第34話 精霊の女王ゼシル


自我というのもあやふやな意識が芽生えた時、周りはどこまでも暗くて光1つない闇だった。


けれど怖くはなかった。


寂しくもなかった。


この闇はとても優しく自分を包み込んでくれる。


だから自分はその闇を褥に、ずっとまどろみ続けるのだろうことを疑わなかった。


なのにその闇は突然終わりを告げた。



差し込む光が眩しかった。


初めて見る光と、外の世界だった。


それと同時にもう闇の褥には戻れないのだと知り、貴方に出逢った。




「なんと美しい真珠だ。これを髪飾りにして船首の精霊像にはめるとしよう。この船の守り神として」



そしてわたしは人間たちから呼ばれるようになる



精霊の女王、ゼシルと




▼▼▼




ギルバート、グレン、そしてハリーが部屋に入り、扉が完全に閉まったのを見計らい、


「何があった?」


 上司であるギルバートへ宛たものにも関わらず走り書きの字。それだけレオナルドが慌てて書いたのが判る。


 朝、玄関で見送るまでアイカの様子は普通だった。

 俺が迎えに行くまで別宅から出てはいけないと言ったのも素直に頷いていた。

 唯一、いつも身につけている<女神の指輪>を俺に預けたこと以外は。


 アイカ自らの意思で別宅を飛び出たのかどうかは判らないが、朝の時点でアイカは何か異変を感じ取っていたのかもしれない。でなければ指輪をギルバートに預けようとはしなかった筈だ。ディアーノの方にばかり気を取られて、アイカの異変に気付けなかった。


いなくなったときのために、自分をまた探せるように


不甲斐なさしかない。


一度ギルバートに敬礼したハリーが状況を報告する。


「突然だったんです。俺たちと一緒に真珠に穴を開けて、それに紐を通してアインも楽しんでいた様子でした。でも、急に表情が変って、無表情になったかと思ったら閉めた窓の方へ行って……、アインの身体が宙に浮いて、窓から嵐の外へ飛んで行ってしまいました」

「ココは?猫もアインと一緒にそちらへ連れて行っただろう?ココはどうした?」


常に女神の側にいて女神を見守る猫。

人では聞こえない精霊の声も聞くことができ、そして猫だが人間の言葉を喋ることができる。アイカの異常に最も早く気づけただろう。


「猫もアインの後を追うように窓から外へ飛び出て行ってしまいました」

「何も言っていなかったか?」

「言うとは?」

「……いや、なんでもない」


 アイカの後を追うとき何か言っていなかったかとギルバートは期待したが、ハリーの様子にココはハリーたちの前で人の言葉を喋らなかったのだと判る。


 猫は人とは話さないものだとして、アイカ以外とは気まぐれにしかココは喋らない。

 しかしアイカの急変となれば、何か伝言を頼んでいるかもしれないと思ったのだが、そう簡単にはいかないらしい。


「すぐにレオナルド様が休憩していた騎士たちも招集して、飛び出したアインを追って捜索されております。自分もこの後、皆と合流してアイン捜索に戻ります」

「わかった。俺の警護は可能な限り減らしていい。ラグナの警備兵も可能な限りそちらにまわそう。アインを最優先に捜索するように。だが、この嵐だ。決して無理はするなと皆に伝えてくれ」


 この嵐の中での捜索となると大の男であっても難しいだろう。とくに波が打ち寄せる港は、波に足をとられて海に引きずりこまれる。なにより夜中捜索させるわけにもいかなかった。


「了解しました!」


 ハリーが部屋から出て行くと、グレンが静かに口を開く。

 この嵐の中、ギルバート本人が外にでてアイカ捜索をすることはグレンも止めるが、この状況で心を落ち着けてディアーノと会食は難しいだろう。


「これから会食ですが、いかがなさいますか?会談は終わっております。会食だけであれば体調が悪いということにして、私が代わりにディアーノ王子の相手を」


 そうして騎士団や警備隊の指揮をギルバートが自ら行うかどうかをグレンが問えば、ギルバートは険しい表情のまま、会食には自分が出るとグレンの気遣いを断った。

本音を言えば、もちろん今すぐにでも嵐の中に出て自らアイカを探しに行きたい。けれど、個人の私情に走って、守るべき民や国を疎かにするわけにはいかない。


「いや、俺が出る。会談の時は元気だったのに会食はキャンセルするなど、他国の王子が来ているのに、俺が欠席すれば周辺国への示しがつかない。カーラ・トラヴィスの対応を疑われる」

「わかりました。捜索している者たちの報告は全て自分が受けます。アイカに関する情報が何かつかめましたらどんな些細なことでも直ぐにお伝えします」

「ああ」


 ギルバートが頷くと、また横殴りの雨が窓ガラスを激しく打ちつけ、暴風に窓枠がガタガタと軋み音を立てた。




▼▼▼




「アルバの方で何かあったのでしょうか」


 会談を終えて用意されている休憩室に戻った後、ザムールは先ほど廊下ですれ違ったずぶ濡れの騎士の様子に王都の方で何か大事があったのかと当たりをつける。

 ディアーノの外遊先にカーラ・トラヴィスが候補として上がったとき、国内の情勢を事前に調べたが、戦争後ではあったが国政に派閥はなく政情も落ち着いていたことで、今回の外遊が決まったのだ。会談が終わっていたとはいえ、他国の王子と会っていると知っていて、ギルバートに直接報告する必要がある大事が起こったのだろうか。


 しかし、ディアーノは雨が降る外を窓から眺めながら、ザムールの予想に首を振る。


「いや、問題があったのはこのラグナだろうな。嵐はもっと激しくなるというのに騎士や警備兵が街中を走っている」

「この嵐の中をですか?」


 今いるグランディ邸の本宅は、丘の上の別宅ほど高い場所に建てられているわけではないが、それでも街や港を見下ろせるだけの高い場所に建っている。二階にあるこの部屋の窓からは、建物の間から雨避けのコートを着込んだ兵士たちが、走って行き交うのが見える。


「雨に濡れて、大変そうだねぇ」

「何があったのでしょうか」

「さぁ。意外と大事にしている宝石が自ら手の中から逃げ出したのかもしれないよ?」


窓の外に視線を向けたまま、歌を口ずさむような軽さでディアーノは言う。

ディアーノが例えた<宝石>が何か、すぐに思い当たったザムールはありえないと否定する。外の嵐は、帆を降ろした大型船が激しく左右に揺れるほど強い風が吹き、そして大粒の雨が地上をたたき付けている。


「それこそありえません。この嵐の中を女性が出歩くなど。仮に将軍が内密に女性を同行させていたとしても常に警護の者たちに守らせている筈です」

「普通の女性、とくに貴族の女性ならばそうだろうね」


 薄い微笑をたたえてディアーノは言う。

 女ではなく、男であってもこの嵐の中に意味もなく出るのはとても危険だ。

しかし、普通の人間でなければどうだろう。海の上に光と共に現れ、海面に浮くことが出来る存在であればこんな嵐など、春のそよ風くらいの心地よさかもしれない。


 もしかして、この季節はずれの嵐はキミが呼んだものなのかい?

 だとするならキミは何をこの嵐に望んでいる?


 ギルバートが公に伴ったという女性が、ディアーノが海で会った女性と同一人物と決まったわけではない。しかし、ギルバートの元から逃げたのだとすれば、それはそれで面白いと思う。女神を只人が自由にできるなど、おこがましい考えだ。


「それは、どういう意味ですか?」

「ン?言っただろう?俺は<女神>に会ったんだってね」


ディアーノの言葉が理解できなかったらしいザムールに、ディアーノは愉快そうに笑った。




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