時限爆弾ケーキ その二

 あまり効果のなかった情報収集。妻は水をガブッと飲み、決意を新たにした。


「爆発してないので、もう一周いきます! じゃあ、好きなものを答えてください。さっき、本当の職業を答えなかった人は、それも答えてから、次の人に回してください」


 今度こそ逃してなるものか。言ってやった。


「じゃあ、私から……」


 妻はケーキを両手で軽く抱えて、考え続ける。


「ん〜〜? 好きなもの? 何だろう?」


 どこかずれている記憶の引き出しを引っかき回しているのだが、倫礼には答えが出てこなかった。止まっている時限爆弾ケーキ。それを見つめて、夫たちはため息をついた。


「うちの奥さんは感覚だ……。後先考えずに物事進めて……」


 自分からだと振ったのに、答えられないという。しかも、惑星が吹っ飛ぶケーキをのんきに抱え込んで思案中。戦いが起きたら、真っ先に死ぬタイプだった。


 そんな妻だったが、個性的なものを口にした。


「ミニシガリロ!」


 知らない人は知らない代物。もちろん、夫たちは知っている。焉貴これたかがネックレスのチェーンから手を離して、人差し指を向けてきた。


「渋いとこいったね」

「それって、タバコサイズの葉巻のことことでしょ?」


 爪を見つめている孔明からの問いかけに、倫礼はノリノリで話し出そうとした。


「はい、そうなんです。これがなかなか――」


 ケーキが止まったままであり、隣にいるれんはイライラして、テーブルを手でバシンと叩き、


「いいから、お前早く俺に回せ」


 我に返った妻は、おずおずとケーキを横滑りさせた。


「はい……」


 無事に自分の番がきた蓮は、針のような銀の前髪をシャンデリアの下で光らせながら、鋭利なスミレ色の瞳は一点を見つめたまま、


「俺は……????」


 それっきり何も言わなくなった。そうして、独健どっけんを中心として、驚き声が上がる。


「お前も考えてなかったっ?!」


 倫礼と同じ間違い、戦地で真っ先に死ぬ夫がここにもいた。マジボケしている、人気絶頂中のR&Bミュージシャンを前にして、孔明こうめいは陽だまりみたいに微笑んで、なぜこんなことをやらかしているのか伝えた。


「蓮、感覚っていうか、感性だよね〜」

「そういうところは、蓮とりん似てるよね」


 焉貴は膝を抱えて、無表情で座り直した。ジンのお代わりが勝手に注がれたショットグラスをあおり、明引呼あきひこのしゃがれた声が同意。


「だな」


 未だ考え続けている蓮の鋭利なスミレ色の瞳は、今や我が家を細かく切り刻みそうなほど鋭くなっていた。倫礼を間に座っていた独健は助け舟を出す。


「音楽でいいんじゃないのか?」


 同じ音楽家の光命ひかりのみことが、手の甲を頬に当てながら、頬杖をついた。


「ヴァイオリンっていう手もあります」


 よこせと言われて、渡したのに、未だ止めている夫。妻の鉄槌が下った。


「全裸で走るもあります」


 公然わいせつ罪みたいなのが出てきた。夫たちのほどんどが顔を見合わせたが、


「何それ?」


 知っている夫がいた。それは光命である。彼の遊線が螺旋を描く優雅な声が、真実の扉を開いた。


「以前走っていましたよ。スーパーに行った時に」


 みたいではなく、本当に、公然わいせつ罪だった。すらっと背が高く、まず笑わない人気絶頂中のアーティスト蓮。落ち着いていて洗練されていて、口数も少ない。それなのに、


 全裸でスーパーを走る――


 漆黒の長い髪をスースーと指先ですいた、孔明が間延びした感じで言ってきた。


「ハレンチ蓮だぁ〜」

「俺も服着たくないけど、さすがに全裸はないね」


 大人のワードを平然と口にする夫、焉貴。彼の服はいつもはだけていて、袖口のボタンも全開。襟からは鎖骨が常に見えていて、裸足でピタピタと歩き回る。だが、蓮のようなことはしない。アーティストと教師の違いなのかもしれない。


「涼しい顔して、何やってんだよ?」


 ずっと固まったままの蓮に、明引呼の鋭いアッシュグレーの眼光が向けられた。光命を挟んで隣に座っていた夕霧命ゆうぎりのみことが、拳を口元に当てて、噛みしめるように、


「くくく……」

「夕霧が珍しく笑っている」


 遅れに遅れて、反応した絶対不動の武術夫に、全員の視線が集中した。そうして、さらに遅れて、羽布団みたいな柔らかさで低い声がやっと正直に言ってきた。


「国家の治安維持、きらめき隊の僕が出動です」

「今ごろ、たかの本当の職業が出てきやがったぜ」


 明引呼は椅子を後ろに引いて、テーブルの上にウェスタンブーツの足を投げ置いた。カーキ色のくせ毛の持ち主は気にした様子もなく、ふんわりと微笑む。


「僕の名前は貴増参たかふみです。ですから、省略しないで呼んでくださいね♪」


 焉貴先生から、ミュージシャンに教育的指導。


「お前、何やってたの?」


 蓮の鋭利なスミレ色の瞳は微動打にせずだったが、


ひかり……」


 隣に座る夫の名前を口にした。だが、それきりで何も言ってこない。しかし、焉貴先生はよくわかっていた。


「光とセッ◯◯して、そのあと気分がよかったから、そのまま走ったってことね」


 世界の全てを切り刻みそうな鋭利なスミレ色の瞳。綺麗な唇は一ミリも動かない。


「…………」


 倫礼と焉貴が声が重なった。


「ノーリアクション、返事なし、すなわち、図星!」


 全裸で公共の場を走る夫。それを知っていた妻。当然、みんな聞き返してきた。


「注意しなかったの?」

「しましたよ」

「何て?」

「その前でプラプラさせてるものは、服の中にしまってくださいって」


 さすが、逆ハーレムをしているだけあって、倫礼は強かった。


「あははははっ……!」


 ケーキは未だ、蓮の前から動かない。そうして、この夫の特技が出た。テーブルをバンッと叩き、


「俺の番だ。俺に発言権を与えないとは、お前らどういうつもりだ!」


 グツグツと煮立つ活火山のマグマが、山頂から天に突き抜けるように上がり、地面に降り注いだようだった。焉貴のまだら模様が、この現象を綺麗にまとめ上げる。


「あぁ〜、火山噴火しちゃったね」

「じゃあ、答えてください」


 こうなったらおしまいなのである。ああ言えばこう言うで噴火は続く。蓮はいつもそうなのだ。妻としては、大人になって、要求を叶えるだけだ。そうして、蓮の綺麗な唇から出てきたのはこの言葉だった。


「潔癖症だ」


 意味不明である。倫礼は隣に座っている蓮の横顔をじっと見つめた。


「あれ? 好きなものだったよね?」


 ――好きなものが潔癖症?


 どうしてこの回答なのかわかって、隣に座っていた光命ひかりのみことが神経質な手の甲を唇につけて、くすくす笑い出した。


「おかしな人ですね、蓮は」


 他の夫たちはわからず、毒気を抜かれた顔になったのである。


「????」


 だが、わかっている夫はもう一人いた。焉貴はボブ髪を大きくかき上げ、


「お前、それって、ひとつ抜けてんだけど……」

「どうして、それが出てきたんだ?」


 独健のひまわり色の髪が、倫礼を間に挟んで、のぞき込んだ。


「…………」


 だが、当の本人の鋭利なスミレ色の瞳は右往左往するだけで、言葉は返って来ず。どうやら、本人もわかっていないようだった。焉貴から感性で飛び越した間の説明がやってきた。


「綺麗、からきたんでしょ?」


 ――好きなものが綺麗好き?


 初っ端止まっている時限爆弾。妻は首をかしげながら、


「その好きなものじゃなかったと思うんだけど……」


 もう一度夫の横顔を見上げようとしたが、刺し殺しそうなほど鋭利なスミレ色の瞳が、思いっきり上から目線で降り注いでいた。


「っ!」


 倫礼は慌てて顔をそむけ、ボソボソとつぶやく。


「あ、あぁ。にらみで強行突破……。じゃあ、光さん。今度は職業きちんと答えてください」


 ケーキは無事に進み出した。紺の髪を細い指先で、耳にかけた光命はうなずき、「えぇ、構いませんよ」今度はきちんと答え始めた。


「職業は活動休止中のピアニストです」


 あっている。しかも、今はお休み中。だが、孔明の間延びした声が引き止めた。


「それだけなの〜?」

「お前、違うでしょ」


 焉貴も引き止めている隣で、月命るなすのみことが困った表情をして、人差し指をこめかみに当てていた。光命の紺の長い髪は、首を横に振ったことで、サラサラと揺れる。


「違ってなどいませんよ」

「あぁ? あんだけまわり巻き込んどいてよ。シラ切りやがって」


 明引呼の太いシルバーリングは、ジンのショットグラスにカツンとあたった。この話についていけていないのは、独健であった。


「どういうことだ? 俺にはさっぱりなんだが……」

「光は昔から、人ごみを歩くと、全員振り返る」


 一番長く付き合いのある夕霧が答えると、焉貴のハイテンションが入り込んできた。


「誰が見ても、本当綺麗だからね。光ってさ」


 この男、要注意なほど絶美。この世界は永遠。それなのに、ガラス細工のように壊れやすいはかなげな美しさを持つ。だからこそ、人々は惹きつけられるのだ。しかも、雰囲気は中性的。ピアニストでなくても、ファンクラブがあるほどなのである。


 似たような雰囲気のある月命の、凛とした澄んだ丸みがある女性的な声が追加の言葉を告げた。


「そちらだけではありませんよ〜。悪戯をしてきます〜」


 夫婦間で悪戯。お子さまこの上ない。この優雅な王子は。


 だが、妻は全然違うところで引っかかった。


(あれ? るなすさんもおかしい気がするなぁ〜? 話してくるなんて珍しいなぁ)


 倫礼の違和感は放置され、独健の鼻声が斜め前の夫の名前を口にした。


「それは、孔明も一緒だろ?」


 悪戯坊主、もう一人現る。間延びはしているが、クールなイメージの孔明までもと、妻があきれていると、貴増参の右手は胸に感慨深く寄せられたのだった。


「違います。僕は知ってしまったんです。策略をしてくるのは、ひかり焉貴これたかるなす、孔明の四人だと」


 いすぎである。悪戯する人が。明智家は、少々おかしな人たちの集まりなのだった。明引呼の手が貴増参のそれをバンと叩いた。


「貴、てめぇもシラ切りやがって。てめぇも時々してくんだろうがよ」

「僕の名前は貴増参です。省略しないで――」


 夫の口癖が出そうになったが、まだ二人目であり、妻は大声でさえぎった。


「すみません。好きなものから遠ざかってます!」


 そうして、光命は続きを答えたが、隣に座っている夫の名を口にした。


「夕霧です」


 ――好きなものが夕霧命。


 バイセクシャルだからこそ、あり得る回答。焉貴の手のひらがボブの前髪から、顔シャツを通って、腰元へ悩ましげに落ちていった。


「また〜! もう、俺毎日見ちゃってんだけど、それ」


 光命と夕霧命はとにかく、ラブラブなのである。だが、今は詳しいことに構ってはいられない。まだ三人目だ。妻は大声を張り上げた。


「いやいや、ものです! 人じゃないです!」

「それでは、紅茶です」


 光命は優雅に微笑んで、ティーカップに中性的な唇を近づけた。螺旋階段を突き落としたみたいなぐるぐる感のある焉貴の声が響いた。


「じゃあ、次、夕霧、答えちゃってください!」

「修業だ」


 武道家らしい内容だった。夫たちの視線がなぜか忙しくなったが、妻のどこかずれているクルミ色の瞳は映らなかった。


 変な空気を読み取ったのは、独健だった。夫全員の視線が自分に集中していたのである。居心地が悪くなり、仕方なしに、


「あれは……言わなくていいのか?」

「何?」


 ペンダントヘッドをいじりながら、焉貴が短く聞き返した。ジャスミン茶の香りを楽しんだ孔明が可愛げに小首を傾げる。


「最初から、武道家じゃなかったんじゃなかったかなぁ〜?」


 十四年も通い続けた仕事。結婚してから、しばらくして様々な事情で、武術の道を歩むこととなった。


「前職は、独健と同じ躾隊しつけたいだ」


 その経緯を知っている妻は、グラスの縁を指先でなぞって、極力小さな声で言った。


「なんかごちゃごちゃしちゃったなぁ……」


 どうも話がうまく進まない、この時限爆弾つきのデータ収集。そうして、また別の一手がまだら模様の声で、夫から向かってきたのである。


「お前、その独り言聞こえてんだけど……」


 倫礼は頭をプルプルっと振って、イニシアチブを握る。


「あ、いや。焉貴さん、答えちゃってください!」

「フルーツです!」


 食後のお茶にフルーツジュースを飲んでいる夫。後れ毛をツーッと引き伸ばしながら、孔明の聡明な瞳は手のひらを見ていた。


「好きだよね〜」

「特にマスカット」


 とにかくずっと食べているのだ、焉貴ときたら。


 料理を作っている身として、独健は意見があったが、途中から恥ずかしくなって、つっかえた。


「いつも食べてる、っていうか、俺が作ったチャーハンを全部残して、デザートばっかり食べて、どうなってるんだ? 夫夫ふうふのあ……愛が足りないのか?」


 そんなことをバイセクシャルの夫婦間で言ったら、どうなるか目に見えている。焉貴は右手をさっと上げて、最低限の筋肉しかついていない肌がシャツからのぞいた。


「じゃあ、今夜独健とセッ◯◯して、愛をはぐくんじゃいます!」

「なっ!」


 驚愕に染まった独健だったが、蚊帳かやの外の倫礼は適当に話を流した。


「はい、じゃあ、独健さんと焉貴さんの2Pができたところで、次です」


 こんなことは明智家では当たり前なのである。勘の鋭い独健が今度は違和感を抱く。


「何だか、いつもの流れに話がいってるような気がするんだが、気のせいか?」


 だが、独り言さえも、あのニコニコの天使みたいな笑顔なのに、悪魔みたいなことをしてくる夫、月命るなすのみことの含み笑いでさえぎられた。


「独健は黙っていてください。僕の番です〜。職業は、歴史の小学校教諭です〜。僕の好みは、魚料理です〜」


 歴史の先生であっている。ただの先生ではない。同じ教師の焉貴から質問が飛んだ。


「お前、子供じゃないの?」


 光命の時と一緒になりそうだったが、倫礼が素早く両手を頭の上で揺らした。


「いやいや、だから、ものです! 人じゃないです!」


 だが、違和感がやはりあるのだ。妻は表情をできるだけ崩さず、心の中で自問自答する。


(あれ? 焉貴さんもおかしい気がするなぁ〜。正解言ってるんだから、スルーしてくよね? 気のせいかな? まあ……)


 イチゴと生クリームはまだ五人目の夫、彼のマゼンダ色の髪の前で止まっている。聞きたいのだ。全員の好きなものを。とにかく進めなくては、その気持ちに駆り立てられて、倫礼は言葉を口にしようとしたが、


「じゃあ、次――」


 今からケーキが回るはずの、孔明が止めに入ってきた。


「あれあれあれ〜?」


 爆発するのである。自分の前で止めたら、自身が被害をこうむるはずなのだ。それなのに、焉貴のまだら模様の声が平然と拾った。


「何?」

るなすも言わなくていいの〜?」


 のんびり自分の爪を眺めていた隣から、明引呼のしゃがれた声が便乗してきた。 


「あれってか?」


 意味ありげな会話。暗黙の了解。


「レジェンド オブ ルナスです」


 何だかすごい話が出てきてしまった。貴増参の羽布団みたいな柔らかな笑みとともに。


「そうらしいな」


 独健がうなずくと、当の本人、月命が否定してきた。


「そちらに関しては、僕は知りませんよ〜」

「お前の知らないとこで起きてたんでしょ? それって」


 焉貴はテーブルに身を乗り出して、ペンダントのチェーンをチャラチャラと鳴らした。光命はあごに神経質な指先を当てながら、夫の秘密に手をかけた。


「私は結婚するまで、そちらの話は知りませんでした」

「はい! ルナスマジック、答えちゃってください」


 高校教師らしく、スパッと仕切って、焉貴が先を促した。


 月命はおどけた感じで「仕方がありませんね~」と言い、 それは本当なのかと疑いたくなるような話をし出した。


「陛下の元に来た女性が、全員、僕と結婚したいと申し出ていたそうなんです〜」


 今でこそ、結婚したから収まったものの。当時大変だったのである。このマゼンダ色の髪を持ち貴族的でありながら、邪悪な男のまわりでは。


「モテモテ〜!」


 焉貴のスーパーハイテンションが食卓の上にはじけ飛んだ。倫礼は黙ったまま、話の真意を確かめ、違和感は完全に消え去ったのである。


(陛下はいるから、ここはオッケー。やっぱり気のせいだったんだ)


 月命は表情を曇らせて、人差し指をこめかみに突き立てた。


「僕は少々困っていたんです〜」

「どう困っちゃったの?」


 歴史と数学の教師で話が進んでゆく。


「僕は罠を仕掛けてもいませんし、彼女たちに対して特別な感情を抱いていません。ですが、なぜか会ったこともない彼女たちが、勝手に僕にプロポーズしてくるんです〜」


 銀河帝国では有名な話なのである。知らない大人はいないのだ。


 まだ、月命に被害が出ないように、陛下の元で止められていたからいいものの。直接来たなら、大混乱になっていただろう。


 媚薬の魔法でも使ったように、女たちがわんさか押し寄せていたのである。本人も頭が痛い限りだ、原因がわからないのだから。


 独健が麦茶を飲み干して、


「それだけじゃないって、聞いたが?」


 月命は短くうなずくが、ギャグとしか言いようのない内容が出てきたのである。


「えぇ、そうなんです。プロポーズをしてこない女性は、気絶するんです〜」


 月命といったら、女といっても過言ではなかった。ニコニコのまぶたから珍しく顔をのぞかせているヴァイオレットの邪悪な瞳を、焉貴の宝石のように異様に輝く瞳がちらっと見た。


「すごいね。ルナスマジック」


 女に関しての珍事は、結婚したと同時になくなった。だが、月命という男は旋風を巻き起こし続けているのである。


 明引呼は指先を、イチゴと生クリームという仮面をかぶった時限爆弾に向けた。


「でよ、その名残が、ケーキってか?」

「どうなんでしょう? 僕が歩くと、知らない方がプレゼントを持ってくるんです~。僕が何かをしようとすると、代わりにやってくださるという方が必ずいらっしゃるんです~」


 強運の持ち主、月命。欲しいものは勝手に向こうからやってくるのだ。


 おかしい限りで、妻は首を傾げた。


「どうしてそうなるんだろう?」


 だが、説明できる夫がいた。地鳴りのような低い声が専門用語を交えて、


「その気の流れではそうなる」

「えっ!?」


 全員の視線が、夕霧命に集中した。


 だが、ここで詳細を言われては、進まないのである。妻はささっと仕切り直し。


「それは、後日聞きます! 次お願いします」


 ずいぶんと月命の前で止まっていたケーキは、やっと進み始めた。


「じゃあ、ボク〜?」

「はい、孔明、答えちゃってください!」


 焉貴が言うと、孔明は今度は真面目に答え出した。


「職業は、ビジネス戦略などをはじめとする塾の講師〜。好きなものは青空」


 孔明塾は大人から子供まで大好評なのである。


「確かに、よく空見てる」


 納得の声が全員から上がると、すぐさまケーキは漆黒の髪の前から消え失せ、テーブルの上に乗せられていたウェスタンブーツは一旦床に下された。


「アゲインでオレってか? 職業は農家だ」


 順調に進みそうだったが、明引呼の回答に、孔明の待ったの声がさっそくかかったのである。


「あれ〜? それだけじゃなかったと思うんだけどなぁ〜」

「ただの農家ではないでありませんか?」


 光命からも質問が飛び、月命の邪悪な視線が、鋭いアッシュグレーの眼光を侵食するように捉えた。


「デパートにしかおろしていないブランドの食肉農家ではないんですか〜?」

「まあな」


 明引呼は特に自惚うぬぼれるでもなく、ただただ肯定した。皇室御用達なのである。孔雀印くじゃくじるしの肉は。だが、さっきのツケが回って、もうひとつ答えなくてはいけない。先に進ませようとしたが、


「好きなもんは……」


 焉貴のまだら模様の声が割って入り、


「男のロマンでしょ?」

「ボクもそう思うかも〜?」


 孔明が爪を見ながら同意する。違うものを言われて、明引呼は聞き返した。


「あぁ?」


 それはうだるような暑さの中で、熱風に吹かれ、どうしようもなく気だるいような声だった。貴増参が胸に手を当てて、誇り高く微笑む。


「男性に慕われちゃってる、僕の夫のひとりです」 

「慕われってかどうかは知らねぇけど、それは部下――」


 話が長くなりそうな予感が漂っていた。もう二周目の後半である。妻の心は鼓動が早くなり、思っきりマキが入った。


「じゃあ、好きなものは、にしときます。はい、次お願いします」


 チャチャッと話をまとめて、


「勝手に進めやがって。それはオレの呼び方だろ、野郎どものよ」


 兄貴の文句もスルーして、ケーキを次の人へ強制的に回した。倫礼とは対照的に、落ち着いている貴増参はこほんと咳払いをし、


「職業はいいですね、先ほど言いましたから。僕の好きなものは車です」

「珍しく順調だ」


 ボケもなく笑いもなく、進んでゆく。だが、独健の鼻声でもたついた。


「俺は料理だな。あ、あと、サッカー。あ、あと……」


 まだ言おうとしている夫の前から、ケーキをかっさらって、


「いやいや、爆弾が爆発するので、すぐ戻してください」


 焦ってはいるが、聞きたいのだ。まだまだ色々と。


「じゃあ、三周目です。次は苦手なものを答えてください」


 電光石火のごとくお題を決め、手に汗握るターンが始まった。


「私は、生きることかな?」


 だが、回答にツッコミが夫たちから返ってきてしまった。ペンダントをチャラチャラとシャツの上に落とした、焉貴からまずひとつ目。


「それ、どうなの?」


 聡明な瑠璃紺色の瞳は自分の爪を見つめていて、孔明がふたつ目。


「人生いろいろあるからね。そういう時もあるってことかなぁ〜」


 だが、それ以上は返ってこず、ササッと、蓮の前にケーキが回った。


「汚れることだ」


 奥行きのある少し低めの声で、すぐさま返ってきたが、また焉貴と孔明が止める。


「さっきの逆でしょ? それって」

「蓮って、ある意味、まっすぐかも〜?」


 超不機嫌俺さま夫はまた火山噴火をさせた。テーブルを力任せに叩き、衝動でケーキが数センチ上にポーン飛び上がる。


「お前ら、俺に構っていないで、先に進ませろ。俺のところで爆弾が爆発するのは、絶対に許せない! 服が汚れる」


 無事ケーキがテーブルに着地し、どこかボケている蓮に全員が突っ込んだ。


「惑星が崩壊するんだから、心配する範囲が間違っている……」


 二番目に結婚した、光命が自分でケーキを引き寄せて、夫として、妻にこんな言葉を贈った。


「それでは、私の苦手なものは、倫が悲しい顔をすることです」

「うほっ! 言っちゃった!」


 焉貴はフルーツジュースを頭の上からザバーッとかぶり、子供みたいにずぶ濡れになっているボブ髪を左右に揺らした。


「俺も、や〜」


 夕霧命、独健、月命、貴増参、明引呼、孔明から、順に同意の声が上がった。


「俺もだ」

「僕もです」

「オレもだ」

「ボクも〜」


 蓮はなし。だが、妻はそれどころではなく、適当に返事をして、お礼を返した。


「あ、あぁ、ありがとうございます」


 なぜか、落ち着いている夫たちは、妻からの再度冷めた対応に、ため息をつく。


「反応、うすっ!」


 早く進めてほしい。せっかくお題を振ったのだから。


「はいはい! 次です。夕霧さん」


 そうして、地鳴りのような低い声で、似たようなものが出てきた。


ひかりが悲しい顔をすることだ」


 二周目、三周目で、どっちもどっちの回答をしている、光命と夕霧命。


「うほっ! また来ちゃった〜! ラブラブ〜!」


 カラのグラスを天井に向かって投げ、ハイテンション絶好調の焉貴の頭上で、グラスはすっと消え去った。夫二人の熱々ぶりに、妻は先に進めるのも忘れて、納得の声を上げた。


「本当ですよね〜。毎日、いやどこでも、いつでも……。夕霧〜、光〜! ですもんね……」


 廊下で、玄関で、寝る時、起きる時、どんな時でも。冷静な水色の瞳と無感情、無動のはしばみ色の瞳は出会ってしまえば、世界で一番美しいお互いの名前を呼び合って、ラブロマンスという二人きりの世界で、すっと目を閉じるのである。


 焉貴先生の元へ、時限爆弾ケーキはやってきた。


「じゃあ、俺〜? そうね? 子供が悲しい顔するの」

「おや? 先に言われてしまいましたか〜」


 困った顔をして、こめかみに人差し指を突き立てている、小学校の歴史教師。ここは教師が横並び。


るなす、お前もね」

「えぇ、僕たちは教師ですからね。子供の心だけでも守りたいと思いますよ」


 同意見なら、ケーキは大きく動く。妻は勢いよく、マゼンダ色の長い髪を通り越して、漆黒の髪の持ち主へ振った。


「じゃあ、飛ばして、孔明さん!」


 後れ毛をすく手を、塾の講師はのんびりと目で追いかける。


「ゼリーとか形が崩れるもの〜」


 食べ物が出てきた。当然、料理の得意な独健が反応した。


「好きじゃなかったのか? どおりで残してると思ったら……」


 焉貴がペンダントを手ですくい上げながら、話を伸ばしてきた。


「独健、知らなかったの?」

「何をだ?」

「孔明、デジタル仕様でしょ?」

「あぁ、俺とは違う考え方してるのは、何度も説明されたが……よくわからない――」


 引き延ばすのは絶対に阻止してやるである。あと三人残っているのだ。


「ここはまた後日……ということで! 次お願いします!」


 強引に進ませた。藤色の長めの短髪の前で、ケーキは立ち止まる。そこには、時限爆弾とかそういう問題ではなく、もっと深刻で、シリアスな話が、明引呼の程よい厚みのある唇から出てきた。


「オレは、あくだな」


 兄貴は許せなかった。だが、従うしかない毎日だった。倫礼も妙にしんみりとうなずく。


「そうですね……」


 焉貴は山吹色のボブ髪を気だるくかき上げて、


「アッキーとか、マジでその世代だからね」


 食堂の空気がビリビリとした畏敬を感じさせるものに様変わりした。前職が軍師だった孔明から、陽だまりみたいな穏やかさは一気に消え、瞬間凍結するほど冷たい雰囲気になって、こんなことを言う。


「俺もお前の意見に賛成だな」


 巧妙に言葉がすり替わっていた。油断も隙もない。妻が即行ツッコミ。


「いやいや、孔明さん策略的に、性格変わってるんですけど……」


 デジタル頭脳で、PCの画面をワンクリックで切り替えるように、好青年で陽だまりみたいな穏やかな笑みに戻り、間延びした話し方に戻った。


「そう〜? じゃあ、ボクも賛成かも〜?」

「僕も明引呼と同じですね」


 貴増参も、あの日々を思うと、滅多なことでは怒らない自分も憤りを感じるのだ。焉貴は椅子の上から足を下ろして、大理石の冷たさが裸足に広がる。


「貴もね。その世代だから。独健はどうなの? お前も同じだよね?」


 パッとケーキが瞬間移動して、ひまわり色の短髪の前に現れた。


「俺は、数字だな」


 平和に戻り、みんなが一斉に、納得の声を上げた。


「あぁ〜、だから、いつも罠にはまるのか……」

「どういうことだ?」


 わかっていないのだ。一番最後に結婚した独健は。明智家の恐ろしさを。とにかく、情報は得た。倫礼はケーキを引き寄せ、もう一周やってやろうと愚かにもトライ。


「はい、四周目。特技をお願いします」


 はやる気持ちが、妻の脳裏の電球に明かりをピカンとつけた。


「霊視!」


 おかしな回答のようだが、夫たちが軽くスルーしてゆく。


「そうね」

「確かにそうだ」


 爆破が近いケーキはそうして、潔癖症の夫の前にやってきた。


 逃げたいのだ。それなのに、離婚するとか言われてしまい、逃げるわけにもいかず。だからと言って、爆発はして欲しくないのである。自分の美的センスを総動員した服は汚したくないのだ。だが、出てこないのである。


「俺は……?」


 しかし、そこは以心伝心我が夫。焉貴が先に進ませた。


「お前、ひねくれでしょ?」


 どんな特技だ。それなのに、蓮はすっと左へケーキを横滑りさせる。


「それでいい。光」


 そうして、スーパーエロの座を勝ち取っている夫から、遊線が螺旋を描く優雅で芯のある声で、こんな特技が出てきた。


「私はセ◯キの開発です」


 もろ出てきた体の部位の名前。ずいぶんと濃厚な特技が登場。それなのに、焦っている妻は、スルーしようとする。


「はい、じゃあ、次お願いします」


 夫全員から、待ったの声が上がった。


「そこ、突っ込まないのか!」

「急いでます!」


 妻のどこかずれているクルミ色の瞳は、もういつ爆発してもおかしくないケーキから外されることはなく、大声で押し切った。そうして、夕霧命の前に時限爆弾は到着。だったが、彼はどこまでも落ち着いており、


「俺は武術だ」


 難なくクリアーし、焉貴の前にケーキがやってきた。


「はい!」


 ハイテンションのまだら模様の声が響くと同時に、


 ドカン!


 とケーキははじけ飛び、華を添えるように、イチゴが飛び上がった。高校の数学教師のはだけた服や山吹色の髪は生クリームだらけ。ひどくエロティックでサディスティックだった。


「うほ〜っ! 俺のとこで、きちゃったね〜」


 惑星一つを吹き飛ばすケーキのはずである。それなのに、両隣の夕霧命と月命は被害がまったくなかった。


「あれ? 焉貴さんだけ? 汚れたの?」


 ここで気づけばよかったのだ。おかしいと。まだ救いようがあった。髪についた生クリームを指先で取って、焉貴は口の中に入れる。その仕草は、灼熱の銃身が花壺に入り込むようだった。


「俺かひかりって、計算してたんだけど……。セ◯キの開発で、倫が拾わなかったからね。拾ったら、光だったんだけど……」


 妻にとっては寝耳に水の話で、倫礼は生クリームだらけの高校教師をじっと見つめた。


「え……? 計算?」


 そうこうしているうちに、歴史の小学校教諭が残念そうな声を上げた。


「僕がやりたかったんです〜」


 マゼンダ色の長い髪とニコニコの笑顔。女性的な月命の真正面に座っていた、独健がさわやかに微笑んだ。


「お前、本当に失敗するの好きだな」


 すると、その隣にいた漆黒の長い髪を持つ塾講師が、


「ボクもなんだけどなぁ〜」


 生クリームだらけをご所望の夫たち。焉貴が指先についた白いものを差し出すと、


「お前も?」


 孔明が慣れた感じで、パクッと口にくわえた。そうこうしているうちに、優雅な王子さま夫が便乗していたことを表明した。


「私もなのですが……」

「光は似合わん」


 夕霧命から日本刀でわら人形を切るようにバッサリ切り捨てられた。


 紺の肩よりも長い髪で、冷静な水色の瞳。光命が立てば、どんな空間でも、高貴で気品高い城のようになる。


 独健は少しだけ笑って、鼻声を響かせた。


「俺もそう思うな。生クリームだらけになるとか……。ファンが泣くだろう」

「意外にいけっかもしれねぇぜ」


 明引呼はそう言って、カラのショットグラスを、これで終わりというようにテーブルの上にカツンと置いた。


 無事ケーキから回避できた蓮は、銀の長い前髪の乱れを、神経質に直しながら、


「生クリームだらけでも、光は光だ。俺はいい」


 妻は妄想世界へと飛ばされた――


 どこかの城の大広間で、俺さまと優雅な王子が手を取り、鋭利なスミレ色と冷静な水色の瞳は一直線に絡み合い、光り輝くシャンデリアの下で、宮廷楽団の奏でるワルツに乗りクルクルと華麗に踊る。 


 貴増参がこうやってしめくくった。


「おてんば姫を追いかけていて、ケーキをかぶってしまった王子でしょうか。続きはまた来週です」


 時限爆弾ケーキはもうない。それなのに予告


 ボケで現実へ引き戻された倫礼は、夫たちだけで話が成立している理由を知ろうとして、キョロキョロと見渡した。


「どういうこと?」


 そうして、ハイテンション、純真無垢なR17夫から、エロ招待状がやってきた。


「はい! 倫、お前、俺のことなめちゃって、前◯にしちゃってください! これで、3P」


 大人のお楽しみの前座にしたかったのだ。そのために、みんなわざと生クリームをかぶりたかったのだ。未だわかっていない妻は、思いっきり聞き返した。


「はぁ? 何で、セッ◯◯の話になったんですか?」


 先約されていた独健は、自分が巻き込まれていることを今ごろ知ったのである。


「やっぱり。おかしいと思ったんだ。俺と倫と焉貴……の3P」


 握ったままの手で。人差し指だけで。唇についてしまった生クリームを、孔明はぬぐう。


「あれ〜? 倫ちゃん、気づいてなかったの〜?」

「何をですか?」


 ――焉貴と独健と自分。


 これはもうわかった。だが、続きがあるような話運び。そうして、ターン中のある話が、光命の中性的な唇から出てきた。


「私たちが罠を仕掛けていたと……」


 策だったのだ。全ては、焉貴と孔明と光命、そしてもう一人……。邪悪なヴァイオレットの瞳を見ようとしたが、ニコニコのまぶたに隠れていてできなかった。


「おや? 困りましたね〜。僕たちの妻はまだ、僕たちのことをよくわかっていないみたいです〜。それでは、僕も混じって、倫にお仕置きです〜」


 テーブルに散った生クリームを取り上げ、SMを容易に連想させる月命の、まぶたから解放されたヴァイオレットの瞳に、妻はつかまってしまった。焉貴がハイテンションで仕切る。


「はい! じゃあ、るなすも入って、4P」


 ――焉貴と独健と月命と自分。


 増えてゆく、今宵の相手が。何がどうなって、こうなっているのかわからない。夫チームで最初から仕掛けられていたのか。倫礼は半ば放心状態だった。


「え、え?」


 後ろに椅子を傾けていた明引呼が、口の端でふっと笑った。


「普通気づくだろ」

「どういうことですか?」


 いつ気づくべきだったのかと、妻はどこかずれている記憶力を巻き戻してみた。


 だがしかし、策士の焉貴先生から、冷ややかだが、確実に狙った女を落とすように、螺旋階段を突き落としたグルグル感のある声で言ってきた。


「お前、俺たちの愛、忘れちゃってるんだけど……」

「愛?」


 惑星を消滅する爆弾ケーキと夫たちの愛。妻の中では足し算がうまくできないでいた。そうして、夫たちが全員声をそろえたのである。


「愛している妻が間違ったことをしようとしたら、絶対に止める!」


 それが真実の愛である。


 絶対不動の夫から、一言加えられた。


「惑星爆発はさせん。俺も入る」

「はい! じゃあ、夕霧が入って、5P」


 ――焉貴と独健と月命と夕霧命と自分。


 蓮は倫礼を上から目線で見つめて、バカにしたように鼻で笑った。そうして、ひねくれ俺さまを浴びせる。


「罠を張るやつが四人もいるのに、気づかないとはな。お前の頭はしょせんガラクタだ。俺もだ」

「はい! じゃあ、蓮が入って、6P」


 ――焉貴と独健と月命と夕霧命と蓮と自分。


 この夫だけは、倫礼は物申すなのだ。にらみ返してやった。


「カチンとくるな。蓮は!」


 まだ、6Pだ。とにかく、止めないと。10Pになる前に。気をつけつつ、妻はいつからみんなが気づいていたのかを知りたかった。


「でも、どうして、惑星爆発しないって、わかったんですか?」


 孔明が可愛く小首を傾げ、間延びした言葉を投げかけてきた。


「あれ〜? 倫ちゃん、忘れちゃったの〜?」

「何をですか?」

「教えてほしいの〜?」

「はい、お願いします」

「じゃあ、教えるから、ボクも混ぜて〜」


 罠だった。妻はびっくりして大声を上げたが、


「えぇっ!?」


 素早く、焉貴が拾って、


「はい! じゃあ、孔明が入って、7P」


 ――焉貴と独健と月命と夕霧命と蓮と孔明と自分。


 とにかく教えて欲しいのだ。どこだ。どこで間違ったのだ。


「どういうことですか?」


 優雅な王子さま夫は、感覚妻に理論で説明した。


「惑星爆発と言ったのはるなすだけです。嘘だという可能性があるではありませんか」


 人の話はよく聞いておかないといけないと、妻は今ごろ気づいたのだった。頭を抱える。


「あぁ、そうだったぁ」

「うふふふっ」


 約束をすでに取りつけている、月命が含み笑いをもらした。妻が時限爆弾でひらめいている間、何が夫たちの間で行われていたかが告げられた。


「そちらのあと、私、焉貴、孔明は全員確認しました。殺傷能力はなし。規模は最大半径五十センチ以内。爆発までは十五分間だと書いてありましたよ」


 光命たちは説明書を読んでいた。それを他の夫たちは見ていたのだ。明引呼の手は念を押すように、顔の前で大きく縦に振られた。


「四人が確認して止めねぇんだから、嘘だってわかんだろ」

「いや〜!」


 再び頭を抱えた妻だったが、すぐに沈んだリングから起き上がり、おかしいことに気づいた。


「時間計ってた?」


 当たり前である。制限時間があるのだから。誰のところで爆発するのかわからなくなってしまう。光命は神経質で細い手の甲を中性的な唇につけて、くすくす笑い出した。


「おや? 今ごろ気づいたのですか?」


 妻は食堂を見渡す。夫婦の時間を思う存分過ごせるようにと配慮された、食堂。十二個の数字が円を作るものなどない。


「え……? 時計ないですよね? この部屋。どこで計って?」


 孔明の指先は漆黒の長い髪をすっとすいてきて、


「あれ〜? ボクの爪を見る仕草って、これだったんだけど……」


 手のひらをこっちへ向けると、銅色の懐中時計が手に握られていた。何度かしていた。もちろん、策士は一人ではない。月命のおどけた声が入ってきた。


「おや〜? 僕のこめかみに人差し指を突き立てる仕草は、こちらです〜」


 やっていた。困った時に特に。手首がこっちに向くと、桜色のベルトをつけた腕時計が顔を見せた。


 焉貴のはだけたシャツの前にある、何重ものチェーンが手ですくい上げられ、


「俺のネックレスも飾りじゃないの〜」


 その中のひとつは、時計のヘッドだった。当然、優雅な王子夫も策略家だ。


「私の思考時のあごに当てる指先は、こちらです」


 くすくす笑っていた唇から手を離し、裏を返すと、鈴色の懐中時計があった。


「時計……。どうして、焉貴さんも月さんも、孔明さんも持ってるんですか?」


 まだまだ、策士の夫たちの思考回路を理解していない妻だった。彼らは時計がないと困るのである。人と頭の造りが違うのだから。


 遊線が螺旋を描く優雅な声が、おバカな妻に問いかけた。


「教えてほしいのですか?」

「あぁ、はい。お願いします」


 素直にうなずく倫礼。テーブルの端に座っていた、明引呼は口の端をニヤリとさせた。


「ふっ! またはまりやがって」

「こうして、お姫さまは、優雅な王子さまに舞踏会へ連れ去れちゃいました」


 貴増参がにっこり微笑むのを、不思議そうな顔で、倫礼は見つめたが、


「え……?」


 光命の言葉はこれだった。


「それでは、教えて差し上げますから、私も入れてください」


 孔明と同じ手口。


「はい! じゃあ、光が入って、8P」


 ――焉貴と独健と月命と夕霧命と蓮と孔明と光命と自分。


 策略的に10Pに近づいてゆく。妻は顔を両手で覆って、テーブルの上に突っ伏した。


「いや〜! 交換条件の罠で、また増えてる!」


 貴増参の羽布団みたいな柔らかな声なのに、中身は妻の望んでいないものだった。


「それでは、僕が仕上げの魔法をかけちゃいましょう。今夜もみんなでニャンニャンです」

「結局これってか」


 明引呼のしゃがれた声が、ふっと笑うと、焉貴がハイテンションで、右手をパッと斜めに上げ、しめくくった。


「はい! じゃあ、アッキーと貴が入って、10P! 終了です!」


 大理石の上で椅子がそれぞれ後ろへ、ガタガタと引かれ始めた。


「僕の名前は貴増参です。省略しないで呼んでくださいね♪」


 夫の口癖を聞きながら、妻だけを置いて、次々と撤退を始める夫たち。


「え、え? 最後ずいぶん強引だった気がするんですが……」


 独健の鼻声が倫礼を間にして、頭上で舞うと、


「蓮、頼む」

「ん」


 俺さまの短いうなずきが起き、テーブルの上は、食事をする前に一気に戻った。


 どこまでもずれているクルミ色の瞳は、生クリームも茶器もなくなった、テーブルクロスの白を見つめながら、力なく両手は膝の上に落ちた。


「あぁ〜。蓮の魔法で、綺麗に後片付け……」

「お前、ピンヒール履くの?」

「サイズがあるのなら、履きますよ〜」


 焉貴の質問に、月命が答えながら、どんどん瞬間移動で、食堂から消えてゆく。そんな中で、冷静な水色の瞳と無感情、無動のはしばみ色のそれは一直線に交わってしまった。


「夕霧……」

「光……」


 一度消えかかっていた明引呼が再び戻ってきて、男は背中で語れ的に、光命と夕霧命に忠告した。


「てめぇら、ここでおっぱじめんなって。フライングすぎだろ」


 孔明が後ろ手に首をかしげると、長い漆黒の髪がさらっと肩から落ちた。


「倫ちゃん、ボクたちのデジタル思考回路を解説するの忘れちゃったから、罠にはまっちゃったのかも〜?」

「はぁ〜……問題はあと回しにしてはいけませんって、よく言う。今日の反省点だ……」


 倫礼が見上げると同時に、聡明な瑠璃紺色の瞳はすっと消え去った。一人きりになった食堂で、妻は妄想世界に飛び、乙女軍という戦士になり、いつの間にか戦地に立っていた。


 頭には決意のあかしの赤いハチマキが巻かれていたが、荒野を駆け抜けてくる突風に連れていかれ、どこかへ飛び去った。打ち砕かれた熱意を表すように。


 斜めがけしたライフル銃を背中に背負い、惨敗という現実を受け止めるしかなかった。敵軍の兵士はもうどこにもいないのである。


「こうして、私は九対一という、夫たちと妻の戦いに敗れたのだった。文字通りのである。いや、ここからもので――」


 そこで、ドアの向こうから、遊線が螺旋を描く優雅で芯のある声が響いた。


「倫、お風呂に入りますよ」


 現実へ戻って、ニコッと微笑んで、


「は〜い、光さ〜ん!」


 妻は椅子からさっと立ち上がり、ウッキウキで大理石の上をドアへ向かって歩いてゆく。


「お子さまは寝る時間で〜す!」


 パチンと電気のスイッチが押されると、明智家の食堂は真っ暗になった――――

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