好きと言わせて

 ――十一月二十四日、日曜日。


 銀色のカーテンは今はタッセルに身を預けていた。紫のレースのカーテンの向こうから、冬の日差しが穏やかな光の波を大理石にそっと落とす。


 まだ使われることのない、乳白色の支柱を従えた暖炉。


 その前にある一人がけのソファーで、光沢があるワインレッドのスーツを着た焉貴これたかが、どこかの国の皇帝のように堂々たる態度で座っている。シャツの色はどこにもない。


 素肌の前にある何重ものペンダントに混ぜられた時計は、


 ――十四時零八分五十五秒。


 を指している。どこかのホストと勘違いするような、首から長く下げた白いファアが淡雪のようにアクセントを置く。


 冬だろうと何だろうと裸足。その持ち主のまだら模様の声が、何重畳もある談話室に響いた。


「ねぇ? お茶買ってきたの?」


 問われた人のマゼンダ色の長い髪は、リボンに珍しく拘束されておらず、後ろから見たら、完全に女性と勘違いする有り様。月命るなすのみことのニコニコの笑みは、紫の陽光に混じりこみ幻想的だった。


「いいえ。買いに行こうと、門の外へ出たら、ぜひこちらを僕に渡したいとおっしゃる方がいらっしゃったんです〜。ですから、いただいてきました〜」


 他の夫たち八人のあきれたため息が、大きなシャンデリアの下で響いた。


「お前また、知らない人から物をもらって……」

「世の中、親切な方がいらっしゃいますね〜」


 凛とした澄んだ女性的な声がおどけた感じで言うと、服にシワができるというナルシスト的な理由で、暖炉の脇にさっきからずっと立っている、蓮の超不機嫌な顔が怒りで歪んだ。


「コーヒー……くそっ!」


 暖炉のある洋間。ある意味、そこに一番マッチしている服を着ている俺さま。


 中世ヨーロッパの騎士みたいな出で立ちの黒いロングコート。四本のスリット。光沢があり、チャックは右上から左下の斜め。胸元には小さなベルトが四つ。


 いわゆる、複雑な構造の服で、快適さよりもオシャレ感を最優先させたゴスパンクファッション。


 孔明の漆黒の長い髪に寄り添うような、黒のロングブーツに整列するベルトのバックル。


 その前の一人がけのソファーに横向きで、肘掛の上に乗せる孔明の足にはスカートのように見えるような黒のワイドパンツ。こっちはモード系ファッション。


「蓮、どうしたの〜?」


 白い着物を連想させる、ロングのカーディガンとシャツの斜め後ろで、ピンクのワイシャツに空色のカーティガンを肩がけしている貴増参たかふみがにっこり微笑む。


「苦味にノックアウトされてしまった、R&B界の王子でした」


 蓮ときたら、レストランでもカフェでも、一番甘いものを頼むほど、苦いのが大の苦手なのだ。コーヒーなどもってのほかなのである。


 ローテーブルを前にして、三人がけのソファーに座っていた独健どっけんのミサンガが、ペットボトルからミリタリーパンツの上にすっと降ろされた。


「砂糖とミルクいるか?」

「ん」


 蓮の左耳で、叡智えいちの意味を表すエメラルドグリーンのピアスが、シャンデリアのきらめきと交わる。


 ソファーに座っているのに、畳の上で茶道をするようにすうっと背が伸びている、下が紺で上が白の袴姿。


 和装という異彩を一人放っている夕霧命ゆうぎりのみことの地鳴りのような低い声が、灰色がかった明るい紫、あおい色の絨毯に降り積もった。


「あまりは?」

「九本でしたよ」


 頭の上に乗っている銀のものを、手で直している月命を、夫たちは全員で見つめて、


「どうなっている?」


 怪奇現象と言っても過言ではないだろう。知らない人なのに、本数がピタリと合う。しかし、これがルナスマジックなのである。


 月命のピンクのベルトがついた腕時計は、


 ――十四時零九分三十五秒。


 の顔を見せていた。小学校教諭らしく、パンパンと手を叩いて、夫たちの意識を自分に注目させたのだった。


「は〜い! それではみなさん、本日集まっていただいたのは他でもありません。僕たちの妻、倫礼についてのことです〜」

「倫のこと?」


 全員が聞き返す中、光命ひかりのみことの冷静な水色の瞳はついっと細められた。


 月命は銀のブレスレットをした手で、マゼンダ色の長い髪を耳にかける。


「えぇ。みなさんで一緒に今よりも仲良く、倫礼を愛しましょうという話し合いの場です。名づけて、倫礼対策会議、第一回です」


 洗いざらしの白いシャツとフードつきのジャケットというラフな格好の、独健の鼻声が果敢にも、窓際に立つ女性みたいな夫に挑んだ。


「何で、十四時七分に集合だったんだ?」

「そちらは、僕の仕事の終了時刻が少々押してしまったからです〜」


 白の光沢のある服の上で、月命の人差し指が、こめかみに困ったように突き立てられる。彼の腕時計は、


 ――十四時十分零三秒。


 紺地の花柄のシャツの下に履いている、長いジーパンを組み替えると、ウェスタンブーツのスパーがカチャカチャと音を歪ませた。


「また何か企んでいやがんだろ?」


 鋭いアッシュグレーの眼光の先で、月命の素肌の足がクロスされる。


「おや? 気づかれてしまいましたか〜」


 羽ペンが斜めに止まっているメモ帳。書斎机に腰でもれかかる光命のピンクのストールはエレガントに胸元を演出。優美に輝くロイヤルブルーサファイアの十字のペンダントとカフスボタン。


「どちらの情報をほしがっているのですか?」


 優雅な策士VS残忍な策士。


「さすがひかりですね〜。話が早いです」


 まぶたの上で横向きに引かれたターコイズブルー、ネオンピンク、ライムグリーンの線の隣で、月命の人差し指は再びこめかみに当てられた。彼の腕時計は、


 ――十四時十分十五秒。


「実は少々困っていまして……。僕は結婚してから、彼女に好きと言われたことが一度もないんです〜」


 妻の気持ちは置き去りで生活は始まり、今日までの日々を送ってきてしまった。当然、他にも起きていて、螺旋階段を突き落としたようなグルグル感のある声で、


「俺もないね」


 爪を見ながら、孔明の春風みたいに穏やかな響きが間延びする。


「ボクも〜」

「オレもねぇな」


 明引呼あきひこのガサツな声が談話室に馴染むと、彼の二つのペンダントヘッドがチャラチャラとすれ合った。貴増参の羽布団みたいな柔らかで低い声が同意する。


「僕も聞きそびれちゃってます」


 そうして、独健の鼻声が意味不明なことを言い、


「そういえば、俺も聞いてないな。あ……あい……愛してないとかか?」


 邪悪なヴァイオレットの瞳を召喚させてしまった。平和な談話室に。


「おや? 君にも困りましたね〜。独健は理論がないので、放置というお仕置きをしましょうか〜?」


 ほぼ理論派とっていい、明智家分家の夫チーム。


 皇帝で天使で大人で子供で純真で猥褻で矛盾だらけの、歩くR17策士から、無機質に聞き返された。


「お前、何言っちゃってんの?」

樫美かしみはなぜ、生まれたのですか?」


 遊線が螺旋を描く優雅だが、瞬間凍結させるような冷たい響きが、光命からやってきた。そうして、もう一人、いや、策士大先生から、優しく陽だまりみたいな好青年の笑みがもたらされた。


「倫ちゃんのいる世界みたいに、間違いで生まれないかも〜?」

「なぜ、不確定だ?」


 夕霧命が絶対不動でツッコミ。孔明、油断も隙もないのである。時間ばかりがいたずらに過ぎてゆく、夫たちの会話。


 唇についたコーヒーを指先で拭い去り、奥行きがあり少し低めの声が、突き刺すように部屋の空気を横切ってきた。


「お前ら、ドミノ倒しみたいに次々に罠を仕掛けるな! 早く先に進ませろ!」


 カウボーイハットを片手で押さえながら、厚みのある明引呼の唇からふっと笑い声がもれる。


「火山噴火しやがったぜ」

「あ、そうだな。倫との間に男の子が生まれた。それって、真実の愛があるってことだな」


 感覚派夫、独健は他の夫たちに気圧されながらも、明引呼の向かいの席で大きくうなずいた。


 独健騒動でうやむやになりそうだったが、この中の誰よりも執念深い月命は決して見逃さなかった。


「焉貴以前に結婚した君たちにもきちんと答えていただきます〜。彼女に言われたことがあるんですか〜?」


 無感情、無動のはしばみ色の瞳はそっと閉じられ、


「言われとらん」

「いいえ、言われていませんよ」


 紺の長い髪はゆっくりと横へ揺れた。結婚歴が短い順にたどってきた旅路。一人まだ返事を言ってこない、ゴーイングマイウェイの俺さま。


 山吹色のボブ髪は、焦点が合わない黄緑色の瞳の前で、指先で引っ張られる。


「最初に結婚したお前は?」


 鋭利なスミレ色の瞳は部屋を切り刻みそうなほど、あちこちにやられていたが、


「…………………………」


 やがて出てきた言葉は、


「……ない」


 だった。指先に現れたマスカットで指差すように、焉貴は蓮にそれを見せつける。


「前から思ってたけどさ。お前とあれって、どうなっちゃってんの?」

「どうとはどういうことだ?」


 シャクっと果実をかじり、さわやかで甘酸っぱい香りが広がる。


「九年も結婚してんのに、お互い好きって言ってないってさ」

「お前らに、あれと俺とのことは関係ないだろう!」


 蓮の天使のように綺麗な顔はふと怒りで歪み、こんなことを怒鳴り散らしたのだ。光命の冷静な水色の瞳は今や、氷河期のように冷たかった。


「関係があるではありませんか? 私たちは夫婦なのですから」


 全員で結婚しているのだから。どこかひとつでもほつれたら、みんなで解決するが、複数婚のルールだ。


 暖炉の上にある燭台を凝視したっきり、蓮は何も言わなくなり、


「……………………」


 焉貴の右手がパッとハイテンションで上げられると、最低限の筋肉しかついていない素肌がジャケットからはみ出した。


「ノーリアクション、返事なし、すなわち、反省中!」


 月命は頭の上に乗せてある銀のものが、落ちてこないようにまた直した。


「しかし、なぜ、彼女は僕たちに好きと言わないんでしょう?」


 孔明、光命、焉貴の順で、こんな言葉が交わされる。


「そこからかも〜?」

「そうかもしれませんね」

「そうね〜」


 策士四人のデジタルな頭脳の中で、天文学的数字を超えるデータがナイアガラの滝のように次々と流れ出した。


 事実とそれぞれの可能性のパーセンテージが、自分を含めて十人のこれから取るであろう言動をはじき出す。


 全てを覚えている記憶力など、凡人の域ではなく、


「指示語で言われても、策士のお前たちにしかわからない」


 他の夫たちはただただ途方に暮れるしかなかった。


「ですから、こちらの機会に彼女に好きと言っていただくというのはいかがでしょうか?」


 月命がもう一度仕切り直して、


「えぇ、構いませんよ」

「倫ちゃん、言ってくれるかなぁ〜?」

「いいね」


 光命、孔明、焉貴、策士たちの時計は、


 ――十四時十分三十五秒。


「いいぜ。俺も聞きてぇからよ。いい加減よ」


 カラになったペットボトルがぽいっと後ろに投げ捨てらると、ガタイのいい明引呼の背後ですっと消え去った。はつらつとした若草色の瞳はかなり戸惑い気味に、


「告白……なのか?」


 独健の鼻声を受けて、貴増参がにっこり微笑んだ。


「そうです。倫の告白大作戦です」


 そうして、この中で一番腰の重い夕霧命の両手は軽く握られ、体に近い膝に行儀よく乗せられた。


「構わん」

「お前らの好きにしろ」


 指先全てを覆うような指輪。アーマーリングをした手で、蓮は追い払うように前に押し出した。


 もちろん、月命の話はこれだけには止まらず、恐怖も裸足で逃げ出すほどの含み笑いをする。


「ですが、ただするだけではつまりませんからね〜。こちらのようにしましょう。かくれんぼをして、彼女と二人きりで隠れている間に言っていただくです」

「時間制限ね」


 山吹色のボブ髪は、器用さが目立つ手でかき上げられた。ドキマギし出した独健は落ち着きなく、ローテーブルの上に飾られた花を見て、暖炉を見て、ドアを見てを始めた。


「か、考えただけで、ドキドキするんだが、どうしてだ?」


 チェック柄のズボンの足を組み替えて、貴増参はあごに人差し指と親指を当て微笑む。


「吊り橋効果の応用です。鬼に見つかるかもしれないというドキドキと、好きと言っていただけるかの緊張感。ですが、成功したら、星空みたいにキラッキラの彼女から愛の言葉が待ってます」


 紫のレースのカーテンの前にずっと立っている、マゼンダ色の髪は腰までの長さで、ストレートであるが、ふんわりと程よいカーブを描いていた。


「鬼は僕がやります〜。ですが、みなさんはよく考えて隠れてください〜。僕は彼女しか探しません。彼女がそばに来ない時には、放置というお仕置きです。従って自宅で行き倒れていただきます〜」


 自分の家で餓死しろと言う。このドSな鬼は。夫たちはあきれたため息をつく。


「死なないのに、意味不明だ」


 ここは永遠の世界。この夫は、負けたがり屋のドM。混合型だった。


 はっきりとボディーラインを描く月命の白い服を、聡明な瑠璃紺色の瞳に映して、小首を傾げると、頭高くで結い上げてもなお、腰までの長さがある漆黒の髪が、葵色の絨毯にひどく妖艶ようえんに落ちた。


「ボク、チュ〜もしたいんだけどなぁ〜?」

「それでは、そちらも入れてしまいましょうか〜? 他に提案はないですか〜?」


 ムーンストーンの指輪の後ろで、ベビーピンクの口紅が塗られた唇が動いた。どうもさっきから様子がおかしい月命に、夫たちが視線を集中させる。


「ない」


 小学校教諭は、パンパンと手を叩いて、綺麗にまとめ上げた。


「もう一度確認です〜。彼女に好きと言っていただく、キスをするの目標は二つです。それでは、全員一緒に、彼女を誘いに行きましょうか〜?」


 ペットボトルが手元から瞬間移動で、それぞれの望んだ場所へ去ってゆく。


 その中で、ひまわり色の短髪は戸惑い気味に、窓際に立っている月命の全身を上から下まで眺めた。


「最初から思っていたんだが、るなすの服を誰も突っ込まないのは、罠なのか?」


 白い光沢のある服は、膝上までしか丈がなく。その下は曲線美がひざまずくほどの足がのぞいている。


 アッシュグレーの鋭い眼光は、女物の細いシルバーのブレスレットとモチーフの三日月に注ぎ込んでいた。


「てめぇ、どういうつもりで、それ着てんだよ?」


 少し離れた窓の前で、月命の服のスリットは腰上高くまで入り込み、悩殺全開だった。


「なぜ、そちらの服装なのでしょう?」


 甘くスパイシーな香水と優雅な声が混じると、ソファーの上で横になっていた孔明がエキゾチックなこうを起こした。


るなす〜、そういう趣味なの〜?」


 大理石を噛みしめるようにしっかり立っているのは、白のピンヒール。腰の低い位置で両腕を組んでいた夕霧命が、バッサリと切り捨てた。 


「意味がわからん」


 アイメイクはバッチリで、ターコイズブルーで主線を引き、ライムグリーンでまぶたを覆い、アクセントにネオンピンクを置いてあった。


 バイセクシャル複数婚だろうが驚きもしない、貴増参はにっこり微笑む。


「カンフーでお姫さまのハートをがっちりキャッチ作戦です!」

「チャイナドレスなのになぜ、ティアラをしている?」


 鋭利なスミレ色の瞳は、冬の日差しを後光のように浴びている、女装夫の頭の上を見ていた。


 夫全員からツッコミを受けた、月命の服装は、


 白いミニのチャイナドレス。

 腰上までのスリット。

 ピンヒール。

 女性も顔負けな綺麗な化粧。


 そうして、マゼンダ色の髪の上にサイズが小さめのティアラが載っていた。


「こちらは、繁礼かるれが貸してくれたんです〜」


 ヴァイオレットの瞳は邪悪さが息を潜め、本当に嬉しそうに微笑んだ。子供がくれる幸せを数多く知っている教師。もう一人の数学教師のまだら模様の声が響き渡った。


「繁礼ちゃん、優しいね〜。娘からのプレゼント受け取らないわけにはいかないよね、パパとしては」

「えぇ。うふふふっ」


 焉貴のワインレッドの服が、白のチャイナドレスに近づくと、さっとしゃがみこみ、月命のミニスカートの中を下からなめるようにのぞく。


「それにしても、お前、足綺麗だね」

「僕を褒めても何も出ませんよ〜」


 月命がおどけた感じで言うと、焉貴はさっと立ち上がって、女装夫のあごに指先をそっと添えて、ホストみたいに微笑んだ。白いマグマが噴火するさまを口にする。


「嘘。男だから射◯して、いっぱい出しちゃうでしょ」

「うふふふっ」


 凛とした澄んだ含み笑いが響く少し前の、策士四人の時計は、


 ――十四時十一分五十九秒。


 九人全員が一斉にすうっと消え去り、冬の陽光を受けて、淡い乱反射を発しているシャンデリアの下で、ローテーブルの上の花が昼寝シエスタから目覚めた――――



 ――――夫全員が妻の部屋を訪れると、爆音のオルタナティブロックが聞こえてきた。夫たちが後ろに瞬間移動で現れても、妻は気づかなかった。こうだったからだ。


 ロックの縦ノリで、長いブラウンの髪は激しく揺れに揺れていた。オルタナティブのグルーブ感を右に左に両腕を振って取る。


 その姿はまさしく、嵐の風に狂ったように揺れる大木のようだった。だが、おかしなことに、椅子の上にきっちり座って、PCを前にしてなのである。


 光命が真っ先に反応した。ロイヤルブルーサファイアのカフスボタンを従えた、神経質な手の甲を中性的な唇にパッとつけて、くすくす笑い出して、


「…………」


 肩を小刻み揺らし、それっきり何も言わなくなり、いわゆる彼なりの大爆笑を始めた。愛する夫、一人撃沈。妻が気づいていないうちに。


 曲が終わってもすぐに再生で、バカみたいに同じ曲を延々リピート。中毒を今や通り越して、トランス状態に陥っている妻。


 ある意味、妻の夫を放置するはひどく、背を見せたまま踊り続ける。だが、夫チームも負けてはおらず、光命を除外して、お互い視線だけでやり取り。


 ――誰か止めろ。

 もう少しやらせとけば?


 お互いに放置。ということでひとまず、解決。だったが、倫礼ときたら、いつまでも踊り続けているのである。太陽が次第に西へと傾いてゆく。


 こんなバカな女でも、九人のいとしの妻なのである。夫たちが先に折れた。


 ――ひかりが笑いの渦から戻ってこれないから、誰が声をかける?


 こうなったら手に負えないのである。話しかけても聞こえないのだ。妻には。全員の視線が銀の長い前髪に殺到した。一番付き合いの長い人にお願いするしかない。


 当の本人は両腕を腰の位置で組み、アーマーリングをした指を、トントンとイライラ全開で叩きつけ、鋭利なスミレ色の瞳は、妻の姿が視界に入らないように、窓に向けられていた。


「蓮?」


 まだら模様の声に反応して、R&Bのアーティストは夫たちに顔を向けた。全員が妻の踊る背中を指差す。


 いつにも増して、超不機嫌な俺さま夫。首をあきれたように左右に振り、ゴスパンクのロングブーツがモデル歩きで、妻の左後ろから近づいた。


 思いっきり上から目線で妻を見下みくだして、バカにしたように鼻で笑い、「ふんっ!」こう言った。


「お前のリズム感はしょせんその程度だな。踊られた曲もいい迷惑だ」


 ひねくれな内容に、夫たちが背後から突っ込んだ。


「自分たちに気づかないことではなく、そっちにイラついていたのか!」


 だが、効果はあった。妻はピタリと動きを止め、百九十七センチのすらっとした夫の鋭利なスミレ色の瞳をにらみ返した。


「カチンと来るな」


 しかし、このズケズケとものを言ってくる夫の心のうちを、妻は知っている。自分に正直であるがゆえ、思っていることは全部言葉にしてしまうのである。それは、己に嘘をついていないということだ。人に媚びていないということだ。


 つまりは、心が澄んでいるのだ。だから、倫礼はすぐに納得するのだった。


「まぁ、そうだね。蓮に比べたら……」


 単純に気になった妻。


「どう踊るの?」


 俺さま全開で応えた夫。


「いい。見せてやる」


 他の夫たちを置き去りにして、倫礼と蓮は二人きりのステージにいつの間にか立っていた。


 スポットライトを浴び、ゴスパンクの服は踊り出す。右に左にグルーブ感を取り、時にはバックステップを踏み、スリットの入ったコートの裾をふわっと広げて、ターンをする。


 今度は、夫たちは蓮の踊る姿を見るの図である。妻の視界には誰も入らず、マジボケしている蓮ばかり。一曲終わると決めのポーズを取った。倫礼は妙に感心。


「やっぱりキレが違うね」


 乱れた銀の前髪を、潔癖症らしく直しながら、自分に正直だが性格はひねくれ。そんな夫の綺麗な唇から出てきた次の言葉はこうだった。


「当たり前だ。お前、俺を誰だと思っている? 人気絶頂中のR&Bアーティスト、ディーバ ラスティン サンダルガイアだ」


 同じ音楽事務所の光命が、今度は蓮に撃沈されたのだった。せっかく、優雅に佇み始めたのに、手の甲を唇につけて、ピンクのストールを小刻みに揺らし始めた。


「…………」


 五十歩百歩。大同小異。他の夫たちはため息をつく。


「自分の芸名を、妻に宣伝している……」

「…………」


 ディーバさんだって知っている。だから、踊ってと頼んだのに……。


 倫礼は何度もその言葉をぐっと飲み込んだ。ここで何か言おうものなら、火山噴火するのが目に見えているからだ。


 妻の斜め後ろにあるデジタルの置き時計に、ヴァイオレットの瞳は隙なく向けられていた。


 ――十四時三十六分零零秒。


 邪悪な目はニコニコのまぶたに隠され、月命はターゲッティングする。我妻を。


「倫〜?」


 凛とした澄んだ女性的でありながら、誰がどう聞いても男性の声に反応して、どこかずれているクルミ色の瞳が背後に立っている夫たちにやっと向いた。


るなすさん?」


 神がかりなイケメンの夫たちが横並びに整列。結婚式でしかそんなことはなく、日常で出会えるとは思わなかった、倫礼はまぶたをしばたかせた。


「あれ? みんなどうしたんですか? 全員で集まって……」


 マゼンダ色の髪が女性らしさを振りまき、月命が好きと言わせての罠へ妻をきざなう。


「君には僕たちと一緒に来ていただきます〜」

「どこへ行く――」


 瞬間移動を勝手にかけられた、倫礼は途中までしか言えなかった。意識化でつながるPC。再生されていた音楽は勝手に停止し、穏やかな日差しだけが部屋で日向ひなたぼっこをしていた。

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