第33話 嵐

 ディアーノとの会談・会食当日。

 朝食を食べてから念のためにアイカを、本宅から騎士団が駐留している別宅へと移動させておく。


 アイカの姿を見られたからとすぐすぐ困るわけではない。実は極秘で結婚予定の女性をアルバから同行させていたのだと紹介すれば、いくら王子のディアーノでも交易国の将軍の女性に手は出せない。


 ギルバートの疑念は『どこまで見られたのか』という点だ。極端な例であれば、港町ですれ違った程度ならここまで警戒しない。

警 戒するのは、ギルバートが池の上を走るアイカを見た時のように、人に在らざる力を見てしまったのか?という点に尽きる。


 ディアーノはどこまで見た?何を見た?アイカが力を使うところを見てしまったのか?その上で本物の<女神>であると勘付いているのか?


 もしも後者であれば、ディアーノは交易国将軍の女性であっても簡単に諦めないかもしれない。この世で何にも変えがたき存在だ。奇跡の力を持つ女神を奪い去ろうと企むかもしれない。


 玄関にはすでにレオナルドとハリー、トーマスが迎えに来ていた。


「すまないが、呼びに行くまで別宅の方で過ごしてくれ。何か欲しいものがあれば、レオナルドに頼んで持ってきてもらうようにして、アインは決して部屋を出てはいけない。守れそうか?」

「分かったわ」


 頷くアイカにギルバートは微笑み、次はレオナルドに振り返った。


「アインを決して部屋から外に出さないこともだが、不審な者がいないか警戒を怠るな。不審な者がいれば、問答無用で捕らえてかまわん。何かあれば直ぐに連絡しろ」

「かしこまりました」


 レオナルドが敬礼する。

 ハリーは両手にアイカの荷物を抱え、トーマスはだらんと脱力したココを抱き、レオナルドとアイカが来るのを待っていたけれど、玄関から出ようとしてアイカは踵を返し、ギルバートの側まで戻ってしまう。


「これを。ギルバートに持っていてほしくて」


 指にはめていた指輪を外し、ギルバートに差し出す。女神の証である指輪だ。


「これは大事な指輪だろう?俺が持っていてもいいのか?」

「大事なものだから、持っていてほしいの。私がまたいなくなってしまった時に、ギルバートが私を探せるように」


『いなくなる』

 意味深な言葉に、ギルバートの眉間に皺がよった。自分がこれだけディアーノを警戒しているせいで、アイカが不安に思ってしまったのかもしれないと思い、


「何かあったのか?」

「ううん。何も無いんだけれど、ダメ?」


 訝るギルバートにアイカは首を横に振った。

 嘘ではない。しかし、理由の掴めない胸騒ぎがして落ち着かない。辛うじて覚えているのは深い闇の底。聞き取れないほど小さな声は、いつも波の音が打ち消してしまう。


 なんだろう……。

 馬車に乗ってラグナに近づいてきた時もだけど、やっぱり誰かが私を呼んでる気がするわ。


 けれども、自分自身ですら理解できない胸騒ぎを、これから他国の王子と会うギルバートに言うのは憚られた。


「そんなことはない。またネックレスに通して肌身離さず預かるよ」

「ありがとう」


 指輪を握りしめ、ギルバートはアイカに軽く口付けを落とした。



▼▼▼



 会談のほとんどの内容は海賊対策についてがメインだった。戦争中、手薄になった海の警備でカーラ・トラヴィスの海で交易船を襲う海賊が増えた。その対策をどうするのかということを重点的に話し合う。

 

 こちらはギルバートと補佐としてグレンが並び座り、ディアーノの隣に補佐のザムールが会談の席に座る。


 国と国としての交易品は食料と宝飾雑貨、布がほとんどだったので、税率で衝突が起こることは少ない。ただし、戦争時は食料の輸出量が当然減ってしまい、その分価格が高騰したが、戦争そのものが長引くことはなかったので影響は少なく抑えられた。


 しかし、まで停戦状態であることは変らないので、いつ何時戦争がまた始まるかもしれないと食料の買占めを企む商人がいないか、そちらの監視や、他の国での交易状況の情報交換を行う。


「それと最後になってしまいましたが、我が国の者がマリア王女と自分の婚姻について自分の知らぬところで先走ってしまい、失礼いたしました。もし既にマリア王女のお耳に入ってしまっていたのでしたから、心からお詫び申し上げます。不必要にお心を乱してしまいました。」


 白々しいくらいの詫びだったが、ギルバートは表情1つ変えずその侘びを受け入れた。

 今、こうして話をしているのはお互い国を背負った代表として話しているのだ。私情で動けば国にとって不利になる。


「国の王子ともなれば、側の者がそれだけ案じていらっしゃるということでしょう。心配される気持ちは私も理解できます」


「そう言っていただけると、私も心が軽くなるようです。あの者たちは私がまだ小さな頃から仕えてくれている者たちです。しかしこうした身分に生まれてしまうと、自分の結婚ですら思うようにはいかず、もどかしいものですね。国のための婚姻を結ばねばならないと分かっていても、ふとした時に、身分に関係なく愛する女性と一緒になれたらと考えてしまうことがあります。情けないお話しをしてしまいました。お許しください」


 情けなさそうにディアーノは苦笑した。

 事前に打ち合わせしていた協議内容は話し終え、会談もほぼ終わりに差し掛かっている。少し話しが雑談の方にそれてしまっても支障はないが、静かに微笑むギルバートの内心はというと、




 黙れ、小僧




 相手が他国の王子でなければ、とっくに席を立ちワンパンして玄関先から放りだしていただろう。

 遠まわしではあるが、王女ではなく偶然会ったアイカをディアーノは示唆している。


 正面から『銀髪金眼』の女性に会ったといわないだけ、王子としてだけでなく他国との交渉役に抜擢されるだけの才覚はあるのだろう。

 あと、交渉相手を挑発する才能も。


「情けない話だとは私は思いませんよ。私はこの歳になってようやく探し求めていた運命の相手に奇跡のように巡り会うことができた。もはや彼女無しではこの先生きる意味はないと思えるほどです。王子にもこの先、運命の女性と出会えることを影ながら祈っております」


 だからアイカは諦めてさっさと別の女へ行け


 と、ギルバートが言い返したところで会談は終了を告げる。

 唯一誉められる点としては、会談のメインとなる議案の交渉中は余計なことを言い出さなかった点だろうか。


 そこは友好国としての関係にヒビが入れば、お互い共に損をするだけなので私情を挟まなかったのは評価してもいいだろう。

 ただし、最後が余計だったが。


「ではずっと話してばかりでお疲れでしょうし、少し休憩してから食事にいたしましょう」


 セバスチャンに王子を休憩用の部屋に案内するように命じ、ギルバートが席を立ったときだった。


 締め切っていた部屋の窓が、一斉に風を受けてガタガタと揺れ、横殴りの雨がガラスを打ちつけ始めた。嵐の本体が来たらしい。


「嵐が酷くなってきたみたいですね。季節はずれの嵐は船乗りにとって不吉だ」

「この様子ですと嵐が通り過ぎるのは明日でしょう。今晩は丘の上の屋敷には戻らず、このままこの屋敷にお泊りください」

「お心遣い感謝いたします」


 すでに昼間の時点で今夜は嵐が来そうだと、セバスチャンにディアーノたちがいつでも泊まれるようにという指示は出してある。ディアーノだけでなく側付きの者や警護の者たちの泊まる部屋は既に準備されているだろう。


 先に客人であるディアーノたちに退席を促し、ギルバートたちも休憩を取ろうと部屋をでた。そこに廊下の先から雨に濡れているのも構わずこちらに歩み寄ってくるハリーの姿に、ぴくりとギルバートの片眉が反応する。

 ハリーの眼差しは客人の前で平静を装うとしているが、険しさは隠せていない。


「失礼します」


 無言でギルバートに手渡されるメモ。

 それにギルバートはサッと目を通し、何事も無かったように後ろに立つグレンへ手渡す。廊下にはまだディアーノがいる。何も気付いていない振りをしているが、雨に濡れた騎士が足早に入って来てギルバートに伝言しているのは見られている。

 気取られるわけにはいかない。




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 アインが突然部屋の窓から嵐の外へ飛び出しました。

 随行させた騎士団で捜索させます。


 レオナルド



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