第10話 騎士団入隊

うららかな午後の昼下がり。春が近づいていることを感じさせる暖かな日差しが気持ち良い。敷地内に植えられた木々も春を待ちわびたように、若葉を茂らせようとし、小さな草花がその根元に蕾をつけている。

しかし、騎士団敷地内を進むグレンの表情は、普段より3割増しで硬い。今から厳しい冬を迎えんとしているかのようなオーラを纏わせていた。


廊下の先から歩いてくる副将軍の姿にすれ違った騎士たちは慌てて最上位の敬礼を取る。若くしてギルバートの信頼を得て、副将軍の地位にまで上り詰めた知将。ギルバートが王になれば次の将軍職にはグレンがつくのでは?と、まことしやかに噂が流れている。

自分に向けられるそんな羨望の眼差しなどどこ吹く風で、グレンはハロルドの執務室の扉を叩いた。


「失礼」


部屋主の返事を待たずにグレンは、コココンと素早くノックして執務室に入る。

そこにはグレンよりさらに表情を曇らせたハロルドが机に両肘をつき、重そうに顔を上げた。部屋にはハロルドしかおらず、悲壮感が満ちている。


「お疲れ様です。今朝の入団紹介は首尾よく終わりましたか?」

「ええ。妻帯者が多いウチに配属されるには、随分年若いのが配属されたものだと話が盛り上がる程度で済みましたよ」

「ちなみに彼女を怪しむ者は?」

「今のところ誰にも気づかれていない筈です。容姿は母親似ということにして、年齢的にもまだ中性的な特徴が残っていてもおかしくない。さらにグレン殿のご親戚という触れ込みであれば、その素性を誰も疑う者はいないでしょう」

「それは良かった。これなら上手くやり過ごせそうですね」


これで第1関門クリアとグレンとハロルドは同時にため息をついた。

いくらギルバートたっての頼みとはいえ、やはり女を騎士団に入団させるのは厳しい。ならば男と偽って入団すればいいと話は落ち着いた。


一昨日、グランディ家にグレンとハロルドは共に招かれ、そこでギルバートから紹介された目を見張るほどに美しい少女。

話に聞いていた通り薄桃色を帯びた銀糸はサイドを少し残して後ろでひとつに纏められ、白い小さな顔に同じ銀の睫毛に縁取られた大きな金の瞳。

騎士団に入る前に、騎士の作法を学んでいる途中ということで煌びやかなドレスではなく、貴族子弟が着ている貴公子風の男物の服を着ていた。しかしその上からでも分かる華奢な体躯。細い手は簡単に握りつぶされてしまいそうだ。

これで本当に重い剣を持ち上げられるのか疑わしい。


ギルバートが女神だと言っていたのも、あながち恋に盲目になっていた所為だけではなかったらしい。窓から差し込む日差しに銀の神が光り輝き、金の瞳はグレンとハロルドを前にして不安げに揺れ、儚げで今にも消えてしまいそうな美しさだった。


しかしこれだけの美しさなら、社交界で少なからず噂にのぼるだろう。あの夜会に出席できるだけの階級身分があるなら尚更だ。あの夜会は半ばギルバートの相手を見つけるために催されたような夜会だ。

だが、グレンはあれからギルバートに無駄だと言われても夜会出席者の身元はもちろん、貴族に限らず平民まで少女の外見と一致する者を探したが見つからなかった。


名前はアイカ


たったそれだけだ。ファミリーネームもミドルネームもない。騎士団に男と偽って入団するのにその身元は知れない。

いくらなんでも不用心過ぎないか?と思ったが、アイカを目に入れても痛くない様子のギルバートに言うのは憚られた。

何しろ、入団まであと2日ということで緊張した面持ちのアイカが


「どうしよう。急に緊張してきたわ……。ギルバート、私上手くやれるかしら?」

「俺が礼儀作法を教えただろう?アイカは物覚えがいいからちゃんとやれるよ。騎士団に入団するギリギリまで俺も付き合うから」

「わかったわ!私がんばって覚えるから!」

「その息だ」


と、女性に対して見たこともないような笑顔で将軍であるギルバート自ら礼儀作法を指南していると聞いたときは、2人揃って呆気に取られ何も言えなかった。

あのギルバートがここまで態度を変えるとは。それだけギルバートが少女に対して本気だということが伺える。


おまけに帰り間際、玄関先どころか帰りの馬車前までわざわざ見送りに来て、


「2人とも、くれぐれもアイカのこと、頼んだからな?」


さっきまでアイカに向けていた笑顔とは正反対の悪鬼の形相で念押しされた。そんな顔は戦場を剣を片手に馬を駆けていた頃以来だ。そんなに男ばかりの騎士団に入れたくなければ、上手く言いくるめて入れなければ誰もこんな苦労はしないのに。

なのにギルバートはアイカに何でも言うことを聞くと言ってしまったらしい。(馬鹿だ)


「部屋も個別に離れを用意したんでしたね」

「大部屋なんて無理でしょう。万が一にも彼女の着替えているところを見られたら一発で終わりですからな。急な入団で部屋が用意出来なかったことにして、離れをこっそり改修しました。一見して他の部屋と変わらない質素な部屋ですが、隠し部屋に繋がってます」


隠し部屋?

事前の打ち合わせでは聞いていないハロルドの説明に、グレンの眉間がピクリと反応した。


「もちろんギルバート様が隠れてアイカに逢引するための部屋です。あの方の髪色は良くも悪くも目立ちますからな。ダメだと言ってもあの方のご様子でしたら、毎日でも通われるでしょう」

「それは……ご配慮感謝いたします……」

「グレン殿、これだけは先にお伝えしておきます。ギルバート様が入団したばかりの見目の良い騎士見習いの部屋に入っていったなんて噂が立った日には、わしは全て自分の一存で彼女を入団させたことにし、騎士団長引退させて頂く覚悟です」

「ご心中、承りました……」


真面目なハロルドにグレンも思わず同情する。なかなか結婚しないギルバートが実は美少年趣味で、しかも自分の騎士団配属の者と逢瀬しているなんて噂がたてば、王に忠誠を誓う騎士として責任を感じずにはいられないだろう。


実直な性格のハロルドなら尚更だ。そこまでの覚悟をハロルドにさせたのであれば、尚更ギルバートには是非とも結婚してもらわなくてはならない。


ちなみに何故ハロルドの第二騎士団を選んだのか、その理由をこっそりギルバートに尋ねたところ、アイカに最初愛を囁いて「おじさんは嫌だ」と言われたのだと気落ちした声で教えてくれた。アイカの年齢を考えれば確かに36歳のギルバートはおじさんの部類に入るかもしれないが、国の英雄をおじさんと拒んだ度胸は大物だろう。


そこでアイカと同じか近い年齢の騎士、または騎士見習いが多く配属されている騎士団は除外し、最終的に消去法で残ったのが平均年齢が高く、妻帯者が多い第二騎士団だったらしい。

しかし、さすがにそれをハロルドに教えるのは気が引けて、グレンは言わないでおくことにしたのだ。



▼▼▼



騎士団はまず第一に剣の鍛錬。

戦争は終わってもいつなんどきまた起こるか分からない。また王に忠誠を近い、国を守る騎士として、常に剣の鍛錬は欠かしてはならない。

そして剣を通して礼節を学び、己を律する者でもある。


というのは建前で、街の見回りや、市民から寄せられる苦情受付相談、各所警備担当の打ち合わせや備品の管理発注、その他諸々の雑用をこなし、合間を見つけて鍛錬というのが騎士団の現状である。


つまり、便利屋ってことね………。


そして騎士団に入団すれば、即騎士というわけではない。最初は騎士見習いから始まるらしい。ずっと剣を振っているだけというより、よっぽど現実味がある仕事内容だ。少しファンタジーを夢見すぎていたのかもしれない。


「アイン!アイン・キャベンディッシュ!」

「はっ!」


名前(偽名)を呼ばれて運んでいた荷物を床に置いて、敬礼を取る。

敬礼は足を閉じて先を45度開く、背筋は伸ばして額にかざす腕は肩より上に、右手はー30°。反対の左手は真っ直ぐ身体のラインに沿って指先まで伸ばす。

ギルバートが毎日朝から晩まで教えてくれた騎士として最初に学ぶ敬礼様式である。


「私物を部屋に運び終えたら、届いた備品を各所に届けにいく。荷物の整理は夜空いてる時間にしろ」

「はっ!了解いたしました!」

声を張り上げ返事をする。ここでは自分が一番下っ端だ。自分とギルバートの関係はもとより性別が女であることも秘密となっている。知っているのは副将軍のグレンと、騎士団長のハロルドのみ。他の者たちには女であるとバレないように男のフリもしなくてはならない。


騎士団に入団するための偽名はアイン・キャベンディッシュ。

グレン副将軍の遠縁の親戚という触れ込みと紹介状で、騎士見習いとして季節はずれの入団が許可された。


「しかしお前、近くで見ると本当に女顔だな」


いきなり顔を近づけられドキリとする。かといって敬礼している姿勢をやめて後ろに下がるというのはきっとダメだ。


やばいっ、近寄らないでっ!離れて!


とたんにどっと冷や汗が流れる。しかし、すぐに相手は顔を遠ざけ


「ウチはもう落ち着いた妻帯者が多い騎士団だからまだいいが、他の隊だと血気盛んなヤツラに酒に酔った勢いで襲われたかもしれんぞ」


はははは、と陽気に笑いながら肩を手加減なくバシバシ叩いて、同じ第二騎士団の騎士だろう40歳前後と思われる相手は倉庫の方へと大股で歩いて行ってしまった。

どうやらバレずに済んだようで、ほっと胸を撫で下ろす。

にしてもーー


痛い……なんて力なの……。それに名前も早く覚えなくちゃ。せめて同じ隊の上司の名前くらい早く覚えないと失礼よね。


骨が折れるんじゃないかと思うくらい強く叩かれて痛む肩をなでる。まだ入団してそう時間は経ってないのに冷や汗が止まらない。

そのままつっ立っていても何も終わらないので、足元に置いていた荷物をまた抱え、自分の部屋があるという離れに運ぶ。離れというだけあって持ってきた荷物を運ぶのに時間がかかるけれど、ギルバートだけでなくグレンやハロルドの協力も得て無理に入団させてくれたのだろうことを考えれば、部屋までの距離など贅沢は言っていられない。


荷物は一先ず自分の部屋に急いで運んで、荷解きは夜に。そして言われた通りに倉庫に向えば、そこには先ほど運んだ自分の荷物が軽く思えるほどの荷が大量に山積されていた。


「これを街の指定の場所に指定の数だけ配っていくんだ。荷の数をこのリストごとに今日中に分けるのがお前の仕事だ。いいな」

「い、イエッサー!」

「よし!いい返事だ。じゃあ頑張れよ」


バンッと胸に押し付けられるようにして渡される紙の冊子。そして相手は倉庫から出て行ってしまい、1人倉庫に残される。


こ、この量を1人で運んで分けないといけないの!?

しかも今日中!!


まずどの荷に何が入っているかも分からない。荷を開けて中身と数を確認してから、それから……?考えるだけで気が遠くなってくる。

しかし、入団初日に初めて任された仕事だ。やりとげなければ無能と思われてしまうかもしれない。


「やってやろうじゃないの!」


着ていた上着を脱ぎ捨て、シャツの袖を捲り上げ、騎士見習いとして初仕事に取り掛かった。



▼▼▼



陽が落ちてすっかり夜になった時間帯。騎士団詰め所の離れの室内で、一見壁と思われる場所がカタリと音を立てゆっくりと内側に開く。そこには在るはずのない隠し通路が続き、そして物音を立てないようにしながら入ってきたのは、手に燭台を持ったギルバートだった。


「アイカ?」


すでに部屋に戻っている時間だ。なのに部屋の明かりはなく隠し通路を通るときに持ってきた燭台の心許ない明かりだけが室内を照らす。

そこにギルバートが通ってきた隠し通路から、するりと足元を通りぬける3色の毛玉。外でよく見る虎模様柄でも、2色でもない3色の毛色を持った珍しい柄の猫。アイカが友達のココだと言ってギルバートにも紹介してくれたが、女神と知り合いの猫となると、とたんに普通の猫には思えなくなる。

こうしてギルバートの後をいつの間にかくっついてきて、ちゃっかりアイカの部屋に入り込むあたり勘ぐらずにはいられない。


そして薄暗闇の部屋を迷いなく歩いていき、ぴょんと飛び乗ったのはベッドだ。そこに燭台の明かりを向けると、白いシャツを着た人影が横たわっていた。


「疲れて寝てしまったのか……」


運びこんだ荷も荷解きされないまま部屋の中央にまとめられ、硬いスプリングの簡易ベッドに、着替えもせずに横たわり深く眠っているアイカの姿があった。疲れきって身体を拭く気力もなく、ベッドに突っ伏したのだろう光景が思い浮かんで苦笑がこぼれる。


持っている燭台を机の上に置き、眠るアイカのシャツのボタンを上から2つほど外し、後ろでまとめているゴム紐もとってやる。そしてベッドの下の方に畳まれたままの布団をそっとかけた。


一緒に夜食を、と思って持ってきたハムを挟んだサンドイッチはもう無理だろう。しかし明日の朝くらいなら朝食にまだ食べられるだろうと籠を机の上に置く。

そして、


「次はお前の飯も持ってきてやるよ。だからここで騒ぎを起こすんじゃないぞ?」


サンドイッチの入った籠の中から、カットされたチーズを一枚取って、ベッド脇に丸まって毛づくろいしているココの方に差し出すと、軽く自分とチーズを見比べ食べ始める。


やっぱりこの猫、ただの猫じゃないな。


猫だというのに静かにしないといけないというのを理解しているかのように、チーズを差し出しても全く啼かない。先ほどチーズと自分を見比べたのも、品定めされた気がするのは考え過ぎではないだろう。


「そんなに心配なら騎士ごっこなんてさせてないで、屋敷に閉じ込めておけばいいじゃないですか」


背後からかけられた声は同じく隠し通路から姿を現したグレンだ。入団初日から隠し通路を使って、さっそくアイカに会いにきたギルバートを呆れ顔で見ている。


「お前なら愛した女性を無理矢理屋敷に閉じ込めることができるのか?」


問われて軽く肩を竦めてグレンはおどける。グレンも何人か女性と付き合ったことがあるがいまだに独身だ。付き合ってきた女性たちの中に、ギルバートのように1人しか見えないほど惚れたという相手はいない。

返答の出来ない質問だ。

それから声をいくぶん事務的なものにしてグレンはポケットからシルクのハンカチに包んだものを取り出す。


「ギルバート様、頼まれておりました石の鑑定ですが」

「本物だったか?」

「はい。鑑定した宝石商にはこのダイヤモンドの原石をどこで手に入れたのか、しつこく食い下がられましたよ」

「そうか……」


取り出した石をハンカチに包んだまま差し出すと、ギルバートはそれをハンカチごと受け取り自身のポケットにしまう。


「これほどの大きさの原石、それもかなり純度が高い。磨けば最上級クラスの宝石になるでしょう。ギルバート様はこれをどちらで手に入れられたのか、自分にも教えてはいただけないのでしょうか?」

「今は言えないとだけ言っておく」

「アイカですか?」


グレンの勘の良さをギルバートは忌々しそうに眉間に皺を寄せた。


「………この件については他言無用だ。いいな」

「かしこまりました」


グレンに口止めをしたものの、ギルバートの不安は増す一方だった。


アイカは炭をダイヤモンドに変えたとき、それを失敗作だと言ったが、ギルバートにはとても失敗作には思えなかった。


磨かれる前のダイヤの原石。

研磨すればどれだけ輝くか未知数の宝玉。


キラキラしていないからダイヤモンドじゃないと言っていた言葉を考えるに、アイカはもしかすると研磨した後のダイヤモンドを作ろうとしていたのかもしれない。しかし、出来上がったのはまだ研磨されておらず光を反射しない原石で失敗作だと思った。


女神として生まれたばかりで世界のことを何も知らないと言いながら、炭とダイヤモンドは元は同じモノだと言ったりもする。

あのとき、アイカがした説明の半分もギルバートは理解できなかった。しかし炭をダイヤモンドの原石に変えることが出来る力はとんでもない力だ。

他にもどんな力をアイカが持っているのか分からないが、本人は自分の力に無頓着のようで力を使うときには気をつけるように注意してみたものの、果たしてどうだろうか。


これが誰かに知られればアイカは欲にまみれた者たちに狙われることになるだろう。

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