大人のかくれんぼ(旦那編) その一
子供たちに連れて行かれた妻が、廊下から消え去ったのを確認する、
――十六時零七分四十二秒。あと一時間十五分三十三秒。
ふたつ目の時間制限へと、かくれんぼは向かい始める。
マゼンダ色の長い髪は女物のブレスレットをした手で、月命の背中へと濃艶に払われた。
バイセクシャルの夫たちの中央へと、白いチャイナドレスミニは歩み出て、性対象として、男八人のそれぞれの視線を釘付けにした。
「それでは、もう一回は、僕たちの絆を深めましょうか〜?」
妻に内緒の、夫たちの情事が二回目のかくれんぼの意味。
誰が手引きしているか、すでにわかっている何人かはお互いに顔を見合わせただけだった。
「…………」
だが未だに、夫婦のかくれんぼだと思っている何人かは不思議そうに聞き返した。
「自分たち……?」
おまけの存在ばかりに、勝手に結婚してしまった妻。倫礼とコミュニケーションを取るいい機会だった。
そこに、負けたがり屋の小学校教諭の発案で、かくれんぼが足し算されているだけ。だが、どうやら違うようだった。
――十六時零七分五十二秒。あと一時間十五分二十三秒。
まだ時間制限は消え去らない。中休みだ。
明智の分家はノーマルの逆ハーレムではない。バイセクシャルの複数婚だ。妻と夫という組み合わせだけでなく、夫と夫というペアが存在する。
愛が一人に集中することはない。それぞれを愛する権限は、みんな平等。全員、配偶者は、今はかくれんぼに参戦していないだけであって、十七人常にいる。そのうち同性の配偶者は八人。
愛する男に想い人がいる。その気持ちは本気だった。それならば、この男の願いを叶えてやりたい。その想いやりの中で、結婚する時の挨拶で、初めて会ったという者同士もいた。
これだけ夫婦の人数が増えると、コミュニティーのようになり、軽い話はするが、結婚式をしたまま、距離感がほとんど変わらず、言いそびれている。性的なつながりへと続かない夫たちはいる。
月命はそこに目をつけたのだ。みんな仲良くが法律。バイセクシャルの複数婚だ。いつまでも距離があっては、懲罰が下る可能性は高いだろう。だからこそ、この機会に仲良くなっていただこうという企画だ。
月命はパンパンと手を叩いて、夫たちの意識を自分へ集中させた。
「相手に好きと伝えていない者同士が組んでください〜」
夫たちの告白タイムが設けられた。
複数プレイは、結婚後すぐに混ぜられる。歓迎の意味で。
だが、人数が多いため、一緒に参加していても、直接触れていない。そんなことが起きている。全員が相手を想っているからこそ、はぐれっぱなしのペアがいる。
愛していないわけではない。それならば、結婚するまでは踏み込まないだろう。待ったをかけるだろう。それが誠実である。
心のどこかで、性的な魅力を相手に感じているから、婿に来て同じ苗字を名乗っているのだ。
だからこそ、この機会にぜひ、
「次は倫が鬼です〜。二人一組となって、彼女が探すまでに好きと相手に伝えてください〜」
妻が探すまでの間に、隠れながら告白をしていただこう。
二人ずつ組めと言われても、婿は九人である。奇数だ。最初からつまずいている、旦那たちのかくれんぼ。男たちはあきれたため息をつく。
「一人余る……」
またわざと失敗していた。
「うふふふっ」
ベビーピンクの唇から含み笑いがもれ出て、小学校教諭は仕事スキルを発揮し、綺麗にまとめ上げた。
「そちらの方は、二人とも言っていない人たちのところへ入っていただきます〜」
ということは、二人組が三組。三人組が一組。これで、愛を語っていただく。良好な三角関係。いや、個別に分かれただけの、九角関係。
だったが、スーパーエロの大先生から罠が放たれた。陽だまりみたいな穏やかな笑みで好青年が小首をかしげると、白のモード系ロングカーディガンの肩から漆黒の髪がさらっと落ちた。
「チュ〜してもいいの〜?」
一気に色がついてしまった。大人のかくれんぼ二回目。誰も止めるはずがない。バイセクシャルであり、夫なのだから。いや、止める理由が見つけられない。
はっきりとしたボディーラインを描く、チャイナドレスミニ。女装をしているという狂気な夫。月命は男性とも女性とも取れない、
「えぇ、構いませんよ〜。他に意見はありませんか〜?」
策士二人の悪ノリみたいなかくれんぼの条件。他の夫たちは、
「…………」
何とかキスで踏みとどまった。大人のお楽しみはまた夜にということだ。
月命がパンパンと手を叩くと、女物のブレスレットの三日月のモチーフがゆらゆらと、玄関ロビーのシャンデリアに乱反射した。
「それでは、みなさ〜ん。もう一度確認です〜。相手に好きと伝えて、キスをするです〜」
今度は相手が妻、女ではない。夫、男である。それなのに、全然変わらないルール。しかし、冷静に考えれば、おかしいのだ。このかくれんぼは。
ニコニコの笑みで、強行突破しようとしている月命に、焉貴のまだら模様の声が、地上にいる全ての人々をひれ伏せさせるような威圧感を持って降臨した。
「何? このBLみたいな設定」
みたいではない。完全にボーイズラブだ。
同じく三百億年生きて来た夫。同じ策士。同じ教師。頭の回転は早い。だが、負けるの大好き。
月命の凜とした澄んだ女性的な声は屈することもなく、平然とこう言ってのけた。
「BLではありません〜。僕たちはバイセクシャルです。厳密に言うのでしたら半分のBかLです〜」
「BoysとLoveだけでは、意味をなさない……」
負けたがり屋の夫の発言を聞いて、他の夫たちが盛大にため息をついた。だが、一人違う反応をした夫がいた。
優雅なピアニストの細く神経質な手の甲は、パッと中性的な唇に当てられ、くすくす笑い出し、
「…………」
肩を小刻みに揺らして、それきり何も言わなくなった。こうして、光命は今度、月命に撃沈されたのだった。
「
優雅な王子夫は、女装夫に笑いという牢屋に、策略的に監禁されたのである。
光命からの策は今回はなし。月命は先手を打ったのであった。一回目より時間が少ないのだ。
――十六時零八分四十八秒。あと、一時間十四分二十七秒。
マゼンダ色の髪を背中でサラサラと揺らして、先へと話を進める。
「それでは、確認のために相手のそばへ寄って、みなさん一旦並んでください〜」
優雅な王子夫は撃沈されたままでも心配はいらない。本人が動かなくても、相手がそばにくる。それが愛を告げていない夫である。
お互い伝えていないのはわかっている。夫たちの視線は戸惑うことなく相手へと向き、
――――そのころ、何も知らない倫礼は、子供からもらったラムネのさわやかな香りを口の中で転がしていた。
深緑のベルベットブーツは水色の絨毯の上を進んでゆく。どこかずれているクルミ色の瞳は中庭の池を眺め、そこに映るオレンジ色の夕空の反射の美しさに気を取られままだった。
「もう日が暮れる。見つける人大変だよね? 暗いと……」
まさか自分が鬼だとも知らず、妻は夫たちが待っている玄関ロビーへと角を曲がった。
そこには、それぞれの出で立ちで、一人ずつバラバラで立っている夫九人がいた。
何度見ても、いい景色だ。イケメンが冬の茶会か何かで、百九十七センチの長身を生かして、座ったり立ったりしているのだ。一人、二百十センチがいるが。
あの長い足が自分に近づいてきたら、そこにはどんなオーガズ◯の海が広がっているのだろうかと。
エロ妄想に入りそうになる、己の愛欲を何とか振り払い、倫礼は素知らぬふりをして、小さく頭を下げた。
「戻りました」
妻は知らない。夫たちがペア組んでいて、お互い好きと言って、キスをする。そんなBLなルールがあるとは。ただのかくれんぼだと信じ切っている。
光命、焉貴、月命、孔明のそれぞれの瞳と脳裏に同じ数字が浮かぶ。
――十六時十二分十六秒。あと一時間十分五十九秒。
一組の持ち時間、約十七分四十六秒。
無防備に自分たちの元へ戻ってきた倫礼に、真意を隠すためのニコニコの笑みで、月命は平然と話しかけた。
「それでは、次は倫が鬼です〜。僕たちが隠れますから、探してください」
妻は何も疑わなかった。
(そうだね。さっきは見つかっても、どうしてだかわからないけど、鬼にならなかったからね。だから、今度は自分が鬼だね)
倫礼は素直にうなずいた。
「あぁ、はい」
のんきな妻を置いて、夫たちの中で、駆け引きが密かに始まる。最初から一人ずつ隠れるのではない。相手と一緒にだ。
しかも、好きと言って、キスをするのである。作業的にするのでは、愛がない。そうなると、自然と言わせる。もしくは伝える。そういうムード作りが必要となる。
瞬間移動は相手を一緒に連れて行くことができる。妻がカウントし始める時が勝負の時だ。これに出遅れたら、相手に先手を取られてしまう。
倫礼が大きく息を吸い、
「じゃあ、数えます」
夫たちに一斉に緊張が走った。男たちの告白とキスタイムの幕開けが迫る。もう一度妻の唇が動こうとした。
「い〜ち――!」
誰かが誰かを一緒に連れて、瞬間移動で煙よりも早く消え去った。ポツリ、鬼の妻が一人、玄関ロビーに置き去りになったのだった。
「早っ!」
見事なまでに総隠れ。妻の驚き声が静かになった玄関ロビーに響き渡った。
ただのかくれんぼだ。そんなに本気でやることなのかと、何も知らない妻は思い、冷たい風がヒュル〜と、深緑のベルベットブーツの前を吹き抜けていった気がした――――
――――空の生き写しのような大きな
屋外のプールサイド。今は季節外れで、人もそうそう来ない。劣化が起きないこの世界。プールの水はどこまでも水色がかった透明さが広がる。
ポツリポツリと蛍火のような明かりが淡く照らし出す、デッキチェアと畳まれたパラソルのそばに、すうっと大人二人分の人影が立った。
一人は最低限の筋肉しかついていないすらっとした体格。もう一人はガタイがいいとは言えないが、十三センチの背の差を持つ、肩幅もそれなりにある大きな人。
白のスニーカーはバラバラに置いてあるデッキチェアに近づいてゆく。白と黒のモード系ファッションは、漆黒の長い髪を背中で揺らす。
もうひとつは裸足。ワインレッドのスーツと白いファア。ボブ髪を両手で大きくかき上げ、何を話すわけでもなく、戸惑うわけでもなく、慣れた感じで二人で同じことをする。
手を使わず、デッキチェアをベッドがわりにするように、四つ横並びに瞬間移動で置いた。
暮れゆく首都の街並み。小さな明かりひとつひとつが光の海を作る。
聡明な瑠璃紺色の瞳と宝石のように異様に輝く黄緑色の瞳は、一緒に仲良くデッキチェアの上に並んで座り、自然と伸ばしたお互いの手に温もりが強く広がっていた。
孔明は両膝を抱えて、可愛く小首をかしげる。
「あれ〜? 焉貴、ボクに好きって言ってなかったかなぁ〜?」
「いつ?」
焉貴のアンドロイドみたいな無機質な声が、夕闇に短く舞った。
デジタルな頭脳の持ち主だけが参加できる会話が始まる。孔明は春風みたいに柔らかに微笑んだ。
「ふふっ。五年前の十一月二十四日、月曜日。その日、キミとボクが話してからの、三十七番目の会話〜?」
策士の頭の中はこうなっている。目の前にいる男は自分と同じ思考回路。しかも親友だった。だが、今は夫。警戒心はいらない。
いや、こうやって、自分の頭の中にあるものを素直に伝えることができる。幸せなことだ。
だがしかし、焉貴先生は厳しかった。
「嘘」
血も涙もなく、悪戯坊主の大先生に、伝説の剣で脳天をかち割るように、ツッコミを入れた。抜けているのだ。わざと抜かしているのだ。
自分へ振り向くこともなく、彫刻像のような整った横顔を見せている夫の隣で、孔明は漆黒の髪を指先でつうっと引っ張った。ずいぶん間延びした言い方をする。
「あれ〜? 違ったかなぁ〜?」
「時刻、どうしちゃったの?」
日付くらいでは合格点はやらない。その手にいつも握っている、銅色の懐中時計と自分の胸に下げられたペンダントヘッドの時計が、同じ目的で身につけているからこそ、愛したのだ。
どこにも書いていない。特に覚えておこうとしていたわけでもない。それなのに、孔明の口から簡単に出てくるのだ。
「ふふっ。十三時十一分十二秒だったかなぁ〜?」
「正解です!」
焉貴の右手はハイテンションにさっと掲げられた。自分も計っていたから、わかるのだ。
日時は記憶のインデックス。そうでなければ、全てを覚えている彼らは、可能性を導き出す時、必要なところを瞬時に取り出せなくなってしまう。光命も月命も同じ理由で、時計を持っているのだ。
言っていない人とペアを組めと言ったのに、この二人で愛の逃避行である。いや違う。他が組んでしまって、自分たちが残ってしまったのだった。
白ファアをつかんだまま、孔明の腕をトントンと焉貴が叩いた。
「お前も言ったでしょ?」
「言ったかなぁ〜?」
孔明はモフモフを感じながら、愛する夫、焉貴の手を捕まえた。見聞きしたことは全て覚えている策士の頭の中身が、まだら模様の声で、プールサイドに降り積もる。
「その日の会話で、お前が爪を見たのが七回目のあと」
「そう」
数字という、曖昧さが回避された規律。数学教師と大先生は同じ心地よさの中で、心も体も寄り添う。
焉貴のワインレッドのスーツは、孔明の黒のワイドパンツの上に横向きに倒れ込み、山吹色のボブ髪を膝の上に預けた。
つかまれていない反対の、結婚指輪をしている手で、漆黒の髪近くにあるチェーンピアスを弄ぶ。
「いいね。お前と話してると」
直接触られていないのに、耳が引っ張られる感覚がする。音もする。それが、風で揺れる水面の響きと交じり合うのを、もっと鋭く感じたくて、孔明の聡明な瑠璃紺色の瞳はそっと閉じられた。
「ボクも」
膝枕をして、膝枕をされて。誰もこない。二人きりの世界。しばらく何も言わず、風と水音ばかりになった。
飛行機の音の方向で、孔明の聡明な瑠璃紺色の瞳はそっと起こされた。
――十六時十五分三十七秒。あと一時間零七分四十八秒。
二人の間には策はいらない。生き字引と言われるほど長く生きている数学教師に、孔明は間延びした声で聞いた。
「学校どう〜?」
どこまでも無機質な高校教師は、毎日学校で起きている思春期旋風をただただ口にした。
「結婚するたび、キャーキャー言っちゃって、女子高生が。先生また結婚したの〜? ラブラブ〜? って。あいつら好きだよね。恋愛とか結婚とかの話さ」
有名アーティストと結婚し、しかもそれが時代の最先端をゆく、バイセクシャルの複数婚。
休み時間のたびに、廊下で中庭で囲まれ、プレゼント攻撃を受け続ける、焉貴だった。
漆黒の長い髪はつうっとすかれては、短いものからサラサラとデッキチェアに落ちてゆく。
「何て答えるの〜?」
初等部に歴史教師の夫がいる、そんな高等部の教師は、一緒にベンチに座って、ランチを楽しむほど、夫夫仲はいい。
だが、生徒に対する反応は非常に冷めたものだった。そこにどんな意味があるのかもわからない、とても短い返事。
「そう」
「情報漏洩さけてるかも〜?」
孔明は陽だまりみたいに微笑んだ。きちんと教師の仕事をしている夫が膝の上に乗っているのだから。
生徒と教師だ。聞かれたからと言って、夫婦の話をするなども
手先が器用と言わんばかりの焉貴の指先が、孔明の頬へ伸びてゆき、唇で愛撫するようになでる。
「お前だって、そうでしょ? お前、どうしちゃってんの?」
帝国一の頭脳を持つという大先生だ、この夫は。一教師の自分よりも有名。
孔明は焉貴のおでこを、山吹色のボブ髪ごとなでた。着衣だからこそのサワサワと淡い感触が広がる。前の
「ボク〜? 同じ先生でも様子が違うからなぁ。主催者のパーティーで、お祝いを言われるから、お礼を言うくらいだよ」
孔明は思う――
ほぼ社交辞令に囲まれた生活。それが今まで普通だった。何とも思っていなかった。仕事は面白かった。だから、陛下の命令にも従った。
だが、家族を持つことになって、自分の中に違う大切なものが生まれた。一ヶ月も家に帰れない。電話ばかりの日々。その生活が時々さみしいと思うようになった。
あのどこかずれている妻に、様子がおかしいと心配される日々。やけにくたびれて、眠くなるのが早い。知らない土地での就寝時刻。
陛下のご意思は、仕事ばかりの自分に、愛というものを気づかせるためだったのかもしれない。陛下は広い視野で人々をいつも見ていらっしゃる。
だからこそ、バイセクシャルの複数婚という選択肢の中で、新しいものを学ぶことが、自分を含めてより多くの人が幸せになれると、判断されたのかもしれない。
悪という概念が存在していない。向上心はあっても競争心はない。お金という制度が存在していない。
今までの自分の価値観では対応できない。そこで、自分の理論を説く。このまま進み続けても、いい結果は出ない。
自分は陛下の元を訪れて、仕事の一時中止を申し出た。それはすぐに受け入れられた。
そうなると、やはり自身の学びは、家族の中にあるのかもしれない――
二つの結婚指輪が契約という名のもとに重なり合う。
焉貴は思う――
この男は頭が確かにいい。だが、二千年弱と生きている時間が非常に短い。
悪を広めないために閉鎖された、限られた宇宙で過ごしてきた日々。普通の世界を知らない。視野が狭い。
今壁にぶち当たっている。自身の
家で姿を見かけるたび、本や資料を広げて、勉強している。子育てのこともそうだ。時間が許す限り、子供と一緒に過ごすようにして、可能性を導き出しては、失敗しての繰り返し。
それでも、感情に流されず生きている。その冷静さが正確に前へと進ませるだろう。
教師として、人をたくさん見てきたからこそ、わかる。少しずつ変わり始めていて、今はまだ手を貸す時期ではないと――
恋人から夫へと変わった男の膝の上で、焉貴は無機質にうなずいて、
「そう」
皇帝で天使で大人で子供で純真で猥褻で矛盾らだけのまだら模様の声を、凛々しい眉を見せる男にかけた。
「いいね、こうやって、お前の顔見上げるの」
山吹色のボブ髪の奥に隠されている頭脳を愛おしむように、孔明は焉貴の頭を両手で包み込む。
「ボクの思考回路を理解できる、キミの声が膝の上から聞こえてくるのが、大好きだったよ――」
「俺も愛しちゃってます!――」
ハイテンションに、焉貴のワインレッドのスーツを着た腕が、パッと持ち上がった。余ったもの同士とは言え、ルールはルールである。ひとつ目は無事クリアした。
間延びとダラダラ。ある意味似ている孔明と焉貴。こうして、彼らのバカみたいな時間が始まった。
「チュ〜しちゃう〜?」
「しちゃ〜う!」
甘すぎてのどが痛くなるような甘さダラダラの焉貴の声が応えると、孔明が漆黒の髪を夫の上に降り注がせながら、かがみ込んだ。
のろけという言葉があきれるほど、二人の唇は直角の位置でハッピーに出会った。
――砂糖菓子みたいな甘ったるいキス。
頭の冷静さで、色欲など抑え込める二人。お互いを性的に想っていようとも、焉貴には家庭があり、孔明には決まった女がいた。
ただ話すだけで幸せだった。恋人にならなくても、結婚しなくても、十分幸せだった。
だが、陛下の命令によって、二人のバランスは崩れ、こうして、運命に引き寄せられ、夫として同じ家に住み、甘い生活を送っている。
鬼はまだこない。だが、この鬼ごっこを企てたのが誰だか、二人はもう知っている。だからこそ、深入りしないようすっとすぐに離れて、焉貴先生の右手がパッとハイテンションに上がった。
「はい、問題です!」
「何〜?」
頭高くへ結い上げてある漆黒の髪は、すっと引っ張られて、一度背中の後ろへ落とされた。
「この場所に来てから、三番目の会話答えちゃってください!」
こんな問題は、この男と、光命、月命しか答えられない。しかも、ここに来たのは自分たち二人きり。優雅な王子夫と女装夫は知らない。焉貴と孔明だけの秘密。
何の損傷もなく、孔明の少し薄い唇から、春風が吹く陽だまりみたいな声が回答した。
「ふふっ。五年前の十一月二十四日、月曜日。その日、キミとボクが話してからの、三十七番目の会話〜?」
「一字一句あっちゃってます!」
焉貴はさっと起き上がって、ワンレッドのスーツで白いモード系ファッションの上にパッと乗り、押し倒している格好になった。
「もう一回、チューしちゃ〜う!」
「きゃあっ!」
孔明が子供みたいにはしゃぐと、デッキチェアーの上で抱き合う夫二人になった。
そうして、キスをして、また離れて、焉貴が孔明の上からどくと、白のモード系ファッションが今度は、ワインレッドのスーツを下敷きにし、孔明が焉貴を押し倒した。
「じゃあ、今度はボクからぁ〜?」
「はい、しちゃってください!」
そうして、またキスをする。離れて、
「もう一回、チューしちゃ〜う!」
「きゃあっ!」
「じゃあ、ボクからぁ〜?」
「しちゃってください!」
かくれんぼなどどこかへうっちゃって、夫二人の甘いすぎるキスのし合いっこはずっと続いていた。自宅のプールサイドのデッキチェアの上で。
夫二人の背後で、妻はさっきからずっと見ていた――
深緑のベルベットブーツは部屋の窓を静かに開け放ち、そうっと忍び寄って、紫のワンピースは夕風にただただ揺れ続ける。
倫礼の前で、ベッドがわりのデッキチェアでこんな光景が広がっているのだった。
焉貴のワインレッドの服がコロコロと右へ転がり、孔明を押し倒す。
孔明の白いモード系の服がコロコロと左へ転がり、焉貴を押し倒す。
妻は思うのだ。そのうち、二人の服がひとつに混じって、ピンクになるのではないかと。
倫礼は鬼であることなどどうでもよくなり、押し倒してはキスをしてを繰り返している夫たちに、あきれ顔で吐き捨てた。
「何ですか? このバカップルはっ!」
妻がいることさえ気づきやしない。夫二人。もう一言言ってやった。
「っていうか、このバカ夫夫はっ!」
それでも、押し倒してはキスをするが、ハイテンションで起きている現状を前にして、妻はとうとう壊れた。
「あぁ〜、今ごろ、孔明さんのセ◯キが焉貴さんのに絡みに絡みついて……。いやいや、焉貴さんのが……孔明さんのを全部拘束してるかもしれないね」
エロ妄想が終わっても、まだ続いている夫たちのじゃれ合い。妻はため息をついて、平常運転に戻った。
「まあ、しょうがないか。焉貴さんと孔明さん、結婚する前から膝枕してたくらいだから、仲良いよね? どうしようかな? 別の人を先に――」
割って入れない。ベルベットブーツは百八十度向きを変えて、部屋の中に入ろうとしたが、次の瞬間、目の前に暮れてゆく空が突如広がった。
「あれ?」
左側から、焉貴の螺旋階段を突き落としたみたいなぐるぐる感のある声がすぐ近くで聞こえてきた。
「お前、何やってんの?」
「倫ちゃん、ボクたち捕まえないの〜?」
右側から、孔明の陽だまりみたいでありながら好青年の響きがやってきた。
聡明な瑠璃紺色の瞳と、どこかいってしまっている黄緑色の瞳には、それぞれの時計で、
――十六時二十二分十七秒。あと一時間零零分五十八秒。
いつの間にか、倫礼はデッキチェアの上に倒れていて、孔明と焉貴の間にいた。明引呼にさっき瞬間移動はかけられている。もう驚かない。
「どうしてわかったんですか?」
足音はしていなかったというか、そんなことなど聞こえやしないほど、ラブラブであっただろう。さっきの様子からすると。
聡明な瑠璃紺色の瞳がのぞき込むと、漆黒の黒い髪がスルスルと倫礼の頬の上に落ちてきた。
「あれ〜? ボクたちのことまだ理解してないの〜?」
「お前、ずっとこっちに情報漏洩してんだけど……」
倫礼の真正面で、山吹色のボブ髪の縁が、孔明の頭とぶつかる。
知っている。二人の記憶と観察力の素晴らしさは。妻が何も言わず、座っているだけでも、情報と化して、可能性を導き出す判断材料とすることなど。
だが、このどこかずれている妻は、お笑い好きだ。イケメン二人に両側から囲まれて、寝転がっている状況で、わざとらしく大声を上げて驚いた。
「えっっ!? いつの間にっ!」
しかし、勢いばかりで、理論がない妻は、二人がどんな反応するかは予測できていなかった。孔明が両腕を広げて、ガバッと抱きついてきた。
「そういう倫ちゃん、ボク大好き〜!」
「わわわ……!」
逃げようとしたが、完全に下敷きにされてしまっていて。そうしているうちに、焉貴も子供みたいに無邪気に、ガバッと孔明ごと抱きついてきた。
「俺も好き〜!」
夫二人に捕まってしまった妻は、ワインレッドのスーツと白のモード系ファッションに埋もれながら、助けを求めようとするが、
「いやいや、離してください!」
孔明が子供みたいにだだをこねて、倫礼をさらに強く抱きしめると、
「いや〜!」
焉貴のまだら模様の声が、ケーキにはちみつをかけたみたいに甘さダラダラで、すぐ近くで響いた。
「や〜!」
夫婦三人で、デッキチェアの上でじゃれ合うの図になってしまった。
ゴロゴロと右へ左へと転がる。妻は夫二人に抱きしめられたまま、そのうち、三つの服の色が混じって、赤紫になるのではないかと思う余裕もなく、
「まだ最初です〜! 足止めしないでください〜!」
倫礼の悲鳴にも似た叫び声が、さざ波を起こしているプールの水面の上に、少しの間だけ降り積もっていた――――
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