第30話 バロック真珠の山ができまして

 書類仕事を全て放り投げ、ギルバートはセバスチャンとグレンを連れて自室へ向う。セバスチャンはアイザックの話を執務室で書類整理しながら聞いていたが、なぜこんなにもギルバートが態度を豹変させてアインの元へ行くのか全く分からない。

 分からないが、グレンの方が黙ってついて来ているので、ギルバートが動くだけの理由があるのだろう。


 聞いていた話の内容的に、もしかしてアイザック殿が言っていた銀髪の女神とはアイン殿のことなのか?確かに女神のごとき美しい方でいらっしゃるが。


 噂で聞いていた話より想像を超えて美しい女性。特定の女性を作らなかったギルバートが、男装させ護衛に紛れ込ませてラグナに連れてくるほどアインを溺愛しているのが分かる。


 この数日、食事や身の回りの世話のため、セバスチャンはアインを間近で見たが、見れば見るほど人離れした美しさだった。

 光り輝くような銀の髪も、白く透き通った肌も、小さな顔に大きな金の瞳も。動いて喋る精巧な人形のように全てが現実味がない。


 これほどの美しさであれば噂の1つも立ちそうなものなのに、ギルバート様が祝賀パーティーに同伴するまで誰も知らなかったとか。アイン殿を見つけたギルバート様もだが、そもそもアイン殿は何者なのだ?


 主の命令は絶対だが、グランディ家に仕えているからこそ主の側に立つ女性に疑問を持たずにはいられない。


「アイカ!いるか?話を聞きたい!」


 ノックも無しにバンと扉を力任せに開いてギルバートは自室に入った。

午前は疲れて起きれず、朝ご飯もベッドの上で上半身だけを起こし、ギルバートが眠気眼のアイカに食べさせたが、今日は1日部屋にいると言っていた。


 なぜディアーノ王子が銀髪のアイカを知っているんだ!?昨日は外に出かけても髪は染め粉で黒かったはずだ!女神だと!?何を見られたんだ!?


 まだディアーノ王子が言っていた相手がアイカだと確定してわけでもないのに、絶対にそれがアイカであるという確信があった。


「え!?あっ!あっ!やだ!やだ!ああっ!!」


 部屋の窓際で何事かしていたアイカはいきなり入ってきたギルバートに驚き悲鳴を上げる。昼過ぎにベッドから起きて、髪は結んではいないが男装の服に着替えている。


 しかし突然の乱入に集中が途切れてしまい、両手をかざしていた皿の上で、それはぐにゃりと溶けるように変形してしまった。

 輝きはまぁまぁだが、作りたかった丸い円形ではない。


「また失敗だわ………」


 はぁ~と深い溜息をついてアイカは机に突っ伏した。

 足元の床には使用前と済みの真珠貝の貝殻が入った麻袋が2つ。真珠貝の貝殻4枚があり、けれど内側を覆っていた美しい真珠層は綺麗になくなっている。


「何をしているんだ?」


 部屋に入るなり悲鳴を上げたアイカに、ギルバートは何事かと部屋に入った時の勢いを削がれてしまった。側に行くと机の下には真珠貝の貝殻が入った麻袋が2つ。机の上には大小様々なバロック真珠の山。そして皿の上に貝殻が乗って、その1つに一粒のバロック真珠が落ちている。


 向かいの椅子にはちょこんと行儀良くココが座っていたが、ギルバートたちが部屋に入って来たのを見て、椅子から飛び降りグレンの脚に身体を摺り寄せる。抱き上げろと言っているらしい。


「貝殻の真珠層を集めて真珠玉を作れないかなって。でも真珠層を作るのって思っていたより全然難しいわ……。全然丸くならないし、これなら炭からダイヤの原石作るほうがよっぽど簡単ね………」


 疲れたからちょっと休憩と、椅子に深くアイカは腰掛け、水差しの水をコップに注いでコクリと飲んだ。ダイヤを作る時とは違い、真珠は真珠層が出来る仕組みを解説していた説明書をさらっと読んだだけだ。


 やっぱりイメージ力が足らないのかしら。

 貝殻の内側にある真珠層を集めるのまでは出来ても、それを均一に丸くするのがどうにも難しいのよね……。


 思わずギルバートは背後のグレンと無言で顔を見合わせた。

 浜辺に落ちていた貝殻から真珠を作ることも、炭からダイヤの原石を作ることも、普通の人間なら出来ないので何ともいえない。


 浜辺でハリーに手伝わせてまで真珠貝の貝殻を沢山集めて何をする気なのかと疑問に思っていれば、アイカは真珠そのものを作ろうとしていたらしい。


「だがコレは?見事な真珠じゃないか。大粒でしかもラウンドだ。これはアイカが作ったんじゃないのか?」


ギルバートが机の上に散らばった真珠の中から一粒の丸い真珠を指差す。直径2センチの大きさだけでなく照りも形も最高級品だ。


「それはお魚さんが教えてくれた真珠貝に入っていた真珠よ。私が作ったものじゃない天然真珠。見本ね」

「お魚さんが教えてくれた………」


 天然なのは理解できたが、魚が教えてくれたというのが理解に苦しいところだ。

水を飲んで一息ついたアイカが、仕事を放り出して部屋に戻ってきたギルバートに、


「それよりどうしたの?血相抱えて戻ってきて何かあったの?」

「そう!それだ!昨日、髪を染め粉で黒くしていたのに元の銀になって帰って来ただろう?その件で話が聞きたいんだが」


 アイカの向いの椅子に腰掛け、昨日のアイカの行動についてギルバートは尋ねる。グレンも足元のココを抱き上げ隣に腰を下ろし、セバスチャンだけは2人の後ろに立って控える。


 話の前半は問題なかった。問題があったのは終わりの方だ。浜辺で真珠貝の貝殻を拾っていたくだりで、ギルバートの顔は曇り、やはりディアーノ王子の言っていた女神はアイカのことだと確信する。


「アイカの髪色が途中で元の色に戻ってしまったことはレオナルド騎士団長より報告は受けておりました。ギルバート様にそれを伝えなかったのは自分の落ち度です」

「私も……まさか見られてたなんて……海に潜ったら髪の色が戻るなんて思わなくて……ごめんなさい……」

 

 グレンとアイカが揃って頭を下げた。それにギルバートは眉間を人差し指と親指を押さえ考えこむ。アイカとグレンの話からすると、ほんの一瞬だったろう。海に潜り髪の色が黒から銀へ戻り、そしてハリーが念のため持ってきたマントをアイカに着させてフードをかぶり銀の髪を隠すほんの僅かな時間。

 それをディアーノに見られてしまった。


 俺もアルバから離れたラグナならば、多少ならアイカもハメを外しても平気だろうと油断していた。最近は女神の力の使い方に慣れてきて色々力を試したいだろうに、アルバでは窮屈な生活を強いてしまっていたからな。

 少し見られた程度ならそこまで危惧しないが、相手は婚姻打診を白紙に戻すくらいには本気でアイカを探そうとしてくるだろう。


 自分が始めてアイカに出会ったとき、再びアイカを探し出し、必ず自分のものにしようと考えていたように。それだけギルバートにとってアイカとの出会いは強烈なものだった。それと同様の衝撃を王子が受けたのだとすれば、決して油断はできない。


 「見られてしまったものは今更どうしようもない。だが王子はアイカの素性やこの屋敷にいることは知らない筈だ。ここにいるのはあくまで騎士見習いのアイン・キャベンディッシュ。男だ。手間だがラグナにいる間は髪を染め粉で黒くしていてもらえるか?いずれ王子は帰国するし、俺もアルバに戻る。その間だけ」

「分かったわ………。仕方ないものね。外に遊びに行くのもしばらく控えるわね……」

「すまない。その代わり屋敷の中でも楽しめるようなものを用意させよう」


 しょぼんと肩を落すアイカの肩にギルバートは手を置く。慰めにもならないが、念には念を入れたほうがいいだろう。


「セバスチャン、話は聞いていたな。これからアイン、いやアイカの髪は毎日染め粉で染めてくれ。それとアイカの暇つぶしになるようなものの用意を。他にアイカを探りに来る者がいないか注意してくれ」


 背後で話を聞いていただろうセバスチャンにギルバートは命令した。しかし、これまでならギルバートの命令にすぐに返事を返していたセバスチャンは返事を返すことなく黙ったままだった。


「セバスチャン?」

「お話しは……聞いておりました。しかし、皆様のお話しが自分にはとても理解できず……」


 何故自分がギルバートに付いてくるように言われたのか、言われるままにセバスチャンは部屋に入り、アインと紹介された少女が真珠を作ろうとしている現場を目撃したり、昨日のラグナ観光での話しを聞いても、どれも理解が追いつかなかった。


 海を走ってショートカット?灯台の上から花を見つけて崖下に飛び降りる?それから海に潜って魚に真珠が入った真珠貝の場所を教えてもらう?


 どの話も荒唐無稽過ぎてありえないと思うのに、ギルバートとグレンはその話が事実だと捉えている。もしそれが事実だとするなら、目の前に座っている少女は人間ではないということになる。


「いずれ俺はアイカと結婚するからお前には先に言っておくが、アイカは正真正銘、女神と呼ばれる存在だ。多少の不思議はそのせいだと思ってくれ」

「……女神ですか?」

「そうだ。俺が一目惚れした」

「それは見れば分かりますので、そんな満面の笑顔で言わないでください」

 

 女神云々は置いておいて、人が真面目な話しをしているときにノロケられると、自分が仕える屋敷の当主であっても無性に腹が立つ。

 アイカと呼ばれる少女が本物の女神かどうかは分からなかったが、ギルバートの態度を見ていればどちらが入れ込んでいるか、それだけはセバスチャンは理解できた。


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