明智さんちの旦那さんたち(ノーレーティング)

明智 颯茄

明智さんちの夕飯

 今日も神がかりな紫の月が宵闇の空に浮かぶ。


「ご親切にありがとうございます」


 丁寧に頭を下げると、男はのんびりと歩き出した。


 ここは銀河帝国。クレーターが見えるほどの大きな満月。日は暮れ、あちこちの家から夕食のいい匂いが漂ってくる。人々の温もりが広がる首都。平和で穏やかな世界。


 芸術的な街並みを、ケーキの箱を手にした男が歩いてゆく。紫の月明かりが彼の脳裏にずいぶんと古い記憶をよみがえらせた。


 自分がまだあの月に住んでいた頃。

 自分がまだ結婚していなかった頃。


 この世界は平和ではなく、あくが存在していた。


 それはとても悲惨だった。人々は休むことも眠ることも許されず、強制労働をいられていた。死というものが存在しているのなら、終わりはいつかくるだろう。


 だがしかし、この世界は永遠で死はやってこない。


 家族に会うこともできず、愛する者同士は引き裂かれ、子供たちの心は無残に踏みにじられた。五千年前から始まったことだ。


 こんな世界がずっと続いてゆくのだと、誰もが信じて疑わなかった。平和な未来など誰にも見いだせなかった。統治者にはどうやっても、力の差があり勝てない。誰にも統治権はくつがえせないのだ。


 男はふと立ち止まり、珍しくため息をついた。それは嘆きではなく安堵。


 だがしかし、それでも未来は変わったのだ。十五年前の八月、全ては終わりを告げたのである。


 前統治者を倒し、人々を悪政から解放した人がいた。それが、現皇帝陛下だ。弱き者を守り、全ての人々の幸せを第一に考え、時には厳しく、時には優しく、政治を敷かれるお方だ。


 そんな悪がなくなった平和な、この世界の法律はたったひとつ。それは、


 ――みんな仲良く。


 自己中心的な人はいない。向上心などあって当たり前の世界。この法律だけで十分だった。


 自分はすぐに、とある女性と結婚した。子供にも恵まれ、自身のやりたかった仕事にもつけた。今はその帰り道だ。


 恐れ多いが、陛下の家はハーレムである。それは今までもよくあったこと。しかも、一番偉いお方のお考えだ。そこには素晴らしい理由があった。妻たちも子供たちも、それどころか平民たちも全員が幸せになれると判断された上でご結婚をされる。


 それはいつも正しいご決断で、人々は納得するどころか、賞賛と敬意を持ち、新しい時代は過ぎていった。


 それでも、欲望を満たすという自分勝手な人が存在しない世界。結婚はみな、一対一が普通だった。もちろん、男女での婚姻である。


 男はまた歩き出すと、街灯りに照らされた自分の顔を見つけて、人々が立ち止まっては、目で追いかけるが始まった。


 こんな風に人に注目されるのは仕方がない。自分はずいぶん長く生きていて、ざっと三百億年といったところだろうか。驚くかもしれないが、永遠に続く世界ならば、当然なことだ。


 三百億年もの間、自分の性癖がこっちに変わるとは思わなかった。長く生きている自分でさえそう思うのだから、もっと短い人は驚き、注目し、今みたいに振り返るだろう。


 ――自分はバイセクシャルだったのだ。


 だが、様々な時代を見てきた自身の心はただのなぎ。そういうことも人生には起きると、簡単に納得した。


 みんな仲良くだけが法律だ。結婚の規定がない。真実の愛がそこに存在するのなら、こんなことも起きる。結婚しているのに、さらに新しい人と結婚する、だ。


 プロポーズをしては、されての繰り返し。そうして、気づくと、我が家は夫と妻がそれぞれ九人ずつ十八人で結婚していた。


 ただ一人、いや正確にいうと、十分の一例外がいる。それは、婿養子に入った明智家の三女である。


 この妻がおかしな女で、命というものを持っていて、いつかは死ぬのだそうだ。そうして、自分たちが暮らしている世界へと戻ってきて、一人前となるらしい。


 希少だからこそ、自分をはじめとする夫たちに何かと囲まれる存在だ。もちろん、それだけではないが。


 月影の下に見える小高い丘で、大きな屋敷が穏やかな影を作っている。あれが我が家だ。この世界で初の、バイセクシャル重複婚をしている明智の分家である。


「それでは、我が家が吹き飛ぶかもしれないケーキを持って帰りましょうか」


 ほのぼのとした思いやりと、複数の配偶者が巻き起こす珍事。それを全て消し去ろうとするような邪悪な微笑みとともに、男は人ごみから姿をにわかに消した。これが正真正銘の瞬間移動というのだろう。だがしかし、他の人々は驚きもせず、いやこれがこの世界の当たり前だった――――


  ――――明智さんちの三女の、どこかずれているクルミ色の瞳はさっきから、自分のすぐ前に置いてある岩塩を見つめていた。それは、パワーストーンのような美しいピンク色のもの。


(塩を使いたい……)


 手を伸ばせば取れる位置なのだ。だが、十人で食事をしているわりには、調味料はひとつしかない。白いテーブルクロスをかけた大きな細長いテーブルの中央で、妻は塩をゲットするという、簡単そうでいて、極めて難しい問題に出くわしている。


 それはこうだからだ。


 ――塩が勝手に消えるのである。


 手品でもしたかのように、パッと目の前でなくなる。そうして、どこへ行ったのかと探そうとする。


 しっかりと立っているはずの塩でも、人みたいにめまいか何かを起こしてバランスを崩し、テーブルの上を勢い余ってコロコロと転がり、床に転落したのではと思うのだ。


 このどこかずれている、明智さんちの三女は。


 妻は視線を下へ落とし、大理石の上を探すが、どこにもない。あったのに見えなかった。人の視覚は錯覚を起こす。精密にはできていない。見間違いということもあり得る。


 そうして、テーブルの上をもう一度探すが、やはりどこにもない。だが、見つかるのだ。夫のうちの一人が手を縦に振って――塩を使っているのが。


 いつの間にか、テーブルを挟んだ斜め向かいの席にいる夫の手に塩があるのである。


 それぞれの距離はきちんと取られていて、両脇にいる夫でも、塩は届かないのだ。どうやっても、誰かに声をかけてリレーしてもらうか、自分で取りに来ないと塩に触れることなどできない。


 さっきから静かな食卓。食器のぶつかる音だけで、大理石を歩く足音も聞こえない。しかし、また事件発生。誰かが乱暴に投げ置いたように、ピンクの岩塩がコトッと音を立て、グラグラとビンのボディーを揺らしながら目の前に戻ってきていた。


 あれ? 見間違いだった。

 さっきからここにあった。

 よし、今度こそ塩を――!


 伸ばした指先で、爪の先で、またしてもピンクの岩塩は消え去ったのである。そうして、どこか夢見がちな妻はこの結論にたどり着いた。


 塩が魔法を使うんだ。

 どうしてだかわからないけど、呪文を唱えて、こうシュッと消える。

 ということで――!


 妻は大きく右手を上げて、こんなことを言う。


「すみません。塩さん、瞬間移動で、私のところに戻ってきてください」


 ピンクの岩塩に呼びかけてきた妻。他の理由があるようなのに、どうしよもなくずれてしまっている妻を前にして、夫九人が一斉にため息をついた。


「うちの奥さんは、今日も頭が壊れている……」 


 ご親切丁寧にも、塩さんは妻の右手のひらの中に現れたのである。香ばしい香りが一日の終わり――晩餐ばんさんに祝福を捧げる、米粒ひとつひとつがパラパラと際立つチャーハン。塩を無事にかけ終わって、スプーンを取り上げた。


 ――何で、みんなと結婚しちゃったのかな?

 っていうか、私はバイセクシャルじゃなくて、ノーマルなんだけど……。


 どう食べているかは十人十色じゅうにんといろ。だが、テーブルの上で動いているスプーンは自分のを入れて十本。 


 料理が得意な夫が作った夕食を前にして、何気なく塩を元へ戻そうとすると、その手からスッと消え去った。置いたものだと勘違いして、妻は複数婚について思いをめぐらす。


 結婚するって言ってないよね?

 知らないうちに、了承した?

 こうね、夢遊病でうなずいた――そんなわけあるか!


 食べかけのチャーハンの三日月型を前にして、妻の一人ボケツッコミが密かに自己満足レベルで成功し、スプーンはさらに直角に立てられる。


 よく考えてみると、最初からおかしかったんだよね。

 一度もプロポーズされてない。

 明日、式ですっていう事後報告だけで……私の意思はどこにもないんだよね。

 誰が誰を好きで、こんなに増えちゃったんだろう?

 それもよく聞いてないなぁ。

 でもなぁ〜。


 相手をこっそりうかがって、おでこを照れた感じで触った。顔を伏せた死角で、一人ニヤニヤ。スプーンが皿の上で、のろけという『の』の字を描き出す。


 誰がどう見ても、この世のものとは思えないほど、全員イケメンだ。

 神がかりな美しさ。

 性格は個性的で神聖。


 笑いの衝動はテーブルについてる肘にまで伝わり、彼女のまわりにあった食器類がガチャガチャと騒ぎ立てた。静かな食卓に響く音。当然、夫たちにはこんな姿が映っていた。


 ――妻が椅子から転げ落ちそうなほど、ふらふらと揺れながら、一人で薄ら笑いを浮かべているところ。


「まただ……」


 こんなことは、明智家の夕食ではよくあることで、妻は放置を食らった。ゆったりとした時間を過ごせるようにという話し合いから、食堂には時計はどこにもない。そんな空間で。


 かきたまスープの水面みなもに映った自分を見つけて、妻は我に返った。


 いやいや、落ち着こう!

 みんなは好きで結婚したんだよね?

 これが幸せなんだよね?

 だって、みんな仲良くが法律なんだから、誰か一人でも嫌だったら、違反だよね?


 スプーンが皿をひっかく音がピタリと止むと、真顔で食卓を見渡した。


 あれ? それって、自分も入ってる?

 ってことは、私が理解しないと、全員違反だ。逮捕だ。

 それは大変だ。家庭崩壊だ。

 じゃあ、みんなのこと好きにならないと……。

 だけど、みんなのことよく知らないんだよね。


 妻の目の前で、ピンクのパワーストーンみたいな岩塩のビンが、すっと姿を消したかと思うと、夫の一人が料理に塩をかける。そうして、その仕草が止まると、誰かが乱暴に置いたように、妻の目の前に岩塩は無事に戻ってくる。


 超常現象が繰り返し起きていたが、妻にはそんなことはどうでもよくなってしまっていて、一歩、いや次世代まで遅れ気味な結婚を考え中。


 どうやったら、みんなにお近づきになれ――あっ!


 妻のずれている頭の中で、電球がピカッとついた気がした――ひらめいた。


 九人の王子さまに手を取られ、クルクルと踊る舞踏会!


 彼女の妄想は暴走し、いつの間にか高貴な城の大広間に立っていた。白いウェディングドレスを着て、手に持っていたブーケを天井へ向かってさっと放り投げ、


 結婚式+お姫さま=ミュージカル。という方定式が勝手にできて、加速する大暴走。


「♪結婚〜それは〜 あなたと私〜めぐり逢い〜♪」


 歌い出すとそれが合図で、宮廷楽団の奏でる華麗なワルツに乗って、一人目、二人目、三人目……と、花婿衣装の夫たちが次々と手を取り入れ替わり、右に左にステップを踏み、


 一、二、三、一、二、三、一、二、三……♪


 時にはリードされてターンをし、祝福のライスシャワーが頭上から降り注ぎ、両手を空に向かってかかげ、夫たち九人に囲まれる円の中心で、妻は幸せに暮らしましたとさ。おしまい――


 最後のステップを踏むと同時に、太ももにガツンと衝撃と痛みが入り、


「っ!」


 現実に返ると、妄想もれを完全に起こしていた。テーブルに強打した足の先で、チャーハンの皿からスプーンは米粒をともなって、白いテーブルクロスに今まさに落ちたところ。


 妻は椅子からいつの間にか立ち上がり、夫たち九人の前で右に左にステップを踏んでいた。ニコニコ、いやニヤニヤの笑顔で。パリピも真っ青なほど、ノリノリで。


 慌てて椅子に座り直す妻だったが、夫たちにとってはこれもいつものことで、突然踊り出したりなどまだ可愛い方だ。


 軍の歩兵隊になって、匍匐ほふく前進したり、ロケットランチャーを構えたり、手榴弾しゅりゅうだんを投げたりするのだから。


 夫たちはどこ吹く風で食事を続けている現実。彼らを前にして、妻は気まずそうに小さく咳払いをして、


「んんっ!」


 水の入ったワイングラスに円を描くように、姿を映している夫たちをぼんやり見つめた。


 と、とにかく!

 みんなのデータを内緒で取ろう!

 夫たちの好み、趣味などの話、いやお題を振りながら……。


 食後の大波乱に向かってカウントダウンをするように、みんなの皿がカラになり始めた――――

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