第32話 宣戦布告

『………、きて。……は、……く……。わたしを……見つ、け……』


「だれ?」


 頭の中に聞こえたような途切れ途切れの弱々しい声に、アイカは振り返った。しかし、そこには誰もおらず、開け放たれた窓から湿った風が吹きこんでいるだけだった。


 確かに声がしたと思ったのに。

 私を呼ぶ女のひとの声。消え入りそうなほど弱々しくて、途中で途切れてしまって何と言ったのか聞き取れなかったけれど、私に助けを求めていた。


「アイン、窓の外がどうかしたのか?もしかしてもう雨が降り始めたか?」

「ううん。でも窓閉めておくね。そろそろ雨が降ってきそう」


 トーマスに声をかけられて、雨風が吹き込む窓をそっと閉じた。街の方に見える通りは、雨が降り出す前にと、人々が足早に走っているのが遠くに見える。


 そこへハリーが側にやってくると、険しい眼差しで窓の外の様子を眺めてから、さっとカーテンを引いてしまった。


「今夜は嵐になりそうだな。ラグナでこの時期に嵐が来るのは、昔から不吉だと言われている。港の船も沖に流されないよう、みんな厳重に係船柱にロープを縛りつけているんだ」

「そういえば、ハリーはラグナ出身だったか?」

「はい。貴族はと言っても暮らしは平民とほとんど代わり映えしない地方貴族ですよ」


 だからハリーはアイカが浜辺で拾った貝殻が真珠貝なのか訊ねたとき、この辺りでは昔真珠が採れていたと知っていたのだと分る。

 そしてレオナルドの問いにハリーは1つ頷づき、ぽつりと話しはじめた。


「ここら辺の子供なら一度くらいは子守唄代わりに聞かされる昔話です。千年も前、まだこの辺りの海で真珠が採れていた頃、それはそれはデカイ真珠が海の底で見つかったそうです。直径5センチを超える大玉、それも歪み1つない見事な玉形。その真珠は当時、ここら一帯を治めていた領主に献上され、領主は自らの所有する船の船首像に見つけた真珠をはめ込んだ」

「船首像って?」


と、首をかしげて問いかけたのはアイカである。


「船の先端に動物とか守り神を模した像を、航海の無事を祈って取り付けたものだ。領主の船の船首像は、妖精の女王<ゼシル>だった。真珠をはめ込んでから、どんな嵐に遭おうとも領主の船は難破することなくラグナの港に帰って来た。領主はその交易で得た利益を自分だけのものせず、街の者たちにも分け与え、人々は領主に感謝することはもちろん、真珠をいつしか妖精の女王ゼシルの名から『ゼシルの真珠』と呼んで敬った」


 ここまでなら誰が聞いても微笑む話の流れだが、昔話というものは語り継がれるだけの暗転がある。

 

「しかし、あるとき真珠に目の眩んだ商売敵が、領主を乗せた船をまんまとおびきよせ海賊たちに襲わせて殺した。そして船首像にはめ込まれたゼシルの真珠を取った瞬間、船に大きな雷が落ち、それまで静かだった海は荒れ狂い海賊たちの船ごと海の底に沈んだという」

「まさか、それがこの季節だったとかいうオチじゃないだろうな?」


 話が終わる前に、昔話のオチを察したレオナルドが言えば、気を悪くすることなくハリーは頷いた。そんなハリーにレオナルドは呆れ顔になる。

 海、嵐、海賊、真珠(財宝)、と、このラグナでなくても、どこかの港町に行けば聞けそうなありきたりな昔話だ。


 つまりは嵐の時は、どんなに急いでいても船を出して沈没したら元も子もねぇって教訓だろ?特に季節はずれの嵐は、空模様がどう動くか分からねぇ


 レオナルドは盛大に溜息をつく。

 そして季節はずれの嵐に無理をして船を海に出し、船が帰ってこないたびに、港の人々は妖精ゼシルがきっと船を海に沈めたのだと畏れる。ここまでが昔話のテンプレートだ。


「そんな迷信、今も信じられてるのか?」

「どうでしょうね。今も信じてるやつがいるのかは分かりませんが、昔、真珠がこの辺の海で採れていたってのは確かですよ」

「それは、……そうみたいだな………」


 レオナルドとハリーは同時に、部屋の隅で道具を使いキリをゴリゴリ鳴らしているトーマスの手元を見やった。

 そこには大皿に盛られたバロック真珠と、その真珠に紐を通す穴を開ける道具で、床に座ったトーマスはせっせと一粒一粒丁寧に穴を開けている。


 そして穴を開けた真珠を、アインが一緒に連れてきた猫が、狩りの真似事をして玩具にしていた。

 どこから手に入れてきたのか知らないが、アインが今日一日、部屋で過ごす暇つぶしにと袋に入れて持ってきたものだ。


 いきなり真珠に紐を通す穴を開けたいと言われても、午前中、街中を探してようやく年季の入った宝飾商の倉庫の中から、錆びた真珠固定機とキリとバイスを1セット見つけた。

 それを交代で使って真珠に穴を開けている。


「レオナルド様、あれ、どこで手に入れたんだと思います?ギルバート様がどっかの宝石商から大量買いしたとか?」

「ギルバート様が買うならこんな穴も空いていない真珠じゃなくて、紐とか通されて細工金具もつけられたネックレスの方を贈るだろ?なんだってこんな手間かかるもんをわざわざ買ってきてまで女性に贈るんだ?」

「ですよね……」


 アインの方はハリーの昔話を一通り聞いたら、袋から取り出した真珠を大きさ別に分けて、机の上に並べながら、穴を開ける位置を決めてペンで印をつけている。

ではギルバートが買い与えたのではないのなら、どこで袋に山盛りの真珠を手に入れたというのだろうか。


 しかし、ギルバートも真珠のことは知っているようなので、自分達が出所を詮索しても仕様のないことなのだろう。


「この真珠をどこで仕入れたのかは分からんが、アインが部屋で大人しくしてくれるなら、俺は黙って真珠に穴開けてるさ」

「それもそうですね」


 今朝はグレンだけでなくギルバートからも、くれぐれも騎士団が泊まっている別宅からアインを出さないようにと言われている。

 一昨日のようにアインを1日中追いかけて警護するより、真珠に穴を開けるほうがよっぽど楽な仕事だと、レオナルドとハリーは2人して頷いた。




 窓の外の空を一面覆うのは灰色の厚い雲だった。昼前までは青空が広がっていたのに、昼を過ぎてから着実に雨雲が広がりはじめ、いつ雨が降り出してもおかしくない。


「ひと嵐来るか」


 季節はずれの嵐の気配に、ギルバートの眼差しは険しさを増す。会談は夕方前から、そのまま会食へと移る予定である。その間に嵐が来れば、ディアーノはもう丘の上の別宅までは戻れないだろう。恐らくこの本宅で一夜を過ごすことになる。


 アイカを騎士団が駐留している別宅に移動させておいて正解だったな。あそこなら常に騎士たちが大勢出入りしている。万が一にも侵入されるということはないだろう。アイカも今回、王子に見られてしまったのは反省しているようだし、今日一日大人しくしていればもう王子と会う機会もない。


「ギルバート様、ディアーノ王子がお着きになられました」

「わかった。行こう」


玄関では執事のセバスチャンが王子を出迎え、そしてグレンがギルバートにディアーノの到着を知らせる。


「ようこそ、ディアーノ王子。お待ちしておりました」


 2階の階段を下りた広間に従者を連れたディアーノを見て、ギルバートは訪問を受け入れる。アイザックに事前に聞いていた通り、24という実年齢よりもまだ若く見える。しかし、容姿容は別にして、国と国の会談を任されるほどには頭が回るのだろう。

 カーラ・トラヴィスとイエニは長く交易を行い友好関係を築いてきた。特に海洋国家であるイエニは他国との貿易が国を支える。それを台無しにするような頭の弱い者を外遊のついで送ってきはしない。


「はじめまして、ギルバート将軍。ディアーノと申します。まずは私の外遊をお受けくだされたことをお礼申し上げたい」


 ニコリとディアーノが笑顔を浮かべれば、さらに幼さが増す。

 

「こちらこそ。長年友好国として関係を深めてきたイエニの王子を、私が治めるこのラグナで外遊先として受け入れることができて光栄に思っております。この港はイエニの商船も多く出入りし、取引をしております。何か知りたいことや興味をもたれたものがあれば何なりとご質問ください」


 社交辞令の挨拶を述べてギルバートが握手の手を差し伸べると、ディアーノは人好きする微笑を浮かべギルバートの手を取り握り返す。


「興味があることと言えば、先日この港から少し先にいった浜辺で素晴らしい女性と逢ったのです。あの方こそ私の運命の女性」

「ほう。海辺でとはまたロマンチックですね。それはどのような女性ですか?」

「光り輝くような銀の長い髪に、深い金の瞳を持った、なさがら宝石のような方でした」


 握手していた手を離し、無邪気そうにディアーノは話す。

 まさか国として打診してきたマリアとの婚姻の白紙撤回を詫びるより先に、アイカのことを口に出すとは思っていなかった。ただの馬鹿か、それとも相当な切れ者か。


 判断が難しいところだったが、少なくともディアーノはギルバートが王都アルバでの祝賀パーティーで同伴した相手も、『銀髪金眼』をした同じ容姿の女性であることを知っていて、この強調なのだろう。


「王子にそこまで言わせる女性とは、その女性が知ったらきっと喜ばれるでしょう。しかし、ここで長話をしていてもはじまりません。部屋はこちらです」


 ディアーノがそのつもりならギルバートもやられているばかりではない。

側に控えるグレンが僅かに首を横に振って、挑発に乗るな、冷静になれと促してくるのも知ったことではない。




クソガキが!


その喧嘩、買ってやる!











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