ってこない。


 矛盾を感じている妻を残して、数字に異様に強い焉貴と月命だけで、こんなやり取りが行われた。


「あと残り五十九分零二秒ね」


 ペンダントヘッドから手先が器用と言わんばかりの手が離れて、チャラチャラとチェーンが鳴り響く。その前で、ニコニコの笑顔が腕時計をする内手首に向けられた。


「えぇ、さすが焉貴は違いますね〜」

「そう?」


 気のない返事。焉貴にとっては当たり前のことで、そこにうぬぼれなどないのだ。


 なぜだか、時間制限がある大人のかくれんぼ。真意を隠すためのニコニコの笑みは、妻に向けられる。


「それでは、倫はまた隠れてください〜」

「あぁ、はい」


 倫礼は素直にうなずき、スッと瞬間移動でいなくなった。


 山吹色のボブ髪はかき上げられ、地上にいる全ての人々をひれ伏せさせるような威圧感を持った。


「合格。『わかった』じゃないの、ここはね。まぁ、まだ四十点ってとこね」


 愛する男として、教育者として、夫として。妻の成長を強く望むのだ。


「光が注意したのかもしませんね〜」


 策士の四人はデフォルトでは、絶対に使わない言葉。


 罠を成功させるとかそう言うことではなく、人として、嘘をつかないための対策。相手を傷つけない方法。


 女装教師と数学教師。柔らかな陽光が入り込む子供部屋で、どこかいってしまっている黄緑色の瞳とヴァイオレットのそれは出会う。


 着ている服はどうであれ、体の構造は同じ。白いシルクのミニスカートの上から、焉貴はさっき妻に触られたところに、何のけがれもなく、ダイレクトに手を押し当てる。


 月命のピンヒールは裸足に寄り添い、二人の手はお互いの指先をひとつひとつ大切に絡め取った――――

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