第9話 それはまだ小さな奇跡
「騎士になりたいの」
期待に満ちた眼差しのアイカのお願いに、ギルバートはどうすればアイカの願いを叶えられるか考えに考えた。騎士団の規則を考えれば、入団できるのは男のみ。女は入れない。
無理だ。
女を騎士団に入団させるなんて将軍の自分でもとても……不可能だ……。
しかし、汚名返上のために、名誉挽回のために、そして自分の気持ちが本気であるとアイカに信じて貰うためにも、願いを叶える必要があった。
もし本当にアイカが入団するのなら国に10個ある騎士団のうち、ハロルドが騎士団長を務める第二騎士団が最も平均年齢が高い。36歳の自分が老けている部類に入るらしいアイカの感覚では、自分より年若い騎士が多く配属している騎士団は絶対に避けるべきだ。
それにハロルド一人だけにアイカを任せるのは不安がある。ハロルドは確かに王に忠誠を誓う忠実な騎士で剣の手腕や部下をまとめる力は優れているが、策略を巡らせたり裏で隠れた企み事をするといった腹芸は極端に苦手だ。
そうなるとハロルドをサポートできる者がもう一人必要になる。
グレンしかいないか……。
政治的な手腕はもちろん、各所への調整や連絡といった雑用までこなす万能さ。もちろんギルバートの補佐としてもその力量は申し分のない。
しかし自分がこれだけ悩むのだから、いきなり言われたグレンとハロルドは間違いなくアイカを騎士団に入団させるのを断るだろう。
その二人の首を縦に振らせるためには?
考えあぐねて、二人が自分に望むものを思案すれば、一つしか思い当たらない。
ギルバートを結婚させ子供を作らせること。
常日頃から耳タコで事あるごとに言われていた。アイカに会う前は、特定の相手は作らなかったし結婚する気もなかった。しかし今は違う。アイカと結婚したいと思っているし、アイカ以外の女性と結婚する気はない。
そのためにも自分の結婚を引き合いに、グレンとハロルドに承諾させる。
丸々二日、睡眠も惜しんで考えて、しかしこれ以上は妙案は浮かばず、半ば放り投げるようにグレンとハロルドにアイカの騎士団入団を頼みこんだ。
しかしこれでどうにか騎士になりというアイカの願いを叶えられそうだと、3人でアイカ入団のためのアイディアを出し合い、ついでにしばらくため込んでいた自分の雑用を済ませてグランディ家に戻れば、屋敷の者たちが総動員で屋敷から飛び出して行ったらしいアイカの行方を捜している。
「申し訳ございません。見知らぬ猫が屋敷内に入り込み、メイドたちが捕まえようとしたところ、どうもアイカ様の猫だったらしく、驚き飛び出されたようなのです」
頭を垂れるアルフレッドの説明を聞くや、踵を返し馬小屋へと走った。
冷や汗がでた。
まさか池へ帰ったのか?
アイカは気を失っている間に自分の屋敷に連れてきたため、池がある屋敷がどこにあるのか知らない。しかし相手は女神だ。人には使えない奇跡の力を持っている。アイカの指輪はもうない。池の中に逃げこまれたら、もう二度会う術がなかった。
ドレスを着込んだ女の足ではどんなに走っても遠くまでは行けない。走っていったという方向に馬を走らせ、普段なら屋敷の者でもめったに近づかない森の入口に生えている低木の枝に、ドレスの切れ端を見つけた。
森に入った先にある炭焼き小屋でアイカを見つけたときはどれほど神に感謝しただろう。
腕に友達だという珍しい柄の猫を抱え、自分の危惧したように池へ戻ろうとしたわけではなく、単純に驚いただけだったことも分かった。本人は壺が割れてしまったことを気にして謝ってきたが、アイカが自分の元にいてくれるなら壺など何個割れようとかまわない。
アイカに出会ってからここ数日、毎日のように何かしら翻弄されている自分を笑う。
ほんの僅かでも目を離した隙に女神はどこかへ行ってしまいそうだ。それを自分は必至になって食い止める。
けれどそんな自分が悪くない気分だった。
▼▼▼
屋敷に戻ってから、気づかない間に破けてしまっていたらしいドレスを着替えることになった。考えてみればあんな雑草や低木が手入れされずに生えている森に入れば、横に大きく広がったドレスの裾をひっかけてしまっても当然だ。
壺だけでなくドレスまでダメにしてしまった。
ギルバートは弁償とかお金は気にしなくていいと言ってくれたけれど、これはやはり少しでも返さないと申し訳ない。
そこで小屋でココに力の使い方についてアドバイスを貰っているとき、考えついたアイデアを試すことにする。
ココも言っていたけれど、要は認識からくるイメージ力が女神の力を使う上で重要なのだろう。
女神転生しても前世の高校履修は理系。
受験になってどうして文系を選ばなかったのか後悔しかなかった。その理系が転生してから役立つときがやってきた。
やるときは、やってみせるわ!!
「アイカ、何をしている?」
ちょうどタイミング悪くこちらも着替えたのだろうギルバートがお茶セットを持って部屋に入ってくる。
「話しかけないで!今集中してるから!」
隣に来たギルバートが手元を覗き込むのも構わず、ベッドサイドの机の上に貰った炭の塊を一つ置き、水晶に両手をかざす占い師のように炭に手をかざし強く念じる。
すると、手の下から微かな光が放たれ、しばらくするとその光は何もなかったように消えていった。
「ふぅ。どうかな?」
両手を退けたそこには真っ黒な炭の塊はなく、4センチ四方の丸く少し濁った半透明の石が転がっていた。
指輪にはまっているみたいに全然キラキラしてないし、なんか微妙に白っぽい……
失敗しちゃったかな?
期待外れに落ち込む。けれど、アイディア自体はかなりいい線だった感触はある。現に机の上の石が元は真っ黒な炭だったと言っても誰も信じないだろう。練習を重ねれば、実現できそうな気がする。
練習の積み重ねだ。
「その石、俺が小屋でやった炭だろう?」
机の上の石を眺めながらギルバートが聞いてくる。
「そう。ダイアモンドにできないかなって試してみたんだけど」
「ダイヤモンド!?キミは炭をダイヤモンドに変えようとしたのか!?」
「でも失敗したみたい。全然キラキラしてないんだもの。昼間割っちゃった壺とか破れたドレスの弁償にできないかなって思ったんだけれど、そう簡単にはいかないものね」
「弁償なんて別に気にしなくても……。しかし……、炭がダイヤモンドになるなんて……」
「見かけは全然違うけれど、炭もダイヤモンドも元素は同じ炭素だから、結合を変えられれば炭はダイヤモンドになるわ」
同じ炭素でも炭とダイヤモンドの違いは、元素の結合規則が異なっているせいだ。
それこそ人工ダイヤモンドを作る原理が同じである。だから化学の授業で学んだ結合図を頭に思い浮かべながら、炭がダイヤモンドになるように念じてみた。
「これが失敗……?この石、貰ってもいいだろうか?」
「ええ、どうぞ。失敗作でよければ。次は成功できるようにいっぱい練習するわね。まだ生まれたばかりで上手く力を使えないのは悔しいもの」
何気なく言った一言に、ギルバートが生成された石を手に取りながら聞き返す。
「生まれたばかり?」
「言ってなかった?私、ギルバートと初めて会った夜に女神として生まれたのよ。だから女神としての力の使い方もそうだけれど、この世界のことも何も知らないの」
「……そうだったのか」
慣れない力を使ったせいだろうか。
急に疲れが出てきてベッドに腰かけたとたんに、大きなため息が出た。そこに差し出される暖かな紅茶の香り。礼を言って受け取ってから、ベッドにこぼさないよう気を付けながら一口飲む。するとギルバートも同じように隣に腰かけた。
「アイカ、少し話をいいだろうか?」
「何?」
「女神のキミが素晴らしい力を持っていることを俺は知っている。しかし、普通の人間は池の上を歩いたり、炭をダイヤモンドに変えたりできない。俺ももちろんそうだ。だからこういった力は人前では決して見せないようにしてほしい。見たら皆驚くだろうからね」
指摘されてそういえばと思い当たる。ココにも小屋で指摘されたことだ。
自分の力を利用しようとする人間がいるから気をつけなければいけないと。確かに警戒が足りなかったかもしれない。
「そうね、力を使うときはまわりに気を付けるわ」
「全くキミという人は、少し無防備すぎるな……」
「ギルバート?」
数口つけた紅茶のカップをギルバートに取られサイドテーブルに置いてしまうと、すっと顎に手を添えられ、唇に軽く口付けられた。
「猫を連れて屋敷を飛び出したり、今もこうして炭をダイヤモンドに変えようとしたり、アイカには驚かされることばかりだ」
苦笑しつつベッドに仰向けに倒されてしまった。
この流れはいけない流れだ。
けれどダメだと言う前に、
「アイカ、キスがしたい」
紫雲の瞳に優しい微笑みでお願いされてしまった。
もう自分でも気付いている。ギルバートのこの微笑が自分は好きなのだということを。
「卑怯よ……ギルバートはそう言えば私がもう嫌って言わないの、知ってるわ……」
恨み言を言ってもギルバートは微笑むばかりで何も言ってはくれない。やっぱり確信犯だ。
この屋敷に来てから、ギルバートと何度キスをしたか数えきれない。キスはいつも優しくて、拒むどころか身体中がフワフワして気持ちよくて最後はギルバートの逞しい腕が身体を支えてくれた。
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