第8話 貴族の暮らし

ギルバートの屋敷に連れてこられて3日が経った。まるでお城のような広い屋敷にはたくさんの使用人たちが雇われ、屋敷内を常にほこり一つないよう掃除し、屋敷回りの広大な庭を手入れして、自分の身の回りの世話もしてくれる。

お姫様が着ているような幾重にもレースが重ねられ、色とりどりの刺繍で縁どられたドレス。長い髪はサイドを三つ編みにしてそれを後にまとめて金の細工が施された髪留めでとめていた。


そんな沢山の使用人たちに囲まれて、テキパキと命令や指示を出しているギルバートを見ていると本当に貴族なのだと実感する。

だけど、


「何不自由ない生活って、こんなに退屈だったのね」


自分の部屋として用意された野菊の間のソファに腰かけながら、ぼーっと呟く。

野菊の模様が描かれた壁には、一定間隔で油絵で描かれたのだろう絵画が飾られ、高そうな壺に毎日活けかえられる朝摘みの花々。


世話をしてくれる人には申し訳ないけれど、何もすることがないということがこんなに退屈で退屈で、逆に窮屈で息苦しいということを初めて知った。

みんな知らない人で、お話する人もいないし、かと言って散歩しようにも誰かしら案内についてきてくれるけれど、必要以上は話すなって言われているのか話し相手になってくれない。


それに気がかりなことがあった。

池の洞窟で自分の帰りを待っているだろう三毛猫のココ。指輪を探しに地上に行ったっきり帰らない自分をきっと心配しているだろう。

まだこの世界に女神として転生してからほとんど日が経っておらず、この世界の知識は乏しい。土地勘なんて全くない。気を失っているうちにギルバートの屋敷に連れて来られたから、どうすればココの待つ池に行けるのか。


池に忘れ物があるから取りに行きたいってギルバートに言っても、王家の屋敷だから少し待ってくれって言うばかりでちっとも連れて行ってくれないし。


そのギルバートは朝から仕事があるからと出かけてしまい、屋敷に一人残された自分は何もすることがなく暇を持て余しソファに腰かけぼーっとすることしかできない。どんなに綺麗なドレスやアクセサリーも身に着けて30分で飽きる。


「!……っ!そっちにっ!!……、つかまえっ……!」

「あれ?」


廊下の方から騒ぎ声が聞こえてきて、何事だろうと顔をそちらに向ける。この屋敷の使用人たちは皆驚くほど礼儀作法が徹底されて、声を荒げる人もいなかかったのに。


どうしたのだろうと思い、そっと部屋の入口の扉を開けて、顔を少し覗かせ廊下を伺う。


「待ちなさい!猫!」

「そっちへ行ったわ!捕まえるのよ!」


メイドたちが指をさしてバタバタと廊下を行きかっている。そして、廊下の突き当りをサッと横切った小さな毛皮にあっと口元に手を当てた。見覚えのある色模様の猫。


「ココ!?」


声を上げ部屋から廊下に出ると、猫は呼ばれた名前に反応したように急転回して自分の胸に飛び込んできた。


「にゃー!」

「ココ!?やっぱりココなのね!」


抱きしめた三毛猫が顔を摺り寄せてくる。

しかし再会の感動に浸る間もなく、血相かかえ追いかけてきたメイドたちが自分からココを奪おうとしてきた。


「お嬢様!?申し訳ございません!すぐにその猫を外に追い出しますので!」

「待って!やめて!その猫は私の猫よ!」


奪われまいとぎゅっとココを抱きしめる。その姿にメイドたちもココを取り上げようとするのを止まってくれたけれど、


「あ………」


廊下の先に、窓辺に飾られていたのだろう花瓶が床に落ちて割れ、活けてあった花や水が散乱しているのが目に入る。自分を探しに来てくれたココが使用人たちに追いかけられているときにぶつかって割れてしまったのだろう。思わずメイドたちと割れた壺を見比べ


高そうな壺……

どうしよう割っちゃった……


「ごめんなさい!」

「お嬢様!お待ちください!」


どうしたらいいか分からずココを抱いて咄嗟に屋敷を飛び出してしまった。きっと謝って済む問題ではない。素人目に見てもギルバートの屋敷で日用品として使われている家具や絵はとても高いものだと分かる。

お金なんて当然持っていない。弁償しろと言われたらどこかで働いてお金を返す他ないけれど、いったいどれだけ働けば弁償できるのか検討もつかない。


行く先もなく屋敷から走って逃げて、気が付けば周りは森の中だった。屋敷のまわりの土地であれば刈られた芝生が敷かれて庭木は綺麗に手入れされている。けれど今いるあたりは人が通る道はあっても一歩道を外れれば雑草が生い茂り、木々の枝が散乱して、手入れされている様子はない。

しばらく当てもなく歩き続け、その先に立っている小さな小屋を見つける。

数回の扉をノックして、


「あの、誰かいますか?」


返事はない。それに小屋に鍵などはかかっておらず、扉は簡単に開いた。

小屋の中は当然明かりなどなく、左右二つの窓から差し込む光が唯一の明かりになっている。炭が小屋の壁際にきれいに並べられているのを見ると、この小屋は炭小屋なのだろうか。

薄暗い光の中、埃臭い小屋の空いている中央にしゃがみ、抱いている猫をそっと目の前に抱え上げる。


「貴方、ココよね?どうして池の時みたいにしゃべらないの?」

「みゃー……」


腕の中で力弱く猫がなく。メイドたちからはあんなに元気に逃げ回っていたのに、自分の腕の中ではこんなにも大人しい。どこからどう見てもココだ。

もしや池の中ではないからココは話すことができないのだろうか?であれば、どうすれば池の外でも話せるようになるのだろう。しばらく考えて、ふと思いついたアイディアにぱっと表情を明るくさせる。


「ちょっと待ってね」


ココが池の外でも喋れるようになりますように。

話せるようになれますように。


ココの前で両手を合わせ、神に祈るように念じる。

それを数回繰り返してから、パチリと目を開け、


「どうかな?喋れそう?」

「アイカ!ありがとう!」

「よかった!ココ会いたかったわ!」


やっぱりココだと薄暗い小屋の中で今度こそ再会を喜び合う。


「あの男に連れて行かれて、心配してたんだよ。大丈夫だった?あの男にまた変なことされてない?」

「ごめんね心配かけて。でも大丈夫。ギルバートは私にもう酷いことはしないわ」


やっぱり心配してくれていたのかとココに謝る。それから池で落とした指輪を探しに行ってからの出来事をココに説明した。ギルバートについて話すのはかなり恥ずかしかったけれど、気を失ってしまった自分を池のほとりに置き去りにできず、屋敷に連れ帰り世話をしてくれているのだとココには一応納得してもらえた。


「ならいいけれど、アイカは女神なんだ。いつアイカを利用しようとする人間が現れたっておかしくないから気を付けてね。とりあえず指輪を取り戻せてよかったよ」

「そうね。もう落とさないように気を付けるわ」


指輪はチェーンから外して指にはめている。どうにもギルバートサイズのチェーンは長くて下をかがむとチェーンが垂れてしまうのだ。


「でも女神の力ってイマイチよく分からないのよね。願いを叶えるって言っても漠然としてて」

「願いというか認識って言った方がアイアにはイメージしやすいかなぁ」

「認識?」


ココの説明が理解できずに首をかしげる。


「例えばアイカが女神に生まれ変わったとき、ギルバートの姿に驚いたっていうのもあるけど池で溺れただろ?あれもアイカの人間だったころの記憶と認識が影響してるんだ。水、池、泳がないと溺れるっていう人間の認識。だからアイカは溺れかけてしまった。けれど水の上を歩けるって覚えたら、もう特に意識しなくても歩けるようになった」

「言われてみれば………」

「アイカはまだ女神として生まれたばかりだから、慌てずに少しづつ力の使い方を覚えていけばいいよ。アイカが一番やりやすいやりかたで」

「私のやり方……」


そこにバンっと音を立てて、小屋の扉が開かれた。

いきなり扉が開かれ、そこから差し込む光が逆光になって眩しい。

目を手のひらで差し込む光を避けながら、扉の方を見ると、息を荒げ、髪を乱れさせたギルバートが立っていた。


「こんなところにいたのか……、探したよ……」

「ギルバート……?」

「大丈夫か?転んで怪我とかしてないか?」

「……大丈夫」


おいで、と差し伸べられる大きな手を取るのを一瞬躊躇して、でも恐る恐るそっと手を重ねると力強く抱き寄せられた。ギルバートの心臓が激しく脈打っているのが伝わってくる。

屋敷を飛び出してしまった私を懸命に探してくれていたのだろう。


「よかった……。池に帰ってしまったのかと……」


乱れた呼吸のまま抱きしめた自分の頭にギルバートは口づけを落とす。


「ごめんなさい。私の猫がお屋敷の壺を割ってしまったの……。お金はちゃんと払うから、ココを取り上げないで……」


腕の中でココは大人しく抱かれている。それを聞いたギルバートはふっと顔をほころばせ、


「お金なんて気にしなくていい。屋敷の壺くらいいくつ割っても構わない。驚かせてすまなかった。メイドたちにはよく言っておくから屋敷に戻ろう。陽も落ちてきたからじきに暗くなる」

「うん」


そうして小屋を出る間際、ふと小屋に置かれた炭が目に入った。

私らしい、私がやりやすい、力の使い方。


「ねぇ、ギルバート。この炭、1つもらってもいい?」

「炭くらい何本でも構わないが、何に使うんだ?」

「秘密。試してみたいことがあって」


ふふふ、と曖昧に誤魔化すと、ギルバートはそれ以上言及することはなくポケットの中からハンカチを出し、適当なサイズの炭をハンカチに包み手渡してくれる。


「ありがとう」


小屋を出るとすぐ先に鞍を付けた馬が辺りの雑草をむしゃむしゃと食べている。この馬でギルバートは探しにきてくれたのだろう。両脇に手をいれたギルバートが先に自分を横乗りに馬に乗せ、それから後ろにさっと跨る。


慣れた手綱さばきで馬を制御し、ゆっくりとした歩調で歩き始めた。

馬に乗るのは初めてで、馬が一歩歩く度に揺れて落ちそうになるのを、手綱を握るギルバートの袖をつかんで耐える。ゆっくり歩いているだけなのに、意外と結構揺れるものだ。これが馬が全力で走っていたらどれくらい揺れるのか想像もつかない。


「馬に乗るのは初めてか?」

「当たり前じゃない。馬なんて動物園か牧場にいるのを見たくらいよ」

「動物園?」

「なんでもない」


動物園というものをギルバートは知らないのか訊ね返してきたけれど、説明が面倒なのでごまかしてしまった。

異世界でいろんな動物を集めた娯楽施設と言ってもギルバートは首をかしげるだけだろう。


「アイカ、お願いだ。約束してほしい。どこに行くのもキミの自由だが、かならず行先を誰かに告げてほしい。今日のように急に屋敷を飛び出してどこに行ったのかも分からないのは、俺もとても心配する」

「……わかったわ。約束するわ」


急に自分がいなくなって沢山心配したのだろう。ギルバートの着ているシャツの至る場所が汚れてしまっている。いつも丁寧にアイロンがかけられた皺ひとつない真っ白なシャツを着ているのに汗や泥で汚れている。

けれど、


「でもギルバートだって悪いのよ?私がいくら一度池に戻りたいって言っても連れて行ってくれないし、ココが池でずっと私のことを待ってないか心配だったんだから!」


そもそもギルバートが早く池に連れて行ってくれていれば、ココが自分を探しにきて壺を割ることもなかったのだ。ココはというと腕の中で呑気にぺろぺろと毛づくろいをして、完全に普通の猫のフリだ。


「もしかしてアイカが池に戻りたいと言っていたのはその猫を?」

「そうよ、私の友達のココよ」

「それは済まなかった。てっきり……」

「てっきり?」

「いや、なんでもない。それより朗報だよ。騎士団の件だが、アイカを無事入団できそうだ」


ゴホンと咳払いをしてから、ギルバートはニコリと笑みを向けてくる。その前に何を言おうとしていたのか気になったけれど、頼んでいた願い事が叶うらしい知らせにそちらの方に気が向く。


「ほんと!?ありがとう!」

「ただ、準備とか部屋の用意に少し時間がいるからもう少し待ってもいいかな」

「わかったわ!すっごく嬉しい!」


騎士になりたいという願いが早速叶おうとしている。それに毎日用意してくれるメイドたちには悪いのだけれど、

そろそろドレスに飽きてたのよね。動きにくいったらないわ。これでどうやってお姫様は生活していたのかしら。何もできないじゃない。

裾にも袖にも長いレース。何かをしようとするとすぐに机やモノについてしまい邪魔でしかたなかった。でも、騎士となれば着るものはギルバートが着ているような動きやすい服装だろう。考えるだけで楽しみで仕方ない。女神に転生してからこんなに胸がときめいたのは初めてかもしれない。

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