慈愛の歴史教師
ヴァイオレットの邪悪な瞳と冷静な水色の瞳は、小学校の廊下でさっきから火花を散らしていた。
あぁ言えばこう言うで、遊線が螺旋を描く優雅な声が、デジタル思考回路を駆使して言い返してくる。
茶色の細身のロングブーツはかかとをそろえて立っていた。水色のズボンに、白いフリルのついたブラウス。襟元をわざと立てて、くるっと巻きつけている
胸元に歴史の教科書を抱えたまま、凛とした澄んだ丸みがあり儚げで女性的な声は、今はどこまでも冷たく
「ですから、私はあなたに何度も申し上げているではないですか。特記していなくても、学校へ保護者がむやみやたらに来てはいけないと……」
「えぇ、ですが――」
永遠にこの繰り返し。頭にくるではないが、腹がたつになった。
「ですがもヘチマもありません!」
十五年しか生きていない
「僕でしたら甘やかしません。光は甘やかしすぎです」
授業が終わった
「目に入れても痛くないのですから、仕方がないではありませんか?」
次に出てきたのは、月命でなくても、注意をされて仕方がない内容だった。
「子供の成長を妨げます。
倫礼と光命の間に生まれた息子のことだ、策羅とは。計算がおかしいが、この世界では、受精して翌日に生まれ、二ヶ月ずつ五歳までは成長する。だから、去年結婚しても、四歳の子供がいるのだ。
結婚式の時、光命は友人に、大人の世界を満喫していたのに、子持ちだなんてと冷やかされるほどだったのに、今となっては、親バカ街道まっしぐらである。
光命はいつもはしない、陽だまりみたいに穏やかに微笑み、百叡の頭を優しくなでた。
「子供に関しては、可能性が導き出せないのです」
紺の髪の奥に隠されているデジタルな頭脳を、月命はよく知っている。なぜなら、自分と同じだからだ。ただ、自分には感情がないが、この新米パパはそれを持っている、しかも激情という名の獣。
「そちらは君が感情に流されているからではないんですか〜?」
問い詰めたのに、神経質な指先はピンクがかった銀の髪の感触を楽しむばかりで、こんな言葉を返してきた。
「そうかもしれませんね」
うまく逃げた、優雅な策士。だが、負けてはいられない。いくら失敗することが大好きな自分でも、勝つ時は勝ちにいかないといけない。それは簡単にできる。なぜなら、いつもと逆の選択肢を選べばいいのだから。ヴァイオレットの瞳は校舎を見渡して、
「僕を入れて、小学校教諭の配偶者は七人います。ですから、安心して家で待っていてください」
「えぇ」
光命はただうなずいて、手を振りながら、夫と息子を残し廊下を歩いてゆく。紺の長い髪を揺らし、膝上までの紫のロングブーツのかかとを優雅に鳴らしながら。
それを少し見送った月命はさっとかがみこみ、子供と同じ目線になった。
「
「は〜い!」
大きく手を上げて、元気に返事をすると、小さく丸いスミレ色の瞳はパッと振り返って、昇降口へ向かって歩き出した。
次々に自分の子供たちが百叡と合流して、廊下を歩いてゆく様を、ニコニコの笑顔で見送りながら、月命はそっと立ち上がった。
「光にも困りましたね〜」
マゼンダ色の長い髪が窓から入り込んだ風に揺れると、デジタルに今日までの日々を思い出した――
――僕は最初にも出てきましたが、三百億年生きています。ですが、結婚をするという概念はありませんでした。
五千年前に悪が導入されてからは、僕は月に一人で住んでいました。
ですが、心が痛む日々でした。子供たちが苦しんでいる姿を見るのは、とても遺憾です。しかし、僕たちが手を貸すことは許されていませんでした。
十五年前の八月、陛下が平和をもたらしてくださいました。今まで、こちらの世界の統治者は、ひとりきりでしたが、陛下からはご夫婦で統治されるようになり、人々も結婚することが当たり前となっていきました。
僕も結婚をしました。子供は五人、男の子が二人と女の子が三人です。住まいは、まだその頃は月でした。職場は首都にある小学校です。瞬間移動で毎日、出勤していました。
そちらの世界とは学校もずいぶん違います。担任教師は受け持ちが一クラスで同じですが、教科ごとの教師も、一クラスにひとり赴任します。ですから、僕は歴史の小学校教諭なんです。
小耳に挟んだんですが、僕自体が歴史だとおっしゃる方もいらっしゃるみたいです。三百億年生きていますから、そちらからそのように噂されているのかもしれませんね。
僕は職業柄、たくさんの方と知り合いになります。その中の一人が蓮でした。彼とは最初、担任教師と保護者の関係でした。
ですが、話をしているうちに、彼が僕を気に入ってくれたんです。蓮は滅多に笑いませんが、僕の前ではよく笑うようになったんです。それから、一緒にお茶をしたり、遊びに行ったりということが起きるようになりました。
人を愛することについてですが、僕も
僕は音楽が好きです。蓮の曲は特にそうです。人は自身と同じ性質のものに惹かれるんだそうです。ですから、僕と似ているところがある、蓮の曲が好きなのかもしれません。
僕は体質上、人とまともに話すことができません。知らない方から贈り物などを受け取るのが当たり前の毎日です。ご親切にしていただいたと思い、素直に受け取ります。
ですが、本当の僕を見ていないんです。ですから、僕に普通に接してくださる人は貴重なんです。蓮はそうでした。さらには、僕のことをきちんと理解してくれたんです。
――とても嬉しかった。
そうですね〜? 去年の十月でしょうか〜? 僕は蓮にプロポーズされたんです。バイセクシャルの複数婚は知っていました。メディアでもずいぶん取り上げられていましたからね。
ですが、僕が心配だったのは、自身のことよりも、子供たちのことでした。我が家の子ももちろんですが、彼らの子供たちも心配の対象でした。
昨日まで、友人だった子が、今日から兄弟になる。
昨日まで、先生だった人が、今日から父親になる。
昨日まで、先生だった人が、今日から義理の兄になる。
全ては起きます。もちろん、僕たちだけではありません。親兄弟の子供まで影響してきます。
ですから、彼らの一人でも嫌だと言うのならば、僕はどんなに愛していようとも、結婚しないつもりでした。ですが、子供たちは柔軟性がありますね。兄弟が増えると、先生がパパになると喜んでくれました。
僕は蓮からのプロポーズを受けました。
しかし、他の配偶者の問題があります。夕霧と僕は、保護者と担任教師の関係でした。やはり彼もきちんと僕と話せる人でした。ですが、個人的にお付き合いはありませんでした。
光と
ですが、みなさん、心のどこかでは、夫婦としてやっていけると思っていたんだと思いますよ。そうでなくては、いくら愛している人の頼みでも、了承はしませんからね。自主性のない人は、こちらの世界にはいませんから。
焉貴に関しては僕は少々驚きました。彼とは以前はただ同僚でした。ですから、彼と結婚する未来の可能性が、僕の中になかったんです〜。しかし、彼と僕は同じ考え方です。みんな仲良くですから、不安はありませんでした。
それから、もう一人の倫について、僕は初めて聞かされました。彼女は僕のことを十五年前から知っていたそうです。僕の特異体質のことも近くでよく聞いていたそうです。ですが、僕は存在も知りませんでした。
結婚したその日から、彼女のそばには光がいつもいました。倫との距離を縮めるのはだいぶ先になるのでは思っていました。
ですが、複数婚がもたらす効果というものがありました。僕の最初の妻が、僕の話を倫にしてしまったんです〜。そちらは以下の通りです。
僕は家以外では、私とあなたという話し方をします。ですが、本当に心を許した人には、僕と君で話をします。
ですから、僕は最初は倫に、私とあなたで話していたんです〜。
僕と結婚する頃には、彼女も勝手に結婚することに慣れたようで、僕に対しては戸惑いというものは持っていなかったみたいです。どのようにしたら、僕が『僕』と言い、彼女のことを『君』と呼ぶかを悩み始めました。
こちらまででよろしいですか〜? 僕はあまり恋愛のことを話したいタイプではないんです〜。
ですから、彼女とのことは何となく……、ということにしておきましょうか?
おや〜? 見逃していただけないみたいです〜。困りましたね〜。仕方がありませんね。お話ししましょう。
僕には双子の兄がいます。どちらかというと、独健に似ています。はつらつとしており、正義感が強くさわやかな人です。彼を理解できる人はたくさんいます。
ですが、僕を理解できる人はなかなかいません。悪に一度でも触れたことがある人間は、僕に悪意があると取ってしまうんです。
しかし、彼女は違いました。僕のことをきちんと理解してくれました。ですから、僕は彼女に惹かれたんです。
複数で結婚して出てくる問題は他にもあります。自身のセ◯キが他の方と違っていることに、僕は悩みました。僕のは女性的なんです。ですが、彼女はそちらが僕の個性なのだと言ってくれました。髪が長いのと同じで、女性的なのが僕なんだと。
僕はパジャマの裾と袖が長いのが好きなんです〜。やはりこちらも女性的な格好なんですが、彼女はそちらも似合っていると言ってくれたんです〜。
僕にも焉貴のように、他に愛する人がいました。そちらは、やはり教え子の保護者で、親友となった
ですが、彼は仕事が繁忙期で、年末まで待ってほしいと言ってきました。
そちらのあとです。明智の家長、お父上に僕たち全員が呼び出されたのは。本家は隣の敷地にあります。僕たちは全員畳の上に正座させられました。
そうして、こちらのようにお叱りを受けたんです〜。
「結婚するのは控えなさい」
と。仕方がありませんね。明引呼が結婚してしまえば、僕たち夫婦は全員で、十二人となってしまうんですから。
ですが、僕は心配でした。なぜなら、明引呼には他にも好きな男性がいたみたいなんです。ですから、そちらの方と明引呼が結婚できなくなってしまうかもしれないと思っていたんですが……。
――僕たちは孔明の罠にはめられたんです〜。
明引呼より先に孔明が明智家に婿に来たんです〜。許されていないはずの、婚姻を彼は策で取りつけたんです〜。
――――今や、月命のニコニコの笑みは、これ以上ないほど怖いくらいになっており、庭に咲いていた花が一瞬にして枯れしてしまうほどの威力を持っていた。
生徒が誰もいなくなった教室のドアを閉めて、茶色のロングブーツは、水色のリボンでもたつかせて縛った、マゼンダ色の長い髪をつれて、廊下を歩き出した。
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